金原まさ子とは
小久保佳世子
立春、金原まさ子(敬称略)は101歳になった。
2011年6月末から始まった「金原まさ子百歳からのブログ」は、夏休みや小休止を入れながら、ほぼ毎日一句の新作発表が続いており、私はそのブログ更新の管理作業を通じて金原まさ子という俳人に心底驚かされている。
2010年5月、第3句集『遊戯の家』発刊の打ち合わせの為、句集の発行元で「街」の誌友の柴田千晶と共に私は初めて金原まさ子に会った。待ち合わせの茶寮へ彼女は一人で現れ、俳句、文学(ちょっとここでは書けないカゲキな話題も)などの話が弾んだ。大袈裟に言えば、その日から私は老いが怖くなくなった。ナマ金原まさ子の批評精神の怪物的エネルギーにすっかり魅せられてしまったからだ。今日、元気な100歳は珍しくなく、100歳の俳人もいるに違いないが、その中でも金原まさ子は特筆されると思う。その理由は、毎日一句ネット上に発表される作品が文体も含めて日々新しく、挑戦的で、意味から開放された「何か」を語っていることではないだろうか。それは100歳だからこその自由かも知れず、行けるところまで行くという覚悟と努力の賜物とも思う。諦念やギブアップは金原まさ子には無いと断言できそうだ。
(ブログ近作より)
水が上って白菜が浮く石棺ごと
中位のたましいだから中の鰻重
ごうごうと寝息地中の娼たちの
云うなれば咽喉通る酢海鼠の気分
凍蝶へ・個室入居可限定四拾頭
二階は地下どんでんがえしの鼬かな
ややエピソード的になりそうだが、私が彼女と交わした会話を基に金原まさ子を探ってみたい。
金原まさ子は東京山の手育ち、いわゆる大正ロマン時代に青春を送った人だ。割合自由に育ち、一人っ子、人見知りで友達も少なく「本」が唯一の話し相手だったという。友達が「少女の友」「少女倶楽部」「令女界」などを読んでいる時、「新青年」「苦楽」「譚海」など、大人びた雑誌に親しみヴァンダインや初期の江戸川乱歩、夢野久作などを耽読、その孤独な楽しみの果てに異端好みの金原まさ子が生まれたと思われる。本人曰く「清らかな乙女の時期もあって」17歳で読んだ谷崎潤一郎の『痴人の愛』の譲治には一年以上腹を立てていたとか。
その読書体験には初めから知的好奇心に勝る身体的共感の要素を感じる。資質が似ている作者にはマニアックにのめりこんでゆく気配がある。金原まさ子の俳句の重要なテーマは「肉体」だと思うが、それは「私は人間の人間らしさが好きであり同時に人間の動物らしさが好きである」と『みいら採り猟奇譚』のあとがきに河野多惠子が記した言葉に通うのではないだろうか。
「ミシマの自決一年前大岡昇平が『あの人は日毎に喜劇的になってゆく』と書いています。私はミシマのヒトにワラワレている部分が好きです。その他はキザでペダンチックで全くコッケイです。涙がでます」という私信を受けたことがあるが、これは金原まさ子が自分の作品を評しているのだと思った。
この世にあるかぎり動物と変わりなく行う「食欲、排泄、性欲」を大肯定し、肉体の属性のコッケイに涙し、なおそれらを禁欲した美も求める人間存在というものを客観的に見ているもう一人の金原まさ子がいるようだ。
にくのよろこび文化の日の晩餐 (2011年10月19日のブログより)
取り澄ました「文化の日」に「にくのよろこび」をぶつけたくなるところが金原まさ子らしい。
俳句の出会いは意外に遅く、たしか50歳を過ぎてからで、本格的に俳句表現に向かったのは60歳以降だったと聞いている。猛烈な読書はずっと続いていたが表現者にならなかったのは機会に恵まれなかったこともあったかもしれないが、あるいは書くことの恐ろしさ恥ずかしさに自覚的だったからではないだろうか。
乳児だった娘さんの毎日の便の状態を絵入りで記録していて、その几帳面な育児日記を見せてもらったが生活者としても完璧主義があったようだ。「母として神のような自信があり、その結果最初の子供を殺してしまったの。食べさせてはいけないものを食べさせて」と聞いたことがある。
こんな事を知って
春暁の母たち乳をふるまうよ (句集『遊戯の家』より)
を読むと母たちの健やかさに傲慢が漂い始め、まさ子俳句の底深さに改めて感じ入ってしまう。
「深夜、誰も通らず車も無い交差点でも信号が赤だったら絶対に渡りません」と、市民社会のルールには徹底的に従いながら、人間の「悪」に限りない興味を持つところが金原まさ子の面白いところで、それは小さい時から親しんだ「本の国」の悪人たちの魅力に起因するのだろうか。
桂信子主宰の「草苑」の創刊同人となるが、桂信子の俳句理念に必ずしもフィットしなかったようだ。桂信子の「正しさ」に違和感があったのかもしれない。現在は「街」(主宰・今井聖)と「らん」(発行人・鳴戸奈菜)に所属している。
「私の俳句つくりを文学とは思わない」と言うことがあるが、ここで言う文学は文学という言葉が纏う後ろ暗さではなく、むしろその逆の清く正しく世間に尊敬される文学ということだと思う。悪徳趣味や不良性(あくまでも虚構の世界だけ)を少女のように恥じらい、また若さの奢りさながら開き直ったように突進してゆくのが金原まさ子だと思うが、その俳句には「快楽と禁欲」の緊張感があり、それを文学と呼ぼうが呼ぶまいがどうでも良いのかもしれない。
炬燵真赤やひろげてぢごくがきやまひ (週刊俳句2012年新年詠)
今年の新年詠だ。地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙という新年には不向きな素材を敢えて選んでいて、いかにもそこが彼女らしく人間観察のシャープな眼差しを感じる。真っ赤な空間に犇く、醜く哀しい人間の群をかくも絢爛に描いた一句。これこそまさに金原まさ子の真骨頂の新年詠ではないだろうか。金沢文庫に仕舞われている地獄草紙を頼んで見せてもらい、時を忘れて見入った体験があったと聞いている。異空間に連れてゆかれるようなまさ子俳句に奇妙なリアル感があるのは、言葉を借り物ではなく自分のものにするまでの時間の蓄積と醸成があるからだろう。
時が進み、サブカルチャーやネットの時代になり、俳句の世界も漸く風通しがよくなり新しい波が動き始める予感がある。この波の持つ自由のイメージから、メインやサブに捉われず、素人に徹し、孤独だけれど淋しくはない「俳句遊び」を真剣にしてきた金原まさ子に、時代が追いついたのではないかと思うことがある。彼女は「週刊俳句」や「豈weekly」などに早くから注目し、熱心な読者でもある。そして「もういつ死んでもよいと思っていたけれど、これからの俳句が面白そうで生きてみたくなった」と言ったりする。
自らを「知りたがり屋」というが、その知りたがり精神が101歳になる今日まで鮮烈で興趣に富んだ俳句を産み続けるエネルギー源となっているに違いない。
まさ子俳句の「快楽と禁欲」のモチーフは今後も様々に変容し、ますます目が離せなくなりそうだ。
金原まさ子の101歳の始まりに心からの万歳と拍手を!!
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2012-02-05
金原まさ子とは 小久保佳世子
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