2012-03-11

〔週刊俳句時評60〕「おれは―― 確定申告もあるし」 “震災詠”について思うこと 西丘伊吹

〔週刊俳句時評60〕
「おれは―― 確定申告もあるし」 “震災詠”について思うこと


西丘伊吹


震災から一年が経つ。と、いう区切りに、ほとんど何の意味もないことは分かっている。それでも、3月11日に時評の担当が回ってくると分かったときから、震災について書くかどうか、ずいぶん悩んでしまった。その大きな理由が、自分に震災について何か書く資格があるのか、ということであった。しかし、なぜ“資格”などという言葉が自分の頭に浮かんだのか、ということが、考えてみれば不思議でもあった。もっと言うと、「自分に震災について何か書く資格があるのか」という問い自体が、何か借り物のような、実感のないものであるような気がふっとしたのである。

そして気付いたのだけれど、この一年間、周囲で「震災を詠む」(震災詠)ということについての議論が様々に交わされたのを耳にしてきた中に、私に“資格”という言葉を思わせた何かがあったように思えた。今、とても逡巡しているが、その辺りのことについて、少し考えてみたいと思う。



震災を詠むとは、どういうことなのだろうか。

『俳句』3月号の小澤實氏と高野ムツオ氏の対談「自然とどう向き合うか」の中で、高野氏は、6月に高柳克弘氏が『文藝春秋』の取材で宮城を訪れた時のことを語っている。

高野:(…)その時初めて悲惨な状況を見た彼(西丘注:高柳克弘氏)が「季語の持っている歴史性が、圧倒的な現実を前にしたときに、通用しないこともある。それどころか、邪魔になる場合もあるのだと、私はこのとき痛感した」と書いたのを読んで、やはり私ひとりではないのだと嬉しく思いました。実際に高柳君に無季の俳句があります。〈瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ〉。一つの音だけだけれど、乾いた、しんとした、こう表現する以外にはありようもない空間が捉えられています。とても即物的で、情緒的に乾いているけれど、リアリティがはっきりと感じられます。
小澤:〈瓦礫の石〉の句は確かですね。有季の句に慣れているので、無季というだけでギョッとします。でも、その感じがまさに地震の時の震動と響き合うものがあるのです。(…)

(『俳句』2012.3月号 p.102)

〈瓦礫~〉の句は、臨場感のある欠落感とでもいうのだろうか、独特の実感があり、読む者に強くイメージを喚起させる。高柳氏が受けた衝撃と、虚無に近い心のありようが伝わってくる。被災地に暮らし、震災をテーマに詠み続ける俳人がいる一方、高柳氏のように自ら被災地に赴き、そこに季語が安易に入り込めない現実が広がっていることを目にして、無季の句を作らざるをえなかった俳人もいる(「自然とどう向き合うか」という対談のテーマでありながら、このように無季の話題が出ることは興味深い)。さらに、例えば東京にいて、テレビの映像を介して震災を詠み続ける俳人もいる。



いわゆる「震災を詠んだ句」の中には、確かに、先に挙げた高柳氏の句のように、深く心を捉えられるものもあった。

ただ、それとは別に、震災を詠むということについて、引っ掛かっていることがあった。

例えば震災後、震災によって直接的な被害を受けた人と間接的に被害を受けた人とでは、震災俳句への対し方は異なるべきだという主張が周囲で散見された。しかし、どのように直接的/間接的という区別をつけるのだろうか(つくはずがない)、と考えれば、その分け方がナンセンスであることはすぐに分かる。

そして、そのナンセンスさと同様、まるで震災詠/震災俳句という「或るジャンル」があるかのように語られていることに違和感を覚えた。あなたは震災を詠むんですか、詠まないんですか、という問いの立て方に対する違和感。そして繰り返しになるが、「では、震災を詠むとはどういうことなのか」という疑問。しかし、その違和感と疑問を、ずっと上手く説明できずにいた。

そんななか、『現代詩手帖』の、藤井貞和氏と佐藤雄一氏の対談「もっとも原理的な問いへ 震災以後の詩学」に、以下のような箇所を見つけた(太字:西丘)。

佐藤:(…)でも、ストレートな問題意識を、たとえば踊りながら、歌いながら言っていくということがあって、そういう意味での政治性が藤井さんの、とくに今回の『東歌篇』には強く感じられます。不謹慎な言い方かも知れませんが、笑ってしまうところがけっこうありますね。確定申告のところなんかもそうです。リズムも独特で、切れ切れのリズムは、一瞬折口信夫を想起してしまうのですが、それともまったく違う。読んでいると、書いていることはとても切実ですが、とにかく笑ってしまいます。
藤井:三月十五日が確定申告の日でした。でも書類が全部吹っ飛んで、源泉徴収票を探し回って……(笑)。
佐藤:「東京にいすわるからな。引きこもる/おれは― 確定申告もあるし。」 たぶん、新聞記者が震災詩ということで取材に来て、こういうのを見せられたら、絶対に戸惑うと思います。もっと優等生的な、例えば長谷川櫂だったりしたら載せやすいのに(笑)。でも力があるのは、この笑える方ですね。
(『現代詩手帖』2012.3月号 p.76)

「震災詠」と名付けられ、括られた実体のないものが、それを詠もう詠もうとすることで(あるいは詠ませよう詠ませようとすることで)、逆説的に型にはまった陳腐なものになっていく、あるいは特定の角度からしか物事を捉えられなくなっていく。そのことの危険性が、ここでは暗示されている。私たちの震災後の日常/非日常、あるいは震災への向き合い方は、そんなにステロタイプ化できるものではないはずである。そのことを、先に引かれた藤井氏の詩は、静かに突きつけている。



ところで、御中虫氏は、長谷川櫂氏の『震災句集』に対する批判として、自ら『震災句集』と同じ数(125句)の俳句を詠んだ。しかもその全ての句に、「関揺れる」という、御中虫氏が「発明」した「季語」を用いて。「関揺れる」とは何か。御中虫氏は、自身のブログ(「虫日記R6」)の2012/2/24のエントリにて説明している。(注:この125句は、邑書林から近日句集として刊行が決まっているそうだが、同エントリ内にその全ての句が掲載されているため、句集の形で読みたい方は該当部分を見ないことをお薦めする。なお、句集にはブログ未掲載句も収録されるとのことである。)少し長くなるが、引用したい(太字:西丘)。

(…)その答えとして虫(引用者注:御中虫氏の一人称)が出したのは、
「長谷川櫂の【震災句集】に収録されてゐる数と同じ数だけ、自分も【震災俳句】を作る」
ことだった。
彼とはまったく別の切り口から震災をうたうこと。
彼の句に感動する読者層は捨てゝ、「長谷川櫂キモイ」って思ってる読者層にわかってもらへる句群をだすこと。
「東日本大震災」「地震」といふことばを捨てること。
だいたいそういうルールといふかポリシーのもとに、虫は上記125句を書いた。
先に書いたやうに、こゝにをける【季語】は、【東日本震災忌】などではない(実際あるんだよ!ばかじゃねえか)。
【関揺れる】

これが 虫の 震災125句の 季語となってゐます。
なぜか。
虫は
被災者ではありません。
虫の近しいひとたちもほゞ全員被災者ではありません。
虫はテレビを普段見ません。
新聞もとってない。
ラジオもない。
およそ 世間のニュースからかけ離れたところに虫のいとなみは地味にある。
しかし この地震のことはツイッターを通して知った。
普段見ないテレビも少しは見た。
ニュースなども見た。
心はもちろん痛んだ。


でもね。
虫は被災してないし、被災者の友人知人もほぼいないし、つまり、これは、ただの、かなしいニュースのひとつ。
冷たいと思うかな。
別に思ってくれてかまわなひ。
虫は我が身のこととして 東日本大震災を ひきうけられはしない人格の持ち主である。







関悦史さんという被災者がゐた。
関さんとはたった二度ではあるけれどもリアルにお会いして、またふだんツイッターでの彼の知性とユーモアと機転、人柄などなどにはとっても魅力を感じてゐるし、虫がつらいときにツイッターでとおくからやさしいこえをかけてくださることもしばしばあり。個人的には親しみを感じてゐるのね、先方はどうだかわかんないけどww

そんな 関さんが被災者であるということは虫にとっては大事件であり、しかもいまだに関さんのゐる地方がしばしば(けふも)揺れてゐる、ということ、関さんの「揺れた」といふわづか三文字のツイートにもこころが動揺すること、これは、紛れもない事実なのです。

云わば虫は関悦史の「揺れツイート」を通じてのみ、この震災に向き合ってゐる。それ以外は、ない。

なので、【関揺れる】といふ【東日本震災忌】に代替する季語を自分でつくる必要がありました。

驚くのは、御中虫氏がここまで「自分にとっての震災とは何か」という問いを突き詰めたことである。「云わば虫は関悦史の「揺れツイート」を通じてのみ、この震災に向き合ってゐる。それ以外は、ない。」と言い切った彼女は、「関揺れる」という「季語」のみを用いて125句を編み上げた。

震災という共通の経験を、自分自身のものとして捉え直すことは、本来、これほどに個別的で、かつオリジナルな行為になるはずなのだろう。被災した/しない、被災地に行った/行かないといった分け方で震災の詠み方を区別しよう(させよう)とする一部のムードに対して、一線を画する態度であると思った。



そして思い出すのは、昨年4月、朝日新聞のコラム「あるきだす言葉たち」に野口る理氏の作品が掲載された際、彼女がツイッターで語っていた言葉である。野口氏の作品は、震災をいわゆる直接扱ったものではなかった。むしろ、野口氏らしい、ごく日常的な場面を描いた句群であったと記憶している。それにも関わらず、彼女はこう述べていた。

「(じぶんで読み返してみると、某15句は、震災の影響がものすごいです。)」

この言葉は、正直かつ、自らの作家としての現状を的確に説明したものであると思う。日常を詠むなかで、野口氏は確かにそこに投影された震災の影響を自覚していた。このように、震災が、読者に一見それとわかりにくい形で作品にあらわれることも、当然ながらある。しかし、世間の別の場所に「震災詠」「震災俳句」という括り方があり、それに則った俳句が存在していると、このいった機微が見えにくくなる面があることは事実だろう。

そういえば、「震災絵画」とか、「震災陶芸」などはあるのだろうか。



震災とその後の原発事故が引き起こした諸々に関して、自分のペースで、かつ自分のレベルで向き合い、受け容れていくという作業が、こんなにも困難であるかと感じた人は少なくないのではないかと思う。まして、近しい方を亡くされたり、住んでいた場所を追われたりした方はなおさら、私には想像のつかない困難さを今も抱えておられると思う。

そのような中で、俳句といかに関わっていくかということを考える時、どうするのか。「震災詠」という実体のない言葉にとらわれ、自分を型にはめていくのではなく、先に挙げてきたように、固定観念や先入観をもたず、自分なりの方法や角度で俳句や詩と向き合ってきた方々の姿は示唆深かった。示唆深いだけではなく、個人的に、迷っている心にしみ入ってくるものがあった(それは、後で少しふれるように、作品が良かったということも勿論あるのだが)。

私自身について言えば、震災を直接題材として扱わなくても、思考や感受性すべてにその影響は出てしまっているので、モチーフとして震災を詠もうということはしていない(正直に言うと、つらくて詠めない)。ただ、日常を詠むときに震災の影響が出てしまうという点では、野口氏の発言に共感するところがあった(モチーフとしての震災について、野口氏がどう考えているかは私には分からないが)。



最後に、震災を詠んだ作品の価値の問題について、少しだけふれたい。

各々がそれぞれのペース/レベル/問題意識をもって、震災と俳句ということに向き合っていれば、おのずと色々な事態が生じる。自分の気持ちの安定のために俳句を量産する人もいる/いただろう。そして、実際問題、それは心の慰めとしては一定程度有効であると思う。それを否定することはできない。ただ、作品としての価値ということを考えるとき、この一年散々議論されてきたように、難しい面が出てくるのも事実である。

先述の藤井氏と佐藤氏の対談で、以下のような箇所があった(下線:西丘)。

佐藤:(…)今回の震災にサイファーで対応しようとしたとき、それはPC的であるという言いかたはされましたね。かわいそうなひとがつくった詩だからいいと言ったり、時局にのった正しさに流される、それはいかがなものか、と。まあ、それもひとつの紋切り型ですが。そういう言いかたは単純にだめなんじゃないかと思いますね。
藤井:そういう批判はいつもありますよ。批判するときに、これは芸術的に低いからだめだとか、詩になっていないとか……そういう搦め手みたいなところから批判し去ろうとする勢力というのはいつもある。そういうのに対しては反論しにくい。こちらもめげちゃうしね。「震災特需」という言葉を、私は最初にどこで聞いたのかな、……聞いたときは数日間、受け入れがたい思いがしたけど、数日目に「ああ、震災特需という言葉を受け入れればいいんだ」って。ボランティアも、作業員も、みんなある意味では震災特需で、それでいいんじゃないか。みんな震災特需で行きましょうよって、そういう発想転換(笑)。
佐藤:特需であろうがなんであろうが、出力された結果がすべてだと思います。震災の中から出てきた詩を笑ってもいいと思いますし、だめなものは批判すればいい。逆に、すぐ忘れ去られるような批判や作品はどうでもいい。結果として残るものがあるかどうかというところが大事だと思います。結果より詩をつくる動機のレベルでレッテル貼りして露悪的にチャチャいれようとするのは、どこまでも村人的な恥ずべき自意識の問題です。それこそ頭の悪い「文士」のような。
(『現代詩手帖』2012.3月号 p.78~79)


動機について云々しても仕方ない、というシンプルな佐藤氏の認識。私たちは少し結論を急ぎすぎていたのかも知れない。(詩/俳句)形式への信頼とは、おそらくこういうことなのだろう。時間を経て、作品として残るものは残る。一見冷たいような響きであるが、真実であると思うし、答えを急ぎすぎてしまうときの、これは一つの指針になりうる言葉だと感じる。

同じ『現代詩手帖』3月号に掲載されていた高橋睦郎氏の詩(「いまは」)が、なかなか出てくることができない言葉に寄り添い、その恢復を待とうとする、静かな優しさに満ちた(と、書くと胡散臭く聞こえてしまうのはどうしてだろう。震災後、優しさという言葉が安易に濫用されたからだろうか。そうではなく、心の襞を包み込むような、たしかに優しい)ものであったことを書き添えて、終わりにしたい。


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