2012-03-18

ほかいびとのうた 橋本直

ほかいびとのうた

橋本 直


「ほかいびと」は広辞苑に「ほがいびと」であって、

《ほがい‐びと【乞児】ホガヒ…
(人の門戸に立ち寿言ホガイゴトを言って物を乞うからいう) 祝いのことばを唱えて回る芸人。物もらい。こじき。万一六「乞食者(ホカイビト)の詠(ウタ)」》

とある。四国沿岸部の町に育つと、お遍路の門付け(とはいわなかったと思うが)には遭遇するものなので、ビジュアル的には想像しやすい。

そもそも、「ほかい」ってなんやねん?と思っていたのだが、ああ、昔大学院入試の時に覚えた吉井勇「酒ほがひ」の「ほがひ」と同じか、とわかってきた。

「ことほぎ」ですね。「よごと」にも通じる。すなわち「祝言」=「呪言」でもある。言葉で自然を祝って呪った。唐突ですが、素人の震災詠に力があるのは、ひとつには呪言のダイナミズムが発動するからでしょう。

この万葉集の歌は知らなかったが、折口さんの論考と併せ読むと面白い。

《ほかひゞとの持つて歩いた詞曲は、創作物であるかと言ふ疑ひが起る。寿詞が次第に壊れて、外の要素をとり込み、段々叙事詩化して行つて、人の目や耳を娯(たのし)ませる真意義の工夫が、自然の間に変化を急にしたであらう。(中略)此歌は、其内容から見ても、身ぶりが伴うて居てこそ、意義があると思はれる部分が多い。「鹿の歌」は、鹿がお辞儀する様な頸の上げ下げ、跳ね廻る軽々しい動作を演じる様に出来て居る。「蟹の歌」も、其横這ひする姿や、泡を吐き、目を動すと言つた挙動が、目に浮ぶ様に出来て居る。》「国文学の発生(第二稿)」

この「工夫」については、「芸」であればそうだろう。

山頭火は門付けのお経がうまくなって「芸」のようになっていくことに自己嫌悪をもっていた。自分が生き延びるために仏教に寄生することになるから。井月はどうだったのかなあ。古代の遊行の人々はそんなに頭でっかちではなかったろうか。

折口の頭には岩手の「鹿踊り」なんかがうかんでいたに違いない。自然とのつながり方の言葉と身体のバランスは、目下の関心事。いまは頭が先にありすぎるのではないか、と思われる。


(参考文献)
折口信夫
「国文学の発生(第二稿)」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/47022_31485.html

「偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18396_22465.html

「万葉集」テキスト

乞食者<詠>二首 3885

[原文]伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多々弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥猟 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来<立>嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃<波>夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 <白賞尼>

[訓読]いとこ 汝背の君 居り居りて 物にい行くとは 韓国の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来 その皮を 畳に刺し 八重畳 平群の山に 四月と 五月との間に 薬猟 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟が本に 梓弓 八つ手挟み ひめ鏑 八つ手挟み 獣待つと 我が居る時に さを鹿の 来立ち嘆かく たちまちに 我れは死ぬべし 大君に 我れは仕へむ 我が角は み笠のはやし 我が耳は み墨の坩 我が目らは ますみの鏡 我が爪は み弓の弓弭 我が毛らは み筆はやし 我が皮は み箱の皮に 我が肉は み膾はやし 我が肝も み膾はやし 我がみげは み塩のはやし 老いたる奴 我が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさね 申しはやさね

[仮名],いとこ,なせのきみ,をりをりて,ものにいゆくとは,からくにの,とらといふかみを,いけどりに,やつとりもちき,そのかはを,たたみにさし,やへたたみ,へぐりのやまに,うづきと,さつきとのまに,くすりがり,つかふるときに,あしひきの,このかたやまに,ふたつたつ,いちひがもとに,あづさゆみ,やつたばさみ,ひめかぶら,やつたばさみ,ししまつと,わがをるときに,さをしかの,きたちなげかく,たちまちに,われはしぬべし,おほきみに,われはつかへむ,わがつのは,みかさのはやし,わがみみは,みすみつほ,わがめらは,ますみのかがみ,わがつめは,みゆみのゆはず,わがけらは,みふみてはやし,わがかはは,みはこのかはに,わがししは,みなますはやし,わがきもも,みなますはやし,わがみげは,みしほのはやし,おいたるやつこ,あがみひとつに,ななへはなさく,やへはなさくと,まをしはやさね,まをしはやさね

[左注]右歌一首為鹿述痛作之也


[題詞](乞食者<詠>二首)3886

[原文]忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 <吾>知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼<此>毛 <命>受牟跡 今日々々跡 飛鳥尓到 雖<置> <々>勿尓到雖不策 都久怒尓到 東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 <手>碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作龜乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩と給 <セ>賞毛 <セ賞毛>

[訓読]おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝剥き垂り 天照るや 日の異に干し さひづるや 韓臼に搗き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂りを からく垂り来て 陶人の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも

[仮名],おしてるや,なにはのをえに,いほつくり,なまりてをる,あしがにを,おほきみめすと,なにせむに,わをめすらめや,あきらけく,わがしることを,うたひとと,わをめすらめや,ふえふきと,わをめすらめや,ことひきと,わをめすらめや,かもかくも,みことうけむと,けふけふと,あすかにいたり,おくとも,おくなにいたり,つかねども,つくのにいたり,ひむがしの,なかのみかどゆ,まゐりきて,みことうくれば,うまにこそ,ふもだしかくもの,うしにこそ,はなづなはくれ,あしひきの,このかたやまの,もむにれを,いほえはきたり,あまてるや,ひのけにほし,さひづるや,からうすにつき,にはにたつ,てうすにつき,おしてるや,なにはのをえの,はつたりを,からくたりきて,すゑひとの,つくれるかめを,けふゆきて,あすとりもちき,わがめらに,しほぬりたまひ,きたひはやすも,きたひはやすも

[左注]右歌一首為蟹述痛作之也

※出典《バージニア大学万葉集オンラインテキスト》
http://etext.lib.virginia.edu/japanese/manyoshu/index.html
校異等は省略した

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