2012-03-18

いーな伊那っていうけれど 西村麒麟

いーな伊那っていうけれど 

西村麒麟


そうですか、井月さん、映画になりますか、ほー、すっかりブームですね、嬉しいです。ちょっと前まで、井月なんてイゲツと読まれてると思ってたんですが、凄い事ですね。

前に「いげつじゃない」とか言うタイトルで週俳に書かせていただいたのを、今回再掲載していただけるそうで、いやー、ありがとうございます、という事で記念におまけみたいなものを書かせていただきます。なんで井月書いたか?みたいなやつを、あくまでおまけなので立派な事は書きませんが…。

僕実は、22~23歳の頃伊那に住んでたんですよ。

ほんとーに恥ずかしい事なんですが、その時大学で付き合ってた彼女が伊那の人でして、当時の僕は東京に行って俳句をやるのだと燃えていて(young!)、それでいて東京の俳句エリートみたいな人達とまともにやっても勝てないかもしれないので(この辺が僕らしくて卑怯)、とりあえず(何故!)伊那に行き、井月や信州系の俳人をみっちり読んで大自然の中で俳句を磨けば、気が付いたら「吉野の石鼎」みたいに人に負けない大俳人になるに違いないと、そんなどうかしている事を本気で考えていました…。

ここまでこの残念な文章を読んでくれた方はお気付きでしょう、そんな男はやがて捨てられます。

もうギャグみたいな話ですが、三月に伊那に行き五月には別れ話が出てですね、おいおいちょっとまてと…、さて、お前の恥ずかしい話なんかどうでも良い、って声が聞こえてきますが、こっから始まったのが僕の伊那生活、あの暗黒の時代だったのです、今さらですがここまで書いて僕はなんと残念な人間である事よと、なんだか嬉しくなってきました。

僕が見た伊那ってこんなとこよ、というのを読んでもらうのも、井月の映画を観る前に見ていただくのも良いかなぁと思うんです。

さ、あくまで僕が感じた伊那ですが、住んでいる人達は仲良くなりさえすれば家族のように接してくれます。

僕は毎日勤め先の事務員さんのNさん(お子さんが僕と同じ歳)にお弁当を作ってもらい、営業先でもなぜかご飯を食べさせてくれるという家が三件ぐらいはありました。あと食料をよくいただきました、主婦からは珍しい御菓子、これが余り物じゃなくて良い物からくれるんですよ、すごいね伊那。農家の方からはおう!米と野菜持ってけ!という感じで色々くれて大変優しい。

ちなみに外国の方も多く、みなさんよくしてくださいました、ブラジルの方はよくお菓子をくれ、タイ人の方からは娘をぜひ、という話もありました、みんな良い人でした、リカルドさん元気かなぁ。

 漬物で茶漬所望や梅の花  井月
 酒有と云ふ迄もなし梅の宿
 栗粥でつなぐ命や雪の宿

多分それぐらいは平気で食べさせてくれる文化があります。

 命有りて互に花を見る日かな
 機げんよき軒の小鳥や梅日和
 よき水に豆腐切り込む暑さかな

なんてしれっと詠んで、ちらちらっと見れば、そーかそーかと酒ぐらいご馳走してくれる文化があります。うまそうに食べてたら、そんならもうひとつ食えと言ってくれるような人達です。

ですが、ですがね、自分の田舎はどんなとこでも愛せるものですが、知り合いの一人もいない伊那はほんとに狂いそうに寂しく、俳句でも作るしかないよ、という日々でした。

当時の僕の俳句を読み返すと、寂しくないもん、とか、花咲いてて嬉しい、季節の物食べて嬉しい、あ、雁、嬉しい、あ、雪、嬉しい、風流を愛してるのさ、なんて俳句ばかりですが…。

嘘です、すんごい辛かったです、毎日朝日を見ると一日が始まるのが嫌で泣いていたぐらい辛くて、そんな腐った気分を消すために夜は営業車で田んぼ道をオラオラと壊れそうなぐらいアクセルを踏んで走ってました…。

ちなみ僕は車の運転がぞっとするほど下手で一年間で伊那の田んぼに三回タイヤを落としました、そして三度とも村の人達が助けてくださいました、みんな良い人でした。

 出た雲のやくにも立たぬ暑さかな
 山路来て水に味ある暑さかな
 さつぱりと洗うた様な蓮の花

これらの句にもほんとはあると思うんですよ、井月さんのクソッと思う気持ちが、一句目はわかりやすいですが、案外二句目三句目にもあるんじゃないかなと…、僕もどんなに優しくされても伊那ではやはりよそ者の寂しさのようなものを感じていました…。

もー嫌だ、あー、もー、知らん!とモヤモヤしながらも、すぐ裏の天竜川を見ていると、ふと心の調子が良くなる事がありました、そんな時は透明でなんとも言えないスッとした気持ちになったもんです。

 白牛を見に行く家や罌粟の花
 塗り下駄に妹が素足や今朝の秋
 露の音虫の音色に替りけり
 柳から出て行舟の早さかな

どれもふっと、井月さんが透明な心になった時に詠んだ句なんじゃないかなぁと思うんです、最後のやつなんか良いですね、ツイーッと。

もちろん楽しい事だってありました伊那、蕎麦、鰻、馬刺、猪鍋、ソースカツ丼(名物)、おやき、かんてんぱぱ(就職しようとしてダメだった…)、温泉、うん、楽しい事もありました。

でもね、やっぱり僕はよそ者で、寂しいのですよ、ちょっと違うわけですよ、というわけで俳句と酒ぐらいしか心から楽しめるものはありませんでした…。

 寝て起きて又のむ酒や花心
 泥くさき子供の髪や雲の峰
 豆腐屋も酒屋も遠し時鳥
 うるさしと猫の居ぬ間を昼寝かな

井月さんもね、どんなに伊那の人達によくしてもらっていたとしても、僕は寂しかっただろうなと思うんですよ、伊那が好きなのと同時に伊那に居るしかない、という思いも強かったはずです。

あと井月さんの俳句、今ではなかなか、伊那の英雄ですからお馬鹿な俳句は紹介されにくいのですが

 初松魚酒に四の五は云はせぬぞ
 ふらふらとして怪我もなき青瓢
 秋暑し昼寝の夢に見る西瓜
 誰いふとなく河豚くふた噂かな

なんてのもあります、あまり名句をぎゅっと集めるより、これらの俳句も混ぜたような読みやすいテキストがあれば良いなと思います、親しみわきますよね

僕は伊那に住んで一年後、結構ぼろぼろで逃げるように伊那から去ってしまったので、好きだった蕎麦屋にも喫茶店にも何も挨拶もなく消えるように去りました。今だに若干トラウマで伊那の土を踏めないのですが…

そろそろ、また伊那に行ってみようかな

 よき酒のある噂なり冬の梅

僕の好きな井月さんの俳句です。

伊那には一年しか居ませんでしたが、うん、行って良かったなと思ってます、いやいやほんと。

映画を見た後で、井月さんのお墓の前でお酒をぐっと呑んで、俳句を作ろうかな、うん、そうしよう。

1 comments:

北村皆雄 さんのコメント...

僕は、伊那に生まれて、育って、伊那が嫌で、というより伊那の山の向こうにあこがれて東京へ出てきてしまったような男なんでしけれど。
今回、50年ぶりに伊那へ帰って映画を撮ったんです。通い妻のような僕に、伊那の人たちは本当にとことん付き合ってくれて、映画を作ってくれました。
西村麒麟さんに描かれた伊那は、まったくその通りで、井月さんの気持ちにも通ずるように思いました。
井月の映画を自分のことのように声をかけて応援してくださっていると、三田村雅子さんから聞きました。多謝。
ほかいびと監督 北村皆雄