2012-05-20

朝の爽波 16 小川春休


小川春休





16

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先日ツイッターにてひとしきり「俳句バトル漫画」というテーマが盛り上がりを見せてました。「ライバルとの戦いに敗れた主人公が、爽波のもとで激しく鍛え直されて見違えるように強くなって戻ってくる」なんてのはどうか、と今更思い付いたりしています。

さて、第二句集『湯呑』は引き続き第Ⅱ章(昭和35年から48年)から。この頃の爽波さんは、三和銀行の芦屋支店長となり、主宰誌「青」も150号記念号刊行。昭和42年には「芦屋支店の取引先に入った空き巣を機敏なチームワークで店頭にて逮捕」という気になる一文も。昭和43年には経緯はよく分かりませんが爽波から『青』廃刊発言があったそうで、「青」から離脱したメンバーが同人誌「椰子」を創刊という波乱もあったようです。対談や散文などを読むと、どうも爽波さんには自分の思ったことを曲げない一本気なところがあったようで、意見の違いなどからヒートアップすることもあったんだろうなぁ、という印象を受けます。

冬来る分厚き斧の刃をまたぎ  『湯呑』(以下同)

擬人化された冬が斧をまたいだとも読めるが、上五で意味の上でも切り、実景として読みたい。斧はわざわざまたぐようなものではなく、それをまたがざるを得ないような、雑然とした山小屋を思い浮かべる。「分厚き」と言ったことで斧の質量、存在感が出た。

鶏頭に手を置きて人諭すごとし

鶏頭の形状は人の頭部のようでもある。紫がかった深い赤、学名は「燃焼」という意のギリシャ語に由来する。赤く燃え盛る感情の持ち主を諭しているとの見立てだが、諭す側と諭される側とは同じ人物、鶏頭という物を通して感情が循環しているのではないか。

桐一葉電柱きはやかに夜空

星々や月の光を降らせる夜空と、その陰となって真っ暗な電柱の後ろ姿。そんな中をふとよぎる大きな桐の葉の姿も、夜空にくっきりと浮かび上がる。夜空と電柱と桐の葉と、それぞれに異なる暗さの織り成す鮮やかなコントラスト。澄み切ったクリアな夜空の景だ。

吾を容れて羽ばたくごとし春の山

登るにつれてぐんぐん近くなる空、小さく見下ろされる街並や海、そして吹き抜ける風が起こす大きく鋭い葉音――。それを「羽ばたくごとし」と表現するのはかなりの飛躍があるが、その飛躍を孕む表現の力強さが、読み手の想像を鮮やかに広げてくれる。

春山にゆるぶがままの帯の総

描写から、帯は兵児帯であろう。柔らかく幅広の縮緬地で、普段着の帯として愛用される兵児帯だが、難点は結び目がほどけやすいこと。掲句でも見事に緩んでしまっているが、そこから気儘な山歩きの様子が見て取れる。助詞「に」の働きにも注意して読みたい。

鶴凍てて花の如きを糞りにけり

寒さに耐えて、片脚で直立したままの鶴。そのような状態でも、便意という生理現象は訪れる。白い羽に覆われた鶴の身から現れる糞、そしてそれを見出した爽波の歓喜。「花の如き」とは、大輪の牡丹かそれとも梅の小花か、読む者に想像させずにはおかない。

鶴凍てぬたはやすく児は抱き去られ

鶴の方を見ていた幼児であろうか、本人の意思とは関わりなく、後ろからやって来た親にふっと抱き去られる。いつものことだからか、特に恐れもなく、抱き去られるがまま。そうした間も身動き一つしない鶴の立ち姿が、より一層寒々と感じられることだ。

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