成分表51
心ない
上田信治
「里」2010年5月号より転載
年下の友人に、たいへん「心ない」者がいる。
「心ない」というのは、彼が、自分で自分のことを「心がない」と言うのである。
彼はまた、自身のことを「策略家でいつも人間関係を計算している」と称していて、まあ実際そういう面もあるらしいのだが、どうしてそんなのと付きあっているかというと、彼が私のことを「あなたも心がないタイプではないか」と、認めてくれているからだ。
この間も彼と飲んでいて、彼が人を飲みに誘うのが苦手だ、という話になった。言われてみれば、私もそうなので、心ない者どうし二人で、その理由を考えた。
自分が誘われると嫌だから? いや、二人とも誘われると嬉しいんである。
誘って断られると傷つくから? いやそれは、もともと「心がない」ほうなんで大丈夫なのだ。
あれこれ考えて思い当たったのは、相手に断らせるのが気の毒、ということだった。
もし、相手が自分などと飲みに行きたくなかったら、自分が誘ったばかりに、ひょっとしたら嘘まで吐かせて断らせて、等々と思うと、もう、はじめから誘わないほうがいいと思ってしまうようなのだ。
ところで、よく、戦場では「いい人ほど先に死ぬ」と言う。
「いい人」とは「行動原理に、所属する共同体の利得が、よく組み入れられている人」のことなので、これは当然のことである。戦争は、共同体が人に死ねと言うものなので。
「心がない」と自称する彼は、自分のことを少しも「いい人」だと思っていないだろう。
しかし、安手のドラマではないが、彼が、戦場で手榴弾の上に身を投げ出して周囲の人を救うというようなことを、絶対にしないとは限らない。
と、彼が人を飲みに誘うのが苦手だという話を聞いて、思った。
もし彼が、自分以外の人をかばって死んだら、みんな「こんないい人だったなんて」と驚いて泣くだろう。
私は、そんなことを言われたのでは彼も浮かばれないと思うので「いやあ、誰かに後ろから押されたんじゃないの?」と言うことにしよう。
どんなに自分本位に見える心も、人間じつは底が抜けていて、その先は共同性のようなものにつながっているように思う。
そういえば彼も物を書く人なのだが、そういうことに、人の限られた持ち時間を賭けるなど、家族が嘆くのも当然の、底抜けにお人好しなことだと思う。
だからこそ、作品は、心なく書かれていればそれでちょうどいい、というような気もする。
まつしろに花のごとくに蛆湧ける 髙柳克弘
あ、文中の「彼」というのは、この句の作者のことではないです。もちろん。念のため。
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