2012-06-10

【週俳5月の俳句を読む】瀬戸正洋

【週俳5月の俳句を読む】
老人も荒野をめざす

瀬戸正洋


古書店の店先の平棚に『日本の文学77巻「名作集一」』中央公論社刊があった。作品名を見ると内田魯庵の「くれの廿八日」が収められていた。読んだことはないがこの作品には思い出がある。40年ほど前のことだ。試験で『魯庵の「くれの廿八日」について記せ』という問題が出た。その授業は作家論でも作品論でもなく「近代日本文学における男女間の問題について」だったと思う。この時、作者も作品も全く知らなかったので手が出せなかった。

読んだことがないのだから「くれの廿八日」が男女間の問題をテーマにした小説なのか確信はないし、今となってはどうでもいいことだ。だが、教室を出たところで行くあてもなくここにとどまり時間を潰すことも悪くないなと思った。12月28日に何をしたのかと考えた。映画を観たことを思い出しそのことを答案用紙に書いた。その映画とは「男はつらいよ」である。この映画は恋愛のはじめからおわりまでを象徴している作品だ。寅次郎は恋愛を成就したのだと書いた。結末は誰もが知る通りなのだが、ものがたりの中ほどの酒を飲み騒いでいる彼の幸福そうな顔。恋愛には終わりが必ずあるということ。それは誰もが経験したことでありそれしか存在しないということをつらつらと書いた。

梅林に香のなき雨のあがりぎは   佐藤文香
くらがりに雉のおさまるお昼どき
春深しみどりの池に木は倒れ
蜆舟きのふの我を積んで戻る
公魚のからだの線を水がゆく
こころ未だぬかずにあるよ花烏賊よ
糸遊や砂場の貝に入る小石
初夏の瞳のまつげを取りに濡れた指
夕焼や襟の光を袖に移し
寝台車夏の冷たい人の手が

そういえば講義のはじめは島崎藤村の「春」であった。藤村は「春」において恋愛結婚の破局(透谷の)を書く。その後、自分は失敗をしないために見合い結婚をする。だが、藤村はその結婚に挫折し「家」を書くことになったというような内容だった。うろ覚えである。僕は学者でもないし指導的立場の人間でもなく単なるチンピラだから確認などしない。思い出したことだけが全てだ。記憶だけが僕の唯一の財産なのだから。

ソクラテスの妻もトルストイの妻も悪妻であったということは有名な話だ。男と女、続かないのである。男と女だけではない世の中の全てのものが続かないのである。どんなに幸福な男女であっても「死」という悲しい別れは必ず訪れるのだ。

比良坂に水たばしるや百千鳥   竹岡一郎
比良坂の蛹ののどかにして爆け
比良坂を温く留めたる蝶番
雛市を抜け比良坂に出でにけり
比良坂に植う新しき桃の苗
比良坂のぬめりや蛭のなつかしむ
比良坂や涙のやうに蛆零る
人くさきとは比良坂の草いきれ
匂ひけり桃の比良坂緋の参道

自己顕示欲は否定しないが作品とはとどのつまりは自分が読むためのものだというのが僕の偏見だ。僕らの脳は人生の全てを記憶している。自分の力では、その一部分しか思い出すことはできない。俳人は俳句を作ることで自身の経験を整理していくのだ。

僕らは人生如何に生きるべきか。あるいは、そのことに関する自分の悩み苦しみがどれだけ独創的なものなのかを表現することが文学であると教えられてきた。表現は作者の性格となり性格は心理学に向かう。昭和の始めの頃の通俗小説と純文学との違いとは何かという話の中でのことだ。自分を知るためには相手が必要なのである。それは、愛する人なのか戦う相手(敵)なのか。それはどちらでもなく同じことなのだ。最後は自分自身に戻ってくる。不幸になれと言った詩人もいた。

宣長は三十五年かけて誰も読むことのできなかった、存在さえも不確かであった「古事記」を捜し出し訳した。「古事記伝」とは宣長の創作だ。比良坂は本当にあったのだ。これも男女間の問題。振り返って抱きしめてやればよかったのになどと思う。古代の人々(常識)は、それは間違っていると言っている。人は必ず死ぬということは子供でも知っている。だが、自分が死ぬということは案外忘れているものだ。

作者は歴史と戦っているのだろうか。大東亜戦争時代のこと、現在の原子力発電所事故のことなどが繰り返されている。作者は何故、このような言語表現をしたのか。過去には恐るべき力が宿っているのだ。歴史とは記憶のことだ。作者は生と死の境で自分自身と戦っているのだろう。

数多なる忌を継ぎ重ね秘めはじめ   竹岡一郎
少年の髪を少女が梳く焼野
うららかに町を咀嚼する機械
祭あと市電がへんなもの撥ねる
参道にサルビヤ濡るる産科かな
猿山のてつぺん直訴状曝す
朝顔の蜜吸つてから割腹す
うすものを着てねえさんはテロリスト
革命を政府を見捨て婆泳ぐ
がりがりと虹に触れては減るあたし
どこの地下壕も玉虫でいつぱい
軍票を焚き迎火を保ちけり
英霊へ栗飯の香の立ちにけり
舌だけが活きて母呼ぶ雁のもと
人の皮脱いだ僕へと流星群

滝井孝作は日本の詩の伝統精神には抒情というものはない「万葉集」もそうだし芭蕉の「正風」もそうである。あるのはリアリズムだと書いていた。見えているものを見るのではなく見えていないものを自力で引っ張り込んで見るのだというようなことを言っていた。心の中から湧き上がってくるものは弱いのだそうだ。「志賀直哉論」の中でのことだ。

ものを見るには経験が必要なのである。うまく言えないが、この作品は作者の空想から生まれたもの、想像から生まれたものだと思ってしまうと作品を経験することが出来なくなってしまうような気がする。作品とはリアリズムであると考えないと作者と同じような経験を読者も味わうことができない。空想するにも想像するにも根本にあるものは、作者の経験なのである。

鮨桶に寄せて鮨飯冷ましけり   沼田真知栖
緑よりなほ濃きみどり笹粽

俳句を作るとは約束事を守るにしても守らないにしても、とどのつまりは縛られることだ。それは僕らの生活に似ている。僕らも家族に、世間に、たっぷりと縛られて生きている。それでいて結構それなりに楽しく暮している。真白な原稿用紙に自由に何か書けと言われても戸惑ってしまう。束縛されていないと不安なのは心が病んでしまっているからだ。だから僕らは俳句を作るのである。俳句を作ることが存在するかも知れない未来にたどり着く唯一の方法なのだと思う。

「いつも誰々が言っているとか何々に書いてあるとかというようなことを言いつつ誤魔化しながらお前は自分の考えを隠す。引用もいい加減だ。もちろん自分の考えなど何もないのはわかっているが。」と僕の仲間は僕を非難する。そんな時、パウロの「旧約聖書」の引用の話とか、経験したこと以外何も書くことなどできないではないかなどと言う。いい加減な言い訳だ。他人の考えを咀嚼し、まとめ自分の意見にする能力が僕にはないから著名人がこう言ったといえば説得力が少しでも増すだろうなどと逃げているのだ。いつもなら書いているうちに何となく解ったような気分になったりするのだが、今回は、竹岡さんが何に対して戦いを挑もうとしているのか、自分自身の何に対して怒っているのか、現時点では解からなかった。八週間かけての創作を一週間程度読んだからって理解することなどできないのである。

話はもどるが宣長は松坂で町医者をして生計をたて余った金銭を竹筒に入れて蓄え、その費用で自費出版をする。三十五年かけて「古事記伝」を脱稿し、一生をかけて繰り返し「源氏物語」を読み続けた。足元にもおよばないが、せめて爪の垢でも煎じて飲めればと思う。


第264号
竹岡一郎 比良坂變 153句 ≫読む
第265号
佐藤文香 雉と花烏賊 10句 ≫読む
第266号
沼田真知栖 存在 10句 ≫読む


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