2012-07-15

句集評『麦稈帽子』 天国のような景色 西村麒麟

[追悼・今井杏太郎]
第一句集『麦稈帽子』(1986年 )
天国のような景色

西村麒麟

ここがこう良いのだ、こんな風に素晴らしいのだ、すなわち名句であるうんぬんかくかくしかじか…

なんてズバッと言えれば素敵なんでしょうけど、それがなかなか難しいのよ、という作家や作品もあります。

波郷は青畝の句を評す時に「満月のような」と表現しましたが(あ、もちろん寝釈迦の句ね)きっとそうとでも言うしかなかったんでしょうね。

僕の担当は『麦稈帽子』、みなさんご存知の今井杏太郎さんの第一句集です。うまいこと言って(評して)ほめられたいと言う思いもないでもなく、さ、気合い入ってます、かっ飛ばすぜよ、とバッターボックスに入って構えてみると…

春の川おもしろさうに流れけり

ん!?バスっ、ストラーイク

さまざまな雪解雫を愉しめり

んん!?バスっ、ストラーイクツー

おいおい、まてまて、なんだその魔球は速いでもなく鋭いでもなく…、よく見て打とう、僕は麒麟だ、打てない球はナイジェリア、さて来い!

ひまはりの種が蒔かれてあたたかし

オーノー、見逃し三振、打てないよそんな球、チューインガムをぺっと悪意はないけどふざけてみました。

「風」や「老人」「他動詞」うんぬん、鍵に使えそうなキーワードはいくつもあると思いますが、それらを使って杏太郎さんを批評するには、僕は適任ではないでしょう。さて、あんまり逃げてばかりもいられないので『麦稈帽子』を僕なりに読んでいきましょう。

『麦稈帽子』には難しい言葉はほとんど使われていません。

早咲きの赤い椿が咲きにけり

全部わかりますね、早咲きの赤い椿が咲いたんです

赤松を春の木として見てをりぬ

赤松をそう見たわけです、難しい事はないんです。

梨狩や遠くの山がよく見えて

楽しいですね、何も難しい事ないです、あぁよく見えますね

『麦稈帽子』は、だったらどうした、の問は受け付けません、いや、意味がないというのが正しいのかも。

ことしまた秋刀魚を焼いてゐたりけり

だったら何だ?いいえ、そういう事じゃなくて

雪の日のだいこん畑ねぎ畑

だったら何だ?いいえ、だからそういう事じゃなくて、ひらがながどうした、とかリズムがなんたら、とかいう事でもないと思うのです。

大勢のひとの集る秋の山

それからどうした?さぁ…、どうしたんでしょうね。

だったらなんだ?それからどうした?という質問がしたくてならぬ人もとにかく投げ出さずに最後まで読んで欲しい句集です。

確かに「平明」な表現だし「わかる」言葉だけを使ってはいますが、他の多くの作者のそれとは異なる感じがします。その違和感が『麥藁帽子』の不思議な魅力でしょう、わからない事は何も書かれてないのに、その景色には絶対に触れられないような…。次の俳句もそうではないでしょうか。

秋の野をひとりひとりが歩きけり
人のゐるところに春の水たまり
だんだんに山の近づく涼しさよ


俳句の世界では、手触り感を出すために一歩近付いて詠めと言われる事もありますが、『麥藁帽子』はむしろ一歩離れて詠んでいます。対象を凝視する事はなく、ぼんやりと見る、いやぼんやりと捉えるのかな、風のような、空気のような。

山茶花のほかになにかがこぼれけり

なにかは言わないでおく

花守のなにかを言うて帰りけり

なにかは隠されたまま

でで虫を見て老人の泣きにけり

どうして泣いているんでしょうか

俳句の魅力はなにも「わかる」事だけではないのでしょう、ふんわりと距離を置く、それほど遠くでないにしても決して触れる事のできない、空気のような俳句、僕にはそのように感じました。

ゆつくりと歩けば桃の花こぼれ
雪解けの大きな山を見てをりぬ
雲を見てをり春の雲ばかりかな
よこはまの港に降つて春の雪
春の日の海に浮かんで海の色

どうしてでしょう、何も平仮名の効果だけではないはずですが、『麦稈帽子』に描かれている景色がどうも、僕には現実の世界のに見えないのです。この「よこはま」なんて「横浜」ではない気がします、「よこはま」はいったいどこの事なんでしょうか。

画家のルソーが描く町や人は、とてもわかりやすく描かれているのに、やはり僕には現実感が感じられません、「素朴」というのはルソーを評すのにあってないような、彼の描くのはむしろ、それはまるで、まるで天国のような…。

…あ、『麦稈帽子』に描かれている景色もまた天国のような景色なのかもしれません、暑そうな極楽よりも、よき風の吹く天国のような、そんな景色ではないでしょうか。この『麦稈帽子』から最後の『風の吹くころ』まで、不思議な風が吹いています、見る事はできないけれど確かに吹いている風が。『麦稈帽子』ではその始まりを味わっていただきたいです。

本当によく晴れてゐて秋の山

天国とはこんなところかもしれない、極楽よりも楽園よりも、天国は涼しい。

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