2012-07-15

句集評『海の岬』 船に乗って……茅根知子

[追悼・今井杏太郎]
第四句集『海の岬』(2003年 角川書店)
船に乗って

茅根知子


『海の岬』は、『海鳴り星』以降の句をまとめたものである。「あとがき」の中に、「陸と海との接点を、『海の岬』というのならば、人と俳句との接点も、また、岬に存在するのではないか、という奇妙な幻想を抱くようになった。」とある。
そういえば、岬って日本の輪郭からこぼれ落ちた場所みたいだな…と思う。となると、『海の岬』は、「呟けば俳句」を信条とした杏太郎先生の、ふっとこぼれた呟きなのだろうか。
今井杏太郎論、俳句評は他の執筆陣に譲り、本稿では、俳句とそれに纏わる杏太郎エピソードを紹介したい。

船に乗り春の岬を過ぎて行く
なんばんの花の盛りをバミューダに


先生は若い頃より船の旅を好み、オセアニア・グランド・クルーズの「飛鳥」では俳句教室を持っていた。船旅はたいそう楽しかったらしく、思い出話をするときはいつも輝いていた。

あかつきに冥途の鳥のこゑを聞く

「冥途の鳥って何? この句、無季だよね」。句会の席で思わず呟いた私の声が、先生の耳に届いてしまった。すると、待ち構えていたかのようにニヤッとして、「知子さん、何ですか?」と。季語(冥途の鳥)について説明する先生は、何でも知っているクラスで一番人気の少年のようだった。そして、絶対の師であり、かけがえのない句友だった。

八月の水の入つてゐる枕
二千円札を花火の夜に使ふ


「魚座」同人であった仁平勝氏が、こよなく愛した句である(『俳句の射程』仁平勝 著、富士見書房)。〈八月の水〉と〈水の入つてゐる枕〉。あれ? 「水」はどうなっているんだ…何でもない表現に、思いもかけない仕掛けが施されている。熱帯夜に水枕を使うとき、思い出す句である。
二千円札が発行になった当時、なかなか手にする機会がなかった。にもかかわらず、勝氏は、いつも句会の二次会で二千円札をふっと差し出した。みんなが珍しがり、やがて“勝さんの二千円札”を楽しみにするようになった。勝氏も期待に応え(?)、どこかで必ず二千円札を調達してくるのだった。杏太郎先生が勝氏に捧げた一句と思う。

竹の散る十七歳の少年に
くらがりのうごいてゆけば踊かな


〈竹の散る〉は「竹散るや」では駄目なのか。〈くらがりの〉は「くらがりを」ではないのか。どうにも迷ってしまう。「迷ったときは、それらを紙に書いて壁に貼り、毎日毎日、朝昼晩唱えなさい」。これは先生の言葉である。言葉を何度も繰り返し、体得するまで探し続けること。
俳句における「呼吸」を叩き込まれた。「切れ字」と「切れ」の違い、「間合い」「かたち」「調べ」について語るとき、先生は恐ろしいほどだった。

十日ほど前にも蓮の実は飛びぬ

「それじゃあ、蓮の実は3日前は飛ばなかったんですかねぇ」と、返答に困るような質問をしてくる。「私は見ていないから知りません」と、やや反抗して答えると、満足そうに笑う。大きな深い器で、どんな答えも、誰の考えもきちんと聞き、受け入れてくださった。
一方で、絶対に許されないいくつかのことがあった。例えば「境涯俳句」。軽軽に「境涯」などと口にすれば、目を三角にした(人間の目は本当に三角になるのだとびっくりした)。「境涯」と「境遇」の違いについて、幾度となく教えられた。

化粧する女がふたり月の宿

出雲崎を吟行したときの句である。披講者が「けしょう」と読んだら、「けわい」と読んでほしいとおっしゃった。しかし、句集中一切、前書きもルビもない。「前書きやルビは入れないこと」と教えられた。わかってもらおうとするのは甘えである。言いたい、説明したい、聞いてほしい…それらをぐっと我慢すること。俳句の潔さを学んだ。

波の間を流れて月の船ひとつ
蛸壺の捨てられてある花野かな(『海の岬』非収載)


『NHK俳壇』で小豆島を吟行したときの句である。〈蛸壺やはかなき夢を夏の月〉に出会って以来、蛸壺に魅せられたという。小豆島吟行では何よりも素焼きの蛸壺を楽しみにしていたようだ。野積みにされている蛸壺を5000円で譲ってもらった!と、子どものようにはしゃいでいた。
因みに、地元の方はただであげると言ったのだが、蛸壺に敬意を払い買い取ったようである。こうして、各地の土産物という名の“困った物”が増えていった。

眠るなら紅梅の散る海がいい
紅梅は水のさびしいころに散る


『海鳴り星』俳人協会賞受賞のお祝いの席で、「自分が死んだら棺桶には好きな向日葵を入れてほしい」とおっしゃった。返答に困ることを唐突に言う。「それなら先生、8月頃にしていただかないと向日葵は用意できませんからね…」とせいいっぱい憎まれ口で返答すると、「そうですか、それは大変ですねぇ」と、何とも嬉しそうに微笑んだ。

―― 実際は梅雨の良く晴れた日でした。梅雨だというのに、紅梅の濃いももいろが似合いそうな真っ青な空でした。あまりにもさびしい空の青でした。

あとがきの最後でロカ岬について触れ、「いのちのあるうちに、また、訪れてみたい。」と結んでいる。含羞と思う。実際にまた訪れるか、そんなことは関係なかっただろう。海も、岬も、いつだって近くにあったはずだ。仁平勝氏は『風の吹くころ』の栞で、杏太郎俳句にはいつも風が吹いていると述べている。私には今、どこかの岬に立ち、海を眺めている先生の姿がはっきりと見えるのだ。

先生の後ろ姿の夏帽子  知子 

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