2012-07-15

句集評『通草葛』 旅人のまなざし……村田 篠

[追悼・今井杏太郎]
第二句集『通草葛』(1992年)
旅人のまなざし

村田 篠


『通草葛』は第一句集『麦稈帽子』から6年後の平成4年に上梓された。俳誌「魚座」創刊の5年前である。

杏太郎はその「あとがき」で、次のように書いている。

猿が樹から落ちることの意外性を考えているうちに、猿があたり前のように上手に木をのぼることの面白さに気がついた。
むかしから、あたり前のことを不思議のこととして思い続けてきたが、この頃にして漸く、なんでもないあたり前のことの面白さが見えはじめて来たような気がしている。

なんでもないあたり前のことの面白さとは、いったい何なのだろう。それは例えば、次のようなことだろうか。

蛤を焼けばけむりのあがりけり

秋刀魚でもピーマンでも、もちろん蛤でも、焼いたらけむりがあがる。これはあたり前のことだが、ほかにもいろいろなことが起こる。けれど、ほかのものではなく蛤を焼き、ほかのことではなくけむりがあがるのを、作者は見ているのだ。

掃きよせて草の落葉と樹の落葉

落葉といえば樹の落葉のことだと、いつのまにか思っている。この句を読んで、草にも落葉があることを思い出した。いつも見ているはずなのに思い出さないことが、なんと多いことか。

雪の降るむかふに雪の橋かかり

雪が降れば橋にも雪が積もる。それを「雪の橋」と書いて雪の風景から引き離す。すると、雪の向こうに橋が浮き上がってくる。雪一色の風景が、一言で奥行きのある橋の風景に変化する。

オホーツクの氷の下にいつも海

「オホーツク」という具体名を書くことによって、リアルな迫力が「あたり前」を凌駕してしまった。読者は見ても聞いてもいないのに、流氷のぶつかる音や、その下に広がる海のうねりを感じてしまう。あたり前だからこそのリアルなのかもしれない。

黄色い帆赤い帆二つともヨット

同じ海でも、こちらは子どものスケッチのようにのどかだ。「黄色い帆赤い帆」という遠景と、「二つともヨット」という個人的な確認(つぶやき)が並んで生まれる、そのちょっと奇妙な遠近感。



とはいえ、杏太郎は、眼前のものごとを描写するために、ことばの選び方や置き方に工夫を惜しまない人だった。そうすることによって、あたり前のことが、少し不思議な余韻をもつ風景へと変化する。助詞をひとつ取り替えるだけで、前後のことばを入れ替えるだけで、句の様子が一変するのを、私は句会で何度も目撃した。

雪の上に春の岬はありにけり
子どもらに春の小川は流れけり
畦道を歩いて春の日が暮れぬ


1句目、岬の残雪を、岬を主語として詠み直したら、岬の大きさが見えてきた。雪と春を離したことで、早春の明るさも感じられる。
2句目。春の小川はたしかに流れる、現在の子どもにも、かつての子どもにも、未来の子どもにも。子どもらを介して、この春の小川は時間のなかを流れるのである。
3句目、春の日暮れに畦道を歩いた、という事実があり、それを「畦道を歩く」ことと「春の日暮れ」の関係としてあらためて構成されている。

こうした構成を見ていると、「俳句は時間」だと杏太郎がしばしば話していたことが思い出されてくる。一瞬を切りとるやり方では描ききれない、風景と時間との往来。そのことは、例えば下のような句から、もっと具体的に探ることができるかもしれない。

またひとり春の山より下りて来し
冬耕のひとりはいつまでもひとり


なんでもない風景を、そのなかのどこかひとつところにじっと佇んで、作者はずっと見つめている。定点観測のような揺るがない視点に宿る、時間の感覚。

ゆふべには暮れて水草紅葉かな

「ゆふべ」という時間帯に「暮れて」という経過のことばを重ねて、他の時間を思い起こさせるという仕組み。「あたり前の面白さ」を感じられる一句でもある。

ゆふぐれに水は凍つてしまひけり

「ゆふぐれに」と書くことによって朝方や昼間の水が見えてくる。そして、そのころの液体たる水の動きは、「しまひけり」という結びによって断ち切られ、ゆふぐれと共にたしかに凍るのである。

「あたり前」とは、もしかしたら一瞬のありさまのなかに見えるものではなく、人がその存在に気づくための時間を含め、時間の流れのなかで、茫洋と見えるものなのかもしれない。

春愁や月に夕日のあたりゐて
すこしづつなにかを食べて夏ゆふべ
老人の日の曇りゐし町の空
栗いろのゆふぐれとなる山の秋
牛乳を飲んで雪降る国にをり


まるで、眼前の風景がなにかに変化しようとする寸前のような、これらの句群を見つめていると、そのことは確信のように心に降りてくる。



『通草葛』には、それとわかる旅の句がかなり多く収録されている。これは、他の杏太郎句集にはない特徴である。

たんぽぽの花に坐れば安房の国
筑前の田蛙のよく鳴くことよ
和田浦の魚屋の炭俵かな


「たんぽぽ」「田蛙」「炭俵」という季語が地名とぶつかることなく、むしろ相乗的に効果を上げていることに感じ入る。地名と季語を一体のように使えるのは、旅先での空間と時間を直観的に受け入れているからなのだろう。

三月の六日の海にカプリ島
ジプシーの子供の春の帽子かな
ラ マンチャの男は土を耕しぬ
カヌー漕ぐ七人のポリネシア人


これらの海外詠では、風景は旅人の目で見られ、そのあと「あたり前」のものとしてのことばを与えられ、書かれている。「見る」ことと「書く」ことの間で行われている地ならしのような感覚は、おそらくふだんの句づくりと変わらない作業だと思うが、結果として、えもいわれぬ諧謔が生まれた。

むしろこうした旅行詠から、作者の人となりがより強く窺われるような気がするのは、旅にあることがじつは「その人らしい」ことだったからかもしれない。

かつて、船医として航海に出たことがあるという話を、杏太郎から聞いたことがある。そのときの口ぶりには、漂泊を愛するようなところが少しあったのかもしれない、と思わせる響きがあった。

そんなことを思い出してまたこの句集を読み返すと、今井杏太郎とは、定点からいつも少し離れ、旅人のまなざしで「あたり前」を書いた人だったような気がしてくるのである。

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