2013-02-24

朝の爽波56 小川春休



小川春休





56



さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十九年」から。今回鑑賞した句は、昭和五十九年の冬から春にかけての句。編集部不在のため爽波一人で編集の一切を背負っていた「青」ですが、同人総会の決定により、三月号から島田刀根夫編集部長が実務を担当、爽波、刀根夫、田中裕明編集副部長が合議で企画を練る態勢がスタートしています。三月には師・虚子の娘であり、爽波自身もいろいろとお世話になった星野立子が世を去っています。

雪の日やコップの水を身ほとりに  『骰子』(以下同)

朝起きてすぐ習慣的にコップ一杯の水を飲むという人も多いが、爽波もそうだったのだろうか。雪の降り続く一日、コップの水も心なしかいつもより冷たく。そこには雪と水とのつながりが意識されていよう。抑制の効いた表現ながら、瑞々しさを感じる句だ。

雪うさぎ柔かづくり固づくり

何のことはないような句ながら、並べられた雪兎の表情の違いを楽しむ気持ちの弾みが、率直に、存分に表れている。雪兎の表情の違いは、もしかするとそれを拵えた人達の性格を反映しているのかもしれないなどと、様々に想像が拡がる。声に出しても楽しい句だ。

椅子にまだオーバマフラー抱いてゐる

オーバーは防寒のために服の上に着る厚手の衣服。オーバーにマフラーまで着用するとは、かなり寒い時期のいでたち。「まだ」というところから、その部屋に到着してすぐ、まだ隅々まで暖房が行き渡っていないか。心理的な壁の存在も窺わせる描写だ。

寒林を来たるはボンベ満載車

落葉樹が葉を落とし尽くした冬枯の林。そこにやって来たのはガスボンベ満載のトラック。寒林の向こうに、燃料としてガスを必要とする人達がいるのだ。「寒林」の響きは引き締まって硬く寒さを思わせるが、「ボンベ満載車」の響きも力強く寒林に負けていない。

雛まつり馬臭をりをり漂ひ来

春と言っても二月はまだ寒さの残る時期。三月に入ると、春らしい陽気が感じられるようになってくる。折々漂ってくる馬の臭い、窓も開け放してあろうし、緩やかな風の具合も自ずから想像され、雛飾りに華やぐ室内が目に浮かぶ。馬も野の草を食べに出ているか。

剪定の遂にはシャツのはみ出でし


伸びた枝や枯枝を取り除き、花木や庭木の形を整える剪定。奥まった部位や高い部位などを切ろうと、無理な態勢を取る内にシャツがはみ出す。そうした時間の経過を「遂に」が窺わせる。どうやら剪定しているのは、プロの庭師などではなく、素人のようだ。

盆梅のそばにカチリと指輪置く

盆梅からはやはり、床の間を供えた和室を思う。外した指輪を置くという動作は、一日の終り、夜の気配を強く感じさせるものだ。「カチリ」というカタカナ表記による硬質な響き、そしてその他には全く物音もしない。梅の香に満たされた濃密な静寂を感じる。

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