2013-03-31

俳句の自然 子規への遡行16 橋本直

俳句の自然 子規への遡行16



橋本 直
初出『若竹』2012年5月号
(一部改変がある)
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大野林火氏は『近代俳句の鑑賞と批評』(明治書院 昭和四八年増補改訂版)において、「後年の花鳥諷詠唱道者は理想派、主情的な句をもって出発している」と虚子の最初期の句風について述べている。では、自然を視座とした時、どのように「理想派」で「主情的」だったのだろうか。注目したいのは、以下の三句である。

風が吹く仏来給ふけはひあり  初出明治二八年八月
怒濤岩を嚙む我を神かと朧の夜 同 二九年三月
海に入りて生まれかはらう朧月 同 二九年四月

一句目。もちろん吹く風は誰でも感じることができる自然現象だが、そこになにか尋常ではないものを感じ、それを「仏来給ふけはひ」と言葉に置き換えた句だと読める。前々回に引用した、虚子が同じ年に書いた「靈妙の神靈に融化し其形を捕へ來つて詩魂をうつす」(明治二八年一〇月二四日「日本人」)という文言は、明治とはいえ二十歳そこそこの若者の文だと思うと、どこからか借りてきたような感はあるものの、この句と併せ見ると、やろうとしている実作表現の方向とそうぶれてはいないように感じられる。

もちろん、この頃の虚子がいつもこのような詠みぶりだったわけではない。が、詩の言葉というものが、日常の言葉を日常そのままに使ったところでうまくはつかまえきれないということを、うすうす感じていたかも知れない。それは子規の写生の方法とは異なる志向性をもつものであるだろう。

ところで、伝記的事実から種明かしのようなことを書いてしまえば、この句は、虚子が以前に本稿でふれた、子規の従弟である自殺した藤野古白の旧居に越し、そこで行われた鳴雪や碧梧桐たちとの運座(句会)で詠んだ句であり、古白を「追慕する霊迎えの句」(前掲書、大野)なのだという。

なるほど、そういうことであるならば、数年前の流行歌ではないが、虚子が吹く風に古白という死者の魂を感じたのだ、という解釈はできうるだろう。が、そういわれると、その現代の流行歌に通底する死生観も、「仏」という語の選択も、どうにも通俗に傾いた鼻持ちならないものにならないだろうか。仮にそれが虚子の詠みの契機であったとしても、その読みにおいては、「仏」を亡くなった古白と安易に直結し、都合良く昔物語や怪談めいた解釈をするより、風に人智を越えた崇高な気配を感じている句と読み、そのような神秘性への志向に虚子の当時の独自性をみるのがよいように思う。

二、三句目は、虚子が漱石等とともに試み、「神仙体」と呼んでいた句である。「神仙」の文字通り、非現実的でロマンティックな傾向がある。そういうテーマ設定に基づくから、どこまで実感なのか怪しいものではあるが、こういう場合はテーマに対して如何に詠める感性をもっているのかが作家のもつ才能の見せ所だろう。

二句目で虚子は、自分自身がまるで神であるかのような幻感覚を得たことを詠んでいる。これまで何度もふれてきたように、日本の文学において自然との一体化への志向は珍しいものではない。一方で、前々回で一応虚子もアニミスティックだと書いたが、彼に限らず自然物をいちいち汎神論的な意味での神とみなすことも珍しいことではない。しかしながら、自然=神ということと、自然=自分自身ということを、自然を媒介として置換し、神=自分自身とする把握は、理屈上では成り立っても、実際に作品にした例はかなり珍しいのではないだろうか。

三句目では、古代の信仰のように、月が海に沈むことを死と見、再び輝いて昇ってくることを生まれかわりと捉えているようである。これも前に書いた虚子らしい擬人的手法だが、生まれかわるのが自身のことと詠んでいるように読むことも可能だろう。つまり、虚子は、これらの句において自然を擬人化して詠む一方で、自身を自然に同化または擬物化(必ずしもこの言い方がしっくりしているとはいわないが)して詠んでもいた。

後の虚子もそう言うことになるが、一般的には、自然は巨大で絶対的存在とみなされ、人間はそれに内包される、取るに足りない小さなものであると思われる場合が多い。例えば、志賀直哉の代表作『暗夜行路』の終末のように、懊悩する自我を抱えた一個人が自然に身を投げ出し、自然との一体感を得、魂の救済を図る。短詩型の近代への回路に焦点を絞ってみても、古くは西行や芭蕉らも、どうやら人界ではおさまりきれない強烈な自我を抱えて放浪し、自然の中へ分け入って作品を詠んだとみても見当違いではあるまい。前々回引いたように、虚子自身「俳人は深く同感して天然と融化す」と述べている。

しかし、このころの虚子の自然との一体化志向は、テーマ詠とはいえ自分に対し「我を神か」と言えてしまうことや、「生まれかはらう」と書いたものが対象たる朧月だけにおさまらず、作家自身へと還ってくるような表現にあらわれてくるのであり、自然と「融化」する内実は、たとえ記号の上の遊戯であったせよその自然・神のレベルに自己の存在を到達させようとするようなところがあり、その点で、初期の虚子のこのタイプの句作は、非常にユニークなものだということができるだろう。

初期の虚子は、それを大野氏の述べた意味で「理想派」と呼ぶのが正答かはおくとしても、自己を自然と等価のように認め、双方向で一体化しようとする志向性をもっていたようである。それは、若さによる傲慢や遊び心や自然との親近感のないまぜになった一種の青春性であろうし「主情的」と言い換えられるようなものかもしれない。ともあれ、子規が評した、自然を「有情の人間」のように見るという虚子の視線は、神までそこに引きずり込むほどの強度を内包していたと言えるだろう。

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