2013-03-24

朝の爽波60 小川春休



小川春休





60



さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十九年」から。今回鑑賞した句は、昭和五十九年の夏から初秋の句。この年の七月には、十六年飼っていた愛犬が亡くなり、落胆していたそうです。

前回採り上げた最後の句が〈怖き父家に在る日の草いきれ〉、そして今回の最初の句がまた草いきれの句と並んでいますが、これもまた爽波の好んだ季語のようです。対談ではこんなことを述べております。
波多野 誹とか諧とかいう問題とのかかわりでも、考えてみれば季語はそれに大きくかかわってくる問題ですし、ぼくは昔から言っていることなんですが、いい季語と駄目な季語とがあるんだということです。
茨木 作品のなかで、とってつけたように思われる季語は、作品そのものの未熟さも勿論、季語が駄目だと思いますね。ふくらみをもたない季語ってありますね。
 (…中略…)
波多野 今の季節でいえば、例えば〈夏草や〉なんて句を作る人がいるんです。恐らく芭蕉の句が頭にあっての〈夏草や〉だと思うんだけれども、〈夏草〉なんて、こんな季語は要らないんだと。
茨木 やっぱり〈しげり〉とか、ふくらみのある季語を……。
波多野 〈草いきれ〉というこんないい季語があるじゃないかと。〈夏草〉と〈草いきれ〉と景としてはほぼ同じですよ。〈草いきれ〉というと、体全体に皮膚感覚で迫ってきて、なおかつ実景も伴っている。そういう季語があるわけです。
茨木 そうですね。身体に感じますね。
波多野 もうちょっと前だと〈若葉風〉とか〈青葉風〉とか、そんなのを作る人がいるんです。でも、〈青嵐〉というこんないい季語があるじゃないですか。〈青嵐〉といったらずっと景としての奥行きもあるし重層的だしね。だから、目に映ってくるかどうかじゃなくて、体全体、皮膚感覚ということをぼくはよく言うんですが、皮膚感覚を通して迫ってくるようなものがやっぱり、使って使い甲斐のある季語。
茨木 目で見る季語だけでなしに、皮膚も、心も、みんな。
波多野 そうそう。全身で俳句を作れということをぼくが言っているのはね。誹とか諧とかいう問題も、そういうことに該当する句と、該当しない句――使われている季語によって、ずいぶん大きな関わりがありますね。
茨木 季語そのものにも誹・諧を感じるものがありますね。
波多野 そうなんです。しかし、それがまた落とし穴である場合もあるのでね。いかにも季語そのものに諧の味がありそうだと感じさせるものに好んでそっちへ身を寄せていくと落とし穴はあるんです。
(波多野爽波・茨木和生対談「季語の力」・「俳句」昭和六十一年九月号発表)

下駄箱に草のいきれの及びをり  『骰子』(以下同)

繁茂した夏草の醸しだす草いきれが、下駄箱にまで届いている。さて掲句の場面、これから出掛ける所か帰ってきた所か。出掛ける所と読んだ方が、室内から外へ出ようとする流れの中で下駄箱にして既に外からの草いきれを感じる、という驚きが句に生まれる。

羅のひとのなかなか頑なに

紗・絽・上布など、薄く軽やかな織物で仕立てた単衣を羅(うすもの)と言う。句意の説明の必要のあまり無い句だが、なだらかな言葉の流れと、前半は母音「お」、後半は母音「あ」を多用しており、音楽性の豊かな句だ。そうした音楽性が、句に命を与えている。

葭切よ幌の大きなトラックよ

五月初めに飛来し、沼沢・河畔の蘆の繁茂する所に巣を作る葭切。ギョギョシギョギョシという鳴き声から行々子とも。幌の大きなトラックは何を運んでいるのか。蘆の茂る河のほとりで、長距離輸送中の一休みと言った所か。現代的でありながら実感のある景だ。

鎧てふ重かりしもの草清水

野山に自然と湧き出している清水は、その涼から夏季とされる。いずれとも明記されてはいないが、鎧の重さをひしひしと感じたのは、やはり敗軍の将ではないだろうか。敗走の最中、一時草清水に乾いた口を潤す、そんな一場面に爽波も思いを馳せたのであろうか。

白砂に別雷(わけいかづち)の実梅かな


前書の「上賀茂神社」は京都の賀茂別雷神社の通称。祭神は賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)、その名は「雷を分けるほどの力を持つ神」という意。白砂とその上の青々とした実梅とのコントラストに、勇ましい祭神の名が鮮やかさを加えている。

桃の葉も栗の葉も雨星祭

星祭は、七月七日に行う牽牛星と織女星を祭る七夕の別称。七夕の夜の雨など、詠みようによっては救いようもなく俗に堕してしまうものだが、掲句は桃の葉、栗の葉の長くつやつやとした表面が降り注ぐ雨に濡れた様を見せ、星空とはまた違った趣を感じさせている。


【参考資料】ヨシキリ(鳴き声)
http://www.youtube.com/watch?v=juX51l2Cy48

1 コメント:

匿名 さんのコメント...

読みました。波多野爽波に対する理解がまた深まりました。