俳句の自然 子規への遡行19
橋本 直
初出『若竹』2012年8月号
(一部改変がある)
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引き続き、子規の俳句分類について検討したい。前回の記事で書き漏らしていたが、子規の俳句分類のうち丁号はアルス版の『分類俳句全集』出版より後年の発見で、『子規全集』第二十一巻(講談社版)所収となっている。
さて、子規の分類の特徴は、基本は近世以来の季題に拠りつつ、そこに子規独自の非常に細かい分化作業が加わっているところである。『分類俳句全集』第一巻から、歳旦の部の時令における、一般の歳時記では「初春」の傍題にあたる語群「○○の春」を例にとると、「庵の春」(五句)、「橋の春」(一句)、「庭の春」(二句)、「納屋の春」(一句)、「今朝の春」(二百二十五句)、「江戸の春」(十七句)、「朝の春」(一句)、「日の春」(一句)等々、合計七十四にも及ぶ。これはかなり多い数だと言えるだろう。
曲亭馬琴の『俳諧歳事記栞草』(岩波文庫版)では、数えてみると十に満たない。『図説大歳時記』(一九七三年 角川書店)では、傍題は六で例句に二十七。他に明治以降の歳時記をいくつかあたった範囲でも、多くてその程度である。唯一例外なのは、改造社の『俳諧歳事記』(一九三三年)で、題、例句とも九十に及ぶ。これは同歳時記が俳句のエンサイクロペディア的な野心をもって空前の規模で語を収集してつくられたことに由来していよう。ひたすら集める姿勢が見えるという意味では編集の方針が子規に近いのである。
子規の分類は、ここであげた題と句数で見ても分かるとおり、一句しかないものでも分けてある。ここで言えば、「○○の春」の「○○」部分はその気になればいくらでも広がりうるわけだから、もし歳時記的編集態度であれば、それが一語の季題として認められるべきか不審なものもあったはずだろう。しかし、それが子規にとって一語の季題として一般的と感じないものだとしても、後に季題になり得る語、または、なっていたのに忘れられたかもしれない類語と見て、ともかく拾い、分けていったと思われる。
さらに、例句の多かったものは、季題と取り合わされている語群によって細分化してある。例えば先にあげた中で二百二十五句も例句のある「今朝の春」では、「(風)(霞)」(九句)、「(月)(雨)(雪)」(九句)、「(日)(天空)」(十二句)、「(動物等)」(二十二句)、「(松)」(九句)、「(木)除松」(十三句)、「(草)(雑花)」(六句)、「(地理と器物)(衣冠)」(五句)、「(地理と神人)・・・(肢体)」(七句)、「(山水)除肢体等」(十一句)、「(地理)除肢体等・除山水」(七句)、「(器物と衣冠)・・・(肢体)」(七句)、「(器物)除肢体等」(十六句)、「(衣冠)」(四句)、「(神人と土木)(飲食)(肢体)」(八句)、「(神仏類)(人倫)除肢体等」(十二句)、「(神人)」(五句)、「(土木)」(八句)、「(飲食)(身体)(心)」(二十句)、「(年と人事)(時令)除心命等」(六句)、「(建築・時令)」(九句)、「(文詞)(動人事)除時候等」(五句)、「除時令等」(七句)、「除時日人事等・除言詞・除喜悦福徳」(八句)と、二十四もの下位分類があるのである。
このうち分かりにくいものを少し例をあげて説明しておく。まず、①「(地理と器物)(衣冠)」から二句をひく。
伊勢浦や御木引やすむけさの春 龜洞(あらの)
衣かけた濱の童やけさの春 菊雅
一句目の「伊勢浦」が地名で「地理」、「御木引」は現在は「御木曳(おきひき)」と表記する、伊勢神宮の式年遷宮で用いる檜材を近隣の民衆が地域ごとに曳く行事。つまり、その材が「器物」にあたるということになる。二句目は、「濱」が「地理」で、「衣」が「衣冠」になる。
次に②「(地理と神人)・・・(肢体)」
日の本はさかやき青しけさの春 柳几(新五百題)
四海皆兄弟なれやけさの春 南溟(俳諧人名録)
一句目「日の本」が「地理」で、「さかやき」が「人」を表す。二句目、「四海」が「地理」で、「皆兄弟」が「人」。
さらに、③「(山水)除肢体等」と④「(地理)除肢体等・除山水」との違いをあげておく。
如意が嵩二つあるさへけさの春 如帆
若水のぬるみ心やけさの春 千石(玉かつら)
谷もけさよそならぬ春の光哉 紹巴
寺町や二条を上ルけさの春 宗春(三籟)
先の二句が③、後の二句が④である。③の「山水」とは文字通り山と水で、水には氷や海なども含まれる。ここでは「如意が嵩」と「若水」。④の「地理」はここでは「谷」「寺町」「二条」となる。そして、こうしてみれば①②③④が分類の組み合わせとして連関していることが分かるであろう。
先に紹介した改造社の『俳諧歳事記』では、「今朝の春」で二十五の例句があるが、もちろんこのような下位分類はなされてはいない。普通の歳時記や類題句集ではそこまでしない。その意味では、この下位分類が子規独特のものと言って良い。その後の乙号や丙号の、季題ではないさまざまな分類法の模索の存在を考えると、従来の季語季題の分類を縦軸としてある程度語を蓄積するなかで、横の軸としてのこの下位分類に視点が移り、いわばキーワードとでもいうべき領域まで分類を広げていこうとしていたと考えることができるだろう。それは、言ってみれば近世以前の発句に使われた言葉の膨大なデータベース作成の試みであり、かつ作句プログラムとしても機能しうるものと考えられる。
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