俳枕18
北九州・八幡と山口誓子
広渡敬雄
「青垣」24号より転載
八幡市は昭和38年、門司、小倉、戸畑、若松と合併して百万都市・北九州市となった。
明治34年、官営八幡製鉄所が創設される迄の一寒村は、日本の鉄鋼業を牽引する「鉄都」として繁栄。煙害や鉄鋼不況の危機も乗り越え、現在ではスペースワールドも名高い。
背後に聳える皿倉山の中腹まで人家が延び、「新日本三大夜景」となった山頂からの展望は素晴らしい。北九州全域のみならず、関門海峡越しに下関を始め中国地方の夜景が望める。
七月の青嶺まぢかく熔鉱炉 山口誓子
朝顔や濁り初めたる市の空 杉田久女
雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり 横山白虹
列車後尾に火を噴く高炉ここが別れ金子兜太
工煙の幾筋のぼり去年今年 檜 紀代
「七月の」句は、山口誓子が就職した翌年の昭和2年、九州出張で八幡製鉄所を見学した折の作で、句集『凍港』に収録。
自選自解で「熔鉱炉は製鉄所の心臓部で巨大な塔であった。真紅な火を流出しひどい熱気だった。外に出た私は、製鉄所の南に聳える青嶺をじつに美しいと見た。そしてそれを『七月の青嶺』と表現せずにはいられなかった」と述べている。
平成4年から7年まで当地にすごした筆者の胸にも、毎日仰ぎ見た皿倉山の青々とした山容が刻まれている。
近くの高炉台公園には、誓子・白虹の上記の句を刻んだ句碑が昭和48年7月に建立されており、皿倉山、旧高炉が一望できる。
「灼熱の熔鉱炉と生気に満ちた青嶺の衝撃の知的喚起に『熔鉱炉』の根源が問われる」(高橋正子)、「虚子の唱導する『花鳥諷詠』から違和感を抱き始めていた誓子俳句の大きな変貌の起点となる句」(角谷昌子)との評がある。
誓子は明治34年、京都生れ。本名・新比古(ちかひこ)。
家庭の事情で明治45年、外祖父で樺太日日新聞社長の脇田嘉一に迎えられ樺太・大泊で五年間すごす。のち京都に戻り第三高等学校に入学。日野草城らの「京大三高俳句会」に出席。同時に「ホトトギス」にも投句を開始した。
大正11年、初めて虚子に会い、俳号を「誓子(ちかひこ)」から「誓子(せいし)」と改めた。東京帝国大学法学部入学後は東大俳句会にも出席。
同13年10月号で「ホトトギス」初巻頭。肺尖カタルで高文受験を止め、一年間の休学後、同15年に大阪住友合資会社に入社。
翌年には「ホトトギス」課題選者になり、水原秋櫻子、高野素十、阿波野青畝と共に4Sと称された。昭和3年に浅井梅子(波津女)と結婚。同7年には近代俳句の黎明と言われる処女句集『凍港』を上梓した。
虚子はその序文で「今の俳句界の誓子君を待つところのものは多大であり、辺塞に武を行(や)る征虜大将軍」との最大の賛辞を贈っている。同9年には、満州にも長期出張し、〈ただ見る起き伏し枯野の起き伏し〉〈陵さむく日月空に照らしあふ〉〈掌に枯野の低き日を愛づる〉等の句を発表している。
同10年、秋櫻子とともに「ホトトギス」を離れ「馬酔木」に参加。近代的素材を取り上げ、硬質な叙情句を開拓し、新興俳句運動の旗手を担う。但し、無季俳句とは一線を画した。
同13年には体調を崩し、会社を長期欠席する。四年後に会社を退職し、療養と俳句に専念。伊勢・富田や四日市の天ケ須賀海岸に住む。
同23年には「天狼」を創刊主宰。西東三鬼、秋元不死男、平畑静塔、橋本多佳子、永田耕衣、津田清子、三橋敏雄、鈴木六林男、八田木枯等の俊英が参集し、戦後俳句の復活に貢献。「根源俳句」を訴求した。
永年「朝日俳壇」選者を務め、芸術院賞、文化功労者顕彰。平成5年、「天狼」を終刊し、翌年3月26日、92歳で逝去。阪神淡路大震災で倒壊した旧宅を復元した神戸大学内の山口誓子記念館に、妻波津女の遺品を含め関連資料、蔵書が陳列される。〈虹の環を以て地上のものかこむ〉(誓子)、〈毛糸編み来世も夫にかく編まん〉(波津女)の句碑がある。
昨年上梓された戸恒東人氏の力作『誓子―わがこころの帆』は、戦前、戦中、戦後の誓子の句業を精緻な資料を解きほどきつつ、その葛藤に満ちた真実の姿を鋭くえぐり出す好著(加藤郁乎賞受賞)である。
句集は、『凍港』『黄旗』『激浪』『断崖』等二十二句集。他に山口誓子全集十巻、自選句集等がある。
「昭和俳人で確実に幾百年後の俳句史に残ると断定できるのは誓子一人である」(小西甚一)、「誓子俳句には絵画的構成があり、絵画に対する深い理解がある」(水原秋櫻子)、「秋櫻子が、短歌的、抒情的、詠歎的であり、誓子は構成的、知的、即物的であるが、その調べや叙法は共通点があり、共に従来のさびとかしおりとかの古い俳句臭と袂別し、大胆に新しい近代的スタイルを樹立した」(山本建吉) 等の評がある。
幼少の頃より、両親との別離、母の自殺等が原体験として誓子の心に深く根ざしていた。夫人との愛情豊かな暮らしの反面子どもには恵まれず、重ねて健康を損ない栄進の道を閉ざされた。その上、空襲や台風で二度自宅が焼失損壊する等により、ヒューマンなものより無感動で即物的な句が大半を占めるものの、現代俳句の最高峰たることに異論はない。
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
夏草に汽罐車の車輪来て止る
ピストルがプールの硬き面にひびき
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
ひとり膝を抱けば秋風また秋風
海に出て木枯帰るところなし
炎天の遠き帆やわがこころの帆
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