2013-09-01

朝の爽波82 小川春休



小川春休




82



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の夏、盛夏の頃の句。「青」二月号から連載開始の「枚方から」、七月号は「偶然の必然」という題の文章でしたが、これについては本稿の第六十二回にて紹介しています。


下闇にバケツ仲良く二つかな  『一筆』(以下同)

夏には木々が鬱蒼と茂り、樹下は昼とは思えぬ暗さとなる。殊更暗く感じられるのは、日差しが強い周囲の明るさと対比されるからであろう。日差しを避けるかのように樹下に寄り添う二つのバケツは、兄弟のように姉妹のように、どこか懐かしさを湛えている。

天瓜粉まみれや寺のひとりつ子

表面上の句意は読んで字の如くだが、様々に想像の拡がる句。天瓜粉はキカラスウリ(天瓜)の根からとった白いでんぷん。その吸湿性を利用して汗疹の治療に用いられてきた。ただし、沢山塗ったから効果が増すものでもあるまい。少し過保護ではなかろうか。

夜濯に往くと戻るとすれ違ふ

夏はよく汗をかき、洗濯物の沢山出る季節。そして、夜に洗濯しても翌朝には乾いてしまうのも夏ならでは。掲句では、一つの洗濯場を共同で使用している。寮などの共同生活の場を思うも、川のほとりで洗濯していた往時を思うも、読み手の想像に任されている。

羅や勝手知つたる寺廊下

紗・絽・上布など、薄く軽やかな織物で仕立てた単衣を羅(うすもの)と言う。一般の民家に比べて造りの大きな寺、それも幾度も訪れた馴染みの寺の廊下だ。その広々とした空間を、我が物顔をして涼しげないでたちですっすすっすと歩むのは、何とも心地良さそう。

日盛の雪隠は灯をつけて入る

雪隠(せっちん)とは便所のことだが、決して洋式のものではなく、日本家屋の一角に位置し、上の方に小窓があるのみの狭い便所を想像するのが妥当であろう。灯と言っても裸電球が吊ってあるばかりで、さほど明るくもないが、それでも点けずにはおれぬ暗さだ。

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