2013-12-22

【週刊俳句時評85】今年の積み残しその2 2013年の角川「俳句」から 記事4つ 「年鑑」から1つ……上田信治

【週刊俳句時評85】今年の積み残しその2
 2013年の角川「俳句」から記事4つ
「年鑑」から1つ 

上田信治



2013年の角川「俳句」から、考えさせられたトピックを引きます。


6月号「季語についての素朴なギモン」岸本尚毅 p.92

毎度おなじみ初心者向け季語特集「大特集 季語のギモンに答えます!」より。

一般にさけるべきとされる「季重なり」「春の○○、夏の○○」「即きすぎ・(季語が)動く」について、岸本さんが、虚子やホトトギス「雑詠選集」の句をあげながら、ほとんどタブー視する必要はない、と説いています。

の幹静にの歩き居り〉〈秋天の下に野菊の花弁欠く〉〈夏の月皿の林檎の紅を失す〉〈ぱつと火になりたる蜘蛛草を焼くなど20句を超える虚子の季重なりの句を挙げ、岸本さんは「見ての通り季語だらけです。これに違和感を覚えるかどうかですが、私は全く気になりません。私は、句の出来さえよければ「季重なり」も可と考えます」(p.94)と書く(違和感もなにも、この4句などは、虚子の名品に数えられるでしょう)。

また〈パリの月ベルリンの月春の旅 池内友次郎〉〈秋の谷とうんと銃の谺かな 阿波野青畝〉〈冬の路に日々に拡ごる穴一つ はじめ〉などをあげ「虚子選における句の評価には「春の街」や「春の旅」が季語か否かという観点は全く影響していません。「春の○○」という言葉が句の中で生き生きと働き、春らしい気分を出していればそれでよいのです」(p.96)と書く。

「即きすぎ・(季語が)動く」については(〈奈良茶飯出来るに間あり藤の花 虚子〉)藤の花という季語はいい線を行っているとは思いますが、唯一の「正解」かどうかはわかりません(…)季語が即きすぎかどうか、動くかどうかは考えるときりがありません。あまり悩むと俳句が楽しくなくなります(…)虚子にとって季語の扱いは「取り合わせ」ではなく「あり合わせ」だったのです(…)「即きすぎ」「季語が動く」という心配をしたからといって句がよくなるわけではありません」(p.98)と、じつに明解。

ようするに、それで句がよくなるのならタブーなどはない、自分のアタマで考えなさい(考え抜きなさい)ということです。


同号「軽舟の俳句入門 最終回 俳句とともにどう生きるか」小川軽舟(p.106)

詩歌は私たちの思い出を刻みつけるものだという考えが、私の中で年ごとに強まっています。抽斗の中の古いスクラップのように色あせた思い出ではありません。私たちの喜びや悲しみを今ここに呼び覚ます生きた思い出です(…) 俳句はもともと作者と読者の思い出の共有によって成り立つ詩型です。(小川 p.107)

小川さんは、2012年スタートのこの連載中で「俳句は読者に思い出してもらうことを必要とする詩型なのだ」ということを繰り返し書いています。

自分が、小川さんのこの言い方にはじめて触れたのは、『超新撰21』(2010)の「俳句は何かを伝えるのではなく、読者に何かを思い出させるのだ、という考えが年々私の中で濃くなっている」でした。

それは「鷹」編集長時代の『魅了する詩型』(2004)と、自らを含む同世代作家を俳句の中心的集団として位置づけた『現代俳句の海図』(2008)では見られなかったアイディアであり、また「読者の想像力を喚起する」(『高浜虚子 俳句の力』)という岸本尚毅さんの言葉と並行するものです。

私は何を求めて俳句を始めたのだったか(…)今から思えば、私は、俳句に日常生活から切り離された遊びを求めていたのだと思います。
(澄雄、龍太の伝統回帰は)言うならば俳句のユートピアだったと思います(…)私もまたユートピアに遊ぶことが楽しくて俳句を続けたのです。 
本誌2月号で私は「単身赴任」と題する作品五十句を発表しました(…)私は俳句によって私の単身赴任生活を思い出に刻みつけたかったようです。
私に考えの切り替えを促したのは東日本大震災でした(…)私は昨年出版した句集『呼鈴』の「あとがき」に次のように書きました。
〈俳句が昔をなつかしむだけのものであってはなるまい。未来は刻々と現在になり、過去になる。それを深く豊かな思い出としてする営みが詩歌なのではないか。私の俳句一つ一つが読者とともにその過程を刻むものであってほしい〉
この思いを皆さんと分かち合いたいと思うのです。(同 p.108-p.111)

自分のことを引き合いに出すのはおこがましいのですが、「俳句」今年11月号掲載の拙作について、正岡豊さんが「飽満化した市民意識をその飽満化した市民意識でかぎりなくやわらかに打つ」と書いてくださいました。

そのことを、自分は「ジュブナイル/ユースカルチャーを通じて自己形成した世代として「成熟」の問題を引き受ける」ことだ、と受けとりました。

そして。小川さんも、きっと同じ問題を感じているのではないか、と思うのです。

水たまり踏んでくちなし匂ふ夜へ 『近所』
泥に降る雪うつくしや泥になる  『手帖』
燃えほそる燐寸の首や夕蛙     同
蝸牛やごはん残さず人殺めず    同

というように書いていた人が、じょじょに

平凡なことばかがやくはこべかな 『手帖』
死ぬときは箸置くやうに草の花  『呼鈴』
かつてラララ科学の子たり青写真  
春暁や妻に点りし厨の灯 「2013俳句年鑑」自選5句より

へと移行することは、そういうことに違いない、と。

それは自分には、正直「ベタへの後退」と見えていました。

しかし「深く豊かな思い出とする営み」「皆さんと分かち合いたい」と書く作家にとって、ユートピアの孤独な完成度をいったん棚上げにして、より共感性の高い内容を志向することは必然なのでしょう。

小川さんと私は同年生まれで、花田清輝が「なぜ一気に物々しく年を取ってしまうことができないのか」と書いた年齢より、すでに20も年上です。しかし、だからこそ、いまさら「一気に物々しく」年を取るような恥さらしはできない。

元「現代っ子」が、何ものになっていくのか、まあ、口で言ったってしかたがない、作品と行動で、それは示していかなければならないわけです。

『未明の闘争』読まれました? 思弁と猫と犬と「お姉ちゃん」が出てくる保坂和志の小説。あれも一つの回答かもしれないと思います。


9月号「4週間でラクラク身につく! 文語文法入門」(p.71)

本誌346号347号で、大野秋田さんに詳細な反論をご寄稿いただいた、当の特集です。

9月号「特集」は、大野さんの論の根本にある「なぜ、中古(平安時代)の文法に従って、俳句を書かなければならないのか」というギモンに答えるものではありません。そんなことは宗祇も芭蕉も子規もしていない、にも関わらず、です。

こういう特集は、中等教育に携わっていた方が執筆されることが多いわけですが、まさかそういう方たちが、教科書に書いていること「しか」知らない、ってわけでもないでしょう。

教科書への採択の方面とか、そういう問題があるのでしょうか(と、この話も、このあと出てきます)。



中世〜近世には、すでに「完了のし」も「已然形終止」(「こそ」なしで「けれ」等で終わる形)も「カリ終始」(「かなしかり」「空しかり」等)も使われていました。

「言葉は百年も使われ続ければいかなる誤用も正用となる。中世以降に生じた文語の文法で、已然形終止は数百年、カリ終止は仮に西鶴のころからと考えても三百年、「まじ」の未然形接続は数百年の歴史がある。これらは誤用ではない。文法が変遷したのだ」(大野秋田「文法外の文法と俳句の文語(前編)」

執筆の諸先生が、大野さんがあげた100例以上の用例の作者よりも、その言語感覚が純正であることを主張されるのだとしたら、それはいかなる蛮勇のなせるわざでしょうか。

俳句の書き手としては尊敬すべき皆さんなのですから、仕事を受けられる前にすこし考えられたらいいのに、と思ったことでした。



大野さんが指摘されなかった部分から、気になった箇所を。

(〈一本のマッチをすれば湖は霧 富沢赤黄男〉について)「この句は、形の上では文語句とも口語句とも取れますが、内容的には明らかに文語句です。「すれば」という表現は、口語文法では、動詞「する」の仮定形に接続助詞「ば」が接続した形で「もし一本のマッチをすったならば」という仮定条件になります」(p.73「文語文法は名句に学ぶ」 佐藤郁良)

いやいや、これって「お手々つないで野道を行けば」と同じ「ば」なんじゃないでしょうか。つまり、現代語にも偶然条件の「ば」は例外的に残っているのではないか。

だって〈秋風の下にゐるのはほろほろ鳥〉〈恋人は土竜のやうにぬれてゐる〉の『天の狼』の収録句ですから、その口吻からいって口語として書かれたか、すくなくとも口語とも文語ともつかない措辞を選んで書かれた、と見るほうが自然でしょう。



主格を示す「の」「が」を受ける述部は、そこで文が終止する場合でも連体形になるのが原則です。しかし、そうでない使用例もしばしば目にします(…)主格を示す「の」「が」は、連体修飾格からの派生的な用法です(…)原則として心得ておきましょう。(p.98「助詞 よくある間違い」 加藤かな文)

古俳諧では疑問の係助詞「や」も切字として用いられたようです。その場合は文末が連体形になります。(現在の切字「や」は詠嘆の間投助詞が大半なので)活用語の場合は、上五へと循環していくような連用形が好まれるようです。(p.99 同)

いやいや、原則としては確かにそうかもしれませんが、それでは、俳句の文末がずいぶん単調になるでしょう。いくら初心者向けとはいえ、文法特集で、その「指導」は、踏み込みすぎではないでしょうか。

雲霧暫時百景をつくしけり 芭蕉
露の幹静に蝉歩きをり 虚子
鶏頭雁の来る時尚あかし 芭蕉
うつくしき羽子板市買はで過ぐ 高浜虚子

ようするに、時代時代のことをよく知った上で、自分のアタマで考えましょう、ということです。

自分は、俳句が中古の文法に従って書かれたほうがいい、というのは単なる「好みの問題」であり、逆にそれを間違いだと言うことは「間違い」だと考えます。

どこか、間違ってますかねえ。


12月号「現代俳句時評 最終回 答は要らない」櫂未知子 p.206

上田担当の当欄は、櫂さんの時評の第1回と「俳句年鑑」の年代別に驚いてスタートしたわけですが、櫂さんの時評の最終回において、再度こっち方面に矢が飛んできた、というような気がしないでもない。

櫂さんは、無季俳句は「手本のない荒野だ」と言った、という三橋敏雄の言葉を引いてから、こう書きます。

昨今のネットを中心に活動している俳人達がそこまで意識しているかどうか、いささか疑問である。……こういったことを書くと、またぞろツイッターやフェイスブック等でさんざん悪口を書かれるだろう。彼らは、すぐに答えが欲しいからである。つぶやく、誰かがすぐにフォローする。そこに「待つ」という語彙は存在しない。(p.209)

いや、櫂さんが「ネットを中心に活動している俳人達」を、どう思おうと、誰も全く気にしてないと思いますよ(見た限り、なんの反響もありませんでした)。

さて、この記事の本題インサイトゥー」第2号(2013.2.26刊)の座談会「俳句と教科書」を、櫂さんがどう取り上げたかです。
ここで言及されている通り、当時、かなりの数の人々が、俳人協会は「有季定型厳守」を主旨とする文書を教科書会社及び文部省(当時)に送ったと思っていたのではないだろうか。(同 p.207)
当時見えなかったことが、この藺草慶子の説明により、かなりの程度クリアになったように思える。(同 p.208)
ご記憶の方も多いと思いますが、俳人協会は「学校教育における俳句検討委員会」のとりまとめに基づき、1999年、会長名で、教科書会社に「俳句の取り上げ方に対する要請(俳句の季語および五七五定形の厳守)」を行ったのです。

そして、2010年に岡田日郎という人が、俳人協会副会長(当時)として(世の中で「俳句」といわれるものには)無季や自由律のものもあり、小中学校の教科書にも載せられている。しかし、これらは「俳句に似たもの」とし、「俳句」と区別する必要がある」と、学校関係者向けの講演で語り、それが俳句文学館の会報473号(2010年9月5日付)に掲載されました。

詳しくは、神野紗希さんによる小誌記事にゆずりますが、事実として「要請」はあったのです。そして、それを、筑紫磐井さんが「豈」50号(2010/6)で、蒸し返した。と、副会長という人の「私見」が会報になんともいいタイミングで掲載され、合わせ技で話題になった、と。

週刊俳句時評第10回 「俳句に似たもの」のゆくえ 神野紗希 

岡田という人は、その後も、同「会報」486号の座談会(鷹羽狩行氏ほか一名出席)で「俳人協会賞や新人賞選考のとき、句集に一句でも無季があったら選考対象から外す。一句ぐらいはいいだろうと言ったら崩れていく。「清規」の言葉を具体的にいえば、そういうこと」と言っているのだそうです。

まあ、誰がどれだけ不見識をさらそうが「馬鹿だな」と思っていればいいのですが、会員の人たちにとっては、ある意味「公人」なわけだし、いろいろたいへんですね(これで、なかなか役員人事に影響力があったりする人だという話を、聞いたような、聞かないような)。

さて「インサイトゥー」の座談会は、問題の「学校教育における俳句検討委員会」の委員だった藺草慶子さんを呼んで、話を聞いています。

その座談会で、藺草さんが説明したのはこういうことです(以下要約)。

要望書を文部省に送ったという投書が朝日新聞の「声」欄に送られたそうだが、それは間違い。文部省には送っていない。

ある会社で非常に偏った教科書が作成されつつあるという話が伝わってきた(どういうものかは確認していない)。そのことから、今後の子供たちへの影響力を危惧し、小学校と中学校の教科書会社に要請書を送った。

じっさいに送った要請書の文言を今回確認するために、当時の委員長、西嶋あさ子さんに依頼したが、現時点では見つからなかった。

……。

なにか、これではっきりした事実があった、と思われますか。これ以上フワフワした話もあまりないように思うのですが。

そして櫂さんが、座談会からとりあげている話題は、「文部省には送っていない」ということと、俳人協会が以前から、教員を対象にした講座を開く活動をしていた、ということだけ。

じつは、藺草さん、座談会で「一切のせないでくださいとは書いてないんですね。でも流れとしては、あまりに偏った教科書が出ないように早く止めなければという思いが強かった(…)危機感みたいなものが一番私には伝わってきました」(「座談会」p.52)「そこまで極端な教科書があったとすると「有季定型を厳守してほしい」とまで書かないと変わらなかったのかもしれないですね」(同 p.54)と発言している。

これは、神野さんの当初の懸念、すなわち、その要請がかなり強硬な言い方でなされたんじゃないかということを、裏付けるような発言です(これを言ってしまうのは、藺草さんの人の良さの表れでしょうけれど)。

つまりは、かなり強硬に「やった」のではないかと推測される。

にもかかわらず、12月号時評はその部分には触れず、「文部省」のことだけを言って(そもそも磐井さんも紗希さんも、「文部省」のことは問題にしていない)、この件について「当時見えなかったことが(…)かなりの程度クリアになったように思える」と書いています。

ほんとうに、いったい、なにがクリアになったのか。

これは「あれは大した話じゃなかったんだよ、一部の人が騒いでいただけで」という、印象操作ではないでしょうか。

「事件」自体は、ほんとうにどうでもいいし、じっさい大した話じゃなかったと思います。

ただ、確認不可能な「噂」に対する激しすぎる反応といい、老人のヘイトスピーチまがいの垂れ流しといい、「俳人協会」に、ある種のフォビアのような傾向があった、ということは記憶しておくべきでしょう。

協会の指導層が、新陳代謝することで、いいほうに変わっていくといいですね。



ところではじめに引用した櫂さんの「彼らは、すぐに答えが欲しいからである。つぶやく、誰かがすぐにフォローする。そこに「待つ」という語彙は存在しない」という文は、かなり意味が分からない。そしてこの記事は「人が皆、せっかちに答えを出したがる現代、どれほどわれわれは待てるのだろうか」(p.211)と結ばれます。

櫂さんの書かれることは最近、とみに意味不明だなあ(「京極杞陽ノート」の明晰さはどこへいったのか)と思っていたところ、よく似た言葉を見つけました。

片山由美子さんの「2013俳句年鑑」の「巻頭提言 歳月の重ね方」の結びの言葉です。

何事も結論を早く出すことを求められがちな昨今、俳人はそれに巻き込まれずに生きてゆく覚悟が必要であろう。(片山「年鑑」p.31)

これが、どういう内容から出てきた言葉かというと……。

後藤、深見両氏の俳句に共通するのは、ひと言でいえば豊かさである。
俳句人口の高齢化を嘆く声が聞こえるが、それは俳句というものの特性を示していると肯定的に受けとめることが必要だ(…)若い人がいないジャンルは滅びると言う人もいる。これは(…)俳句の世界には必ずしも当てはまらない(…)これまで俳句の世界を中心になって支えてきたのは若い人たちではない。
若い世代を大事にすることはもちろん大切だが、特別に扱うのもまた問題である(… )多くの結社の中心は六十代、七十代である。その人たちは必ずしも若いときに俳句を始めたわけではない(…)俳句を次代に伝えていくのはこういう人たちなのだと思う。(同 p.31-p.32)

途中略してはいますが、内容は決してゆがめていません。この通りのことを、片山さんは言っています。

すごいなあ。どこから突っ込んでいいのか分からない、とは、このことです。

俳句は高齢者で回していくから、若い人は来ても来なくてもいい、ってことですか(いや、冗談じゃなく、そう言われてますよね)。後藤比奈夫さんにも深見けん二さんにも、若いときはあったんじゃないのかなあw いまの六十代七十代の俳句大衆とでも呼ぶべき人たちが伝える「次代」って、だいじょぶなんですか。

今の俳句って「この」人たちの指導のもと、いったん滅びないとダメなんですかねえ。

俳壇のオピニオンリーダー二人は、私たちに、簡単に答えを欲しがるな、結論を出すな、そして「待つ」べきだ、と言う。

え? けっきょく何を「待て」って? 

櫂さんの言う「待つ」ということを知らない行為とは、要するに、ネット上でご自身の発言に言及されることみたいですけど。

じゃあ、あれでしょうか、もうちょっと年季を積んで、しかるべき場所での発言を許されるようになってから、口をきけ、っていうことなんでしょうか。









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