2014-01-26

俳枕19 熊野古道と飯島晴子 広渡敬雄

俳枕19 
熊野古道(中辺路)と飯島晴子

広渡敬雄


「青垣」9号より転載


熊野古道で最も有名で険しい道程の中辺路(辺路=遍路、途中に王子社という遥拝所且つ休憩所があった)は、「梁塵秘抄」にも歌われ平安後期から後白河法皇を始め上皇、貴族が詣でており、途中の歌会は「熊野懐紙」の名で残っている。

この「熊野信仰」は、中世以降は老若男女貴賎を問わず、生きながら歩く黄泉の道として「蟻の熊野詣」といわれる程の盛況となった。
 
田辺市(滝尻)から近露を経て、熊野本宮、更に那智勝浦町浜の宮から那智の滝を経て本宮に達する大雲取、小雲取越えも含めることが多い。

飯島晴子は、山歩きで鍛えた足で昭和52年、53年更に55年の三年がかりで全踏破。(第三句集「春の塵」に掲載)

鶯や御幸の輿もゆるめけん      高浜虚子
ひぐらしや熊野にしづむ山幾重    水原秋櫻子
一王子落花の雪を敷きにけり     下村梅子
くれなゐの眦そろふ冬の宿      飯島晴子
瀧音の秀衡桜とぞ申す        黒田杏子

飯島晴子は、大正十年、京都府城陽市生れ、京都第一高女卒。能村登四郎に師事後、藤田湘子「鷹」に創刊同人として参加。

「蕨手」他6句集、評論集「葦の中で」「俳句発見」がある。

「過程は、写生なのだが、結果がそう見えない句」を目指し、自然と人間の生活が必然的にまじりあった普通の農山村である山梨県・上野原や秩父等での吟行を続けた。

「鷹」で薫陶を受けた小川軽舟が平成18年「俳句研究」に一年間に亘って掲載した「飯島晴子の句帳」では、吟行時に見て、感じた材料を机上で推敲し「鷹」誌上の作品に完成させる過程(格闘)を丹念にトレースして読み答えがある。

ホトトギス派俳人とも交流し、「言葉が言葉になる瞬間は、無時間であり、従って無意識である」と述べる。

晴子の作句工程を知る上で、掲句の自解をそのまま記したい。

熊野・近露王子での作。上皇や法皇の熊野御幸のうち、建仁元年(一二〇一年)初冬、後鳥羽院に藤原定家が随行している。私はしきりに想像力を刺激させた。御幸では、歌会が催され、近露でもあったという。町役場で貰ったパンフレットの「旅宿埋火」「旅宿冬月」等の文字がこの句のきっかけである。貴人達が埋火をかきたてて、作歌の興奮に眦を紅潮させている冬の宿。

「自解」の中で「作者は自作の入口は語れるが、出口については、読者以上に知っているわけではない」とも述べる。

独特の美意識と完璧な言葉作りの鬼才晴子の魅力ある作品群は紙枚に尽きないので熊野古道の句に限定したい。

発心の黄色い鶏頭たつてゐる
西国は大なめくぢに晴れてをり
法皇のぴかぴかの濤の一月
猪の跡たづねる裾をむらさきに

「西国」「猪の跡」の二句には、同様の自解がある。

平成12年6月6日逝去。享年79歳。




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