2014-03-09

特集・三年目の3.11 関悦史「震災関連」文集 2) わたしの一句《Eカップとわれも名乗らん春の地震》

特集・三年目の3.11
関悦史「震災関連」文集(2) 関悦史


わたしの一句《Eカップとわれも名乗らん春の地震》
(「合歓」第55号2012年1月 2011/11/12送稿)


ほとんど報道されなかったようで、いまだにあまり知られていないらしいのだが、東日本大震災では、私の住む茨城県土浦市も少なからぬ被害を受けた。

最初の大揺れで私の家を含む周囲一帯の屋根瓦が落ち、石塀、ブロック塀が崩れ、いたるところ瓦礫が散乱した。屋内の惨状は言うに及ばず。よく近所に死者・重傷者が出ずに済んだものだ。電気、ガス、そして水が止まり、恐ろしい余震が続くなかを私はコートを羽織って飲み水を求め歩き、知人の家まで行ってそこに避難させてもらった。水、食料の入手が困難だった。

この辺の話、詳しくは六月の時点で一度「被災の記」と題してまとめ、先日それが載った「豈」五十二号が出て、それで初めて私の被災情況が想像を超えてひどかったことを知った人たちから連絡をもらい、改めて自分で読み返したりもしたところなので、もう思い出すだに疲れて仕方がないのだが、疲れようが嫌になろうが、災害は収まってくれるわけではなく、壊れた家が勝手に直ってくれるわけでもない。

地震そのものはさすがに現在は落ち着いているが、落ちた屋根はいまだに直せず、雨漏りが続いている。被災家屋が多すぎて瓦屋が三年待ちの状態になっているためである(さらにその後、わが家は賊に二度ほど侵入され、ブルーシートをかけてもらったり瓦礫を下ろしてもらったりした工務店への支払いに用意してあった現金十六万円を盗み取られた)。

三月十一日以後、私は携帯電話からツイッターに被災・避難情況を書き込み続けた。それで私の惨状を知った俳句関係の知人たちから水・食料・義捐金等が次々と届き、助かった。地震発生三日目からは自宅に戻り、数日ほどで電気・ガス・水道は一応復旧した。パソコンで見るツイッターの画面には、ひっきりなしの大余震の恐怖、そして日に日に深刻さが増す放射能汚染への不安と憤怒、様々な安否情報のツイートが怒涛のごとく書き込まれていた。家の水道も出るようにはなったが、飲んで大丈夫かはわからないのだ。

屋根ごとアンテナが落ちてテレビは見られなかったが、この時期マスメディアは津波映像と被災者の嘆きを見世物と化す以外、特に役に立っていなかったようだ。派手さのない被災地は黙殺され、茨城のある地域は復旧もできぬうちから「計画停電」をくらった。情報を求めるためと、激震の波状攻撃の恐怖を紛らすため、そして何より報道(機関の無視)による二重災害を減らすため、救援物資の乾物を齧りつつパソコンに連日貼りつくこととなった。

さて、そういう情況で作られたのがこの掲出句である。これは《みんな殺伐としているからツイートの最後に「ちなみにEカップです」とつけるとよいと思う》という誰かの書き込みが流れてきたのに呼応し《また余震で揺れてます。ちなみにEカップです》などとふざけながらの一句。

余裕があったのか解離していたのか。倒壊、圧死を免れ、今のところ窮死にも至っていないのでこの句も残せた。




1) 被災の記 ≫読む
3) 震災発生一年目 ≫読む
4) 数学に問うプルトニウムを詠むべきかと ≫読む

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