2014-03-09

特集・三年目の3・11 斉藤斎藤インタビュー「なにをやってるんだろうなーおれは(笑)と、思いますね」

特集・三年目の3・11 
斉藤斎藤インタビュー
「なにをやってるんだろうなーおれは(笑)と、思いますね」

聞き手:上田信治

(2014・2・17取材)



——歌人である斉藤斎藤さんの「証言、わたし」(「短歌研究」2011/7)は、自分にとって、3.11の震災を扱った作品でもっとも強い衝撃を受けたもので、そのインパクトはいまだに変わっていません。

三階を流されてゆく足首をつかみそこねてわたしを責める
 

撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ

——「週刊俳句」の自分の記事のコメント欄に、作者は「怪物」になることによって倫理的優位性を得ている、と書きました。ただ、さらにその後の作品を拝見して、斉藤さんが、ずっと「その場所」を離れずに書いているということを知り、これはそういう「位置取り」とかスタンスの問題じゃない、この人はもっともシリアスに3.11とその後の事態に向かい合っている作家かもしれないと、考え直しました。

はじめからの話になるのですが、3.11はどう体験されましたか?

斉藤 横浜の、寿町にいたんですよ。

——いわゆる「労務者」のというか、ドヤの町ですね。

斉藤 はい。アートプロジェクトがあって、その日私はツアーに参加して、町に作品が展示してあるのを見て回ったりしていたんですね。公園で炊き出しの手伝いをしたりして。労働福祉会館みたいなところで活動の報告を聞いていたところで、揺れたんです。

それがけっこうぼろめの建て物で(笑)、かなり揺れて「やばい、これ、けっこうやばいんじゃないの」ということで、さっき炊き出しをしてた公園にもどりました。そこへ、ドヤのおっちゃんたちもわらわら出てきて「なんだなんだ」と。言ってたら「どうやら奈良らしいぞ」と、震源奈良説がどこからともなく出てきて、「たいへんだね、鹿」とか言ってたんですよ。おっちゃん全員路上に出てきてるんで、そこだけ見たら暴動か、って感じだったんですけど(笑)、みんな、ぜんぜん、のんきで……テレビとか見てなかったんで。

そこにいた人たちの誰も、ほんとうの深刻さが分かってないような状況で、夕方、少し早めですけど解散しましょうか、となって。

わたしは家が千葉なんで、駅とか見たら電車がぜんぜん動いてなかったんで、まあ帰れなそうだと思って、わりと早めに泊まるとこ押さえてたんですね、桜木町のホテルを。それで、そこまで歩いていこうという途中、午後6時ごろ、カラオケ屋の店頭のテレビで、黒い波を見たんです。

あのシダックスの衝撃は忘れられないです……そこではじめて、私は、それまで数時間なにも知らなかったんだ、と気がついたんですね。なにをやってたんだ、おれは、と。東北らしいというのはもう分かってて、だいぶ揺れたろうなとは思ってたんです。ぼろいビルとか倒れてなければいいな、くらいのテンションで、津波とかにはまったく思いが及んでなかった。

——あとは、皆さんと同じようにずっとテレビを見ていたと、以前、言われてましたね。

斉藤 そうですね。仕事も休みになって。というか、東京と千葉をつなぐ電車って、かなり復旧が遅れたんですよ。翌日はいったん動いたんですけど、電力が足りないだかでまた止まって。山手線とかに比べて、主観的な記憶ですが、3日ぐらい。そのとき思ったのは、東京はいざとなったら千葉を見捨てるな、と(笑)。スーパーに行っても食べるもの何も無い状態で、テレビ見たり、ネットの動画見たりしてましたね。停電にそなえて、湯たんぽ買ったり。

——すぐに、原発が事故ったかも、という話になっていくわけですけど、東京から逃げようか、という話には……。

斉藤 …ならなかったですね。初動が出来なかった。とりあえず1週間くらい逃げておければ、結果論ですけど、それがいちばん正解だったわけですよね。でも、まず、私、車ないんで。電車が動くまでは、どうにもならなかった。あとは、長期の移住ということになると、お金無いんで、考えられなかったですね。仕事も……本気だったら、関西で探すこともできたかもしれないけど、そこまでは思わなかった。



——書くことに影響がありましたか? 

斉藤 そうですね。テンションが落ちちゃって……テンションが落ちたということは、ありますね。

——多くの人が亡くなる一方で、自分は被災しているわけでもない、当事者性の喪失、ということを書かれていました(「現代詩手帖」2013/5)。短歌には、「じぶんを主人公にして、実生活をベースに、一人称の視点で作歌しなければならない」いう「私性(わたくしせい)」の原則があるそうですね。

斉藤 短歌には一人称の文体の蓄積がある。その上で、一人称でフィクションを書いてうまくいくか、というと、なかなかうまくいかない。いろいろ試みはあるんですけどね、個々に。

これは個人的信仰ととってもらってかまわないんですが、実際のことがいちばん強いと思うんですよ。特に生き死にのこととなると、事実には勝てない。なら、事実でいいじゃないか。人生をまるごと全部つっこんで、最終的には自分の人生が終わる時、長い一冊の歌集になってる、そういうやり方には、やっぱり勝てないんじゃないかというのはありますね。

実際に起こってることのほうが圧倒的にヘンだし、おもしろく作ったフィクションのほうが、むしろつまらない。歌を読んで、実際にあったことか、頭の中で言葉を組み合わせて作ったことかは、かなりの確率で見抜けると思う。一首ではだまされても、歌集一冊なら、あるいは何十首かの連作なら、だまされない。その人の体重が乗っているかどうかは、どうしても分かってしまうんじゃないかと、個人的には思っています。

——「言葉は無力だと思う。それはひどい天災の直後、お金が無力になる数日のようなものだ」(「短歌研究」2011/7)と書かれていましたが、ご自身の「私」から発する言葉が無力になったと、感じられた時期がありましたか。

斉藤 ……どうでしょう。あれは、雑誌の特集のタイトルが「ことばは無力か?」だったので、ええ、無力だと思いますよ(笑)と。

人によると思うんですけど。もともと自分は、こういうことがあったとき、書くことで立ち直るというタイプではないんだろうと思います。どっちかというと、立ち直ってから書くか書かないか考える、というタイプだろうと思うんですね。自分がもし避難所とかにいたら、リアルタイムで書くかどうかは疑問です。まあ、なってみないとわからないですけどね。

ていうか、「短歌に何が出来るか」とか、短歌に限らずいろんなジャンルでそういうこと言う人がいましたけど……意味が分からないでしょう(笑)?

——(笑)。それは、ほんとに。

斉藤 できることないよ、と思う。被災した本人が、歌を作ることで自分を支えたりっていうことはあると思うんですけど、自分はそういうタイプでもないので、もう、ひたすらぐったりする。ザ・無力、って感じですかね。

——同じ文のなかで「そんなことに何の意味があるかは分からないけれど、すべての無力には意味がある」とも書かれています。

斉藤 うーん、発注を受けてるんでね(笑)。依頼を受けて書いてしまってる以上、意味がないとは言えないですし。

——(笑)この話には、また戻るかもしれませんが。



——震災後、はじめの作品が、「証言、わたし」(2011/7)ですか。

斉藤 いえ、その前の月にも、書いてます。

——6月号と7月号だと、〆切り4月と5月ですか。前もって注文あったんですか?

斉藤 いえ、どちらも「震災特集」の一篇としての発注でした。たぶん、誰かが断ったんでしょう。

——(笑)短歌は素人なんで知ったかぶりはできませんが、「証言、わたし」については、初めにも言いましたけど、いまだに衝撃がおとろえない。驚きました。

斉藤 ほほう(不思議そうに)。

——生き残った人の実際の声と、死んでしまったかもしれない人の声が現れる一連なんですが、これは、どうやって書けてしまったんでしょう。ある声の主体に、ものすごく身の近くに立たれてしまったみたいな感覚ですね。うしろをとられたというか、それこそ幽霊を見たというか。

斉藤 なんか……そういう形になりましたね。なんでそうなったのか、もうあまり……覚えていないですね。

——これは、フィクションを書かれたということなんでしょうか。

斉藤 また怒られるかもしれないですけど、自分では、あれは事実を書いた、というか、準事実を書いたと思ってるんです。

基本的には、震災については、被災した人が歌を作ればいいと思うんですよ。じっさい、今回も被災した何人かの歌人の方、あるいは宮城の「河北新報」という新聞の短歌欄の歌はすごかったんですけど。基本的には、被災してない人は、被災した人の短歌を読ませていただくというか、読んで受けとめればいいと思う。

でも、たぶん、そういう方たちにも書けない震災の「事実」があって、それを書く必要が……あるのかどうか分からないけど、あるんだったら書いた方がいいかなぁと思ったんで……書いちゃった、という。

——「私は私の当事者でなくなってしまった」「世界の中心からずれてしまった」というふうにも書かれていましたけど、そういう実感があったんですか。

斉藤 そうですね……まあ、あの文章の「私」も、実際の私とはちょっとずれてるんですけど……自分が感じたことを書く、というか、自分が見た景色、自分が感じた感情を再現するということの意味がよく分からなくなっていた。それを感じる部分が、けっこうフリーズしてしまっていたので。

そこがフリーズしたまま歌を作っているという状態は、最近やっと回復してきたみたいな感じですかね。

震災の前には、俳句とかもやらしてもらってて、それは大変楽しかったんですけど……、

——「澤」に投句してらっしゃいましたね。

斉藤 ええ。でも、感じる心が死んじゃってる状態だと俳句は作れない。短歌は、手癖があるからかろうじて書ける(笑)。

——誰も「証言、わたし」のようには書かなかったというのは、本人以外の主体で歌を作ることにタブー意識があったということですよね、たぶん。それを斉藤さんは、書く必要がある、書くべきだ、と思ったということですか?

斉藤 そこの問題というのは、震災の二、三年くらい前から考えてたことではあるんですよね。ただ、四、五年前だったら、私が震災で作ったような作品には、私が怒ってたと思うんです(笑)、不謹慎だ、とか言って。

——(笑)

斉藤 それが、二、三年前から迷いが出てきて。ここに確実に、ゾーンが(笑)あるけれど…。

——(笑)

斉藤 このゾーンどうしよう、と。やっぱり書かない方がいいんじゃないのかな、と思いつつ……あるのは分かってる。

——(笑)つまり、短歌の、私とか主体についての、あまり人が試みていなかったゾーンですね。

斉藤 でも、ほんと、分からなくて。みんなあるのは十分わかった上で、大人だから(笑)やっぱりやめとこう、って思ってるんじゃないか、とか。それなのに、私があまりに子供で、やっていいことと悪いことの区別がつかないアホなだけ、ってことなんじゃないかと。

——(笑)……ほとんどの人は、そのゾーンの存在にも気づかないんでしょうけど、見える人には、そのゾーンの周りの、立ち入り禁止のロープも見えてるんでしょう。

斉藤 そのロープにも、手前のロープと向こう側のロープがあって、使えるゾーンはここからここっていうのが、わりとはっきり見えてたんですよ。行きゃあいいっていうもんじゃない。行くならここ。ここに足場がある。

でも、その足場は、けっこうやばいやつ。

——(笑)

斉藤 やばいっていうか、人としてどうなのよ、っていう。

——(笑)怒られるだろうな、ということですね。

斉藤 だって、怒られたら反論の余地はない。理由は分かりますからね。ですよねーすいません、っていうしかない(笑)。

分からないんですけどね、五年十年したら、やっぱり私がアホだったと、私自身そう思うかもしれない。でも必要な気がするんだよな、っていう……けっきょく、被災してない人が震災の歌を作るとしたら、そこしかないんじゃないかと思ったんですよね。

そしてそれは確実に自分の「担当」だな、と。やるか、やらないかだと。

他にやる人がいないのだとすると、やらないということが、不作為に思えてくる。やるという行為をするか、やらないという行為をするか。

明らかに私、ここ担当なんですけど。やったほうがいいのか、あえて、さぼったほうがいいのか。

——不作為の罪という言葉がありますしね……あのう、よく、人間やったことと、やらなかったこと、やらなかったことのほうが後悔が深いって言いますけど、あれ嘘ですよね。

斉藤 (笑)嘘だと思います。

——でも、やってしまった(笑)。斉藤さんの場合、一つには、それ以前からの方法の継続ということがありましたよね。「今だから、宅間守」(2007)のことをすぐ思い出しました。

「あいりは二度殺された」などと言う権利は父にもないなどと言う権利  
わたしがもしも宅間だったら 宅間がもしもわたしだったら
殺される自由はあると思いたい こころのようにほたる降る夜
あきらめては ちから あふれ あこがれては ひかりこぼしてとんで ただよい
「最後ぐらい人間らしく死にたい」と、事実は小説よりもベタなり


——連作の全体を拝読していないので、めったなことは言えませんが、やばいことやってるなと思って。「宅間守」と「証言、わたし」には私性の再組織、というモチーフが通底していると言えるのかもしれない。

ただ、それだけではないように思うんですよね。文体だけの問題ではない……だって、斉藤さん、ずっと震災をモチーフに書かれているじゃないですか。はじめにうかがった話に戻るんですけど、元気がなくなっても、元気がない私っていうのは、そこにいるわけじゃないですか。ほとんどの歌人の人たちは、ショックを受けたりおろおろしている自分を、歌にした。でも、斉藤さんはそういうことはしなかった。

さっきの当事者性の問題ですけど、「世界の中心からずれてしまった」と斉藤さんは書かれた。それは、斉藤さんの中心に、自分じゃないものがやってきて、その場所を占めてしまったということではないんですか? 

斉藤 ……なんなんでしょうねえ(笑)。

——何かを引き受けちゃったり、何かに掴まれちゃったり、ということがあったんじゃないんですか。

斉藤 ……むずかしいですねえ、言い方が。デリケートゾーンですね(笑)。千葉でゆるい被災をした人がおろおろしてるという、そういうのも書いたほうがいいかなと思って、書いてはいるんですけど、でも基本的に、震災について自分はこう思いましたということを書くことは、震災を書くことじゃないですよね。

それなら別に震災じゃなくてもいいと思う。自分は中心にいないんだな、っていうか、もともと中心にいるとも思っていなかったですけど、そういうことはしなくていいかな、と。

——震災を書かなければ、と。

すこし、話変わりますけど、第1歌集の『渡辺のわたし』に収録されている斉藤斎藤さんの作品は、非常にトリックスター的というか、ある意味感じの悪い「私」が登場しますよね。

斉藤 (笑)やっぱ、感じ悪いですかね、私。

——橋本治が「「私はいい人間だ」ということを言いながらでないと、文章というものは成立しない」という意味のことを書いていて、そういうものかな、と思うんですけど、『渡辺のわたし』の〈加護亜依と愛し合ってもかまわない私にはその価値があるから〉とか、あまりいい人に思えない。

それはポピュラーな、世界に向けて「ハロー」的な、自然なコミュニケーション欲求の発露として書き出されるのではなくて、こういう感じの悪い主体がここにいるということが(単純な言い方になってしまうんですが)「告発」として働くようなね、この人をこんなに感じが悪くなるまで追いつめた、社会がこちらになります、というような、書かれ方をされていたように思うんですよ。

非常にシリアスなんだけど、普通のまじめさとは違う、そういう立ち位置が社会との関係において現れるんで、トリックスター的と思ったんです。挑発的ないたずら者的な感じの悪さが、じつは非常にシリアスなモチーフによって選ばれている。

「宅間守」も、主題も短歌表現的もいやがらせに近い方法が選ばれているわけですけど、そのことによって(かどうか見定めがたいんですが)、きわめて倫理的なものが投げかけられている。素朴に自分の言いたいことを言うということから早々に脱して、作品は、読者や方法との関係を問い直すことが目的であるかのように書かれる。と同時に、その主題と方法を選ばざるを得なかった「やむにやまれぬ」感じ、過剰な倫理性はびしびし来るんですよ。

その表現に傷ついている読者である自分のほうを、ぬるいこと期待してるんじゃねーよ、というように告発する表現、あるいは、そういう過剰に倫理的な書き手という主体を、受け入れること、共にあることを要求する表現になっているように思います。

斉藤 そうなんでしょうか。

——僕は、そう読みました。そしてそれを、斉藤さんに強いるものがあるんじゃないかと思う。だって、震災のことをずっとやってるのって、被災地のナチュラルにそれをテーマにしてる人をのぞけば、斉藤さんしかいないでしょう。

斉藤 よく分からないですけどねー。

すこし話ずれちゃって申し訳ないですけど、よく挑発的とか、神経を逆撫でして来るとか、あえてケレンをやってるとか言われるんですよ。でも、自覚がないんですよね。そんなに逆撫でしてたんだ、ごめんね、っていう。それは、けっこう昔っから変わってなくて。でも変わったのは、なんとなく怒られそうだな、というのは、分かるようになったこと(笑)

——(笑)

斉藤 前は、まあまあ自分のことを書いてたのかなあ。でも、自分の感じたことを人に分かって欲しいとかはそんなにないんで……震災については「自分」で書くわけにはいかないですが、事実はこうだったんじゃないかを書くのは、短歌では担当は私だったんじゃないかという、それだけですね。よく、なぜこんなに挑発するんだみたいに言われるんですけど、そういうのはあまりないです。必要だと思うことをやってるだけで。

——たしかに、担当、ってありますよね。ボランティア行くべきか問題のときは、思ったな。担当が違うって。

やってることが、分かられにくいことについての不満はないですか。

斉藤 どうですかねえ。たぶん理論的には、説明すれば分かってくれる人は多いと思うんですけど、理論で詰めちゃっても、っていうのもありますしね。

そのゾーンについては、あると分かっても、なんもいいことないと思うんですよ。そこをあいまいに塗りつぶすのが、文化というものだと思うんですよね。で、文化で回復できる人は、回復したほうがいいと思う。でも、そのゾーンに気がついちゃって、気になってしょうがなくなっちゃった人がいたとしたら、似たような躓き方をしてる人がここにいる、というのが、すこしは役に立つというか、役に立たない道しるべにはなるかもしれないという。もう、それぐらいですよね。

だから、わざと神経を逆撫でするつもりはないんですけど、結果的には逆撫ででいいかな、とも思うんです。ゾーニングっていうか。名前からしてふざけた奴が、ふざけた作品を作ってやがる、読むだけ時間の無駄だ。と思ってもらったほうがいい場合もあると思うんで。



——前、お会いした時に、罪悪感がある、とも言われてましたね。それはどういう罪悪感でしょうか?

誰の当事者でもなくなった私が、とり戻してしまった言葉でここに生きていて、感じること、思うことは、罪だと思う、思うことの罪。この罪は、誰の当事者でもなくなった私が、それでも私でいつづけるかぎり必要の、最低限の罪だと思う、思うことの罪。この罪は、味噌汁のようだ。そう思ってしまったことを、誰にともなく許してほしい。(「現代詩手帖」2013/5)


斉藤 ……震災直後に花見をするかどうか、という話があったじゃないですか。私は、花見をしている人に文句を言う気は毛頭なかったですけど、単純にそういうテンションじゃないっていう、そういう状態がけっこう長かった。今から考えると、元気を出そうといろいろしたりはしてたみたいですけど、なんかこう、ふわふわしてましたねえ。

——長かったですか。

斉藤 日記とかつけてないんで分かんないですけど。わりとそういうテンションでしたね。



——被災地には、行かれたんですよね。いつごろ行かれました?

斉藤 いちばん最初に行ったのは5月末です。そのあと11月か10月くらいに1回行って、去年の2月も行って、……なんだかんだで5、6回ですかね。

——それは、なんのために、って言ったらまたヘンですけど。どういう気持ちで行かれたんですか。

斉藤 いちばん最初に行ったのは、なんだろうなあ、やっぱりそのー、とりあえず自分の目で見てみないとはじまらないよな、という……なんだろうなあ。

時系列で言うと、4月ごろに最初の作品の依頼があって。依頼状にあった特集タイトルが、「日本を元気にする歌」。

——(笑)

斉藤 ……いやあ、元気にするの無理だよなあ、と思って。断るのが正解だろうと思ったんですけど。でも依頼のタイミングからして、〆切まであと20日ぐらいしかなかったんで、これ誰か断ったな、と(笑)。誰かが断ったのがこっちに回ってきてるんで。誰かがちゃんと断ってるなら、まあこっちでやっときますんで、という感じで、守りの原稿を出して。ああ、手え汚しちゃったな、という感じがあったんですね。

で、次の依頼が「証言、わたし」で。行く前に8割くらいできてたんですよ……できちゃったけど、これ、どうしようね(笑)と思って。出すか出さないか、あと、震災の歌を自分が今後作るのかどうか、ということも考えていて。

そのとき、ボランティア問題ってあったじゃないですか。素人がボランティアに行って役に立つのかとか、いや、黙って寄付だけしていつも通りに過ごすのがいいんじゃないかとか。私、免許ないんで、できることもなく、悶々としてたんですね。

でも……ただ見に行くっていうのもねー、っていうのもあって(笑)。

——(笑)

斉藤 んがーって、なってて、最終的には、もう、とりあえず見に行こうと(笑)。

——(笑)

斉藤 見に行ってしまおうと。ごめんなさい、と。

——結論でないまま、行かれたんですね。

斉藤 ええ。いちおう電車通ったし、行って考えようと。

——繰り返し、行かれることになったのは、どういうあれなんでしょう?

斉藤 「証言、わたし」も書いちゃったし、一度行ったら、一度で終わりということは、ない……あと、演劇のプロジェクトとかいろいろあって、なんやかんやで。

一度行って終わりはないんです、二度行ってはじめて分かることは、たくさんあるし。一年に一度くらいは、状況を見に行きたい……というかんじですね。

——一度行って終わり、という選択肢はない、というのは、一度行ってから思われたんですか?

斉藤 んー……どうなってるのかな、って、やっぱ気になりますよね。

——関わってしまった、ということですか。

斉藤 現地の人としゃべるとか、そういう意味ではほぼ関わってないんですけどね。でもまあ二度見ないと、一度目に見たものが事実なのかどうか、分からないっていうこともありますからね。

——どのへんまで行かれたんですか。風景が出てきますよね。汽船があったり、タクシーが通りすぎたり。お巡りさんに話しかけられたり。

斉藤 それは気仙沼ですね。行ったことあるのは、石巻、女川、大槌、あといわき、福島、郡山とか。

——どういう行動ですか。お一人ですか。

斉藤 基本は一人です。行ったら、ひたすら歩くっていう感じですね。

——ボランティアでなく見に来てる人って、けっこういました?

斉藤 水びたしのところとか歩いてるんで、そういうところで会うことはほとんどないですけど。女川の病院のところ、知ってます? 海沿いのすごい高台に病院があって波がここまで来た、みたいなところなんですけど、そこに観光っぽい人が車で来て、写真を撮ってるのは見ました。でも基本的に、工事の車としかすれ違わないです。

——取材とは違うかんじなんですか?

斉藤 取材っていうか…………まあ、取材なんですかね。パトカーの人に、なにやってるんですかって聞かれたら、取材ですって答えます、通りがいいから。なんの取材、って聞かれると、途端に不審なことになっちゃうんですけど……まあ、なにやってんだ、ってことですよね。

——ルポ的な作品は、ほんとになんにもしないで帰ってきた感じが、そのまま書いてあるんですよね。

 泥水の瓦礫の底にそれらしき目で掻き分けてよく見れば基礎
 死体はありません。 手をつけないで! 連絡先 : 加藤090‐***
 心臓が震えて胸を逃げ出そうとする360度何もない空間の瓦礫にすくむ

(「実際のそれ」短歌往来2011/8)

斉藤 行って思ったのは、これ助かんないな、ってことですね。ここに自分がいたら、判断ミスってやられてたな、っていう。でも、現地でばりばりボランティアとかしてた人にそう言ったら、いや、俺は助かるよって(笑)。まあ、人によるってことですかね。

——一連のコラージュ的カットアップ的な作品があって(「NORMAL RADIATION BACKGROUND」1~4)、連作なんですけど、一挙性が強いというか、一首一首が抜き出しにくいですよね。ドキュメンタリーの映像作品に近いなと思ったんですけど、ただ、ドキュメンタリーは、因果関係を作らないと構造ができない。でも、斉藤さんのは、理屈は通してなくて、事態のかたまりを、ビデオカメラまわしっぱなしで撮るように、一連の声のかたまりでもって映していくような作品だなと。

あれは、どういうことを考えて、はじめたんですか、あの手は。

斉藤 そうですねえ……。やっぱ、なんだろう。一首一首ではどうにもならないというか。けっきょく、本人たちの言ってることがおもしろいなって思って。

——ははあ。

斉藤 こうなんじゃないかって考えてたのより、必ず上を行きますからね。考えてもしかたないんですよ。ただ、本人たちがおもしろいことを言っても流れて行ってしまうんで、横にいて書きとめればいいかな、という。

で、一人称っていうことを考える上でだいじなのは、本当にそう思ったということで。当時の人たちは、ほんとうにそう思って、その人たちなりに一所懸命やったんだよ、っていうのがあるじゃないですか。戦争とか、戦後の問題をめぐる「その人たちは一所懸命やったんだよ」問題。その懸命さを否定せずに、どうクリアするかっていうことなんですよねえ。

——一首一首ではどうにもならないと言われるわけですけど、トータルとして、何をされようとしているのでしょう?

斉藤 (笑)

——いや、感じるものは、あるんです。どーんときてるんですけど、ものすごく大きなもの、個人の目ではなかなか見ることができないものを、書こうとされているように思えるんですけど。たとえば、戦後、社会が、こうなってこうなってこうなった、ということは、因果関係とかストーリーでは言えないことじゃないですか、大きなあらがえない流れがあって、みんな一所懸命だったなんていうことは。

ということは、なんとなく分かるんですが、それって、震災以後のお仕事の発展なんですか?

斉藤 んー、そうですね。震災と原発は別で考えているので、やっぱり、この……そうですねえ。むずかしいところですね……あの、原発、たいへんじゃないですか。

——はい。

斉藤 考えてるのは、責任の取り方、とかなんですよね。今回、責任を誰も取ってないと思いますけど、それはなぜか。あるいは、一人の人間として取り得る責任の範囲っていうのはどこまでかとか、考えざるを得ない。

——「みんな一所懸命だった」問題ですね。

斉藤 短歌の一人称の問題と、一人の大人はどこまで責任を負えるのか、負うべきなのかという問題は、無関係ではないと思うので。一人の人間が背負えるはずのない責任をかっこつけて背負い過ぎるのでもなく、かといってみんなが無責任になるのでもなく、私の構えがどうあるべきかということを、もうちょっとなんとかしていったほうがいい。

一首一首の作り方で、こういうふうに作ればその焦点に「私」が立ちあがる、というのがあるんですけど。一首にどのくらい焦点を結ばせるか、結ばせないかという書き方が、一人の人間がどれくらい責任を背負うのかということに、関わってくる気がするんです。

——時代の中で人間が、どれくらい分子だったか、あるいは、ゲル状とモル状いうか、個としての意志とか責任が問えない状態で生きていたのか、というようなことですね。

ひじょうに書きにくいものを、別の書き方で、書く手がかりを得たと考えていいのでしょうか。

斉藤 どういう流れで原発のようなものが出てきたのか、それを考えるには、一首一首で原発の歌を作っても、あまり意味がないように思えたんですよ。そして一首一首の構えが変わると、連作の構成の仕方も変わってくる。

責任の問題を変えられなかったら、原発がなくなったって、また同じようなものが出てくるだけでしょう。そもそも、なんで止めようとしないのか、私には理解できないんですけど。でも、それを止めようとしない、という問題とそれは同じなんじゃないか。

——そうですよね……やらなかった後悔が大きいっていうのは嘘だっていう話は、原発のあの土台、ちょっと盛っとけば電源喪失しなかったのに、っていう、そこをけちってしまった人は、今ごろ後悔してるだろうなあ、と思ったんですよね(笑)。個人の責任の取り返しのつかないことってあるんじゃないですか。

一人一人に都合と気持ちがあって、しょうがなかった、ということなのかもしれないけれど、自分の気持ちより、もうすこし大きな、拠るべきものがあるんですよね、きっと。

斉藤 想定外という言葉があって。言い訳だろう、ほんとは想定できてただろうという議論もあって、それはそうだと思いますけど、ある意味、想定外というのは本音だろうとも思うんですよ。

で、実際起こってしまった以上、想定外だったことも想定内になるんだから、想定内になったリスクをきちんと評価して潰していきましょう、となるのが当然だと思うんですが、その当たり前がなんでできないのかっていう問題が、ひとつあります。

ただ、想定できるリスクをちゃんと潰せたとしても、また想定外のことは起こる。「想定外どうすんの」問題(笑)。そっちが私の担当かな、とは思いますね。

——斉藤さんは、結果的に想定外の災厄をまねいてしまった人たちを、現時点から告発するのではなく、巨視的に総括するのでもない。なんか、こう全体に寄り添おうとされてますよね。全体の気持ちが見えるように書いている。

斉藤 その人たちが書いたものとか、残したものを読むと、やっぱり「しょうがない」と思うんですよね(笑)。

——(笑)

斉藤 「よしよし」と。「背中さすっちゃる」と(笑)。思いますよね。でもそれだけだと、ぜんぶチャラになってしまうんで。

——読者は、まず、文句言ってればいいという立ち位置が崩されるというか、普通の人たちがみんなまじめに、幸せになりたいと思ってやった結果が、でたらめな、ずぶずぶなことになってる。だから否定ができない。

斉藤 もちろん、原発が実際に建ちはじめて、ある段階からいろんなことがずぶずぶになっていったことは、きちんと責任を追及すべきだと思うんですが。初期の段階においてはねぇ……責められないと思います。気持ちは分かる、と。

——いま、この世に存在することになった原発のことを、過去の時間もふくめて、もういっぺん、のんきさとかそのときの夢や希望もふくめた、人の心のベクトルのかたまりみたいなものとして、見いだそうとされている。

結果、なんていうんでしょう……人がたくさんいたんだなあ、ということは分かる。

斉藤 人、いっぱいいたな、とは思いますね。

——いちいち顔が見えない人たちが、いっぱいいた、っていうことですよね。

斉藤 いろいろ考えてんだよね、っていう当たり前のこと。いろんな人が、いろいろ考えてんなあ、と。

——斉藤さん自身が、見える対象、感じられる対象を拡張していくという経験だったんですか?

斉藤 わたし、想像力とかあまりないんで、資料を調べて出てきたもののほうが、人が実際なにを言ってたかのほうがおもしろいな、と思って。

——ドキュメンタリーの映像作品というのは、見て腑に落ちるように、構成されることが多いという印象があります。素材を集めて、それを元に、ある意味、論理的に、因果関係を見いだすようにシナリオが書かれる。斉藤さんの「NORMAL RADIATION BACKGROUND」のシリーズは、論理的に構成されているというのとは、ちょっと違いますよね。

あれは、どうやって書かれたんですか。

斉藤 具体的に言うと、「ガニメデ」のとかは、ふすまに模造紙を貼って、そこに付箋をぺたぺた貼って、並べ替えて、ああなったんですよね。

——生み出す効果というか、まとまりとして与える印象を、どう狙って作っていくんですか?

斉藤 ……並べていくと、ここが足りないなっていうのは、分かるんですよ。ストーリーとか、背骨を通すというようなことではなくて、「側(がわ)」。外骨格的に、足りないところが分かる。

付箋をぺたぺた貼っていると、ここの立ち位置の人がなにを思ってたかが欠けている、っていうのは見えてくるんで、そうするとそれを調べて、ああ、こういう人がいてこういうことを言ってたんだ、と。分かると、貼って。で、最終的には、校了日です、って言われて手を放す(笑)。

付箋は、一つ一つの証言にあたるんですけど、並べてくと、なんとなく第一部、第二部って、流れができていく。資料をがんがん読んで、ある立場の人、その反対の立場の人が、ある視点から見ると同じことを言っていることを見つけたり……そういう感じですかね。とりあえず読んでいって、予想して読んでるわけではなく、わ、こんなこと言うんだ、って言う部分に付箋を貼り、抜き出して並べて。発言ありきなんで、並べてみないと分からない。

——そこに、どーっと流れてるものは感じるんですよ。

斉藤 (即座に)そうですね。この流れは相当強かったろうな、みたいなものは見えてくる。いろんな証言から。

——これは、原発のことを考えることに発している作業、だと考えていいんですよね。お話をうかがってみると、なにか代行できないものを代行する、引き受けられないものを引き受ける方法を探しておられるように見えます。

斉藤 なにをやってるんだろうなーおれは(笑)と、思いますね。

——そうですか。

斉藤 なんの権利があって、とか、なんの動機があってとか、自分でもよく分からない(笑)。

——作者の意図や動機が明確にあっても、びみょうな感じがしますしね。

斉藤 私ごとを入れてもしょうがない……というか、私がなにかを思ってるわけじゃない……ていうか、こうだなー、と思うだけなんですよ。こうだよなー、と思う、ということをやってる、という感じですねぇ。こうなって、こうなって、こうだなということを書いてる。もちろん、私が書いたものに責任はとりますけど。わたしこう思うんですよ、というより、実際こうなんですよ、っていう。率直に言うと、そういう感じですかね。

——なるほどー。



——さいきん少し気分が戻ってきたと、言われましたけど、今の方向の継続と別に、作品の上で考えられていることとかありますか?

斉藤 あの、何かを見て歌を思いつくとかっていうことが、なかったんですよ。

〆切があるでもないときに、電車に乗って景色を見たりしてて、ふと面白いフレーズが浮かんだりして、っていうことが、前はけっこうあったんですけど、震災以降まったくなかった。

そういう筋肉が、ようやく戻ってきたっていうか、無目的に歌ができるようになってきた、前ほどではないですが。別に、だからそれで作ろうとかっていうのはまだないんですけど、震災以降は、枠組みを作ってそれにのっとって作るっていうことしか、ほとんどやってなかったので。

——枠組みにのっとってやるのは、継続されるんですか?

斉藤 やるでしょうね。

——面白くなってきてるんでしょうか。

斉藤 ……面白くなってもいるんでしょうけど、やり残しが、まだけっこうある。ここがまだ足りないなあ、とかは思います。

——何に対して足りないんでしょう。「担当」部分に対してですか?

斉藤 そうですねえ……当事者性の問題とか責任の問題とか、考えが進んできているっていうのはあって、前は考え足りてなかったこと、が考えられているということはあるので。まだまだ足りない。

——やれることはある?

斉藤 はい。

——それを選択しないっていう選択肢はなかったんですか? 

斉藤 ……そこをやるか、いっさいやらないか、どっちかだって思いました。

——皆さんがされたように、震災詠は注文が来た分で終わりにする、という選択肢はなかったんですか?

斉藤 ……だから、一度震災詠いっちゃったら、それは、つづけてやるしかない……そうですねえ、なんか……必要な気がするんですよねぇ(笑)。それは必要なことな気がする。

分かんないですよね。

——必要と言うことは、えーと、自分がやらなかったらやる人いない、とか、この世にはそれがない、ということですか?

斉藤 (沈黙)そうですねえ……やっぱ……ちょっと聞いてみたいですよね。

——(笑)誰にですか?

斉藤 (笑)誰にか、分かんない。

——ですよねー。分かります、ひじょうに分かります(笑)。



——いま、みんな「なかったことにしたい」っていう思いばっかり、ですよね。戦後も、震災も。

斉藤 あの否認のしかたはすごいですね。

これで、もう一回事故でもあったら……一度目の事故では、なにも変わらなかったんだということになりますよね。そうしたら、六十年後くらいに、だれか私みたいな人があらわれて、しょうがなかったんだよ、って背中をさすってくれる(笑)。……いや、ないな、さすがに。しょうがなくないもんなあ。

——(笑)

斉藤 この世代、まるごと使えなかった、ってことになるんだろうなあ。

——原発が悪いということは、当たり前すぎて書ける気がしない、とも書かれてましたね。

斉藤 いい作品になる気がしないんですね。

——あほらしすぎて、言う気になれないということですか?

斉藤 ……いやあ……でも、そこも、なんとかしないとなあ、とは思います。





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