2014-05-11

清崎敏郎句集『凡』の一句 小澤麻結

清崎敏郎句集『凡』の一句

小澤麻結


滝落としたり落としたり落としたり  清崎敏郎

前書に「那智の滝」とある。那智の滝を詠んだ句といえば、〈神にませばまこと美はし那智の滝 虚子〉が浮かぶ人も多いだろう。

清崎の句は、十七音の中で季題の「滝」の他は、「落としたり」を三度続け、誠に表記は単純な句である。だが単に滝が落ちていると繰り返しているわけではない。三度重ねることで、那智の滝の全貌を言い得ているのだ。「落としたり」と言うだけでは那智の滝の高さ、水量は表現し切れない。

一読、読み下すと滝壺をめがけて落ちゆく滝の姿が轟音、飛沫とともに立ち上がってくる。那智の滝を目前にしてただただ言葉をなくして見つめているような気持ちになる。この句は、真っ向から那智の滝、つまり神そのものを詠んでいる。

清崎は「落ちたり」とは言っていない。滝が落ちたでは当たり前だ。「落としたり」と表現して、ご神体である滝への畏敬の念が溢れた句となっている。では何が滝を落としているのかという点だが、神霊を象徴する滝が、滝水を自ら落とし続けているのだと私は思う。滝水を落とし続けることで神の具現となるのだ。

結局見えているのは、滝が落ちている現象なのだが、ここに清崎らしさとも言うべき表現の工夫がある。滝だと思って見るのと、神の姿だと思って見ることの違いだ。

また掲句から、前書はこのように使うものだと教えられる。清崎の句は余計なことを言っていないため、この前書は、虚子の句を想起させる。虚子に教えを頂いていた清崎は、目前の滝に虚子の句が重なったに違いない。ここで感じている畏敬の念は、同時に虚子の句に及んでいる。

だが、上記のような事情は知らなくても、清崎のこの句における平明の極みは、前書と切り離さないことを前提に成立している。前書が句を活かし、句が前書を活かす一句なのである。


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