2014-06-01

平成百人一句 無風であったはずの時期の百句 関悦史

平成百人一句 
無風であったはずの時期の百句

関 悦史

「GANYMEDE(ガニメデ)」第60号・2014年4月より全文転載


今回の「平成百人一句」を選出するにあたり、参考にした百句選が三種類ある。

まず髙柳克弘選の「ゼロ年代の俳句一〇〇選」。これは『現代詩手帖』二〇一〇年六月号「特集・短詩型新時代――詩はどこに向かうのか」に、黒瀬珂瀾選「ゼロ年代の短歌一〇〇選」と並んで掲載された。

この髙柳克弘の選句に対して上田信治が「この一〇〇句、短歌の隣におくと、ゆるくないですか?」とウェブマガジン「週刊俳句」二〇一〇年五月三十日号「『現代詩手帖六月号 短詩型新時代』を読む」で疑義を呈し、これを受けて、二番目に高山れおなが「「ゼロ年代の俳句一〇〇選」をチューンナップする」をウェブマガジン「豈weekly」二〇一〇年六月六日号に発表した。

そして疑義を呈した上田信治自身も三番目に「テン年代の俳句はこうなる──私家版「ゼロ年代の俳句一〇〇句」」を発表(「週刊俳句」二〇一〇年六月二七日号)し、都合三種類のアンソロジーが出来た。

これらは皆ゼロ年代の十年間に絞ってのアンソロジーだったが、「平成」年間は一九八九年一月八日から始まるため、これらのアンソロジーが対象とした時期に比べて、今回は前に約十一年、後ろに約三年、対象期間が伸びることとなる。

八九年の冷戦崩壊で二十世紀の世界構造が終わったとする見方もあることを思えば、実質「二一世紀の一〇〇句」を編むことになるが、この「前に約十一年」伸びたというのが曲者で、九〇年代まで入ってきてしまうと対象期間のキャラクターがかなり変わってくるのだ。

九〇年代=平成初頭には、山口誓子、阿波野青畝、加藤楸邨、飯田龍太、波多野爽波、永田耕衣、能村登四郎、上田五千石、攝津幸彦といった濃厚に「昭和」のにおいをまとった作者たちがみな存命なのである。当然、有名句が目白押しとなる。また「後ろに約三年」の間に東日本大震災が起こる。

序盤はバブル期にもあたり、夏石番矢、林桂、西川徹郎らの非伝統的な作家たちの絢爛たる活動も目立ったが、バブル崩壊後の大不況、さらに九五年、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が続けて発生すると、社会に息詰まるような閉塞感が立ち込め、前衛性や観念性は社会の雰囲気と乖離してリアリティを得にくくなり、おのおの独自の島宇宙のような位置へと遷移してゆくことになる。

九〇年代以後というのは単に経済的に不景気に陥っただけではなく、冷戦崩壊を境に人類規模で思想的、芸術的産出力が目に見えて落ちた時期でもあり、以後新しいものたちが綺羅星の如く登場して時代を画していくという動きは芸術・文化の全領域でなくなっていった。

これは俳壇規模では、いわゆる「平成無風」となる(この時期、ずっと「最若手」として俳壇を担ってきたのが岸本尚毅ら、小川軽舟いうところの「昭和三十年世代」であり、「型」や「伝統」が中心的な価値観とされることとなった)。

そして、最近数年間まで時代を下ってくると、ようやく俳句甲子園、芝不器男俳句新人賞、アンソロジー『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』等、従来の評価システムとは別の回路から新人がまとまって登場するが、その直後に東日本大震災及び東電福島第一原発の過酷事故が発生し、季語を半ば自然そのものと同一視してきた少なからぬ俳人たちが深い困惑に陥った。

その前に、九五年のウィンドウズ95の発売を機にインターネットが突如普及し、パソコン、ケータイが社会的インフラとして一般化していったという生活習慣レベル(むしろ文明レベルというべきか)での一大変化もあり、この基礎条件の変動なしには結社システム以外からの新人登場はあり得なかった(アンソロジー『新撰21』もネットを通して若手俳人の句集制作資金不足を知った篤志家からの出資の申し出があって初めて刊行し得た書籍だった)。

とはいえ、最近出てきた若手の多くも、概ね有季定型での句作りを中心としている。とそういったあたりが平成俳句の大まかな土台となる。

選句中はそうした社会的文脈は一応視野の外に置いて、名句、有名句を淡々と拾っていったのだが、九割八分ほど選句を終えた本稿締切の三日前、季刊誌『アナホリッシュ國文學』第五号「特集Ⅰ・俳句の近代は汲みつくされたか/特集Ⅱ・そして蕪村、世界のハイクへ」というのが届いて、そちらで宗田安正が同じ「平成百人一句」を編んで発表しているのを目にすることになった。

互いに全く知らずに作業を進めていたのだが、これを自分の選句と見比べると、偶然合致している句がかなりある。先行アンソロジーとの重複を避けるために入れ替えるというのも本稿の主旨からして変なので、宗田版アンソロジーを受けての変更はあえてせずにおいた。

合致していたのは以下の二十句である(なお宗田版は、収録句集刊行順ではなく、作者の生年順に句が配列されている)。

  白梅や天没地没虚空没   永田耕衣
  銀河系のとある酒場のヒヤシンス   橋 閒石
  おおかみに蛍がひとつ付いていた   金子兜太(克・れ・信)
  無方無時無距離砂漠の夜が明けて   津田清子
  百千鳥雄蕊雌蕊を囃すなり   飯田龍太
  葛の花来るなと言つたではないか   飯島晴子(克・れ)
  海鼠切りもとの形に寄せてある   小原啄葉(れ・信)
  黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒   八田木枯
  人類の旬の土偶のおっぱいよ   池田澄子(克・れ)
  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典
  万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   奥坂まや(克・れ)
  瀧壺に瀧活けてある眺めかな   中原道夫
  神護景雲元年写経生昼寝   小澤 實(克・れ)
  空へゆく階段のなし稲の花   田中裕明(れ・信)
  双子なら同じ死顔桃の花   照井 翠
  一滴の我一瀑を落ちにけり   相子智恵(れ)
  気絶して千年氷る鯨かな   冨田拓也(克)
  つまみたる夏蝶トランプの厚さ   高柳克弘
  寂しいと言い私を蔦にせよ   神野紗希(克・れ)
  あぢさゐはすべて残像ではないか   山口優夢(克・れ)

 カッコ内の「克」「れ」「信」はそれぞれ髙柳克弘、高山れおな、上田信治のゼロ年代一〇〇句選でも選ばれていたことを示している。このあたりは既に平成俳句のスタンダードの地位を占めつつある句といえるだろう。

他にこちらが有力候補として残しながら、宗田選とは同じ作者の別の句を取ってしまったケースも三句ある。

宗田選で採られた《天皇の白髪にこそ夏の月》宇多喜代子は、こちらでは《天空は生者に深し青鷹》に差し替えられた。認知度という点からいえば前者が圧倒的なのだが、「こそ夏の月」にかかる句意がやや不分明で採りきれなかったためである。

また《万物は去りゆけどまた青物屋》安井浩司は、私が安井浩司論を書いた際にも最初に据えた句で、安井世界に特徴的な構造(「万物」から「青物屋」が除外されている)が明瞭であり、しかも無限の安らかさもある。名句は繰り返し言及されることで名句になっていくものであり、ここで再度とも考えたが、今回は安井俳句にはやや珍しいような立ち姿と湧出感が魅力的な《氷握る拳で夢野を照らすのか》を挙げた。

それから《車にも仰臥という死春の月》高野ムツオは、東日本大震災に際して詠まれたものとしては最も知られた句のひとつだが、季語「春の月」による救済が早過ぎるようにも感じ、津波描写に特化した無季句《膨れ這い捲れ攫えり大津波》の不気味さを取った。この辺の季語に対する対応の違い、一見些細なようだが、ここで無季に踏み切れるかどうかは、その作家にとって大きな岐路ともなりうる。

今回の百句選は、俳句表現が概ね無風と見られてきた時期のそれであり、二度の大震災に直接材を取った句などを別にすると、社会や暮らしのファンダメンタル上の変化はさほど顕著に反映されていない。パソコン・ケータイ普及後の作と一目でわかるのは《君はセカイの外へ帰省し無色の街》福田若之くらいではないか(なお福田若之の場合も《ヒヤシンスしあわせがどうしても要る》という、より人口に膾炙した句が既にある)。

そうした中で先の大戦を反芻した句が妙に多くなっているのは、現在の状況が選者(関)の無意識を大きく侵食しているためだろう。宗田版と比べると若い作家の比率が多く、「老人と子供の百句」のような趣きになっている。その分こちらの方が、間に挟まる無風・伝統回帰の時期の、壮年作家たちの官僚的ともいえるような秀句を多く採り逃している。

なお宗田選、関選ともそれぞれ自作は除外しているが、互いの句《人類に空爆のある雑煮かな》関悦史と、《水なりと突然椿のつぶやけり》宗田安正を結果的に採りあっていた。

      

なお筑紫磐井句は、のち句集『我が時代 ―二〇〇四~二〇一三―〈第一部・第二部〉』に収録された。

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