2014-06-29

自由律俳句を読む49 岡本癖三酔 馬場古戸暢

自由律俳句を読む49
岡本癖三酔

馬場古戸暢


岡本癖三酔(おかもとへきさんすい、1878-1942)は、当初は子規の指導を仰いでいた。碧梧桐の「俳三昧」に対抗して、虚子らとともに「俳諧散心」を唱えたが、1917年、自由律に転じ、『新緑』(のちに『ましろ』)を創刊した。以下『自由律俳句作品史』(永田書房、1979)より、数句を選んで鑑賞したい。

草で泥の手を拭いて蝶々のとび  岡本癖三酔

子供の頃にはこうして手を拭いたようにも思うが、大人になってからはそもそも泥が手につく機会にいたらない。蝶々にも気付かなくなった現状、何かを失って生きている気がしてくる。

葱の坊主の出揃ひ細道を人の通り  同

こうした細道を通った記憶がない現代っ子の私は、この句が醸し出す景に憧れを抱いてしまう。現代にはもはや存在しない、時間の流れ方があったのではないか。

石一つぬれては乾いては菖蒲の咲き  同

一瞬ではない時間の経過を詠んだ句。石と菖蒲はよく合う組み合わせのように思う。

へうたんの棚を片づけ空の白い雲の流るる光り  同

小学生の頃、おそらくは理科の授業の一環で、へうたんを育てていた。思い出の中のへうたんは、いつも青空と白い雲と一緒に輝いている。

うしろを見ても誰もゐない野萩の花の風ふき  同

秋の肌寒さが伝わってくる句。「うしろを見ても」は不要かとも思ったが、この説明臭さがまたよいのかもしれない。

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