成分表63
名づける
上田信治
「里」2011年9月号より改稿転載
「名状しがたい」と書いて「メイジョウしがたい」と読みます。
自分は長年、これを「ナフしがたい」と読んでいました。「状」を「伏」と、見間違っていたのですね。
漱石の「猫」の「一種名状すべからざる音響を浴場内に漲らす」という箇所を、中学生の時に「ナフす」と読んで、そのままになっていたのではないかと思います。
「伏」という字は「調伏」「降伏」のような、祈祷によって屈服させるという意味の熟語に使われることがあって(白川静サンなら、それは犬を埋めて呪術に使ったからだ、と言うはず)、ほら、グリム童話に「俺のほんとうの名前を言ってみろ」っていう妖精が出て来るじゃないですか、ああいう感じで、「ナフす」または「ナブす」とは、「名」をつけそれを呼ぶことによって、物ごとの様態を固定化し支配するという意味の言葉だと思っていたのです。
名伏すべきときに名伏さないと、人間の認識は「あれ」や「それ」の絶えず動き続けるナマのニュアンスに、脅かされる。
後年、ワープロで「なふしがたい」と入力しても変換されないので、そんな言葉は無いと知り、自分の世界からは「名伏す」が失われました。もう、名伏したくても、名伏すことはできない。
ところで、この前、草野球の試合中の大怪我を目撃した話を聞きました。
もともとめったに運動しない男性が、走塁中に肉離れを起こしたらしいのですが、全力で走っていると見えたその人は、二塁の手前でとつぜん「雪だるまがつぶれるように」崩れ落ちたのだそうです。
話を聞いた自分は、見てもいないその場面が、ほとんど見えてしまって、おかしくて仕方がない。
その人はそのまま病院に運ばれたそうで、まったく笑いごとではないのですが、以来、何度となくその場面を頭の中で再生しては、楽しんでいます。雪だるまに飽きると「とつぜんゴーレムが土に還るように」と言い換えて、また楽しみます。
ここで起こっているのは「名状(メイジョウ)する」ことによって、その都度イメージとニュアンス(あ、クオリアってやつですね)が発生しているという事態で、それはじつは言葉の原初的なマジックであると思われます。
食べてゐる牛の口より蓼の花 高野素十
自分にとって、俳句の入り口にして究極の一句。そこに見えている蓼の花が、何度も何度も、牛の口に吸い込まれていくのです。
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