名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (15)
今井 聖
「街」109号より転載
雪圍出でゆくほどの醉なりし
田中裕明(たなか・ひろあき) 『櫻姫譚』(1992)
なんだこりゃ。
ユキガコイイデユクホドノヨイナリシ
この句、どこと言って「なんだこりゃ」の内容は見当たらないように見える。
問題はこの句が句集製作の年代から言うと作者が二十六歳から三十歳の間に作られたこと。
雪国で家の周りにさまざまの豪雪対策が取られている。
雪への準備という段階ではなく既に雪は降り積っているという解釈の方が「雪圍」という季語にはふさわしいだろう。
家の中で晩酌などしているうちにほろ酔いとなりその力を借りてついつい雪の中へ出て行ってしまった。
この句、「ほどの」がポイント。
普通の神経なら出て行かないのに、その日は酒が入っていたのでその力を借りて囲いの外に出て行った。もう少し酒量が進んでいればやっぱり出ては行かない。
ちょうど雪圍を出て行きたくなるくらいの「蛮勇」を酒が与えたのだ。
これ、どうみても老人の感慨ではないのか。
句はその一句から感得しうる内容で鑑賞すべきであって作者の境涯だの年齢だの性別だのの「知識」を添付しないで読むというのは大前提だと僕は思っているので、ここで裕明さんの作句時の年齢を持ち出すのは自己の信条に矛盾するかもしれぬとちらと思う。
作者名を外してこの句を鑑賞するとやはりかなりの高齢の人の所作、感慨を想像する。
僕は裕明さんの嗜好を分析したいのだ。
どうして三十前後の若者がこんな感慨を持つのか。
友人にそんなことを言ったら「それは個々の考え方の問題。どんな感慨を持とうと勝手だろ」とぴしゃりと言われた。
また別の場で小川軽舟さんの「死ぬときは箸置くやうに草の花」についてこんな感慨は世俗的な老人の感慨で俺ならドブにはまって倒れても死ぬときは前向いて死ねっていう坂本龍馬の言葉の方に惹かれるなと書いたら、「それ嗜好の問題だから誰がどう願おうと勝手だろ」と同じ友人に同じことを言われた。
ウ~ン、嗜好の問題。そうかなあ。納得がいかないなあ。
裕明さんと軽舟さんの作品には共通する狙いが見える。
それは「俳」もしくは「俳諧」。
連歌の成り立ちから考察して「俳諧」が俳句の本義。それに照らせば「諧」すなわち滑稽や遊戯性が俳句形式の存在理由であって、自分はそこを狙うのだと。
そういうことではないのか。
「俳諧」という言葉はこのところよく耳にする。
このところというのは僕が「寒雷」に居た三十年間はとんと耳にしなかった言葉だ。楸邨は芭蕉研究でも知られ多くの著書があるが句会などで句を評するとき「俳諧」という言葉を発した記憶がない。
ナマの感動、素の対象から直接受け取る感受。
自分と対象が一枚になるように。
自分の中に溜め込んだ言い回しの技術で作らない。
歳時記から出来あいの季語を持ってきて嵌めこまない。
そこにかけがえない自分が存在するように。
先入観に捕らわれないこと。
評の中ではこれらのフレーズが繰り返し強調された。
「自分」「己れ」「かけがえのない自己」「私」。しかもそれを「もの」を通して表現すること。僕らはそう教えられてきたのだった。
寺山修司は「探すべき自分などそもそもないのだ」と言い、アイデンティティを作品に求めること自体が古い文学観だと笑った。しかし寺山は設定した「虚構」の中で「自己」からどれほど逃れ得たのだろうか。
要するに僕はこの句に裕明さんの「自分」を感じ得ないのだ。裕明さんでなくてもいい所作と感慨。つまり通俗の中にいわゆる「俳諧」らしさを設定していないか。
裕明さんは時代的、作風的括りとしては長谷川櫂さん、岸本尚毅さんとともに語られることが多い。
墓石に映つてゐるは夏蜜柑 岸本尚毅
根釣してふるき世のことはなさんか 田中裕明
桔梗や死に一言の暇なし 長谷川櫂
三人に共通するのは「己れ」を消し去るところに見る「俳諧」。個人より、より大きなもの、普遍なるものへの希求ということなのだろうか。
ふと石田波郷のことを思った。
波郷もまた「俳諧」の名で語られることが多い。
女来と帯纒き出づる百日紅
初蝶やわが三十の袖袂
波郷作品の「俳諧」味として引用されるこれらには、しかし、「女来と」の異性に対する「いきがり」や「わが」の自己主張に他者と識別されたい意識が明瞭に見える。
この「私」こそが波郷の大きな魅力ではないのか。
それを「俳諧」と呼ぶなら納得できる。
どこに書いてあったか、藤田湘子さんがお弟子さんに言ったらしい。
「男は日本酒を飲むときは杯を持った側の肘を上げて飲むんだ」
こういう「俳諧」が嫌だなあ。こんなダンディズム、薄っぺらだなあ。
「声」をかならず「こゑ」って書く人嫌だなあ。ここにも「俳諧」ふうへの意識を感じる。
俳諧ふう演出の臭さ、ダサさ。
波郷の、
元日の日があたりをり土不踏
梅の香や吸ふ前に息は深く吐け
こういうのでしょ、本当の俳諧って。
命が迸るような瞬間をさらりと言うこと。気張らず、気取らず。
では、この句に学ぶべきところはないのか。
ある。
二十年も前は、若手が「写生」なんて言うと、盲目的虚子信奉者か、権威主義の権化か、芸事志望者のごとく言われたものだ。
裕明さんの出現は「写生」という選択が、今日的で先鋭的であるということを広く提起してくれた。
そこからもう一度子規の「写生」の本義を考えることができる。
なんだこりゃこそ学びの宝庫。
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