2015-11-01

敏雄のコトバ(3)生駒大祐

敏雄のコトバ(3)

生駒大祐


かけがへなく重大なる現代に生きる人間のひとりとして、私の心奥にはもつともつと明るい光源がある筈であると確信するとき、そこから生れてくる未来性を、必ず後代に現実化し得る自信をもつて、厳正なる意味でのロマンチシズムを、素朴に作品化し肉体化しようと思ふ。
『太古』(「現代名俳句集 第二巻」1941年教材社刊 所収)序より

明日11月1日は勉強会当日である。

たった全3回となった本稿の最後は、敏雄の出発点のひとつと言える(敏雄の場合それを断定するのは困難である)『太古』の序から引くことにする。

『太古』の序は極めて示唆に富んだ文章で、どこから引くか非常に迷った。敏雄の俳句には何度かの変遷があると思っているが、敏雄のスタンスは出発からほぼ一貫しているように見える。

その一貫のひとつが今回引いた文章の中にある「未来性」であると僕は思う。東京堂を辞して三鬼に寄ったときも、古典俳諧に学んだときも、若き敏雄の眼差しはずっと俳句の未来に向いていた。それはあるいは以下の文章を記した時も。

処で思ふに私は、新興俳句時代に俳句形式の魅力に囚れてより此方、最も将来を期待する俳人は誰かと云ふ自問に対して、常に其は私自身である自答し続けて来た。
『三橋敏雄全句集』(1982年立風書房刊)全句集後記より

「最も上手い俳人」、ましては「最も功績を遺した俳人」ではない。将来。未来。敏雄はおそらくそこにも明るい光源があると確信していた。

時代性、ではおそらくない。それは敏雄だからこそ見えた光であり、敏雄自身が照らした光である。敏雄亡き今、先頭に立っている者は真直ぐに腕を伸ばし、灯を掲げられているだろうか。

今回の勉強会では、敏雄を語ることを通して、俳句の未来を語りたい。結局それが、敏雄から俳句を学びとる一番の近道だと、僕は確信するからである。

かもめ來よ天金の書をひらくたび 三橋敏雄『太古』



現代俳句協会青年部 第140~144回勉強会
「読み直す新興俳句 何が新しかったのか」全5回
第3回 11月1日(日)三橋敏雄
岸本尚毅  遠山陽子  山口優夢 (司会)生駒大祐
http://genhai-seinenbu.blogspot.jp/2015/10/1401445.html

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