2016-02-28

【八田木枯の一句】父や若しおもてあげれば野火の色 角谷昌子

【八田木枯の一句】
父や若しおもてあげれば野火の色

角谷昌子

第六句集『鏡騒』(2010年)より。

父や若しおもてあげれば野火の色  八田木枯

木枯の父は俳号を海棠といい、高濱虚子に師事していた。自宅の書庫には「ホトトギス」の全巻があり、木枯は少年時代から俳句に親しんでいた。木枯という俳号も、父が虚子選を得た句〈木枯や沼に繋ぎし獨木舟〉から採っている。早世した父は木枯のこころの中で特別な位置を占めていたようだ。だが、『於母影帖』の母が実の母を詠んだものではなく、普遍的な女であり、妻、母であるように、木枯俳句の父も、決して個人的な体験に基づく父ではなさそうだ。

この句の父は、あたかも舞台に登場した役者のようである。口上を述べようとして伏していた〈おもて〉をすっとを上げると、その顔に〈野火の色〉があかあかとちらついている。顔はもはや目鼻の凹凸を失い、一枚の鏡となって、焔の吐く舌や枯草を焦がす煙までを映している。若い父は、これから人生の修羅の火に真向かうため、覚悟を固めているようでもある。将来出会うべき艱難を思うたび、風が巻き起こって焔が昂ぶる。述べるはずだった口上は、くちびるに貼り付いて流れ出してはこない。野火は朱の咆哮を放ち、若い父に迫ろうとしている。

木枯の野火の句は、ほかに〈存らふは舟より野火を見るごとし〉があるだけだ。川の中に浮かべた舟から、対岸に猛る野火を眺めている。そんな距離感に守られていることが〈存らふ〉ことだという。木枯は早世した父の齢をかるがると越し、晩年となったとき、掲句を作った。舟の中から奔走する野火を見つめていたのは、父の姿を借りた、木枯自身ではなかったか。来し方が風に煽られ、次々に炎上してゆく。


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