2016-03-27

【八田木枯の一句】母の額椿落ちなばひび入らむ 角谷昌子

【八田木枯の一句】
母の額(ぬか)椿落ちなばひび入らむ

角谷昌子


第6句集『鏡騒』(2010年)より。

母の額(ぬか)椿落ちなばひび入らむ  八田木枯

椿は葉が濡れたように瑞々しいので「津葉木」「艶葉木」とも呼ばれるようだ。ことに紅色の椿を見ると、情に濃い近松門左衛門の女たちを思い浮かべる。椿が潔くほたほたと落ちるさまを眺めれば、運命に従って道行きへと従順に歩を進める女たちの姿と重なる。

木枯は『於母影帖』で、「母」をテーマにして、さまざまな女を詠んだ。そこには深い業を抱いた女の姿もあった。掲句の「母」は、あたかも能面を着けているようだ。しかも、その面は、肉厚な椿の花弁が当たっただけで、見事に「ひび」が入るだろうという。情念にとらわれた罰のように、額を打ち割られる女の哀れさがある。

近松門左衛門の本名は、杉森信盛という。ペンネームは三井寺の別院、近松寺(ごんじょうじ)に身を寄せていたからだと言われている。寺にあって市井・世間の人々を眺めていた近松は、残酷かつ浄福な、相反する要素のある心中を世話物に仕立てた。その作風には「聖」「俗」の二面性がある。聖・俗とは虚実の世界であり、その世界が巧みに交錯するのが、近松の文芸だろう。

近松には、虚実皮膜の論がある。嘘とまことの微妙なあわいにある芸の道を求めた。木枯が浄瑠璃など中世芸能を好んだことはよく知られている。掲句にも、近松を意識した木枯の隠し味が仕込まれているようだ。額を割られた「母」は、面を外すと、下からどんな素顔を現すのであろう。「ひび」は赤く裂け、なにやら鋭い角がのぞいているようだ。またひとつ、もうひとつ椿は落ちて、「ひび」は広がってゆく。


※八田木枯先生の命日は、3月19日。毎年、ご長女の夕刈さんのお計らいで、新宿御苑の翔天亭で偲ぶ句会を催しています。木枯先生の敬愛した山口誓子の命日は奇しくも一週間後の3月26日です。師弟の関係や不思議なエピソードについては、拙著『山口誓子の100句を読む』の「あとがき」に書いた通りです。(角谷)


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