2017-03-26

【「俳苑叢刊」を読む】 第9回 東京三『街』 モダン都市と瘤のあいだ 関悦史

「俳苑叢刊」を読む
9回 東京三
モダン都市と瘤のあいだ

関悦史

『街』は東京三(のちの秋元不死男)の第一句集である。昭和8年(1933年)頃から始まった新興俳句運動に加わって句作にとりくんできた秋元不死男(以後こちらの呼び名をもちいる)は、しかしこの無季句、連作を多くふくむ第一句集を編纂しつつ、すでにこれまでの自分の句に違和感を持ちはじめていた。

『街』自序に曰く。

《今の私は「新しい俳句」なるものを、私自身を中心にした日常生活の中に――とりわけ日常生活に於て見逃し勝な、赤裸々な、現実的な、人間感情の中に――見出し、それを俳句的実感として、新しい俳句を創ってゆきたいと念願してゐる。かやうな心持になつてゐる今の私にとつて、ここに収めた過去四年間の作品は、かなりよそゆき(原文は「よそゆき」に傍点)の貌をしてゐるものがあつて、私にはうとましいのである。》

秋本不死男といえば庶民の哀歓によりそったいかにも人なつかしい作風というイメージがあり、じっさい句集『街』も純然たる風景のみが描かれた句はあまり見当たらなくて、多くの句が人のいる風景を描いているのだが、当人にとってはまだこれでも不足であったのだ。

以下、カッコ内は章題。

破(や)れ西瓜襤褸が持ち去る高架(ガード)のかげ   (神田青果市場)
肉フライ造船工の帰路に盛られ  (帰る造船工)
ペタル踏む少年工に町は祭
高爐より人尿をしぬ尿吹き飛ばされ   (鶴見製鉄所見学)
プール涸れ競泳水路(コース)の白磁踏むは美(は)し   (プールの冬)
たしかに暮らしと都市風景に強く就きながらも、そこにあらわれる人影は映画のなかのイメージのような距離感でとらえられ、内面を持った個々の人間というよりは、ただの仕掛けのようでもある。

とはいうものの「破れ西瓜」や「高爐より」のしつこい写生などは現在の「澤」調に近い味があり、この影響関係のほとんどなさそうな不死男と「澤」の類似は、それとして興味深い。そしてこの二者の違いとして、過剰さに自分から興じるおもむきの強い「澤」調にくらべて、不死男のほうには、位置を固定されたカメラが淡々と機械的に街の風景をおさめているような、朴訥たるつつしみがあることが挙げられる。

影響関係がなさそうなとはいうものの、影響というのは必ずしも先のものが後のものに与えるとは限らない。初期の不死男の句の字余り多用のくどい描写のおもしろみは、後代の「澤」を得てはじめて明るみに出されたともいえる。じっさいこの二者の類似性は、今回『街』を読みかえしてみるまで、私が考えたこともないものだった。このくどさは、俳句が新しい素材に肉薄しようとするときに起こる必然的な反射であろう。そうした視線が戦前の光景をリアライズしつづけていくという辺りが、この句集をいま読む際のひとつの大きな興趣となる。
ルンペンら火を焚き運河薔薇色に   (運河)
街を見て糞(くそ)まり寒き艀の子
夜の娼婦令嬢と化れり可笑しからず   (私娼窟)
これらの句は水上生活者や娼婦、火を焚くルンペンなど、今ではほぼ見られなくなった都市生活者のさまざまな姿と、それを含む風景の情趣を伝えている。
少年工学帽かむりクリスマス  (少年とクリスマス)
少年駅夫鋏鳴らせりクリスマス
クリスマス徒弟を求むラヂオ鳴り
この連作、もとは「古りし」であったのを三鬼に「かむり」とただされたエピソードを持つ一句目ばかりが、のちの俳句「もの」説とのからみもあって有名だが、駅夫も少年であったり、ラジオで徒弟募集の広告がかかっていたりといった当時の暮らしぶりがわかる二、三句目も、一句目にくらべればやや散漫とはいえ、リアルタイムで詠まれた作ならではの質朴さの感触はある。

俳句史以外に目を向ければ、句集『街』が出たこの時期は、都市を描くモダニズム文学隆盛の時期でもある。たとえば、たまたま来月復刊される久生十蘭の名作『魔都』に描かれているのは、新興俳句運動開始とほぼ同時期の昭和9年(1934年)なのだ。都市を舞台と見立てるような浮かれたところや美意識の際立ちがないので、俳句における都市文学といった文脈で不死男の名がまっさきにあがるということはあまりなさそうだが、句集『街』もまた、たしかにそうした時代の都市を描いているのである。都市が内面化されたものが句集タイトル『街』だといえようか。

この淡々とした固定カメラのような視線は、外の風景だけではなく、不死男自身の暮らしにも及ぶ。
事務員ら嫁ぎ老いゆくわがペンだこ   (ペンだこ)
寒(さむ)や母地のアセチレン風に欷(な)き   (回想)
母美しとほき干潟にゐてひかり   (横浜根岸海岸に移り住む)
子を殴(う)ちしながき一瞬天の蝉   (朱夏雑草)
夢にきし母はこち向かず炭をつげり   (亡き母よ)
哀歓きわまる状況が詠まれていてことに二、三句目などは絶唱と呼びたくなるが、しかし不死男の句は叫びもせず、かといってことさら抑えもしていない。謳う、とくらいはいってもいいかもしれない。叙景句と等距離のこの詠みくちには、スローガン型のプロレタリア俳句とは一線を画していた不死男の身の奥から発しているものという感触がある。

この句集『街』が刊行された翌年、不死男は治安維持法違反の名目で逮捕、投獄された。丸二年間、獄中に過ごすことを強いられた。「よそゆき」からの脱却は、過酷な外部要因によって後押しされた。その体験を色濃く反映した第二句集は『瘤』という傷つけられた身体性を明示する名を与えられた。敗戦後五年が経っていた。

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