ある日の悟空句会
『弦』39号より転載
悟空句会について
三橋敏雄は生前、主宰誌などは持たず、俳壇的勢力拡大にはほとんど興味を示さなかった。だからその薫陶を受けたものは意外と少ない。その数少ない、敏雄を直接間接に師と仰ぐ遠山陽子、中村裕、佐藤文香の三名が集ったのが悟空句会。句会といってもこの人数だから、気軽に言いたいことを言い合う合評会のようなものである。
名称の由来は、芭蕉、敏雄、陽子がそろいもそろって申年生れだという発見に由る。(ちなみに白泉と文香は丑年、三鬼と裕は子年)。加えて白泉が孫悟空を憧憬する一文を残していること。さらに芭蕉が新風を興したのは「猿蓑」。また孫悟空のもとになったインドの猿神・ハヌマーンは詩人でもあった等々、様々な縁ゆかりによって、この名しかないと思われた。
平成二十六年十一月二十二日が第一回目で、ほぼ月一回のペースで続けている。言い忘れるところだったが、年齢的にメンバー三名でほぼ三世代をカヴァーしている。
(中村裕)
二〇一六年九月二十一日の句会より
二〇句出句の中から、各六句選
(○は入選句、◎は特選)
遠山陽子の作品
角低くくる坂東の甲虫
裕○ 逃亡の汽車の横揺れ夏の月
文○ よぢれ出る栄螺の腸や目に青葉
眼を病んでをりあぢさゐの白き頃
亡き父が自転車でくる夜釣かな
文○ 青鷺の一度みじろぐ淫雨かな
風死せり蛇の消化器などおもひ
裕○ わが死後の本の崩るる夏の月
露のままでゐる蛍にはもうなれず
湛々と火口湖せつせつと青葉木菟
葦の中気管支炎の行々子
裕○ 文○ 瀧の落差見上げ尽してうすれけり
裕○ 桃と桃かすかに触れてゐてこはい
めしどきに戻らぬひとり原爆忌
文○ 盆がくる抱かれ嫌ひの猫でして
文◎ わが髪より白きものなし大花野
裕◎ 敗戦日順路あるけば出口かな
秋風を舐めとり山羊は哲学者
裕○ 文○ 背高きまま老いたれば花野見ゆ
作用点力点糸瓜は垂るるのみ
秋の夜の秒針に合ふ鼓動かな
瀧の落差見上げ尽してうすれけり
裕 「うすれけり」っていう漠とした言い方がいいよね。意識が遠のく感じ。
文 下から上へ視線の移動があって、そこからそのまま空を見て、自分がうすれていく、というのが面白いと思います。
裕 瀧といえば水が落ちる句が多いけど、下から上へ、というのが新鮮。
背高きまま老いたれば花野見ゆ
裕 そのままといえばそのままなんだけど。飯島晴子の「寒晴やあはれ舞妓の背の高き」を思い出した。「花野見ゆ」が強気だよね。
陽 「花野」はかなり象徴的に働くでしょ。これ以外にはないと思ってつけた季語なの。
裕 いいんじゃないですか。
文 今回は「わが髪より」の句とこの句が、陽子さんの自己描写の句ですよね。陽子さんの年齢だと、背が高いことで苦労されたことも多かったと思いますが、まわりが老いてより小さくなっていく中で、ひとり巨塔のように花野を見はるかせる今、という感じでしょうか。かっこいいと思いました。
陽 自分では、かなり「あはれ」な感じなんだけど。(笑)
わが髪より白きものなし大花野
文 花野って、花が咲いてはいますけど、必ずしも女性らしいわけではなくて、草も生えてて広くって、現世を代表する景色のようなところがあります。そのなかに花だったり蝶だったり白の要素は多くあるんだけど、でも私の髪が一番白い、と言い切るのが、これもかっこいい。
陽 そう言ってもらえると嬉しいわ。こういう自分をさらけ出した句ってあんまりつくらないから。
裕 さらけ出し方がめんどくさくないよね。
敗戦日順路あるけば出口かな
裕 「弦」を出してこられた陽子さんらしい句だと思った。「順路あるけば出口かな」は面白いね。こういう客観的なのがいい。僕は「聖誕祭出口へいそぐカタコンベ」という句をパリでつくったことがある。
陽 「順路あるけば出口かな」は自分でも気に入ってるんだけど、「敗戦日」で意味が出ちゃわない? なんでもつくのよね、上五に。
裕 それは社会がこうだからしょうがないんじゃない。敏雄の弟子として間然するところがない。
陽 文香さんが取らなかったのは「敗戦日」のせい?
文 そうですね。私も中七下五はいいなと思ったんですが、季語を「敗戦日」にするとどうしても「敗戦日」の句になっちゃいますよね。アイロニーに見えてしまう。
陽 そうそう、そういう風に読ませる句には、本当はしたくないのよ。意味や理屈がついてしまって、判りやすくはなるんだけど。
逃亡の汽車の横揺れ夏の月
裕 いろんな連想があるよね。
文 ドラマチックな句ですね。
裕 また自分の句で恐縮だけど「ひかり号過ぎ横揺れのこだま号」っていうのをつくったことがある。師匠が同じだとモチーフも似てくる。
陽 その句も面白いわ。
よぢれ出る栄螺の腸や目に青葉
文 栄螺の腸って黒くて、部分的に緑光りしてますよね。その緑と、青葉の緑の、タイプの違う生命感の対比が面白いと思いました。
裕 「よぢれ出る」が面白い。
文 「目に青葉」の唐突な感じもいいです。
青鷺の一度みじろぐ淫雨かな
文 陰鬱な雨のなか、杭のように一羽佇つ青鷺が、一度身じろいでまたその景色に戻る。「一度」が効いていると思いました。
陽 「淫雨」という言葉一度を使ってみたかったの。
裕 「淫雨」があとをひくかんじ。
文 「みじろぐ」「淫雨」でちょっとエロティックにも見えます。
わが死後の本の崩るる夏の月
裕 切実ですね、私なんかも。
陽 生きてても崩れてくるからね。
裕 最後の本を書き終わった途端全部処分するとかしたいね。
文 本崩れ系俳句だと「木犀やくづれてぜんぶ君の本」という句をつくったことがあるんですが、崩れるほど本がある人は素敵ですね。書斎に差し込む月の光もいい。
裕 敏雄の小田原の書棚に『チボー家の人々』全五巻があって、八王子から持ってきたんだからやっぱり大切な本だったんだろうな。
桃と桃かすかに触れてゐてこはい
裕 怖いよね。「こはい」の平仮名が効果的で、「ゐて」が「こはい」をより強めている。
陽 「触れてをりこはし」とどちらがいいかなって、随分考えたんだけど。
文 旧仮名口語が効いていると思います。若手だと生駒大祐とかがつくりそう。
陽 若手の句の影響を受けているかもしれない。
盆がくる抱かれ嫌ひの猫でして
文 お盆なので本家に集まったりして、その家の猫をみんな可愛がろうとするんだけど、愛想がなくてすっとどこかに行ってしまって、家主の方が「抱かれ嫌ひの猫でして…」と恐縮してる。「でして」が面白いです。
陽 そう、そうなの。伝わってよかった。
中村裕の作品
陽○ 文○ 手のとどくところ手摺りや辣韮掘り
人工芝の円陣くづれ夏の風
夕凪も朝凪も凪きのふけふ
夏の月声出し点呼の駅員と
陽○ 差金の胡蝶はいつか去りにけり
片陰や人撥ね走り去るクルマ
手を濡らし棒立ちの友よ夏休
陽◎ 故人と観る近未来映画暗澹
急湍へずり落ちてゆく蟻の道
文○ 鉄よりもアルミ柔らか花火の夜
我忘却す苺潰さるるよ
地に足のつかぬベンチや天の川
貨物車は仮末代の栖かな
終夜工事は安全第一渡り鳥
陽○ 鷲は爪狼は牙案山子竹
文◎ 滑らかな路面に轢死露の秋
文○ ロボットアームが捏ねゆく肉の粘りかな
文○ 迂󠄀回する陥没道路雁のこゑ
陽○ 乳母車越す車椅子草の花
陽○ 文○ 全館空調冬のシベリア鳥瞰図
手のとどくところ手摺りや辣韮掘り
陽 手の届くところに手摺りがあるっていうのは発見だわね。でも辣韮掘りがどうしてここにくるのかしら。
裕 辣韮って一株にたくさんついていて、わりと浅いところにあって、手でとるんだよね。手でとる動作からの連想なんだけど。
陽 飛躍しすぎじゃないかしら?もうちょっといいものがあるでしょう。映像として見えてこないところが残念なのよ。
文 私も上五中七がいいと思いました。「辣韮掘り」は手からの発想としてはむしろ近すぎる気もしますね。
全館空調冬のシベリア鳥瞰図
陽 映画館とかかしら。空調の効いた館内で広大な凍りついた冬のシベリアの映像を見ている情景がはっきり見えてきていいです。
文 私は百貨店を想像しました。全館に空調を入れるということは、目を行き届かせるということで、それは鳥瞰と通じるなと。
裕 空調って言うかな? 冷房とか暖房の方がいいか。
陽 空調って言うとどちらもあって、とにかく快適な空間な訳だから、この句はそれでいいんじゃないかしら。
裕 博物館なんかでマンモスとかがいてもいいかもしれない。
故人と観る近未来映画暗澹
陽 今よりちょっと先を映している映画を、ちょっと前に死んでしまった人と見ているというのは面白いと思いました。ただ、暗澹って言っちゃっていいのかなあ、面白いけれど。たとえば暗転としても暗澹の感じは出るんじゃない。
文 私、「故人と観る近未来映画」まではすごく好きだったんですが、暗澹で答を出してしまっている気がして取れなかったんです。
裕 あんまりこれから世の中いいことないよなぁって敏雄の口癖だったでしょ。 「ブレードランナー2」がこの夏から撮影に入ったそうだけど、敏雄と一緒に見たらさぞやこういう気持ちになっただろうなって。「暗澹」はあえて答を出すようにつくりました。
陽 ほんと先生が亡くなってから嫌なことたくさん起きたわね。先生は大地震が起きることも、戦争がまた起きるだろうことも作品で予言していたからね。あ、この句二重丸にしてよかった。
滑らかな路面に轢死露の秋
文 なめ「ら」か、「ろ」めん、「れ」きし、このラ行音に惹かれました。轢死っていうと本来グロテスクなはずですが、この書き方だとつるっと平たくなって死んじゃったみたいな感じ。コミカルですよね。
陽 面白いんだけど、「露の秋」にちょっと引っかかって。
文 「露の秋」の美しさによって、この作者がこういう死に方をしたい、というように見えます。
陽 なるほど。
差金の胡蝶はいつか去りにけり
陽 差金という言葉が面白かったです。その差金が見ているうちに目に入らなくなって、ほんとに蝶が飛んでいるように見えてきて、そしてその蝶もいなくなってしまう。好きな句でした。
裕 ああいうのって気づかないうちにいなくなってるんだよね。
文 私も取ろうか迷った句でした。「さし」がね、「さ」りにけり、の音もいい。
鉄よりもアルミ柔らか花火の夜
文 金属で花火とくると、花火の光の色を思わせますよね。
陽 「花火の夜」って言われても、前半との関係が見えてこない気がするの。
文 私は上五中七は触覚で感じる内容なので、そんなに見えなくてもいいかなと思いました。
陽 二つの金属の感触は感覚的によくわかるので、前半は好きだったんですけどね。
鷲は爪狼は牙案山子竹
陽 鷲は爪で闘って、狼は牙で闘って、案山子は竹で闘っている。鷲、狼から案山子にすとんと落とした面白さが抜群。
裕 よくある案山子って竹の弓矢を持ってるでしょう。
陽 「かかし・たけ」なのか、「かかしだけ」というものがあるのかがちょっとわからなかったけど、やっぱり私の解釈でよかったのね。
ロボットアームが捏ねゆく肉の粘りかな
文 ハンバーグを機械がつくってるんでしょうか。ロボットアームに、挽肉がねっとりとついている。金属と肉の質感の違いが面白かったです。
陽 ロボットが、でいいんじゃないかしら。
文 ロボット、というと人間の形をした全体のような印象もあるので、腕が見えた方がいいかなと思って。
陽 そう言えば確かにそうね。腕の動きが見えてきます。
迂󠄀回する陥没道路雁のこゑ
文 そのままの句ですが、陥没道路という視覚的なノイズと、雁のこゑの対応がいいと思いました。
陽 熊本の地震の現場を思い出すわね。雁の声が俳句的。
乳母車越す車椅子草の花
陽 赤ちゃんを乗せる乳母車と、怪我した人や老人を乗せる車椅子、どちらも弱者が乗る車ね、逆でもいいんだけど、車椅子が追い越した方が救いがあるわね。「く」るま・「く」るま・「く」さでまとめて、ちゃんと言いたいことも言ってていい句です。
文 「越す」だけでも正確かな、「追ひ越す」と言いたいような、と、ちょっと迷いました。
佐藤文香の作品
裕○ 雁わたるモルタル壁の理髪店
陽○ 手招きのうちがはにある花野かな
乗りかへの駅の芒や喩のにほひ
すむうずにふれてわかれて蜻蛉かな
秋風よサラダの偽物の蟹よ
裕○ 文旦や膝のにほひの膝の骨
巻尺のもどるはやさよ彼岸花
陽○ 折り返す電車は鉄で草の花
裕○ 渋柿熟れて病院にバスが着く
陽○ 犬に差す秋の光の粉つぽく
陽○ 裕◎ イヤフォンの土まで垂れて葛飾区
烏龍茶母の灰色のワンピース
陽○ 裕○ 神の皮膚やはらかからむ蘆の花
家柄にはりついてゐる蔦かづら
裕○ 屋上に子の側転と毛の犬と
陽◎ 秋高しそこらの子らを色で呼ぶ
踊子よ近くの山の見えなくて
左手は風をたたんで昼の景
渡り鳥今が雨上がりに見える
空に雲滲む日暮の一部始終
イヤフォンの土まで垂れて葛飾区
裕 インパクトがあるよね。葛飾区が案外あってるっていうか。音のせいかな。地名の面白さと今時の風景で、すごくいい響き合いをしてるなと思いました。
陽 戸外で音楽を聴きながら歩いている人をよく見るわ。ときにイヤフォンのコードを扱いかねて下まで垂れちゃうという。近頃の風俗がわかるわね。都会のアスファルトじゃなくて、土なのね。葛飾という地名が微妙に合っていて面白い。
裕 葛飾区といえば寅さんだよね。葛を飾ると書くのもいいのかな。
神の皮膚やはらかからむ蘆の花
裕 神話的な感じがしました。蘆って水辺で、稲作と関係があるよね。古事記とか日本書紀の匂いがしたな。
陽 「神の皮膚やはらかからむ」なんて言った人ははじめて。ここまで自分の触覚で神を親しく捉えてるのはね。原初的な蘆と取り合わせたところがよかったと思います。
裕 字配りもきれいだよね。
手招きのうちがはにある花野かな
陽 手招きというからには誰かが呼んでいて、手招きしているその内側に花野があるのね。それがその人の明るさや広やかさを表していて、花野の中に招き入れられるような、気持ちのいい句だなと思っていただきました。
裕 文香さん独特の空間把握だよね。「知らない街の吹雪の中は知っている」みたいな。具体的にはっきりその空間がわからないところがいいんだと思う。
陽 こういう表現は、私らにはできないわよね。従来の言い方なら、「手招きの人立つてゐる花野かな」になってしまう。
秋高しそこらの子らを色で呼ぶ
陽 「そこらの子ら」が良かった。そこらで遊んでいる、いろんな色の服を着た元気な子らが、澄んだ光の中で跳びまわっている光景が見えてきて。名前は知らないけど青ちゃんとか白ちゃんと親しみを込めて呼んでいるのね。とても健康的で楽しくて、好きな句でした。
裕 文香さんらしいね。虚子の「苔寺を出てその辺の秋の暮」なんかをつい思い出したけど、そんなふてぶてしさは、この句にはないね。すっきりしたいい句です。
雁渡るモルタル壁の理髪店
裕 無駄なことを言わず、端的に昭和の感じを出している。
陽 昭和の初めの頃の家の外壁は木だったのよね。それが火事で延焼しないようにって、戦後にモルタルが流行りだした。今はまたモルタルは流行ってないから、これはまさに昭和なのね。文香さんが「雁渡る」みたいに俳句的な収め方するなんて面白いわ。
文 簡単な構造の俳句が書きたかったんですよね。
のりかへの駅の芒や喩のにほひ
陽 この句、いただかなかったんだけど、「のりかへの駅の芒」だけで面白いから「喩のにほひ」まで言わなくてもよかったんじゃない。鈴木六林男の「わが死後の乗換駅の潦」も、「潦」だけで伝わってくるものがあるでしょ。
文 さきに「喩のにほひ」を思いついてしまって……余計でしたね。
陽 そういう抽象的な言葉を生かすためには、別の言葉と方法があるはずなのよね。難しいけど。
文旦や膝のにほひの膝の骨
裕 文旦って大きいやつでしょ? あれをどうしたのか。骨とまで言ったのが面白いのかな。それぞれの感触、押した柔かさの違いの面白さ。膝ってあんまり匂いしないよね。
陽 するんでしょう、こう言ってるんだから。文旦、大きいから膝にのせたんじゃない。(笑)これは冗談。文旦やでいったん切って、膝の骨と対比しているんでしょう。膝と同じくらいの大きさの文旦との質感や匂いの違いが鮮明に見えてきて、面白い取り合わせだと思う。
裕 文字の並びの勢いにもよくわからない説得力がある。
折り返す電車は鉄で草の花
陽 これはわかりやすいわね。草の生えてるようなところが終点で、考えてみれば電車は鉄であった、と。山口誓子の「夏草に気罐車の車輪来て止る」の現代版と言えなくもないけど。
裕 折り返すから物質として考えるんだろうね。
渋柿熟れて病院にバスが着く
裕 「熟れて」がね。人間が熟れちゃって病人になるというか。上と下は理屈としては繋がってないんだろうけど。
文 うーん、でも繋がってるように思われてしまうと面白くないですね。
犬に差す秋の光の粉つぽく
陽 秋の光が犬の毛並に差すと、てらてらしないで粉っぽく見えるのね。毛並みが粉っぽく見えるのではなくて、光が粉っぽいという見方をしたところが素敵だと思いました。
文 ちょっとつくりがザツすぎるかなとも思ったのですが……。
屋上に子の側転と毛の犬と
裕 「犬の毛」でなく「毛の犬」と言ってるのが面白い。いかにも屋上らしいね。
陽 「毛の犬」がいいわね。
文 「こ」の側転と「け」の犬、カ行音で揃えたわけです。
陽 文香さんには、音韻に敏感な句が多いわね。
文 今回は陽子さんの、ご自身を詠んだ花野の二句がトピックスですよね。
裕 人徳ってもんです。そのまま詠んで俳句になるんだから。
陽 文香さんの句は内容はさらっとしてるんだけど、何でもないものを見る独特の見方とか、従来の詠み方と違う表現をしようと工夫しているところなど、私にはできないことをやっている句を、いつも感心していただいてるんです。私くらいの齢になると、いやでも自分のことを詠うだけで内容は出てきちゃうわけです。
裕 「モルタル壁」の句は他の人でもつくれるかもしれないけど、「手招き」とか「秋高し」の句はなかなかつくれない。
陽 三人の中で年齢的に裕さんが真ん中だから、両方のよさが良く見えるし、どちらからも理解されやすいんじゃない。いろいろ試せるわね。
文 「差金の胡蝶」の句みたいに、聞きなれない言葉をうまく使うのも裕さんの持ち味です。記名の状態で見せ合うから、それぞれ自分らしさを出せる。
陽 まったく共通点のない三人だから面白い。
裕 この句会だと、普通の句会と選ぶときの感覚が違う。こうきたか、こういう言い方もある、みたいに、選ぶのが楽しいよね。
(記 佐藤文香)
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