2017-06-18

『ただならぬぽ』攻略4 桃太郎よ、まさかこれが“あい”というものなのか? 柳本々々

『ただならぬぽ』攻略4
桃太郎よ、まさかこれが“あい”というものなのか?

柳本々々


  愛や枇杷ふたつ二等辺三角形  田島健一

ところで私を好きだった私を好きだったあなたは元気だろうか。

前回は、田島健一句集は「出来事」が成立する現場そのものを描いているという話をした。つまり、田島健一の俳句は世界があったりなかったり明滅している現場そのものにアクセスしようとしていると。

例えば上の句で言えば、「愛」という言語化不能な波が、季語「枇杷」を通して「二等辺三角形」というカタチになったことに注意したい。かれは、愛にアクセスし、デキゴト化してしまったのだ! かれはもう「二等辺三角形」から「愛」には戻れない。観察すること、見てしまうことというのは、そういうものである。三角形(三角関係)だった愛を思い出してみよう。見てはいけないものが多かったはずだ。例はあなた自身の胸の内に、たぶん、ある。参照してみてください。参照例がなければ、いくえみ綾のマンガ『あなたのことはそれほど』を読んでみよう。きっと、例が、あるはずです。「あなたのことはそれほど(だけど)他方のあなたのことはこれほど」というのが三角関係だ。

愛のデキゴト以前・以後。

そのような出来事検査委員会の句としてこんな句がある。

  人に見られるまでシンメトリーの桃  田島健一

「人に見られるまで」は「桃」は「シンメトリー」という幾何学的形象であり、それは機械と変わらない。桃機械だ。ところが人が桃を見たしゅんかん、桃のシンメトリーが崩れ、〈カオス〉になる。桃カオス。これこそがまさに〈出来事〉である。

これはちょっとシュレディンガーの猫(不確定原理)に似ている。

シュレディンガーの猫は、観察する前までは量子の波なのだが、観察したしゅんかん、あちこちに無数に同時多発的に散らばっている量子がシュッとまとまり猫になる。観察は、観察対象に、必ず、影響を及ぼす(京極夏彦『姑獲鳥の夏』を読んでみよう。あれは、「人に見られるまでシンメトリーの桃」がそのまま〈殺人事件〉になっている)。しかし、そのとき、猫や桃という〈出来事〉ができあがる。出来事以前・以後が生じるのだ。

この句の「人に見られるまで」に注意しよう。「見られるまで」。つまり、出来事を構成していくのは、どうも〈眼〉らしいのだ(やはり京極夏彦『姑獲鳥の夏』の小説家・関口巽と探偵・榎木津礼二郎の〈眼〉に注意してみよう。あれは、眼の小説である)。

この句集を読むとすぐわかることだが、この句集は〈眼〉にあふれている。〈眼の句集〉であると言ってもいいほどだ。私は、この4回目までこの句集が〈根(ね)の句集〉である話をしてきたが、実はこの句集は同時に〈眼(め)の句集〉でもあるのだ。

ところが、〈眼〉が出来事を構成してしまうってなんかヤバくないだろうか。

だって、〈眼〉ってなかなかわたしが意志的に操作できないではないか。

もちろん、ずーっとつぶっていることはできるよ。でも、私たちは、いつか〈見〉てしまう。見たとたん、〈眼〉は出来事を構成してしまう。わたしたちがそうしたくなくったって眼は〈そうする〉のだ。

つまりこの句集は、〈ただならぬ眼〉を描いてもいる。

ただならぬ眼は、ただならぬ出来事を構成する。その構成する以前・以後をずーっと往還しながらこの句集は描いている。

もう一度この句を思い出そう。

  ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ  田島健一

句集タイトルは、『ただならぬぽ』。「ただならぬ海月(ぽ)光追い抜く(ぽ)」という句は句集タイトルとして『(ただならぬ)ぽ』になった。つまり、「ぽ」「ぽ」とクラゲや光のあいまあいまを漂い明滅する一音の音素のように埋め込まれていた擬音・擬態語の「ぽ」は、句集になるにあたって、「ただならぬ」という修飾をつけられ、「ただならぬぽ」と名詞化=出来事化したのだ。これは音素という言語化・形象化できない光の粒子のような「ぽ(po)」が、「ただならぬぽ」という名詞=出来事になったとも、言える。波の猫化。

  po(音)→ぽ(出来事)

私は、こう思ぽう。「ぽ」とは、出来事以前と以後の境ぽ界点(特異点)なんだ、と。出ぽ来事になりつつぽある出来ぽ事未満なのだ。同時にぽ「ぽ」とは、シュぽレディンガーの猫なぽのだ。そぽしてこのシュレぽディンガーの猫に関わるのが、そぽの光を観ぽ測してしまうのが、出来事化してしまぽうのがわたぽしたちの「眼」なんだぽ、と。

  にんげんを見すぎて屏風絵のなかに  田島健一

眼は、ただならない。

  海みつめ蜜豆みつめ眼が原爆  田島健一

眼は、ただ眼ならな眼い。

  噴水の奥見つめ奥だらけになる  田島健一

眼は、た眼だなら眼眼ない眼眼眼。

桃太郎よ、まさかこれが“あい(eye)”というものなのか?

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