2017-07-16

【俳苑叢刊を読む】 第19回 中村草田男『永き午前』 有季俳句と人間の内面の出会い 堀下翔

【俳苑叢刊を読む】
第19回 中村草田男『永き午前』

有季俳句と人間の内面の出会い

堀下翔


中村草田男『永き午前』、昭和一五年一〇月一五日、「俳苑叢刊」の第二一巻として刊行された。この頃草田男はすでに『長子』(沙羅書店、昭和一一年)および『火の島』(龍星閣、昭和一四年)の二冊の序数句集を刊行しており、『永き午前』はこの二冊の句集よりそれぞれ一三一句、一八〇句を再収録した自選句集になる。二冊の序数句集は製作年順に句を収録するが、『永き午前』ではそのうちの『長子』のみが四季別に組みなおされている。作品のほか、自序と自伝を一ページずつ収録。「よき先輩、川端茅舎、松本たかし二氏に伍して、此叢書中の一員となり得ることを、作者は幸福と感ずるものである」(序文より。ただし茅舎は健康を害し、「俳苑叢刊」への収録はかなわなかった)。表題句に相当する作品は存在しないが、草田男に師事した香西照雄は「永い青春彷徨と、『火の島』時代にも保持していた〈精神的青春〉の両方を暗示していると思う」(「中村草田男著書解題」、『中村草田男読本』「俳句」臨時増刊、昭和五五年所収)と推測する。

以上が本句集のあらましである。「俳苑叢刊」には収録句集を序数句集とした作家を少なからず数えることができるが、草田男の場合は既に述べたとおり自選句集である。また草田男には「火長」(『現代俳句』第三巻、河出書房、昭和一五年の一篇)、『火の鳥・萬緑』(スバル書房、昭和二二年)、『中村草田男二百句撰』(榛の木書房、昭和二四年)、『草田男自選句集』(河出書房、昭和二六年)、『中村草田男句集』(角川文庫、昭和二七年)、『定本中村草田男全句集』(集英社、昭和四二年)など夥しい数の自選句集、合本句集類が存在している。そのために『永き午前』という一集には至極地味な刊行物の観がないではない。従来の草田男研究でも詳細に言及しているものは皆無に等しく、筆者自身、本誌より原稿依頼を賜るまで、気に留めたことがなかった。

だが、本句集をひもとき、またこれを草田男の年譜に布置してみたとき、本句集が必ずしも地味な自選句集ではないということに気づかされた。『永き午前』は「ホトトギス」作家としての草田男の到達点を結果的に示すこととなった一冊なのだ。



中村草田男、明治三四年生まれ。昭和四年二月より虚子指導の東大俳句会の会員となり、同年八月より「ホトトギス」の雑詠欄に投句。

大正元年に虚子が「ホトトギス」雑詠欄を再開して以降、この雑詠欄は俳句史の舞台となってきた。『進むべき俳句の道』(実業之日本社、大正七年)で称揚された蛇笏、鬼城、水巴、石鼎、普羅を中心とするいわゆる「主観尊重」の時代ののち、客観写生が唱えられるようになり、泊雲と花蓑の二人が台頭。大正末から昭和初頭にかけては素十、秋櫻子、誓子、青畝からなる「四S」の時代が訪れた。

昭和六年、秋櫻子は「『自然の真』と『文芸上の真』」を「馬酔木」一〇月号に発表し、「ホトトギス」を離脱。新興俳句運動が始まり、俳句史は「ホトトギス」雑詠欄の独擅場ではなくなってゆく。

とはいえ、「ホトトギス」雑詠欄自体が弱体化したわけではもちろんない。たかし、左右、暁水、立子、茅舎、久女、青邨、汀女といった、四S時代と重なる時期および四S時代以降に登場した作家たちが、綺羅星のごとく雑詠欄上位に居並び、巻頭を競った。現在でも愛唱される下記のような句は、この時期の雑詠欄で巻頭を飾ったものだ。

立てひらく屏風百花の縫ひつぶし たかし(昭和四年三月号)
和歌の人花のくもりに海苔とれる 左右(昭和五年六月号)
夜濯ぎのざあ/\水をつかひけり 暁水(昭和六年八月号)
吹かれきし野分の蜂にさゝれたり 立子(昭和六年一一月号)
金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎(昭和六年一二月号)
丹の欄にさへづる鳥も惜春譜 久女(昭和八年七月号)
祖母山も傾山も夕立かな 青邨(昭和八年一〇月号)
中空にとまらんとする落花かな 汀女(昭和一〇年六月号)


草田男が「ホトトギス」に投句を開始したのはこのような華やかな時代であり、かつ草田男自身もまた、昭和五年一〇月号において「つばくらめ斯くまで並ぶことのあり」他四句で巻頭を取り、またたく間に頭角を顕していった。昭和一〇年、同人。昭和一一年には「ミヤコ・ホテル」論争に批判派の急先鋒として加わる。昭和一四年には「俳句研究」八月号の座談会「新しい俳句の道」(楸邨、波郷、梵、司会・健吉)に出席し、「人間探究派」という呼称を与えられる。二冊の句集も持ち、草田男は「ホトトギス」の花形作家となるに至った。

『永き午前』とは、そのような幸福な「ホトトギス」作家が出した句集であった。



このような言い方をしなければならないのは、『永き午前』刊行の翌年にあたり、第三句集『萬緑』(甲鳥書林)を六月に刊行した昭和一六年以降、「ホトトギス」における草田男の立ち位置は、急速に変化してゆくからだ。

昭和一六年三月、虚子は、時局を弁えずに放埓な作品を発表している草田男に対する監督責任について、蕪子から釘を刺されていることを、草田男の耳に入れる(田島和生『新興俳人の群像―「京大俳句」の光と影』思文閣出版、平成一七年)。前年に起こった京大俳句事件ののち、表現弾圧は「ホトトギス」陣営にも及んでいたのだ。

七月、先に引いた本句集序文にもあらわれる茅舎が逝去。草田男は茅舎を偲んだ句群「青露変」を「俳句研究」一〇月号に発表した。特高警察と関係し、京大俳句事件の黒幕ともなった蕪子は、「青露変」中の「汝等老いたり虹に頭あげぬ山羊なるか」などの数句を取り上げ、草田男を自由主義者として威嚇指弾した(掲句は時局に協調する「ホトトギス」の諸作家を「虹に頭あげぬ山羊」見たて、揶揄した句とされる)。これに同調する「ホトトギス」の諸作家からの弾圧はやまず、昭和一八年、草田男は「ホトトギス」への投句を中止する。

つまり『永き午前』は、同じく既刊二句集からの再録を含む第三句集『萬緑』と並んで、「ホトトギス」時代の草田男の句業を、本人の意図から外れる形ではあれ、俯瞰する一集となった、ということになる。



では、「ホトトギス」作家としての草田男の達成とは、どのようなものだろうか。一言でいえば、季題の用法の拡張、ということになる。

草田男の最初期の作品といえば、以下のようなものだ。

貝寄風に乗りて帰郷の船迅し 草田男『長子』時代
乙鳥はまぶしき鳥となりにけり 同
家を出て手を引かれたる祭かな 同


鬱屈を感じさせる部分はあるものの、おおむね平明で、のちの草田男を特徴づける文体の詰屈感もない。二句目、「まぶしき鳥」や「となる」という把握に主観の強さが窺われるが、「なりにけり」という下五の処理は、既存の俳句文体を踏襲したものだ。

草田男の作品の真髄といえば、やはりこのような句になるだろう。

蟾蜍長子家去る由もなし 『長子』時代
餅花や不幸に慣るゝこと勿れ 同
降る雪や明治は遠くなりにけり 同


「長子家去る由もなし」「不幸に慣るゝこと勿れ」「明治は遠くなりにけり」という傍白がそのまま一句の表現となり、季題と取り合わせられている。

「蟾蜍…」の句について、戦後の草田男に師事した鍵和田秞子がすぐれた鑑賞をしている。
〈蟾蜍長子家去る由もなし〉はヒキガエルを詠んでいる句ではなくて、「長子だから家を去る由もない」ということを詠むのにヒキガエルに象徴させている。そういうかたちで作っている。それにはヒキガエルなるものの本質を見抜いていないと使えない。そこで、季語の本質とは何かを考える。ヒキガエル、ガマガエルは足を踏ん張ったら動かない。出会うと人間の私のほうが逃げるんです。あのふてぶてしいヒキガエルの本性が分かっている人は、あのヒキガエルの中に昔の長男の姿を見る。長男たる者は家をしっかり受け継がなくてはいけないものだ。そういう感慨をヒキガエルに象徴させて作っているんです。
(櫂未知子・島田牙城編『第一句集を語る』、角川学芸出版、平成一七年、引用部は鍵和田と島田の対談中の鍵和田の発言)
このような俳句のありようは、既存の俳句表現には見られなかった。

ただし、「「長子だから家を去る由もない」ということを詠むのにヒキガエルに象徴させている」という鍵和田の謂いには、注意を払う必要がある。昭和一〇年代に入り、俳論の発表が増えた草田男は、「自然の生命」なるものと「我身の生命」なるものについて、このように書いている。
自然の生命を、素朴に我身の生命の上に、映し出そうとする態度、写生の道を欠くものは、それ以後の問題、作者の芸術的要素の多少などを論ずる資格がない。
(中村草田男「季題と写生」、「俳句研究」昭和一〇年一月号)
この文章が述べているのは、草田男の作品に鑑みる限り、季題と一句の主体の関係性ということになるだろう。「蟾蜍…」の句でいうところの、「蟾蜍」と「長子家去る由もなし」との関係性に当たる。鍵和田はこの関係性を「「長子家去る由もなし」を蟾蜍に象徴させている」としているが、「季題と写生」に従えば、「蟾蜍を「長子家去る由もなし」に映し出している」ということになる。「映し出す」という表現を「象徴させる」と同一視することの妥当性には検討の余地はあるが、少なくとも、「「長子だから家を去る由もない」ということを詠むのにヒキガエルに象徴させている」という捉え方を無条件で是とするわけにもゆくまい。

ここには草田男の「ホトトギス」作家としての自覚を垣間見ることができる。従来の花鳥諷詠の表現領域を逸脱しながらも、同時期に隆盛した新興俳句陣営の無季俳句には反対し、「ホトトギス」にとどまりつづけようとした草田男にとって、言ってみれば、「蟾蜍長子家去る由もなし」は花鳥諷詠の句だったのだろう。従来の有季の枠組みに身を置きつつ、その枠組みの拡張に成功した、それが「ホトトギス」作家としての草田男の達成なのだ。

「自然の生命を、素朴に我身の生命の上に、映し出」す句とは、前出の句のように内面が直截的に言語化したものばかりではない。

あかんぼの舌の強さや飛び飛ぶ雪 『火の島』時代
晩夏光バットの函に詩を誌す 同
萬緑の中や吾子の歯生え初むる 同


日々の哀歓と季題とが深く結びつき合った句だ。単線的な寓意に堕することのない季題の据わりように、草田男の技量を見て取ることができる。「吹雪」という既存の語を避けた「飛び飛ぶ雪」、草田男の造語である「晩夏光」、歳時記には登録されていなかった「萬緑」。こだわり抜いた言葉だ。

思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 『長子』時代
父となりしか蜥蜴とともに立ち止る 『火の島』時代
蝌蚪見れば孤児院思ふ性を棄てよ 同
瞬間は蜥蜴追想尾に在りて 同


一物仕立てか、それに近い形の句だ。「思ひ出」と「金魚」、「父」となった自分と「蜥蜴」、「蝌蚪」と「孤児院」への思い、「瞬間」「追想」と「蜥蜴」。人間の内面が季題と肉薄し、融合している。一句目、青がかった色をしているという読み方もできるが、「古色蒼然」という表現も透けている。思い出が古びるという感傷は、金魚という具体物と出会うことで俳句となり、また金魚という季題は、思い出が古びるという人間の内面と出会うことで、立体的な存在感を獲得した。

『永き午前』に収められている句は、有季俳句が人間の内面と遭遇したばかりのういういしさを放っている。そのういういしさが、この一集の最大の魅力だ。

(草田男の引用句はすべて『永き午前』収録句。また本稿の事実関係は、断りのない限り『中村草田男読本』所収の年譜(池上樵人編、『中村草田男全集』別巻(みすず書房、平成三年)の年譜の基礎にもなっている)に準拠した)

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