2017-09-24

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第3弾 怪獣・色彩・低解像度 聞き手:小津夜景

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第3弾
怪獣・色彩・低解像度


聞き手:小津夜景


Q●
今週は福田さんに、愛するアートについてひたすら語っていただきます。で、福田さん、いきなりですが、お好きなアートをざっと3つほどにテーマ分けしてください。個人的には怪獣関係の話をワン・テーマとして聞けると嬉しいです。よろしくお願いします。

若之●
よろしくお願いします。じゃあ、まずは怪獣のことからいきましょうか。あとの2つのテーマをどうするかについてはいくつか候補があるのですが、最終的には話の流れで決めたいと思いますので、のちほど。

Q●
ありがとうございます。


テーマ1.怪獣たち

若之●
まずは、この写真(図版1)をご覧ください。これは、『ウルトラマンダイナ』の第37話に登場するゴミ塊物・ユメノカタマリ。街で出たごみが集まって出来た怪獣という設定なんですけど、細部の造形、すごくないですか。

Q●
やばいです! 細部しかない。しかもパイライトそっくり。これはちびっこの心を……いえ、私の心をいきなり鷲掴みにしました!

若之●
わかります、鉱物の原石っぽさがありますよね! しかも、これ、着ぐるみだから当然動くわけです。週1回放送の、おそらくそこまでの予算はないだろう子ども向けの特撮番組で、よくここまで作り込んだなって思う。職人芸ですよね。

ダイナの怪獣には、ほかにも、菌糸怪獣・フォーガス(図版2)とか凶獣・姑獲鳥(図版3)とか、独特の造形をしたのがいて。

それから、ほかに細部の作り込みがとりわけ印象的だったのは、『ウルトラマンティガ』第5話のゾンビ怪獣・シーリザー(図版4)と『ウルトラマンガイア』の第11話で初登場した地帝大怪獣・ミズノエノリュウ(図版5)です。

Q●
ゾンビ怪獣・シーリザーの腐った肉感! 昔のモノって、手作りっぽさがいいですね。

若之●
あ、年代の話をしてなかったですね。今挙げたのは、どれも平成に入ってからの作品です。

Q●
平成なんだ! すごいなあ。

若之●
でも、せっかくだから、もっと昔の特撮の怪獣の話もしましょう。これまでに語ったのはすべて子どもの頃に本編で観た怪獣ですが、昭和の怪獣たちは、子どもの頃は写真だけで眺めていました。平成の怪獣たちに比べると、昭和はやっぱりB級な感じが強いですが、そのぶん、かえって工夫が凝らされています。

まず、着ぐるみの作りがすごく斬新だと思ったのは、初代『ウルトラマン』の油獣・ペスター(図版6)。見てのとおり、二人で一つの着ぐるみに入ってるんですよ、これ。

同じく初代のミイラ怪獣・ドドンゴ(図版7)も二人で動かしているんですが、こちらはまあ獅子舞の延長線上だし、怪獣としてはありふれた姿かたち。ペスターのデザインは、発想からして、それとはまったく違っています。

そして、平成のウルトラ怪獣でこのペスターのかたちの異様さをとりいれたのが、『ガイア』に登場した反物質怪獣・アンチマターです(図版8)。

Q●
(笑。

若之●
名前がそのまんまなのはご愛嬌(笑)。反物質世界からワームホールを抜けて襲来する怪獣ということで、おそらく、普通の怪獣とぜんぜん違う姿にするために、ペスターの着ぐるみの発想を取り入れたんじゃないかなあと。

Q●
異形美ですね。

若之●
ほかに、着ぐるみのデザインとして奇抜だと思ったのは、『帰ってきたウルトラマン』の古代怪獣・ツインテール(図版9)とか、『ウルトラマンタロウ』の百足怪獣・ムカデンダー(図版10)とか。

特撮の着ぐるみというのは、それこそはじめにお見せしたユメノカタマリが典型的にそうですけど、無生物と生物のあいだで、なにか独特の造形的な魅力をもっているんですよね。そこには、もちろん『百鬼夜行絵巻』や『百器夜行絵巻』に描かれている付喪神たち(図版11&12)のイメージもいくらか重なり合うように思いますけれど、それだけではなくて、きっと20世紀の美術から得られたインスピレーションもあるんでしょう。

Q●
そうですね。引用元があけっぴろげ。またそれゆえに、かくもいきいきとエンターテイメントしている。

若之●
『ウルトラマン』の三面怪人・ダダ(図版13)や異次元怪獣・ブルトン(図版14)の命名から推察するなら、とりわけダダやシュルレアリスムの作品のうちにみられる怪物的な形象は、怪獣の作り手たちにとっても深い関心の的だったのだと思います。

たとえば、マックス・エルンストの描く《野蛮人たち》(図版15)なんて、ウルトラマンシリーズにいかにも出てきそう。というか、実際、『タロウ』の火山怪鳥・バードン(図版16)とか、ちょっと似た雰囲気を感じますよ。というわけで、次は、すこし、いわゆる美術館に展示されているような作品のことを話してみましょうか。

Q●
はい。


テーマ2 色彩のよろこび

若之●
シュルレアリスムといえば、これは上田信治さんがいつかの現代俳句協会青年部主催の勉強会の壇上でふと漏らしたことなんですけどね、「マグリットは画家としては三流」って。

Q●
どの文脈での「三流」でしょう?

若之●
ああ、それは、信治さん、ちゃんと言ってなかった気がする。けど、それを聞いて僕が思ったのは、批評家のクレメント・グリーンバーグのことなんですよ。とりわけ、「モダニズムの絵画」のグリーンバーグ。彼の論では、おおざっぱに言えば、19世紀後半から20世紀の中頃をすぎたあたりまでのあいだに、絵画の潮流が、とりわけ彫刻と袂を分かつかたちで、三次元的な物体の再現から絵画という媒体の特質としての平面性の強調へと向かったということになります。

マグリットは、この、絵画がひたすら平面的なほうへ、絵画の純粋性のほうへと向かっていくように見えた時代に、ひたすら、だまし絵的なイリュージョンや、絵画の媒体としての特質とは違った言語的な遊戯のほうへと向かっていったひとですよね。それは、絵画にある種の純粋主義とか形式主義を求めるひとからすると、たしかに「三流」と言えなくはないのかなあと。

Q●
「だまし絵的なイリュージョン」は60年代にこういったオプ・アートまで行きついてしまいますが、ああいう流れはグリーンバークからすると許しがたい形式主義でしょうね。違う、そうじゃない! という。

若之●
傍から見ると、どっちも抽象じゃん! みたいに思うところもありますけどね。で、僕がマグリットで好きなのは、ジェフ・ベックの『ベック・オラ』のジャケット(図版17)にも使われている、部屋いっぱいの青りんごが描かれた《盗聴の部屋》という題の作品群のうちの一枚です。まあ、これはもちろんジェフ・ベックのこのアルバムが好きっていうのもあるんですけど、それよりなにより、このりんごの色彩です。僕がマグリットをそこまで好きになれないのは、平面性うんぬんとはあまり関係なくて、色彩が自分の求める感覚と違っているからっていうのが大きいんですが、これはマグリットの作品としてはめずらしく僕好みの色彩で。

Q●
いいですねえ。グリーングレーの影も含めて。網膜が気持ちよい。

若之●
そう、網膜が気持ちよくなることが、僕にとっては、とても大事なことなんです。もちろん、白黒の絵でも、くすんだ色合いでも、暗い絵でも、抽象でも具象でもいいんですけど、気持ちいいかどうか。それで、20世紀の、平面をごく限られた色で塗りつぶす系の抽象画家たち――いわゆる色面派だけではなくて、モンドリアンとかマレーヴィチとかも含めた一連の画家たち――のなかで、僕が抜群に気持ちいいと感じるのが、マーク・ロスコなんです。色選びだけではなくて、塗りにぬくもりがあるのがいいんです。ロスコの絵では、寒色さえもがどこかあたたかい。《ハーバード壁画》のうちの一枚(図版18)の、この青です!

Q●
ああ、網膜と色とがまみれあってしまいます。対象との距離がなくなる感じ。

若之●
ひょっとして、僕と夜景さん、美的感覚が似ているのかもしれないですね。ロスコの絵で、もう一枚、ぜひ触れておきたいのが《オレンジと黄色》(図版19)。これには、個人的なノスタルジーを刺激されるところがあるんです。

本の話のときに、『ぐんぐんはしれちゅうおうせん』のことを話しましたよね。僕、生まれてからこれまでずっと中央線の沿線に住んでるんですけど、僕が子どものころに走っていた中央線の快速電車は、『ぐんぐんはしれちゅうおうせん』の表紙(図版20)に描かれてあるとおり、車体の側面がオレンジで塗りつぶしてありました。それが、三鷹駅から御茶ノ水駅のあいだでは、吉田英雄さんという方が1999年に荻窪駅で撮影されたこの写真(図版21)に写っているように、総武線の黄色い電車と並走する。

Q●
そうきましたか。話の切りまわしがうまいなー。今、自分の話術にほれぼれしてるでしょ?

若之●
いやいや、そんなことない(笑)。ロスコの塗りのあたたかみと、色彩が個人的に喚起する懐かしさとが結ばれ合ってしまったときの、この焦がれるような感じは、ほんとにこういうざっくばらんな雰囲気のなかでしか語れないことですよ。

写真を見ていただけると分かると思うのですが、電車同士がほんとうにすごく近くをすれ違うようなときがあって、こういうとき、光の加減で、黄色の車体にオレンジが映り込んだりすることがあったように思うんです。それもまた、ロスコの絵の溶けあうようなオレンジと黄色が思い出させてくれることです。

この思い出が実際のことだったのか、それともロスコの絵のせいでそんな記憶があとからつくられてしまったのかは、自分でもよくわからないんですけど、ロスコと電車は僕のなかで色彩のよろこびということで通じあっていて……ああ、またこうやって話していると、また、大事なもののことを語りそこなってしまいそうな気がする。僕が個人的に一番好きな絵は、マグリットでもロスコでもなくて、フランツ・マルクの《虎》なんです(図版22)。

Q●
今度は、ぐっと、みぞおちに来ます。網膜上のたわむれから、身体にめりこむ感じになった。これ、かなり性的なタブローかも。

若之●
マルク自身が1910年に友人の画家、アウグスト・マッケに宛てた書簡に「青は男性原理を表わし、厳格で手厳しく、精神的で、知的である。黄色は女性原理を表わし、穏やかで、楽しく、官能的である。赤は物質で、冷酷で重たく、青や黄が戦って克服しなければならない色である!」と書いているそうです。

となると、虎の黄色は、マルクそのひとによって、そうした官能的な意味合いを与えられたものなのかもしれません。言われてみれば、たしかに、この虎の姿はどこかマネの《草上の昼食》(図版23)の裸婦を思わせないこともない。けど、身体にずうんとくる感じは、僕、黄色よりはむしろ、画面をひきしめる黒の配置から来るものなんじゃないかと思うんです。

Q●
福田さんにとってのこの絵の良さは新鮮なもの? それとも過去の記憶とも絡まるような、もっとフュージョンな身体感覚ですか?

若之●
どちらかといえば、身体感覚なのかなと思います。ただ、過去の個人的な記憶と絡まるというよりは、むしろ、静かに本能を呼び覚まされるような、そんな感じ。

フランツ・マルクといえば、カンディンスキーとともに青騎士の創始者として知られています。カンディンスキーの色彩と構図の探求はこのあたりから一挙に抽象絵画に向かっていくけれど、マルクの描く動物たちは、具象と抽象のあいだで絶えず揺れ動いています。そして、僕は、この揺れ動きにこそ、マルクの魅力があるように思うんです。《虎》は、マルクの絵画のそうした魅力を最も野性的に訴えかけてくる。この絵は、一方では、その強く角ばった輪郭線にもかかわらず、しなやかで、しずかで、すっとしている。けれども、また一方では、描かれた虎の瞳の奥になにかがぐつぐつと煮えたぎっているような感じがあって、僕は、そこにとても惹かれるんです。

Q●
しなやかな野性ですね。さきほど黒への言及がありましたが、この黒には、形へ奉仕するよりもむしろ線そのものであろうとする意志が感じられます。書のように屹立し、かつ流動している。まあ、これを言い出すと、黒に限らずこの絵自体が書を眺めるようだという話になってしまうのですが。具象と抽象との間のゆれうごきを含めて。

若之●
なるほど! 書との似通いについては言われるまで思ってもみませんでした。似通いということでいえば、僕がひそかに思っていたのは、実は、この絵の色彩と線がどこかロイ・リキテンスタインの《ヘア・リボンの少女》(図版24)のブロンドの髪を思わせるということなんです。

Q●
すごい! たしかにこれはGペン的運動が主眼だから、フィギュールというよりリーニュの系譜。カリグラフィーの呼吸です。

若之●
そう、線です。しかも、手仕事の線。これは、リーニュではなく、トレと言ったほうがより的確な気がします。

Q●
はい。輪郭ではなく、線描としてのトレですね。

若之●
リキテンスタインの《ブラッシュストロークス》シリーズの一枚(図版25)をご覧ください。ブラッシュストロークはリキテンスタインが繰り返し取り組んだモチーフのひとつですが、これらの作品群はまさしく描線というものへの関心に支えられているように感じられます。

Q●
近現代の絵画においては、ジャンルの自己純化とは別次元の流れとして、平面に運動を導入するさまざまな試みがありました。その発端はチューブ入り絵具の誕生で屋外制作が可能になったことですが、印象派やキュビスムの時代からアクションペインティングの時代に至るまでの過程には、運動を構造化・可視化することに向かったミロのようなタイプと、あくまでも流動そのものに踏み留まったマルクのようなタイプとがいた。リキテンシュタインは構図も上手い人ですけれど、根っこにトレへの愛があるのは、この作品のタイトルにもはっきりと表れていますね。

若之●
運動ということであれば、あのもう一匹の愛すべき動物の絵に触れておかなきゃいけません。ジャコモ・バッラの《鎖に繋がれた犬のダイナミズム》(図版26)! もうほんと、抱きしめたくなるくらいがんばって歩いてますよね、このダックスフント。そして、この絵も色調がいい。

Q●
かわいい! ぎゅってしたい。この墨っぽさもいい。

若之●
構図はね、ちょっと微妙なところもある気はするんですけどね。運動の絵画というと、デュシャンの《階段を降りる裸体No.2》(図版27)が挙げられることが多いのはたしかに理解できるんだけど、個人的には、愛せるのは犬のほうなんです。鎖のきらめきの感じもいい。話が絵画の動きということに及んだところで、つぎのテーマにうつりたいと思います。


テーマ3. 低解像度の美

若之●
絵が動くということの原初的な体験は、僕の場合、なによりもまずアニメとゲームによってもたらされたものです。その話をしたいと思っていました。はじめて買ってもらったゲーム機は、任天堂のゲームボーイポケットの赤いやつです(図版28)。ゲームボーイを小型化したものですね。これもまた中央線の201系の顔にすこし似た雰囲気がありますが、それはさておき。

Q●
(笑。

若之●
ソフトは、ナムコのシューティングゲーム、『ギャラガ&ギャラクシアン』。どこか幻想的なパッケージ(図版29)が、僕の想像力を掻きたてました。

Q●
いきなり名作から入ったのですね。

若之●
そう、当時すでにややレトロなものという扱いで、パッケージの裏にも、「懐かしのシューティングが2度おいしい!」とありました。でも、これがよかった。僕にはぜんぜん懐かしくもなんともなかったんですけどね、あたらしい遊びとして、楽しめたわけです。そして、この『ギャラガ』で僕が初めて出会ったもののひとつが、ドット絵。Youtubeに動画がありました。こんな感じです。

Q●
わあ、きれい。実はわたし、ゲームボーイは触ったことなくて。当時の高校生は携帯型ゲームをしなかったんですよ。小学生の頃、ゲーム&ウオッチという携帯型ゲームから、ファミコンみたいな家庭用ゲーム機に社会が完全移行したの。

若之●
ゲーム&ウオッチ、知ってます! 本物を触ったことはないですけど、僕らの世代にとっては、とりわけ大乱闘スマッシュブラザーズシリーズで取り上げられたことでおなじみのゲームです。高校生のあいだに携帯型ゲームが爆発的に広まるのって、ひょっとしたら『たまごっち』以降なんですかね。あれのブームが1997年ごろでした。

Q●
『たまごっち』、持ってました。

若之●
あれもドット絵の魅力がありますよね。僕は『たまごっち』は持っていなかったのですが、小学校の中学年ごろ、『デジモンペンデュラム』を持っていました。この『デジモン』シリーズもバンダイの育成ゲームで、システムとかも似たところがあって……で、そうそう、ドット絵の話です。

ドット絵って、点の集まりによって表現された絵だからという理由で、シニャックとかスーラとか、後期印象派の点描画になぞらえて語られることがありますけど、僕、あれって違うと思うんですよ。たとえば、スーラの《グランド・ジャッド島の日曜日の午後》(図版30)を、『スーパーマリオブラザーズ』の画面(図版31)と比べてみましょう。もう、違いは一目瞭然ですよね。

点描画では、点の集まりによって、個々の点とは違った色彩が生成されるのに対して、ゲームのドット絵では、色彩は個々の点のそれであって、その集まりは単純にフォルムの形成に奉仕している。それは、絵画でいえば、後期印象派の点描よりも、むしろ、モンドリアンの《ブロードウェイ・ブギウギ》(図版32)のような、単純な図形のコンポジションのほうに近い。

Q●
そんなこと言う人がいるんだ。後期印象派の点描、あとリキテンシュタインのドットもそうですが、あれは網膜上の混色を狙ったものでしょう? そもそもドット絵というのは、編みや織りの原理として古くからある技術ですよね。例えば編み物ですと、穴を空けたパンチカードを使うときも、手編みのときも、まずはドット絵を描き、数値を確認して、目数をかぞえつつ幾何学模様・動物・植物といった色柄を編み込んでゆく。

若之●
そのとおりです。実は、いまモンドリアンを持ち出したのは、彼の抽象絵画への到達が、じつは解像度のことに少し関わっているように思ったからなんですよ。1908年の《赤い木》(図版33)から、1912年の《灰色の木》(図版34)そして《花咲くリンゴの木》(図版35)に至る過程は、一般には、キュビスムとの接触がもたらした抽象化の過程と考えられていますが、もしかしたら、これを解像度の限界への挑戦として捉えかえすことができるのではないかということです。

Q●
解像度の限界を目指した末に抽象化に至った人物はターナーからロスコまで風景画家に幅広く、デ・ステイル以前のモンドリアンもたしかにその系譜だと思います。

若之●
解像度の限界への挑戦というのは、要するに、特徴を保持したまま、輪郭線をいかにして単純化するかということです。どの輪郭を残し、どの輪郭を捨て、あるいは、どの輪郭を誇張し、どの輪郭を控えめにするか。ドット絵、とりわけモノクロの液晶ゲームにおけるドット絵のデザインというのは、ひとえにそこにかかっています。

Q●
モンドリアンの場合はキュビスムと接触したことで、現象の解体に留まらず、さらにそこから色と線とによる〈本質の再構成〉へと向かった。

若之●
ええ。それはまたドット絵の潜在的な可能性でもあるかもしれません。

Q●
他にもおすすめのドット・デザインはありますか?

若之●
考え出すとむずかしいですね。ドット絵らしさがよく活きているという意味では、カプコンの『ロックマン』でしょうか。これも動画がありますね。

Q●
懐かしい! これ、ファミコン時代のアクションゲームで一番感動しました。

若之●
こんなふうに言ったら怒られそうだけど、ファミコンのロックマンは、なんだかひ弱そうな感じがとてもいい。

ほかに、ドット絵の質感込みでひとつの作品になっているなと感じたのは、ききやまによって『RPGツクール2003』を利用して作成された、『ゆめにっき』というPC向けのフリーゲーム(≫動画)です。『ゆめにっき』は、決してやっていて気持ちのいいゲームではないし、正直なところ好きではないのですが、でも、すごい。こわい。ほんと、こわい。

あとは、これも『ギャラガ』と同じく80年代にナムコが出したシューティングゲームの金字塔として名高い一作ですが、『ゼビウス』(≫動画)。背景がちょっとジオラマっぽいんですよね。

Q●
ジオラマ、ですか? 

若之●
もちろん、ジオラマにもほとんどハイパーリアリズム的といっていいようなものもありますし、一概には言えないのですが。ジオラマに使われる素材を思わせると言ったほうがいいかもしれません。『ゼビウス』の背景のテクスチャは、ほんものの草原や水辺や森などよりも、むしろ、草原を表現するためのジオラママットや水面シート、森林を表現するためのスポンジ素材なんかの質感を思わせるところがある。

いま、僕はドット絵、モンドリアン的なコンポジション、そしてジオラマというこの三つに言及しました。ここでぜひとも触れておきたいのが、トーマス・デマンドです。ドイツの現代美術家ですね。まずは《コピーショップ》(図版36)あたりを挙げておくのがよいでしょうか。構成写真なんですけど、被写体はすべて紙とボール紙でつくられています。

Q●
はい。

若之●
福島第一原発の制御室の写真をもとにした《制御室》(図版37)もそうですが、単純化された図形の配置からなるこれらの写真は、具象的でありながら、どこかモンドリアンのコンポジションを思わせます。

アメリカの大統領執務室の映像にもとづく《大統領I》(図版38)の机に置かれた小物などを見ても分かるように、これらの写真は、被写体となるジオラマの作成を通じてなされた解像度の低下によって、こうした印象に仕上がっている。

Q●
なるほど。

若之●
解像度という観点から、これをオリボ・バルビエリや本条直季のミニチュア風写真と比べてみるとおもしろいです。バルビエリのコロッセオの写真(図版39)や本条直季のプールの写真(図版40)を例にとれば、これらの写真では、ティルトシフトレンズを使うことによって、ミニチュア的な視界が生みだされています。したがって、もちろん、これらの写真がミニチュアを接写したものであるかのように見える要因として決定的なのは被写界深度の意図的な操作によってもたらされる遠近感の錯覚なのですが、同時に、ぼやけた視界のもつ解像度の低さが現実の対象をあたかも模型であるかのように見せているということも否めません。そこでは、いわば、撮ることと解像度を低くすることとがひとつになっているわけです。デマンドの場合、このふたつのことは分離しています。あらかじめ解像度を低くして構成された対象物が、高い解像度で映し出されている。デマンドの作品に紙の質感があるのはそれゆえです。

Q●
《STS(STATION TO STATION)》(≫動画)なんかは、わざと紙をやぶってみせる。そもそも紙が大好きなんですよね、彼って。

若之●
あ、こんなこともやってたんですね、知らなかった! 張り裂けるときの紙の質感、たまらないですね。一方で、たとえば《踊り場》(図版41)における割れた陶器の再現にあたっては、木で作られたウォーホルの《ブリロ・ボックス》(図版42)とも通じ合うみごとな材質上の擬態がなされていますけれど、それでも、よくよく見ると、たしかに一片一片が紙で出来ていることが分かるようになっています。それでこそ擬態する意味があるわけです。

Q●
お話をうかがっていると、アート以外のものも、解像度の視点から語って遊べるような気がしてきました。例えばさきほど『ゼビウス』から思ったのは、そういえば『ドラクエ1』の楽曲は〈ドット・ミュージック〉だったなあってこと。なにしろたった2トラックで交響組曲が書かれているんですもの。序曲のマーチは3トラックですけど、あの組曲を一週間で仕上げるというのは最高難易度のパズルですよね。

若之●
夜景さん、チップチューンとか聴きます?

Q●
はい。

若之●
TORIENA「Pulse Fighter」にm7kenjiが映像をつけたミュージック・ビデオ、すごくいいですよ。この作品にも、具象的なモチーフを描いているはずのドット絵と音楽の同期が、ふいに、オスカー・フィッシンガーの『アン・オプティカル・ポエム』のような抽象アニメーションに近づく瞬間があります。

Q●
なんて幸福な連想! わたしはかわいいチップチューンを耳にすると、たまにふっとノーマン・マクラレンの『Dots』の世界に自分が逆流するような錯覚が起きるんです。はっと次元を踏み誤って、『ゆめにっき』的ムーンサイドに行っちゃう感じ。

若之●
マクラレン、僕も好きですよ! 『色彩幻想』ではオスカー・ピーターソンの音楽に映像を同期させていますね。抽象アニメーションのほかにも名作がいろいろ。『隣人』のクレイジーっぷりもたまらないけど、僕はなにより『パ・ド・ドゥ』の美しさに惹かれます。

Q●
いろいろと面白いお話をうかがえました。ここから先は愛のサーフィンがどこまでも続いてゆくこととなりますので場所をうつしたいと思います。では福田さん、残りは楽屋裏で。本日はどうもありがとうございました。

若之●
ありがとうございました。そうそう、抽象アニメーションといえば、レン・ライも……。





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