2018-03-18

ハイク・フムフム・ハワイアン 4 荻原井泉水とハワイ 小津夜景

・ハ 4
荻原井泉水とハワイ

小津夜景


 星が海までいつぱいな空には白いボート    荻原井泉水

ある一時期、ハワイに布哇俳句会(1926年発足)という名称の、荻原井泉水主催『層雲』に投稿していた人々によって運営される自由律俳句のグループがありました。

ちょっと驚いてしまうような話ですが、『層雲』の自由律俳句は、戦前のハワイ俳壇における二大潮流のひとつ(もうひとつはホトトギス主観派の室積徂春率いる「ゆく春」)なんです。『層雲』の名の由来である「自由の夏光耀の夏の近づき候際を以て出づる層雲」という一文に象徴されるように、この結社は「自由」と「自然」とをその主題にかかげ、単に自然を写生するのではなく内面の滲み出た詩となることを目指しており、これがハワイのおおらかな風土や移民の精神性にたいへんフィットしたらしいんですね。

井泉水という人はもともとハワイの俳句に興味があったようで、1913年、かの地で出版された『布哇歳時記』に序文を寄せ「ハワイ歳時記の成立によって、単なる祖国憧憬や慰めの俳句を脱し、真の芸術としての俳句が誕生した」〔註1〕ことを述べています。さらにハワイの同人を熱心に指導するばかりでなく、1937年6月11日には単身でハワイに上陸してしまいました。同日の日布時事による取材に「私は海外の旅行は今回が最初であり、満鮮支那方面へもまだ行つたことはありません」答えています。


記事に見える〈影、日蔽のはためくのも布哇が見えさうな〉は記者の求めに応じて、井泉水がハワイ行きの船上から打った俳句の電報を、後日鉛筆で書き直したもの。とても素敵な字です。

井泉水がどのような日程で、いかなる俳句伝道をしたのかについては次週に譲ることとして、今回は彼の体験した「憧れのハワイ航路」な気分を、片岡義男のエッセイから引用しておしまいにします。

荻原井泉水が昭和13年に『アメリカ通信』という本のなかで、次のように書いている。  
「潮はほんとうに南国のブリュウである。その波にちりばめられている日の光もすばらしく華やかだ。また、日の熱も非常に強くなったことが感じられる。船員たちも、けさから皆、白い服に着かえてしまった。日覆(ひおおい)に、強い風がハタハタと吹きわたっている。デッキの籐椅子がよくも風に飛んでしまわないと思うくらいだ。この椅子に腰をおろして飲むアイスウォーターがうまい」 

このとき荻原井泉水は大洋丸という船でホノルルにむかいつつあり、横浜を去ること2453マイルの地点にいた。アイスウォーターとは、水のなかに氷をうかべたものではなく、水を冷蔵庫で冷やしたものだ。ハワイの家庭では冷蔵庫にいつもこのアイスウォーターが入っていて、訪問するとまずこれを飲ませてくれる。荻原井泉水はこのアイスウォーターが「うまい」と言っているが、ほんとうに目まいがしそうなほどにうまい。片岡義男「秩父がチャイチャイブーだなんて、すごいじゃないか」


〔註1〕 島田法子「俳句と俳句結社にみるハワイ 日本人移民の社会文化史」『日本女子大学文学部紀要』第57号、55-75 頁、 2008年

《参考資料》
「日布時事」1937年6月11日号

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