成分表77 オンノジ
上田信治
「里」2013年7月号より改稿・転載
ある人が、自分のことを「説得力」はないが「納得力」はある、と言っていた。
それは、自嘲でも自慢でもあるような言い方で、どちらかと言えば、やはり自慢だったかもしれない。なにしろ「納得」は大切なもので、それがなければ、人は、安心とか幸福が得られない。
施川ユウキという人の書いた『オンノジ』という長編4コマ漫画がある。
「どういうわけか世界にただ一人とり残された小学生の女の子が、うだうだ冗談を言いながら生きてゆく」という話だ。そんな話、途中がいくら楽しくても、けっきょく悲しくなって終わると思うでしょう?
驚くべきことに、この作品は、ハッピーエンドで終わる。
きっと、作者は、自分でそんな世界をつくっておいて、その少女が不幸になることが、許せなくなったのだ。
作者によって考え抜かれたであろうその終幕は、とても感動的なものだった。
物語が幸せに終わるためには、読者と登場人物の曇りない納得が必要だ。
よく他人はだませても、自分はだませないというけれど、本当のところ、自分は自分に進んでだまされる。
けれど、もし作り手が、大事なことを誤魔化していたら、そのハッピーエンドは人を説得することができない。
本人がよければいい、とは、世の中でよく聞く言葉だけれど、人の心には、だいたい四、五人くらいの立場や性格の異なる人がいる。それくらいの人数の心のつじつまを、いっぺんに合わせる理屈でなければ、本当にその人を納得させたとは言えない。
だいたい「幸せは本人の問題」という言い方ほどつまらないものはなく、そんなことを言っていると「幸福感をもたらす薬を飲まされた奴隷は幸せか」という悪意ある質問に、イエスと答えざるを得なくなる。
つきつめれば「幸せ」という言葉は「人から見て幸せである」という内容を含む。それは、むろん、他人の基準に合わせて生きろという意味ではなく、その正反対のことだ。
本人の中の全員、そして、せめて世界で数万人の納得は欲しい。
人生においても作品においても、その規模の納得に裏づけられた幸せだけが、美しい。
そう、幸せというのは美しいはずのものだ。そういう教訓を心になんどでも刻むために、童話とか漫画はあるのだ。
死顔のやうにやすらか汗ながら 田中裕明
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之
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