【句集を読む】
たとえば、人類の進歩と調和、というのはどうだろう
池田瑠那『金輪際』
堀下翔
池田瑠那『金輪際』(ふらんす堂、二〇一八)が刊行された。同書はふらんす堂の新叢書〈第一句集シリーズ/Ⅰ〉の一冊であり、また澤俳句叢書の第二三篇にあたる。池田は一九七六年生まれ、二〇〇四年に「澤」に入会し、現在は同人。叢書名の通り、同書が第一句集にあたる。
この『金輪際』に見える特色の一つは池田の宇宙空間への関心である。句集中には宇宙空間をモティーフとした作品がしばしば現れる。それらは大別すると、
宇宙船凍つライカ犬乗せしまま 瑠那(一三頁)
にんげんの足跡凍てて月面に 同(一三頁)
探査機ゆく土星の寒き環を掠め 同(四四頁)
宇宙ゆく砂塵が我ぞ去年今年 同(四四頁)
宇宙飛行士われ落としし手套永遠に浮遊 同(五六頁)
宇宙の果にヲハリと銀の繡冴ゆ 同(五六頁)
といった、一句の視点そのものが宇宙空間に置かれている句、また、
ガガーリンにひしと重力春の暮 瑠那(一四頁)
宇宙膨張中われ桜餅嚥下中 同(三五頁)
金環蝕果つほたるぶくろの中は留守 同(三七頁)
われら棲息深秋の大気の底 同(四三頁)
わが脳の暗黒物質も冬に入る(引用者註:「暗黒物質」に「ダークマター」とルビ) 同(四四頁)
太陽のはじめは気体鳥の恋 同(四四頁)
素粒子は紐なり落花螺旋なす 同(五〇頁)
刻々水漬く地球にわれら暑くをり 同(五二頁)
夏逝くや火星に大気われらに恋 同(五三頁)
聖夜なり土星の環成し塵の層 同(五五頁)
宇宙行きし犬が剝製双眸冴ゆ 同(六二頁)
ボストーク一号発射の空へ林檎咲く 同(六二頁)
といった、宇宙物理学や地球物理学、宇宙開発にかかわる知識や現象が、地球の地上にある人物の視点によって捉えられたり、あるいは俳句的に取り合わせられたりする句の二つに分類できる。そのほか、〈未来双六上り月面都市なりけり〉(三四頁)、〈水母密密タリ地球最後ノ日〉(五二頁)といった句も語彙のレベルではそういった関心から出てきていると思しい。
三一一句を収める同句集の主調をなしていると言ってもよいこれらの句を読むにつけ、筆者などは、かつてアポロの昔、山本夏彦が「何用あって月世界へ」と書いていたことをしみじみと思い出したりもするのだがどうだろうか。
山本は「室内」の創刊者にして二〇〇二年に亡くなるまであちこちにコラムを書いていた大正生まれの老人。件の「何用あって月世界へ」という言葉は『毒言独語』(実業之日本社刊、一九七一)所収の同名コラムが初出で、山本本人がいたく気に入ったようで終生繰り返し書いていたし、植田康夫が編集した山本の箴言集の表題にもなっている(『何用あって月世界へ 山本夏彦名言集』文春ネスコ、一九九二)から、ご存じの向きも多かろう。もちろん一九六九年のアポロ一一号の月面着陸について言ったものである。「月世界」などという古めかしい用語――明治の前半、一八八三年に黒岩涙香がヴェルヌの“Le Voyage dans la lune”を『月世界旅行』の邦題で翻案して世間に定着した語彙と思しい――がいかにも山本らしいと言えばらしい。
山本とて宇宙開発が冷戦下の各国の技術競争としてパーフォーマティブに進行していたのを知らなったわけではあるまい。それでもこんなことをいった理由は、この言葉に「月はながめるものである」という続きがあることから察せられる。「月はながめるものである」とは「雪月花」としての「月」を賞でる感覚と習慣から発せられたものである。月みれば千々にものこそかなしけれ――という塩梅に、澄んだ空に照り渡っているのを遠く眺めてこそというのが「月」の本意である。山本がいいたかったのはこういうことである。
面白いことに、宇宙開発の時代になり、映像や通信の技術の進歩も相俟って、月面の近距離的なビジュアルが知られるようになった。たとえばアポロ一一号の月面着陸を目前に控えたSF作家の小松左京は「一生に一度の月」(「毎日新聞」一九六九・七・六、ただし引用は『一生に一度の月』集英社文庫、一九七九)という随筆風のショートショートで次のように書いている。
アポロ計画――人類初めての月への挑戦計画に関しては、世界中のSF作家は、総自己批判しなくてはならない点がある。死んだ作家もふくめてだ。白黒テレビの家庭普及率がさかのぼること五年前の一九六四年時点で九〇パーセントに達し、七〇年代に向けてカラー時代にさえ突入しようとしていた世相が偲ばれる。ことごとく未踏なる星に人類が大きな一歩を踏み出すさまは宇宙時代のショウだったわけで、偶然にも山本が「月はながめるものである」と書いたのと同じ「ながめる」という言葉を小松も用いている通り、月を「ながめる」という身振りの内実は人類の想像力の埒と表裏一体となりながら拡張されることとなったのである。なんだか〈人類の進歩と調和〉という趣きさえある。
つまり、「人類初の月接近」という大事件が、テレビでなま中継され、それがまた、通信衛星で宇宙中継されて、各家庭の茶の間で、大勢の人間がながめる、といった情景を書いたSFは、これまで一つもなかったのである。(引用者註――「各家庭の茶の間」に傍点)
こうした文化史的背景から産み落とされたのが、俳句でいえばたとえば、
水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子『静かな水』(春秋社、二〇〇二)
という句になるわけである。「水の地球」という表現が一九六一年に初の有人宇宙飛行に成功したガガーリンが言ったとされる「地球は青かった」という言葉を連想させるのもそうだが、何よりは地球と月とが一つに収まってしまう視角のありようこそが、宇宙開発時代にもたらされたビジュアルによって発生したものだろう。
話が迂遠になってしまったかもしれないが、つまり、池田の、
宇宙船凍つライカ犬乗せしまま 瑠那(一三頁)
にんげんの足跡凍てて月面に 同(一三頁)
探査機ゆく土星の寒き環を掠め 同(四四頁)
宇宙ゆく砂塵が我ぞ去年今年 同(四四頁)
宇宙飛行士われ落としし手套永遠に浮遊 同(五六頁)
宇宙の果にヲハリと銀の繡冴ゆ 同(五六頁)
といった句の視点も同様だ、ということである。いずれも、宇宙開発時代以後の想像力をかろやかに俳句に導入した句である。〈宇宙ゆく砂塵が我ぞ去年今年〉のスケールの大きさなどにはほれぼれとする。この句の「が」は連体修飾格の「が」と理解した。ややイレギュラーな訳し方になるが「砂塵である我」といったところだろうか。この句や〈宇宙飛行士われ落としし手套永遠に浮遊〉が「我」「われ」と一人称を一句に入れ込んでいるのは見逃せない点である。特に後者の場合「われ」がなければ無重力についての知識を意外な情景に展開しただけの句になる。「われ」があればこそ宇宙空間に視点があるということがわかり、宇宙を詠むことの面白さが活きるのだ(ただしこの句には、「宇宙飛行士」が「手套」を見ている視点がいつのまにか「永遠」によって三人称化するという仕掛けも施されている)。
〈宇宙船凍つライカ犬乗せしまま〉〈にんげんの足跡凍てて月面に〉〈探査機ゆく土星の寒き環を掠め〉〈宇宙の果にヲハリと銀の繡冴ゆ〉といった句においてこの「われ」と同様の働きをしているのが「凍つ」「寒し」「冴ゆ」といった時候の季題である。有季の立場を取る池田にとっては、季語に相当するものを見つけるのが困難な宇宙という舞台で、いかにその立場を墨守するかが大きな課題であったと思しく、池田はこれを、宇宙空間の温度がきわめて低いという知識と時候の季語とを結びつけることによって解決しているわけだが、宇宙空間の温度に「凍つ」「寒し」「冴ゆ」といった言葉を見出す発想は俳人なればこそであり、それぞれの俳句にこれらの季語が入っているということ自体が、「われ」の強烈な表出なのである。地上の体感に基づくこれらの季語が、空気のない宇宙の寒さの謂いになったとき、はたして季語として成立するのかというのは意見が分かれるだろうが、「季語を入れる」というこの種のアリバイ工作は多くの方がやっているだろうし、まあ、いいんじゃないんでしょうか。「澤」の方々には〈困ったときの「凍つ」「冴ゆ」「冷ゆ」〉というフシがあって、あまり感心しないのだが、池田の宇宙の句は「われ」の署名として活きていて、これはいいと思った。
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その他傾向によらず気に留まった句は以下の通り。
玉くしげ箱根に得たる檀の実 瑠那(三八頁)
死に近きからだ熱れる青葉かな 同(六三頁)
火葬待つ間の飲食よ花うつぎ 同(六四頁)
やつてられつかスーパーの鮨貪れり 同(六五頁)
〈玉くしげ…〉は描写型のこの作者にしては言葉へのフェティシズムが強い句。「玉くしげ」は櫛などを入れる美しい道具箱のことで、転じて「覆ふ」「開く」「蓋」「箱」などに掛かる枕詞。この場合は「箱根」に掛かっている(実朝『金槐和歌集』が収める〈玉くしげ箱根のみうみけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ〉などに用例がある)。枕詞は訳さないので、この句はあえて意味を取れば「箱根で檀の実を得た(手にした、拾った)」というぐらいの、あわあわとした内容である。それを美しく一七音に引き伸ばしたのがこの句の手柄である。箱という「玉くしげ」本来の意味を利かせて読むと、「得」た「檀の実」が「玉くしげ」に入れてあるという耽美な情景も目に浮かぶ。
〈死に近き…〉〈火葬待つ…〉〈やつてられつか…〉は「夫、輪禍に遭ひ、二日後に他界。二十二句」という前書きを持つ一連で、あまりに悲痛。「二日後に他界」というごく短い時間でありながら、どの句も季語が異なるのは、非常のときにあっても一句ごとの精緻さにこだわるという態度か、あるいはむしろ、季語はとりそぎ、というほど切迫した状況だったのか。「スーパーの鮨」というおよそ本意から離れた「鮨」が出てくるあたり、案外後者なのではないかという気がする。
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ところで〈第一句集シリーズ/Ⅰ〉『金輪際』はA5判七〇頁というシンプルないで立ちをしているが、これは小澤實が序文で「ぼく自身の第一句集『砧』の判型、薄さとも重なる一冊である」と言及している通り、かつて牧羊社が一九八四年一月からその後数年に亘って刊行していた〈処女句集シリーズ〉と同様の体裁である。牧羊社の〈処女句集シリーズ〉はその名の通り句集を刊行していない作家を収録した句集叢書で、各結社の主宰の推薦で膨大な人数(あまりに多いので数えたことがないが、数百名はいる)が参加した。高齢の作家も混じっていたようだが、小澤實、岸本尚毅、筑紫磐井、今井聖、対馬康子、金田咲子、若井新一といったのちに一廉の俳人になる面々も若き日にここに加わっていたのである。
小澤の序によるとこの〈第一句集シリーズ〉は「俳人協会の改革検討委員会で若手世代のために廉価版の句集シリーズが出せないか、と論議した結果生まれた」とのこと。若手輩出の後押しという点で〈処女句集シリーズ〉は当然意識しているのだろう。判型まで同じで無関係であるはずがない。なにせ〈処女句集シリーズ〉を出していた当時の牧羊社には現・ふらんす堂社主の山岡喜美子氏がいる。以前個人的に伺ったのだがたしか〈処女句集シリーズ〉の担当編集者でいらっしゃったのではないか。山岡氏は一九八〇年代中盤に牧羊社を中心として巻き起こった「若手ブーム」とでも呼ぶべき戦後生まれ世代俳人登場の立役者の一人である。あれから三十数年、結社所属(俳人協会ということはそうでしょう)の若手が矢継ぎ早に登場する時代は近いのかもしれない。
世界で八四万本売れたというファミコンソフト「ファイナルファンタジー」の第一作には「Ⅰ」がついていないが、〈第一句集シリーズ/Ⅰ〉には「Ⅰ」がある。「Ⅱ」以降がすでに想定されているのだ。〈処女句集シリーズ〉にもハナから「Ⅰ」がくっついていた。次々に刊行されて読者が追いきれないところまで似るのは困るが、九冊が刊行されているいま、私はすでに息切れしかけている。全部読むことは想定していないのだろう。しかし、新しい作家がここから誕生するのは、歴史に照らせば明らかなことだ。ならば、読むしかない。
〈 了 〉
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