2008-05-04

『俳句界』2008年5月号を読む 舟倉雅史

【俳誌を読む】
『俳句界』2008年5月号を読む ……舟倉雅史



シリーズ・魅惑の俳人たち 折笠美秋  p78-

文章を寄せた五人が五人とも生前の折笠美秋を知る人で、その想い出を語ることによって、その人となりを浮かび上がらせようとしています。いずれも、作品を論じるよりも美秋の人間的魅力を描くことに重点を置いているようで、そこには作品の魅力は人間そのものの魅力から生まれるという暗黙の前提が存在しているように見えます。作者の経歴から一旦切り離し、言葉そのものと向き合うことで作品の本質を掴みだそうとする評論が一編くらいはあってもよかったのではないかと、やや不満が残る特集でした。ところが…

文學の森五周年記念特別企画 壇議  p144-

「壇議」とは何のことかと思ったら、俳壇代表・大串章、歌壇代表・佐佐木幸綱、詩壇代表・清水哲男の三氏が自由闊達に語り合うという企画なのでした。

さて、この中で佐佐木幸綱氏が語る次のせりふが、先ほどの僕の「不満」をもう一度思い出させることになります。

人間の魅力という点で、作品鑑賞は作者の人間とどう重なるのか、どこかでその人間の魅力と作品の魅力が重なってくると思っています。 歌人の塚本邦雄が「鑑賞は作品本意だ。犯罪者でも主婦でも誰が作ったものでもいい作品はいいと評価しよう」と言い、僕はその論に影響されていますが、「でもやっぱり人間だね」という部分があります。

折笠美秋を知る五人には、その魅力的な人物像と切り離して作品を鑑賞することなど思いもよらないでしょう。また、先に美秋の作品に接した読者は、いったいこの作者はどんな人生を送った人なんだろうと興味を抱かずにはいないでしょう。しかし、長く読み継がれる作品があるとすれば、それはやはり「人間の魅力」とは切り離したところで鑑賞しうる作品に違いないという思いは残ってしまうのです。

それにしてもこの「壇議」、興味深い問題を取り上げながら、いずれももう少し深く掘下げて語り合って欲しいというところで終わってしまったのは残念です。「特別企画」と銘打った割にはボリューム控え目。もっとページを割いてもよかったのではないでしょうか。


発表! 第十回俳句界賞  p208-

選考の経過を読むと、二編受賞という結果はどうも腑に落ちません。選考委員の間には、どちらも捨てがたいというよりは、どちらもいまひとつという雰囲気が漂っていたように感じるからです。「該当作なし」ではいけなかったのでしょうか。

僕は、佳作になった河野けい子氏の「猫の返事」にとても感銘を受けました。

ヒヤシンス水まつすぐに立ちあがる
春眠といふ重力を愛しけり
ライオンの諦めてゐる暑さかな
消防車虹を作つて帰りけり
ドアノブに葡萄を掛けて来たといふ
雪原に熱き気球を畳みけり

俳句という小さな器に小さな感動が無理なく盛られていて、上質な詩情を漂わせています。ことさらに俳諧味を狙おうという作為がない点、僕も見習いたいと思います。誌上に掲載されているのは応募作50句中の15句だけですが、50句全てをぜひ読んでみたいものです。

  *

その他、「五月号」の中から僕のお気に入りの句、気になった句。

春水を出て春泥を啄めり   安倍元気「新作巻頭3句」

畑打つや蟻の学者で華道家で  (同上)

花冷えの鍵は鍵穴にて響く   富田拓也「うたかた」

啓蟄の頭のかゆき雀かな   満田春日「弾み車」



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2 件のコメント:

  1. 俳句界賞の選考経過については、おそらく実際のやりとりをかなりカットしてあるでしょうから、誌面の印象そのままではないと思います。
    以前、某賞の公開審査を見たことがありますが、活字になった時とは全く印象が違いましたよ。

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  2. 匿名さん、こんばんは。

    限られた紙幅・誌面ですから、実際と記事とは印象が違ってもいたしかたのないところでしょう。けれども、「全く印象が違う」となると、なんのための記事だかわかりませんね。これはもちろん一般論として。

    ただ、それが編集意図だったりして。

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