『俳句界』2008年5月号を読む ……さいばら天気
●坊城俊樹・ホトトギス紳士録5・尾崎放哉 p56-
若い頃にはホトトギスに所属した尾崎放哉。その「なさけなさ」を論じて興味深い。
俳句という定型詩をやるということ自体が、日本文学におけるなにがしかの打算がある。それがいけないということではなく、日本の歴史の一員であるからこそ文芸としてのやりがいがある。放哉の自由詩にはそれがない。俳句としての業績はむろんのこと、自分の言葉などが後生に取り上げられるとは思ってもみなかったろう。ちっぽけなたわごとであって、吐息みたいなつぶやきだったと自覚していただろう。ここに胸を打つなにかがある。(坊城俊樹)
坊城氏は、ただし、放哉の「自由詩」に一般的な価値を認めるのではない。俳句はもとより広く文壇・詩壇においても、放哉の「ナイーブで愚痴っぽい詩」には価値がないとする。その一方で、ホトトギス派の坊城氏には、「放哉のドグラマグラをこれからの俳壇にウィルスのようにばらまく義務」があると言明する。
その最大の理由は、(放哉が)言葉を作ってやるという理屈や能力、あるいは肉体さえも消してしまったこと。俳句の亡霊のようなドロドロこそ次世紀の俳句のエッセンスになるのではないかと思うからである。(同)
一筋縄じゃあいきませんね、この坊城俊樹という人。
●林 桂・俳句時評 「切字」をめぐって p60-
『俳句』2008年4月号の特集「『切れ』についての大問題」を取り上げ、堀切実論考、神野紗希論考の不備を衝く。併せて読むと有意義。
※『俳句』のこの特集については、本誌・第50号の拙稿を参照。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/04/2008422.html
●シリーズ魅惑の俳人たち・折笠美秋 p78-
好シリーズの第5回は、折笠美秋(1934~1990)。高柳重信に嘱望され「俳句評論」誌編集に携わる。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症、闘病生活に入ってからも句集、評論をものした俳人。特集巻頭、澤好摩氏による「『わが山月記』へ~折笠美秋とその作品」は短いなかに伝記的要素と評論的要素を手際よく配して示唆深い。ほかにも、この俳人の「魅惑」をよく伝える記事が揃った。
(…)折笠美秋の俳句に対する考え方は、俳句の一般常識の埒内にその基盤を持たず、いわゆる季語、定型の効用論といった論法から離れて、もっと根源的、歴史的、汎世界的な視座に立つものであった。折笠美秋の評論の特質は、俳句の原理に関していつもこれと指示したり規定せず、その本質を大きな円を描くように囲繞するやり方だったと言っていい。(澤好摩)
これを読むと、折笠美秋という俳人/批評家に大きな関心を寄せないわけにはいかない(すぐさまネット古書で検索、2冊の購入を申し込んだ)。
現在、俳句的言説の多くが、俳句内部のクリシェ(常套句)とジャーゴン(業界用語)をくりかえしながら手近な実用(俳句の上達w)に供されるにすぎない。そう考えている俳句愛好者は私だけ?
じゃないですよね。俳句の「埒外」に基盤を置く批評は、いまこそすぐれて魅力的だと思うのです。
杉林あるきはじめた杉から死ぬ 折笠美秋
●冨田拓也 うたかた(15句) p26-
初蝶をただ皺みたるひかりとも
いいですねえ。
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