満点大笑 雪我狂流
啓蟄や達磨たくさんある食堂
叩かれて釘の頭や木の芽時
亀鳴くや上下に動く喉仏
ものの芽のつきたる枝を見てをりぬ
還暦や山は満点大笑
映画「最高の人生の見つけ方」は、余命半年の老人二人がプライベートジェット機で世界を旅して、やりたいことをして、残りの人生を楽しんで、それには、たくさんのお金が必要です、というアメリカ式お伽噺で、全世界同時不況で暇を持て余している僕には楽しかったです。僕も六十に近づいてきてから外国(お金がないのでアジア)を旅するようになりましたし。
「死ぬまでにしたい10のこと」というスペインの映画もそうであったように、生きてる時間が少ないと、誰でも非日常的(ハレ)なことをしたくなるようです。でも、最後日(きっと意識がない)は、日常的(ケ)な事をていねいに心をこめて、したい思う欲張りの自分なのです。
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春なれや 山田露結
鳥帰る絵本の空をたたみけり
うららかや家族写真の色褪せて
春星に触れペンギンの濡れてゐる
鏡にはすべて映らず猫の恋
春なれや波の音する洗濯機
俳句は遊び。
たとえば、ギターを弾いたり、パチンコをしたり、酒を飲んだりするも遊び。
出来ればそういった事と同列であると思いたい。それでも、ついつい「俳句とは何か。」なんて深刻に考え込んでみたり、難しい顔をして苦吟してしまったりする。「いかん、いかん。遊びなんだから。」と自分に言い聞かせる。俳句が遊びである以上、実生活においてはほとんど何の役にも立たない。
なのに頭の中はいつも俳句でいっぱいだ。気が付くと俳句のことばかり考えている。どうしてだろう。他の人達もみんなそうなのだろうか。
何の役にも立たないはずの俳句。
思うに、そんな俳句にバカみたいに夢中になっている自分が、ただただ愛おしいのである。
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梅は咲く 堀本 吟
春寒の跫音ビルディングの地階
梅は咲く天守閣金色(きん)うそっぽく
紅梅白梅真相すでに掃きすてて
喪の服に他生の花粉微量なれど
きんつばをおもう椿の道すがら
位負けするからやめておこうと思ったが、
散る梅の机の上に黙れきんつば 安井浩司『山毛欅林と創造』(沖積舎二〇〇七年)
羊羹ならぬあのきんつば。寒天の夜空に寄せ固めている小豆の色合いに梅の花片をおもわぬでもない。梅の花散る窓際の書斎に机にこの菓子がおしゃべりしているだけで楽しいのに、しかも「黙れ」と「きんつば」は叱られる。そう言われると、この取り合わせがキッチュなのよ、とも言えず、創造主の眼下にて万物にはそれなりの秩序があることを梅もきんつばも「我」も納得させられる。〈未知の女(め)にもう会い難く野梅道〉〈梅一輪踏まれしものに外ならず〉なども梅の詩情がストレートにはでていない。前後の句によってかなり異様にみえてくる。
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さくら 浜いぶき
集合に遅れて来たる春の服
あたたかや宿坊傘を干し並べ
内海の藍色うすし木の芽吹く
初島にかかる霞や蜜柑の木
海へ向くさくらの白の淡きかな
大学の俳句合宿で、湯河原に来ている。卒業を控えて、アルバイトを沢山し、3月後半に立て込んだ旅行をこなしている。 数日前、沖縄から帰ってきた。ゼミ合宿で、久高島をサイクリングで回った。島の聖地を巡る合間に、まろやかな青の海のそばで遊んだ。皆でくるぶしを波に浸して、海鼠をつつき、海星を見つけ、貝殻を拾った。浅瀬に宝貝がぎっしり詰まっている穴があった。この貝を土に埋め、2〜3ヶ月後、5月か6月くらいに取り出すと、中の貝が死んで貝殻がつやつやになっている、と先生が教えてくれた。私を含む何人かは、ビニール袋に入れて持ち帰ることにした。 家に着いて、植木鉢に土を入れて埋めた。母と祖母に、この鉢には宝貝がいるからと言いおいた。水をやって育てるでもなく、ただ相手が(ほぼ確実に)美しくなるのを「待つ」。その不思議さが、新鮮でこころよく思えた。5月が待ち遠しくなった。
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2009-03-22
五句テキスト01
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