2009-11-01

テキスト版 2009落選展 石地まゆみ 葦の角

 葦の角  石地まゆみ

紺青の風を湖北のさくらかな
さざ波は鎮魂のこゑ葦の角
朝ざくら百戸の浦は銀泥に
辛夷の芽空に溶けたる光悦忌
はるけきは雲を見るとき蕗のたう
つくづくし茎に眠れる水を摘む
奥津城は土足を禁ず遠雲雀
糸取りの里ひそやかに養花天
小指なき仁王の右手鳥の恋
花樒亀のほつほつ乾きゐる
道連れは山へと入りぬ百千鳥
春光やベンチ毀れてゐることも
花の中嘘つく指となりにけり
春の鯉己があぶくを己が食み
桜満つ白紙といふはうつくしく
堕天使の風切拾ふさくら冷え
雲雀落つ勢ひの果てはゆるやかに
烏の巣一刻もてあましたる朝よ
乾し物の湖へなびきて豆の花
桜散る名物コロッケ揚がるまで
水温む竹細工師の指の胼胝
謳うては喉の埴色つばくらめ
蓮如忌の漁具と手鍋と並べ干す
船室の椅子は緑の目借時
春の鹿真昼の鬱を残しけり
苧環の猫伸び切つて失せにけり
くわんおんの雨聴く八十八夜かな
浮き苗を植ゑては蝌蚪の国乱す
筍の闌けて傍若無人かな
くひな鳴く前頭葉はどのあたり
網解いて綿菓子のやう五月来る
夏の蝶島に遊子のよく出逢ひ
老鶯に老鶯こたへ四足門
すめらぎも鳰の浮巣も匿へり
庭石菖言ひ置いてもう現れず
千重波に小さき帆立てて水馬
じやがいもの花真ん中は明るい子
二階には女の集ひ鯰喰ふ
夏の陽に笑ふがごとく竹瓮籠
日の暈やつばらつばらに小鮎の目
振り放つものを持たざり草蜉蝣
相論のむかしや小田の紅卯木
田植機を褒めて腐して田の翁
麦の穂の天を戒めかぐはしき
重なりの奥のちちいろ白牡丹
波に陽のたはむれ描きよ小判草
軽口に漁り小舟のうなぎ筒
髪の芯やうやう乾く青葉木菟
水や空残れるものに鵜の十字
あはうみは音の浄土や桐の花

1 comments:

上田信治 さんのコメント...

小指なき仁王の右手鳥の恋

「片手」だったら、ああ、指が一本欠けてるな、という立場を保てるのですが。「右手」は、とても「身」に近いことばなので、まるで我が身の小指が欠けているように思われる。そのやや切実な空白と、「鳥の恋」ということばの(声だけ聞こえる)鳥の不在が、照応している。興梠さんの句についても書きましたが「鳥の恋」という季語は、どうしてこんなにさびしいんでしょう。ものが〈仁王〉だけに、ちょっと「幸福な王子」のようでもあります。

桜散る名物コロッケ揚がるまで 

琵琶湖周辺を舞台に、しっとりと情緒豊かな50句。なぜか、何度読んでも、この句に立ち止まってしまう。その土地があらかじめ持つ興趣とはまた別の、「来てみたら、あった」という偶然感があるからだと思う。

ググってみると、ほんとにあるんですよ、名物コロッケ。