2010-11-07

林田紀音夫全句集拾読140 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
140




野口 裕



手毬忘れたけものの夜がガラスにくる

索道が嬰児のつかむ夜をもたらす

昭和四十八年、未発表句。一句目は、「手毬忘れた夜」と「けものの夜」がイコールなのだろう。二句目、索道はロープウエイ。昼間にどこかの山に登り、その楽しさが嬰児に幸福な夜をもたらした。二つの句は互いに裏腹の関係にある。

 

夕日全円土筆よりひろがる斜面

昭和四十八年、未発表句。まだ、夕日は地平にかかっていない。川堤か何かの斜面を見ると土筆があった。よく見るとここにもある、あちらにもある。どんどん土筆の領域が広がっていく。句意はそんなところだろうが、季語を前面に押し出した作りはこの時期には珍しい。

 
たたずめば流刑の水に照る四月

昭和四十八年、未発表句。前項に続いての句。流刑を作中主体に引きつけて読む読み方と、流刑を水の描写と読む両様の読み方ができる。それを巧みと取るか、印象散漫と取るかで好みも分かれよう。作意の中には、「水ぬるむ」という季語に関する軽い揶揄もあろう。変な言い方だが、未発表句らしい気軽さの中にある伸びやかな感覚を感じる。


群れ泣く嬰児の雨後へ降るさくら

昭和四十八年、未発表句。三句続けて取り上げる。この辺の句は、後年の有季定型指向への萌芽と見ることができるだろう。

幼児の集団が通る。泣き叫ぶ声が混じる。にわか雨のようだ。通り抜けた後の静寂の中をさくらが舞い散る。というような時系列を含んだ景の描写。この時期の発表句の中には見当たらない景色である。昭和四十九年「海程」に、「時に無音の喪の花となり園児帰る」とあるのがこの句の変貌後の姿だろう。

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