2011-01-23

〔超新撰21を読む〕久野雅樹の一句 上田信治

〔超新撰21を読む〕
自分と似た人
久野雅樹の一句……上田信治


散文的に茹ではうれん草とスパゲティ 久野雅樹(以下同)

失礼ながら、この作者は自分と似た人であるような気がしました。年も近いですしね。手持ち札が共通している、ということはあると思う。

  ひらめきて食ふパンプキンプリンパイ
  ぼろ市を見終へてセブンイレブンへ

いずれも「そんな報告いらん!」という反応が、即、帰ってきそうな句。一句は、何やら日常的な、どうでもよさそうなことに始まり、もっと「どうでもいいこと」へとつながって、ぐだぐだになって終る。これらの句の後半のカタカナ語は、人間の生(せい)の最も「どうでもいい」面を代表していると見えます。自選100句中に、同じ構造の句が3句あるというのは、作者は、この手がよほど気に入っているらしい。

ここに書かれている事象は、どう見ても、ランダムに選ばれている。つまりこれらは「一見どうでもいいが、実は大事なこと」について書いているのではなく、「本当にどうでもいいこと」についての句であって、それはどういうことかというと、本人にとってすら「どうでもいい」生の一切片が、本人には分からない理由で「世界」にとって切実なものである、という直感なのだと思う。

なぜ、唐突に「世界」かというと、この人が、俳句について「余技であり遊びであり、周辺的なものである」要するに「どうでもいい」ことだとしつつ、そのどうでもいいことに「深く参加することで、中心部分も含めた世界全体が豊かさを増すのではないか」と、作句信条で述べているからです。

「世界」とは、この私の生を成り立たせているものです。なんなら「神様」と言ってもいいのでしょうが、この人の場合、神というのが世界の兪なのでしょうね。

  利休忌や読めぬメニューの美しく
  君も吾も神の手花火ならばなれ



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