俳枕11
英彦山と杉田久女
広渡 敬雄
「青垣」15号より転載
英彦山(画像)は、大分県と接する福岡県の最高峰で、大峰山、羽黒山と並ぶ日本三大修験道場(山岳信仰の霊山)。明治元年の神仏分離令で、僧坊三千超の宿坊も激減し隆盛を失った。
英彦山の夕立棒の如くなり 野見山朱鳥
冬晴の音を立てたる英彦の鈴 後藤比奈夫
秋扇をひらけば水の豊前坊 黒田杏子
谺して山ほととぎすほしいまヽ 杉田久女
冬晴の音を立てたる英彦の鈴 後藤比奈夫
秋扇をひらけば水の豊前坊 黒田杏子
谺して山ほととぎすほしいまヽ 杉田久女
杉田久女は明治23年、鹿児島市生まれ。官吏の父の勤務に伴い、沖縄、台湾を経て東京女子高師付属高等女学校卒。大正5年、26歳で兄の赤堀月蟾に俳句の手解きを受け、「ホトトギス」に投句、虚子に師事した。
愛知県東部、小原村の代々の素封家の跡取りで、東京美術学校卒の杉田宇内と19歳で結婚。将来著名な画家夫人を夢見るも、夫は小倉中学校の美術教師として赴任。悶々としたなかで、万葉調で自我の強い作品を発表した。
英彦山の前書がある「谺して」の句は、久女の代表句。同山麓に句碑もある。昭和6年、40歳の折、大阪毎日新聞等主催の「日本新名勝俳句」で、十万余句から選ばれた最優秀20句「帝国風景院賞(金賞)」の作品。
翌年には、「花衣」を創刊主宰(但し5号で廃刊)し、九州で二番目の「ホトトギス」同人として常に鬼城、蛇笏、石鼎等と巻頭を競った。
生来の情熱家に加え一途で、一田舎教師の妻たるに安んぜず、隆盛し始めた厨俳句とも次元を異なる作品を生み出す「作家魂」(山本健吉)が却って誤解を深め、昭和11年、吉岡禅寺洞、日野草城とともに、突然ホトトギス同人を除名される。作品発表も出来ず、失意のまま精神の安定性を失い、昭和21年1月21日、大宰府の病院で逝去。享年55歳。
俳人坂本宮尾は、謎とされるホトトギス同人除名の経緯を、ホトトギスの他の女流俳人(星野立子、、中村汀女等)と異質な芸術家傾向の久女を虚子が忌諱し、虚子一途に必死に句集上梓を熱望するものの、煮え切らぬ虚子の対応に、秋桜子等アンチ虚子の助力を頼ったことで逆鱗に触れたとする。
そして、久女は厨俳句から脱却し俳句作家の道を意識的に歩んだ先駆者、美しいものを捉える直感力、天性の感性で、「久遠の芸術の神」から愛された幸福な俳人と結論付ける。
紫陽花に秋冷いたる信濃かな
防人の妻恋ふ歌や磯菜摘む
足袋つぐやノラともならず教師妻
ぬかづけば我も善女や佛生会
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
防人の妻恋ふ歌や磯菜摘む
足袋つぐやノラともならず教師妻
ぬかづけば我も善女や佛生会
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
逝去6年後、長女石昌子の熱意により、虚子の序文付きの「杉田久女句集」が刊行され、「俳句で可能な限りの広大な空間と時間とを正面から鎮めている」と飯島晴子は絶賛した。
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1 comments:
読みました。杉田久女は小説にもなったりして著名な俳人だと思います。
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