新年のごあいさつ
年末の挨拶として、たくさんの「良いお年をお迎え下さい」という言葉を、お互いどうし送り合う。
クリスマスは、地球に一つのクリスマスが訪れるようだけれど、新年は、家ごと人ごとに迎える年が別々ということだろうか。
家ごとに、人ごとに、それぞれ新しい年が来る。つい、玄関の外に立っている白スーツの喪黒福造のような神様を想像してしまうのだけれど。それはなかったことにして。
みなさんのところには、きっと良い年が来ていることでしょう。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
(上田信治)
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あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
日々いろいろなことがあり、自分の内外のコンディションもそのときどきに変化しています。ところが、どんなに状況が変化しても、俳句をつくったり、誰かの俳句を読んだりすると、自分がニュートラルに戻って行くのが分かるのです。たぶん、俳句のもたらす「結果」ではなく、つくったり読んだりする「過程」がそうさせているのでしょう。
ほかにこのような力をもつものがあるかどうか考えてみましたが、思い当たりません。映画を見ることも絵を見ることも好きですが、そうしているとき、私の気持ちはとてもワクワクと昂揚しています。楽しくて仕方がないのです。
でも、俳句をつくったり読んだりしているときに、そういう気持ちはありません。静かで平穏で、こつこつと向かい合っている気分です。
だからどうなのか、という結論は、特にありません。俳句は「趣味」でも「仕事」でもないなにかで、私の本質の近くにあり、私に必要なものだということなのでしょう。
年の初めに、自分にとっての「俳句」を、少しだけ考えてみました。
今年も「週刊俳句」が俳句から読者のみなさんに開かれた窓でありますように、微力ながらお役に立てれば、と思っています。
どうぞ宜しくお願い致します。
(村田 篠)
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新年明けましておめでとうございます。
生駒大祐です。
昨年はみなさまに大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
挨拶と言っても何を言えばいいのか困ってしまいますが、
今年の大きな出来事となるだろうことは、
僕が今年の4月から新たな地で働き出すことです。
それがどこなのかはまだ分かりませんが、
今一緒にわいわいしているみんなと離れてしまうことでしょう。
ネットなどでみんなと繋がっている今、
そんな心配は杞憂かもしれませんが、
ひとつ。
僕はみなさまを忘れないので、
みなさまも(できれば)僕を忘れないで下さい。
それでは、失礼いたします。
また元気にお会いしましょう。
(生駒大祐)
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昨年2011年、小誌『週刊俳句』は52の号を発刊。たくさんの読者と俳句や記事を寄せてくださった方々に感謝しています。今年また50余りの更新を積み重ねていくという、この号はその最初の一歩です。
今年2012年、週俳は、これまでと何か違ったことをやろうとは、きっとしません。これまでと同じように、日曜日が来たら新しい号がアップロードされる。それを繰り返していくと思います。
これまで同様、週俳をよろしくお願いいたします。
(西原天気)
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2012-01-01
2012年 新年のごあいさつ
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