2026-09-06
岸田祐子 俳句タロット2026 福田若之×千倉由穂〔前篇〕
2026-08-09
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】バナナラマ「I Heard A Rumour」
Posted by wh at 0:03 0 comments
「音数歳時記」活用句会 in 名古屋のお知らせ 西原天気
「音数歳時記」活用句会 in 名古屋のお知らせ
●2026年9月5日(土)13:00~16:30
●場所:イーブルなごや https://e-able-nagoya.jp/tours/access/
●参加費 500円
Posted by wh at 0:02 0 comments
2026-08-02
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】マイケル・フランクス「Eggplant」
Posted by wh at 0:03 0 comments
2026-07-26
近藤十四郎の二〇句・初期作品集
Posted by wh at 0:08 0 comments
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】マイケル・ジャクソン「Smooth Criminal」
Posted by wh at 0:02 0 comments
2026-07-19
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】maromaro「Moonlighting」
Posted by wh at 0:03 0 comments
2026-07-12
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】加山雄三「白い砂の少女」
Posted by wh at 0:03 0 comments
後記+プロフィール1003
後記 ◆ 西原天気
Posted by wh at 0:01 0 comments
2026-07-05
「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって〔後編〕
週刊俳句1000号 対談
1000号をふりかえって〔後篇〕
西原天気 × 上田信治
■ 「落選展」あれこれ
信治●「角川俳句賞落選展」も、ありました。
天気●話題になりましたね。人によって捉え方は違うだろうし、いろいろな意義も見いだせるでしょうけど、私が思ったのは、一次予選というブラックスボックスにちょっと穴をあけたという点。落選展には、一次予選を落ちた作品が多数並ぶ。『俳句』誌には通過した作品が並ぶ。比較できるわけです。
信治●たしかに。以前は、受賞作以外は掲載されなかったですからね。
天気●考えてみれば、落選作は、闇から闇へ、ですね、きほん。
信治●いまのような、候補作がいっぱい載るかたちになったのは、飯田さんの編集長の時代で「上田さんには悪いけど、今年から候補作を載せるよ」的なことを言われた記憶があります。
天気●「悪いけど」って(笑。いい人ですね。飯田さん。
信治●ただ、賞に対するアンチという意図はまったくなくて、それよりは、せっかくの50句作品なんで、人目に触れさせようよ、と。れおなさんが、『俳句』の時評的な欄で、田島風亜さんという方の50句をとりあげてくださったこととかはよかった。あと、クズウジュンイチさんがどういう書き手かとかって、落選展がなかったらみんな知らなかったと思うので、作品発表の場として、機能していたとおもいます。
天気●落選展って、たしか週刊俳句が最初ではなくて、ハイクマシーン、佐藤文香さんと谷雄介さんと信治さんの3人ユニットがまず落選展をやったんですよね?
信治●はい。はじめは、ハイクマシーンの二人にあおられて、ハイクマ全員、「角川俳句賞」と「俳句研究賞」合わせて100句で応募しよう、というアクションでした。賞に、よってたかって応募しようぜ、という。俳壇に入れてほしくて応募するというよりは、そこに我々が参加することで、勝手に自分たちのお祭りにしてしまおうと。はい、落ちましたー、こんな作品でしたー、来年はもっとみんなで応募して「落選展」で騒ごうぜという。なんていうんだろう、バカだったのかな(笑)全体として、この試み、編集部からしたら、ご迷惑でしかない。角川はよく見逃してくれていたと思います。
天気●想像するに、あくまで想像ですが、苦々しく思ってたんじゃないですか。落選展だけが理由じゃないでしょうけど、「あの週刊俳句ってやつ。なんなんだ? あれは」みたいな感じ。と、そのほうがおもしろいんですが、実際は、それどころじゃないと思います。月刊誌の大変さは、いちおう経験して知っています。『俳句』誌にとっての「外部」は、原稿依頼する(有力)俳人諸氏までで、その外側、週刊俳句も含まれますが、「大気圏外」だと想像します。
信治●「角川俳句賞」という名称は、使ってましたし、応募要項にも、その賞の応募作を、こっちに送ってくれと書いてる。正面から「やめてくれ」と言われたら、やめざるをえない。
天気●角川の対応如何、ということですね。この場合、一般的に、本家としては鷹揚が一番。狭量という印象を避けるべきですから。その意味では正しい対応。それでも落選展主催者の信治さんとしては、不安を抱えながらだったのですね。いま知りました。
信治●や、まあ、いざとなったら「ごーめーん、あやまったら、しまいや」くらいのスタンスで。
天気●それ、だいじ。
信治●依光陽子さんや仲寒蝉さん、岡田一実さん、対中いづみさん、佐藤文香さん、藤田哲史さん、谷雄介さん、生駒大祐さん、三島ゆかりさん、堀下翔さん、山田露結さんと、そうそうたる方たちに「落選展を読む」を書いていただいた。週刊俳句は俳句を読むことを大事にしてきたという自負はあります。
天気●はい、読む運動、でした、週刊俳句のそもそもが。ただ、この「落選展を読む」というのは、ほんとうに大変な作業です。50句を10作品、20作品と読んでいくわけですから。
■ 俳句の風景/やりきったみたいな言い方
信治●でね、二つの池の水位を測るの話に戻るんですが、落選展はじめたころは、「俳句」が、風土詠にすごく力を入れていたじゃないですか。天気さんが、一回だけ応募して次点になったとき受賞した方も、そうでしたよね。
天気●ああ、そうでした。調べると2006年。バリバリの風土詠でした。漁村だったかに舞台設定したような連作。次点というのは角川賞にはないので、私のが最後まで俎上に載ったということですね。ただ、あの一連の出来事は私にとって、俗に言う黒歴史。あと、それから、あのときかぎり「1回だけ」と、私も記憶していましたが、週刊俳句に落選展を見ると、その後、2回かな、応募していますね。予選を通過しなかった。
信治●天気さんは、一回目の応募で、しかもいつもの天気さんの俳句で、最終候補に残ったんで、実力見せたなという印象でした。
天気●んんん、どうでしょうか。実力はない。信治さんたちが盛り上がっていたので、それじゃあ、ちょっと付き合うか、という感じで、覚悟もなかった。自分ではあまり気に入っていない50句でしたしね。それを言うのなら、村田篠さんは、俳句研究賞の最初の応募で、いいところまで行った。黒田杏子さんに激賞されてましたし、信治さんも、角川俳句賞の選考座談会、この流れだと信治さんの50句だろう、なんで、最終的に違う作品? という回がありました。まあ、それはともかく、風土詠の話。
信治●あのころの「風土詠」推しは、自分からするとピンと来ない。内容とか素材の、俳句かくあるべしから入る方法は、ぜったい俳句の本筋じゃないのだが、ぶつぶつ……という本音はあった。
天気●本筋がどこかにあるかはともかく、メインストリームが評価してたんですよね、風土詠的なものを。いわば民謡みたいな世界、むかしのNHK「新日本紀行」みたいな世界には、私はまったく興味はないですが、俳句の主流・俳句の主成分はそうなんだろうなといった諦めはありました。
信治●で、週刊俳句をやりつつ、自分の見てる俳句の風景はこんなかんじなんですけど、ということを、10年やってるうちにですね、角川俳句賞は、予選通過作の傾向がガラッと変わったじゃないですか。そして、受賞するのが、自分たちと俳句をやってた人ばっかりになってきた。
天気●それはまさしくそうかもしれません。2007年の津川絵理子さん、2009年の相子智恵さんと、ふだんから目にする名前が受賞、2010年にはなんと山口優夢さん(望月周と同時)。少し紹介を飛ばして、2017年は月野ぽぽなさん、2018年は鈴木牛後さん、2019年は西村麒麟さん(抜井諒一さんと同時)。週刊俳句に書いていただいていた人たちが続々入賞するようになった。そして2021年には岡田由季さん。あきらかに風景が違ってきた。
信治●賞というのは応募作から選ばれるものなんで、いま、あの賞に集まって来ている作品は、かつての落選展的な、もっといえば、すごく「豆の木」っぽいものになってきてるはず。繁華街が、だんだん西に移動するっていう話がありますが、いまね、俳句のもっとも盛(さか)ってるゾーンが、ずるずる移動して「豆の木」のところまで来てる(笑)。二つの水源がやっぱりつながってたんだあということが証明されたような気がして。
天気●「豆の木」に近づいていったという把握がどうかはさておき、豆の木の人たちは、現代俳句協会系の賞は、わんさか受賞してるんですよ、こしのゆみこさん(現代俳句新人賞、作品賞)以来。
信治●「週刊俳句」を始めたころ、自分のまわりに見えていた俳句の風景って、非マジメな、言ってしまえばサブカル的なものとして、俳句をやってみようとしている一群の人たちで。でも、ポップであることが、ハイカルチャーを志向する経由地となるような俳句の事情について、書いたか話したかした記憶もあるんですが、「週刊俳句」での見聞、知見をベースに『俳コレ』を編集したのも、それで。
自分にとって、俳句は、面白とハイカルチャーを直結して、自分のバックボーンであるサブカル的なものにけりをつけるという運動でもあった。で、ネットというか、たまたま自分のまわりにあった面白い俳句と、総合誌+結社の正統な俳句、それを一つの物として扱うことは、虚子、素十、爽波、白泉、耕衣、池田澄子をすでに知っていた自分にとっては、ごく自然なことだった。それが、あっちの俳句とこっちの俳句をぜんぶつなげて扱うというのはそういうことで、だから、池をつなげて水位を測るということはやったし、週刊俳句でできたらいいな、と思っていたことは、じゅうぶんに目的を果たしたとも言えます。
天気●あれれ? もうやりきった、終わったみたいな言い方じゃないですか。フェイズ2のほうがおもしろいかもしれませんよ。例えば、若い人のこぢんまりとした同人誌や個人誌がかつてないほどたくさん出てきているように思います。いわゆる俳句ミニコミが盛大に。
信治●それって、新しいエコールが生まれているってことでもあって。たとえば「ねじまわし」の人たちが志向するところって、自分が考えていた遊びの俳句の延長線上にはない。「群青」の若い人たち、ていうか、俳句甲子園のあの世代が、いろんな場所でやっていることも面白い。「オルガン」も面白いし、結社としては小規模の「秋草」も充実してる。寺澤一雄さんの「鏡」に、佐藤文香さんと岡田一実さんがいることも、面白い。
天気●そこで、ミディコミ(中規模のメディア)としての週刊俳句は、かつてマス(=俳壇/総合誌)に向けていた注意や関心を、ミニコミに向ける。それがフェイズ2、第1001号以降の「身のふりかた」だと考えることもできる。まあ、それこそ、いまの当番のカラダとアタマとココロがどこまでもつかという話にはなるんですが。
(次回「対談余滴」につづく)
西原天気【句集を読む】Around Edo River 依光陽子『ふ、は鳥に』を片手に
Around Edo RiverPosted by wh at 0:05 2 comments
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】ゾー・アンバ「デッドエンド・ストリート」
Posted by wh at 0:03 0 comments
2026-06-28
「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって〔中篇〕
週刊俳句1000号 対談
1000号をふりかえって〔中篇〕
西原天気 × 上田信治
≫〔前篇〕はこちら
■ 水位/俳壇/独立系の野良俳句
天気●「二つの水位を測る」という話で、前回は終わりました。結果はどうでしたか? 19年経ってみて。この質問はひどく性急で、野蛮ですが。
信治●やったか、やらないかという意味では、やりました。たとえば、10句作品。この人は、という人に、依頼状を出して俳句を書いてもらう、それは集中的にやりました。それこそ俳句史に名を残すような作家にも頼むし、逆に、自分と同様の(言葉は悪いですが、あえて誇りを持って言えば)「野良」の、俳壇的には位置づけ不可能な書き手にも頼む。
天気●「野良俳人」は、私がこのところ俳句の集まりに出たときに使っている肩書きです。所属がなくなっちゃったこともあって。
信治●「○壇」というものの本質は番付で序列なんで、という話もブログか『週刊俳句』で、したおぼえがあります。
天気●はい。たびたび話しました。「壇」という以上、高低差がある。
信治●そうそう。その序列から逆算された価値体系と、関係のない発注があっていい。発注すること自体が面白いし、俳句だって、私たちの誰かがいいなと思ってお願いしてるんで面白いわけです。
天気●アーカイブの「俳句作品一覧」を眺めると、一目瞭然。たとえば八田木枯、池田澄子、主要結社の主宰から、かまちよしろうまで並んでいる。秩序無視…というんじゃないな、秩序を横目でしか見ないというか、秩序軽視というか、このあたりは、個人的になんだか爽快感がありました。つまり、伝統ある紙媒体には「それにふさわしいピラミッド型」の人選で作品が並んでいる。一方、当時のインターネットには、いわば独立系、無名、さきほどの言い方なら「野良」の人々が蝟集しているような様相。『週刊俳句』は、そうした対照・二項対立に従わなかった。そこがやっていて気持ちよかったです。
信治●はい。それらすべてに、同等の価値があると言いたいわけではなくて。ここからここまで、同時にあるのが俳句の現在だと思いますよ、というプレゼンテーション。そして、そのどこからでも、優れた作品をとりあげ、楽しんでみせる、という実践ですね。
天気●ただね、旧来の秩序や権威に属する成分を取り込む、具体的にいえば、有力作家に参加してもらうのは、やはり難しかったわけです。そこは、信治さんもそうだと思うけど、ていねいにやった。「えい、やっ」ではなく、手順を踏んで、配慮もした……つもりです。
■ 筏の漂流/オルタナ/オンラインの内部と外部
信治●天気さんの言われる「秩序」との関係という意味では、初期の『週俳』で二人でやっていた「総合誌を読む」とか「年鑑を読む」。あれも、面白かった。
天気●はい。じつは、あの《『俳句年鑑2008年版』を読む》。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2007/12/20081.html
あれが、エスタブリッシュメントとの関係という意味で分水嶺、というか、なにかぐっと変わるきっかけになったと思っているんです。対峙はしないけど、崇めたりもしませんよ、といった。ざっくりした言い方ですが。
信治●「年鑑を読む」の〈2〉の「年代別作品を読む」のパートに
天気●(…)「40代」が、なぜか、すごく困ったんですよ。なんなんだろう、これは。
信治●ぼくたちの俳句観が、何かから、大きくずれつつあるとか。
天気●あはは。筏で、沖に流されて、陸がどんどん遠くなっていくような?
信治●あるいは、筏はとまってるのに、陸のほうがどんどん流されていくw
とあって、笑いました。天気さんとぼくの共通点として、あの悪戯好きなところがあるでしょう? 二人して、俳壇的なありかたについて、茶々を入れる、あるいは再検討を試みるということをしていました。でも、それは、俳句に対する親切心でやってたような気がする。
天気●んんん、これ、自分では悪戯という気はなくて、自分と「俳壇」のズレは、ずっと、なんらかにあります。へえ、こんなのがいいの? ぜんぜんいいと思わないけど? といったズレ。ただ、言い方が悪戯というか皮肉っぽくなってしまうことがあって(これはよく言われる)、でも、これもサービス精神なんですよ、自分なりの。
信治●サービス、まさに。あるいは、親切。
天気●でね、ズレがあるから、自分の好きなものについて書いたり話したりするんだと、いま思いました。ズレがエネルギー源。ズレてなかったら、もっと黙ってると思う。みんなが「いい」と言ってるのに付け足すことはない。
信治●おもしろーいと思うと、言っておいたほうがいいと思ってしまう。そうか、でも、ぼくは意図はあったかもしれないです。『週刊俳句』が総合誌のパロディ、オルタナであることによって、シーン全体(とりあえず俳壇ですが)に対する批評が、可能になっていた、そのことを面白がってましたね。天気さんのいわれるズレを足掛かりに、もう一つの俳句の可能性の代弁をしていた、とも言えます。
天気●オルタナティヴではありますね。ただ、当初、「総合誌」の存在はあまりアタマになかったように思います。これはどこかでも話したと思うのですが、発想のきっかけは、何かのイベントの帰り、電車が一緒になった田島健一さんが「俳句のポータルサイト」が出来ないかな、と。軽い調子だったし、本人は忘れているだろうけど、それを聞いて、ポータルには興味がわかなかったけど、当時わりあい盛り上がっていたブログ(信治さんとも、ブログ記事のやりとりがきっかけだったと思います)を一箇所に集めてはどうだろうということで始めたのが『週刊俳句』。オンラインの内部の統合だったんです、もともとの発想は。だから、その時点では、オンラインの外部にある、リアルの句会とか人的交流、権威をもった俳句総合誌といったものは、あくまで「外部」であって、『週刊俳句』として強く意識してはいなかった。
信治●ぼくは『週刊俳句』誕生のすぐ前くらいに、俳句の世界は原稿料がほぼないのだから、ネットで総合誌が、つまり作品と評論を載せた雑誌形式のものが作れそうだなとは、思っていて。天気さんが『週刊俳句』を始めると聞いて、すぐ、あ、それができたんだと思いました。
天気●もう忘れたことも多いので、現時点で事情を捏造している危険性はありますが、俳壇のオルタナティブという要素を私が意識したのは、少なくとも数カ月続けたあとだったような。
信治●『週刊俳句』という、名付けが予言的だったんだと思います。
天気●ただ、ここが自分にとって重要なのですが、「インターネットの可能性」という文脈で捉えられたくなかった。当時は、そればかりでした(いまでもかな?)、『週刊俳句』が話題になるのは。あと、「インターネット俳句」とか。かんべんしてほしかった。『週刊俳句』がいちばん避けるべきは、リアルでかなわぬ俳壇とか結社とかをネット上で築くという印象をもたれてしまうこと。ネット上の俳壇ごっこ、結社ごっこ。それを避けるためでもあったと思います。リアル/既存の権威というとアレだけど、インターネット外部の俳句。それを『週刊俳句』という場に溶け込ませたかったというのがあります。
(つづく)
細村星一郎×西原天気【俳句なんやかんや】横たはる葡萄の房はくやしかろ〔阿部青鞋〕
柳俳合同誌上句会2026 外野席から選句する 湊圭伍×山田耕司
何だかテンションが高くて(俳句甲子園の影響?)、急ピッチで話してしまいましたが、楽しかったです。別の読みが出る緊張感と、山田さんならという安心感がありました。
山田●
ありがとうございました! 何かの機会に川柳の会に参加させてください。
Posted by wh at 0:05 0 comments
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】原田真二「サゥザンド・ナイツ」
Posted by wh at 0:02 0 comments
〔今週号の表紙〕第1001号 水族館 西原天気
〔今週号の表紙〕
第1001号 水族館
西原天気
懐かしさと海の世界を喪失したことへの悲しみが、水族館という経験の大半を占めていた。(略)科学者や蒐集家、それにアクアリストたちは、自然から海の生物を連れ出し、研究室にせよ、自宅の居間にせよ、そうした新しい秩序の世界に投入した。
Posted by wh at 0:02 0 comments
2026-06-21
「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって〔前篇〕
週刊俳句1000号 対談
1000号をふりかえって〔前篇〕
西原天気 × 上田信治
■ じつに見通しが甘い
信治●「週刊俳句」1000号ということで、上田がお願いして、天気さんと対談することにしました。天気さん、よろしくお願いいたします。
天気●はい。1000号が来ちゃいましたね。創刊当時、冗談のように「1000」を口にしていました。そのときの自分の年齢を計算して、「はたして生きているのか?」とも。まだ生きていました。
信治●そんなに続かないような気がしていました。天気さんは、身軽さが身上というタイプに見えていましたから、あっさり「やめどき」を見つけてくれるんじゃないかと。
天気●「やめどき」ねえ……(しばし沈黙)、それはまさしく、1000号でしょう? ここまで現実として続いてしまったものを「終刊」するのに、第1000号以上にふさわしいタイミングはない。でも、終刊にはならなかった。とりあえず。第1001号は出ます。
信治●自分がこんな年齢になるって、ぜんぜん想像がおよんでなかった。はじめたの40代ですから。「続ける」ということを、リアルに考えてなかったのはそのせいですね。
天気●さっき偶然、この話題にぴったりの記事を見つけちゃいました。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2008/09/blog-post_7553.html
週俳創刊から1年ほど経った時期に『銀花』からメールインタビューを受けた。これ見つけるまで忘れてました。で、その回答の拡大版みたいなものになってます。そこで(ほかでもたびたび言ってることではありますが)週俳の方向性とか運営の具体も説明しているんですが、興味深いのは次の文言です。
《(…)20年続けば1000号を超えます。その頃は、私はいないでしょうが、「もし続いていたら」と想像すると楽しい。》
《私はいない》と明言している。でも、「いる」。きっと、引退して、誰かが受け継いでくれた週刊俳句を外から見ているという、気楽な展望。ほんと、現実は甘くないです。
信治●そういえば、1000号記念の会にまぎれこんで「あの人だれ」と言われるのが理想だと、言われてました。
天気●言ってましたね、そんな夢みたいなことを。しかし現実には1000号記念のオフ会もなかった。その点でも、じつに見通しが甘い。
信治●「やめるなら、今しかなかった」。そういう意味でも、私たちは、見通しが甘いですよね。もうね、この甘さは「可愛げ」だと思って、自分を許すしかない。
天気●許しましょうよ、おおいに。終わって、(社交辞令的に)惜しまれて、なんて、ラーメン屋の閉店じゃないんだから。
信治●惜しまれてなるものか、と。
天気●でもね、第1001号を決断してよかったと思っていますよ。やめるにも、きっとエネルギーが要る。それって、ヘンな消耗だったりすると思うんです。
信治●だったら、むしろ、予想をうらぎって、だらだらやってみたほうが……。
天気●当初のもくろみどおり、「続いていくことで起こる何か」をたのしみにできるんじゃないか、と。これまでどおり、燃費のいい走り。あまりエンジンを噴かさずに、のんびりと続ければいいのではないかと。それと、なんらかの外的な要因でやめるという事態が、いつやってくるかわからない。いつかやってくる。だから、内的な要因、つまり自分たちの意思でやめることはないんじゃないかと、思い始めてます。
■ コレでは、まるで総会屋ではないですか(笑)
信治●「週刊俳句」を始めたことが、天気さんにもたらしたものって、なにかありますか。
天気●それは、もちろんたくさんあります。あたりまえだけど、人とのつながりが、まずある。で、それに尽きるかもしれない。なんだか、自分のキャラクターじゃないみたいにウェットなことを言っていますが、率直なところ、まずは、それだと思います。
信治●そっかー、そうですよねえ。
天気●例えば、信治さんとも、あの創刊前のインターネット上のやりとりで終わっていただろうし。それより大きいのは、若い人たちと知り合えたことかなあ。当番もやってくれた山口優夢くんあたりから始まって、いまも当番をやってる福田若之くんもそう。ほかにたくさん。俳句を続けていたとしても、週刊俳句なしだと、彼らと知り合う機会はなかったと思います。信治さんは、どうですか?
信治●すごく、いま、感慨深くてですね。というのは、自分は「人とのつながり」という言葉が、まったく思い浮かんでなかった(笑)。自分が週刊俳句から得たものとして、まず思い浮かんだのは「週刊俳句の人という肩書き」だったんです。ひどいでしょう?
天気●それは同じことだと思いますよ。私にしても、肩書きが広げてくれた「人とのつながり」ですから。
信治●それは、そうなんですけど、いま言った肩書きというのは、よく言われる、名刺作ったら、もう「記者」(「イラストレーター」「スタイリスト」とかも)というやつで。自分が、俳句の世界で(自称とはいえ)メディアの人としていられたことは、すごく大きかった。メディアの人間て、作家ヒエラルキーと無関係じゃないですか。結社に入ってたら、よその主宰とは口きけないですからね。カウンターパートじゃないんで。
天気●なるほど。肩書きという点は同じでも、その成果みたいなものの捉え方がちがう。「週刊俳句の人」として、俳句エスタブリッシュメント、既存の俳壇秩序にもズカズカと入っていけたわけですね。
信治●自分がなんとヤクザな人間であったことかと気がついて、おどろいています。コレでは、まるで総会屋ではないですか(笑)。でね、なにが感慨深いかというと、天気さんは、はじめから「自分で」何かをやろうとしては、いなかったのでは? それって、メディア観のちがいなんでしょうか。
天気●んんと、それは、記者と編集デスクの違いみたいなこと? あるいは、メディアとしての週刊俳句を、どう扱っていたかの違いってことですか?
信治●両方です。天気さん、ご自宅での句会をずっとやってらしたでしょ。豆の木の人も、佐山さんの句会の人も、学生たちも来てた。ちょっとよそでは読めないような句を読みあって、終わるとユキさんにごちそうを食べさせてもらう。そういう、俳句つながりで人が行き来することに、はじめから天気さんの関心の中心があったのかなあと。だから「週刊俳句」も、はじめから、人が来て何かして帰っていく、そういう場として設定されていたのでは、と。
天気●そのアナロジー、週刊俳句と自宅、自分では思いつかなかったけれど、当たっているかもです。人が来て、去っていく。だから、さかんに、メディアじゃなくて「場」という言い方をしてきたのですね。いまでもそう思ってます。「まるごとプロデュース」なんて、メディアの発想じゃないと思います。信治さんは、週刊俳句=メディアという捉え方が色濃い?
信治●不特定多数にむけての媒介のための道具、という意味では。ただ、媒介すべき中味が、こちらに、あらかじめあるわけではなくて。「恒信風」とか『俳句という遊び』(小林恭二)とか、ああいうものがもっとあるといいのになと。俳句にはメディアが足りないという直感だけはありました。「ハイクマシーン」は、谷雄介と佐藤文香にさそわれてはじめたもので、自分始動ではないんですが、あれを始めて、これこれという手応えがあって。
天気●信治さんは雑誌色が強く、私は店子を集める就職/アルバイト雑誌っぽい捉え方ということですかね。はっきりとした対照ではなく、傾向として。
信治●それはそうかもしれない。
天気●思い当たったのですが、さっき終刊の話をしましたよね。実際、具体的にどうなったら終わるんだろう? と考えてみたんです。いまの運営メンバーの全員が理由はどうあれ、「もうできない」「もうやめる」となれば、終わる。ところがね、そのとき、私なら、全員がいなくなるまえに募集すればいい。そう思いついたんです。「誰か、やるひと、いますか?」って。ラーメン屋が閉店する。味は受け継がなくていい。居抜きで、誰かやりませんか? と。その発想は「場」>メディアだなあ、とつくづく。
信治●めちゃくちゃ、いい考えですね(笑)。よさそうな人だったら、明日にでも代わるかも。
天気●いやいや、明日はダメでしょ?
■ 20年前のいろんな俳句の風景
天気●すこし話を戻したいんですが、さきほど、ご自分のことを「メディアの人」と呼んだ部分です。そこで思い出したのが、むかしよく言われていた「二つの池の水路をつなぐ」。そこに返っていくわけですね。
信治●あ、そういうことかもしれません。当時、つまりだいたい20年前、いろんな俳句の風景が見えていて、一つは、自分が俳句の入り口にした、ネットの句会、掲示板やブログ、天気さんが遊んでらした俳句の「界隈」、もう一つは、より俳壇寄りの、結社と総合誌を中心に置いた俳句。あと、一人で読んでいた、朝日文庫の「現代俳句の世界」のような、虚子以来の近現代俳句というもの、そこには、ホトトギスから耕衣や白泉まである。これ、全部ばらばらのようだけど、自分において、一つになるはずなんだ、一つの全体、一つの現在として扱えるはずだ、なぜなら自分がそう読んでいるから、という、初心者なりの思い込みがあって。
天気●虚子から「現代俳句」までの歴史的な部分を除くと、水平軸として、俳壇:結社/総合誌がひとつ。もうひとつがネット俳句界隈。信治さんにとって、このふたつの「池」は離れているように見えて、水路でつながるはず、という解釈でいいんでしょうか?
信治●そうですね、俳句の現在というやつ。ネットというか、先行する同人誌として「恒信風」と「豆の木」、あと天気さんたち、あと東大と早稲田の学生俳句会。長嶋有、寺澤一雄、遠藤治、村井康司、斎藤朝比古、田島健一、宮本佳世乃、谷雄介、佐藤文香、山口優夢、神野紗希といった人たちが見えていて。あと、一方には「俳壇」かなあというものがあって(龍太も澄雄も湘子も存命でしたから)。で、この二つは、おたがいに測り合うべきだと。それができたら、楽しいことになるぞお、という。それが根本的なところにあったみたいです。
天気●その「測る」ツールのひとつが週刊俳句だったと?
信治●「週刊俳句」が始まって、天気さんに誘っていただいたことによって、そういうことができるかもという可能性が開かれたといいますか。なんか、そういうことができそうという高揚がありました。
(つづく)





