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2026-09-06

岸田祐子 俳句タロット2026 福田若之×千倉由穂〔前篇〕

俳句タロット2026
福田若之×千倉由穂〔前篇〕

記事化:岸田祐子


〔前口上〕
タロットカードで一句を占う。その第2弾。占い師は岸田祐子さん、占ってもらうのは、千倉由穂さんと福田若之さんの各1句。出現したカードを眺めつつ、岸田祐子さんに導かれ、みなであれやこれやとおしゃべりしました。(見物人・西原天気


手書きの@が細胞みたいで雨で春で 福田若之


一枚目「ペンタクルの9」・2枚目「ソードのナイト」・3枚目「ワンドのペイジ」

岸田祐子●タロットカードでペンタクルというのはお金とか土地などの財産や現実的なものを扱います。俳句ではないものを占っていたとしたらペンタクルの9は、努力が実るとか、やってきたことが形になるなどと言いたくなるカードです。ソードは理論とか知識を扱います。ナイトは青年期を表すので、勢いのある年代です。なかでもソードのナイトは、四人のナイトの中で一番スピード感のあるカードです。最後の一枚がワンドのペイジです。ワンドは棒のことなのですが情熱とかやる気とかそういうものを扱います。ペイジは小姓でまだ未熟な人を表します。ですから、これから何かを始めるという感じがします。情熱が芽生え始めるとかなのかな。どれもポジティブなカードです。けど……、難しい。

一同●笑い

祐子●でも、まずワンドのペイジが春っぽいなと思いました。

福田若之●ですね。

祐子●空の雲の色がピンクですし、桜のようにも見えてきます。新しいことを始めるという意味があるカードなのと、進学とか進級など世界が新しくなるということが春にはあるので。だけど、スピード感は私はこの俳句にはあまり感じられないかなぁ。@は金貨の形に似ていますね。

西原天気●スピード感があるって出ているのですか。

祐子●ソードのナイトのカードは速いです。

天気●後半の「で」にスピード感がありますね。

祐子●「みたいで雨で春で」と「で」をたたみかけるということですか。

天気●そう。そこで加速しますよね。

祐子●なるほど。言われてみれば。

天気●と、こじつけてゆくのが……。

若之●俳句タロットなわけですね(笑)

祐子●そうです、そうです!

天気●記号論とか象徴論とかも使いながら。だからその辺、脱線しまくっていいと思いますよ。前回は贈与論の話まで出たんだから。

祐子●あと、今、思ったのですが「@が細胞みたいで」とありますから9個に分裂したのかなって。@の形と金貨の形は似ていますし、細胞が分裂して増えることを実りと言っていいのか分かりませんが。

天気●言っていいでしょう。

祐子●そうしたらやっぱり、それはペンタクルの9が「細胞みたいで」というところに合っているのかなと思います。

千倉由穂●手書きで書いた時の走り書きの感じにスピード感が出ているのかなと思います。この俳句だけだと一つのメールアドレスを書いていたのかなと思ったのですが、9が出ているので沢山のメールアドレスを書いているのかもしれません。だとしたら@が連なっているとも考えられそうかな。@って、メールアドレス以外に何か使いましたっけ?

若之●手で書く場面というと僕もメールアドレスを教える時を想定していました。あとは、若者言葉的には「どこそこに居ます」という時に@を使います。

祐子●@にはそういう意味があるのですか。

若之●もともと@はアドレスを示すためのマークなので。

祐子●@のことをアットと言いますか?

由穂●アット西国分寺みたいに言います。

祐子●そっか、実はこの句はアットと読むのかアットマークと読むのかどっちかなってちらっと思ったんですよ。だけど@のことをメールのアドレスと思い込んでしまったのでアットマークって読んでしまいました。

天気●あぁ、でも人に伝えるときはアットマークって言うよ。

若之●そっか、そうなんだ。僕は自分で言うときは結構「アット」って言うんですよ。

天気●ただ、意味的にはどこそこに居るということですよね。9と結びつけたいのですか?

祐子●私はペンタクルの9のカードにある金貨の絵と@が似ているなって。ただ、アットと読む方が17音の定型に近いのかなって。

若之●定型には近いですね。

天気●他のカードは何が出ているんですか。

祐子●ソードのナイトとワンドのペイジです。ソードは決断や理論、知識、情報が管轄です。ナイトだから肉体的に一番充実している年頃の人。特にこのソードのナイトは速いです。スピード感に溢れる。ワンドは情熱とか勢い。ペイジはまだ幼い。未熟だけれど純粋無垢。

天気●ワンドのペイジのことを思えば、この句の口調は成熟というより無垢な感じがありますよね。若之くんの青春っぽい句はみんなそうだけど。

若之●「いいさし」という感じですよね。

天気●ソードのナイトは馬で速いのだからメールと合います。

若之●まさしく、情報の速度。

天気●スネイルメールより速い。

祐子●スネイルメールって何ですか?

天気●蝸牛のメールということで紙の郵便のことをスネイルメールって言います。最近は言わないの?

若之●言わないですね。

天気●昔は電子メールと区別をつけるためにこの言い方をしたんです。

若之●ソードのナイトはやっぱりそういうイメージなのかな。句の内容に関わるイメージが先に立つのかなと思います。

祐子●確かにそうですね。@がメールのことだとしたら情報ですものね。

由穂●手書きのスピードと、とりあえずここにメールアドレスを書いてということで、関係性が急速に近づく感じがあります。

祐子●もう、急いでむにゅむにゅむにゅって書いている感じ。

由穂●関係性が始まる感じもあるかなと思います。

若之●このタロットって背景の図柄にも何か意味があるんですか。

祐子●あります。例えば、ペンタクルの9だったら果実が実ってて天気も良さそうだとか。ソードのナイトだと天気は少し不穏な感じだけれど足元に花が咲いているとか。そういうことを細かく見てゆきます。

若之●ワンドのペイジの背景にあるピラミッドがすごく気になっていて。

祐子●何でしょうね。でもこのカードで出てくるピラミッドはなんとなくポジティブな感じがします。

天気●エジプトのピラミッドですよね。

祐子●灼熱の世界がワンドの世界なんですって。灼熱が情熱だと思うのですけど。だから砂漠なのかな。

若之●なるほど、そう繋がるんだ。そうしたら細胞の中に熱があるんだ。たぎってるんですね。

祐子●ペイジだと若いってことだから、フレッシュな細胞がどんどん生まれているのかなぁ。死んでゆく細胞ではなく生まれてくる細胞という感じ。

若之●由穂さんがさっき、走り書きの感じがって言っていたけれど、走り書きの@は元気な細胞にも見えるのかな。

由穂●躍動感がありますね。なんか、どんどん思考が広がってきて面白いです。カードを手がかりに句を読みたいのに、自分の中でまだ俳句とカードがうまくつながっていなくて、分裂しています。だから、これから言うことはここだけの話となってしまうかもしれないのですけど。この句は@という文字の形が特殊なので、どうしてもそこに目がいってしまいます。でも、むしろ、この句の一番のわからなさは@を「細胞みたい」と言っているところなんですよね。

天気●その理由をカードに聞いてゆくという集まりです。

由穂●わからなさのヒントはカードの中にあるんだろうけど。

祐子●細胞、細胞、そうだなぁ……。

由穂●細胞には怖さもありますよね。増殖したり。

祐子●そういう意味で考えれば、実ってゆくということは増えてゆくということですよね。

由穂●よく見るとペンタクル9のカードの金貨の奥に葡萄みたいなものが描かれていて、それが細胞っぽい怖さがあります。

若之●ありますね。

祐子●この葡萄みたいなもの、見た目も細胞っぽいですね。

若之●ペンタクルの9って、実りとか富とかっていう意味なんですかね。

祐子●このカードはそういう意味です。こういう数字のカードは小アルカナと言います。小アルカナは1から10までの数字札と、ペイジ、ナイト、クイーン、キングという4枚の人物札で構成されています。小アルカナの数字札は1から10までなので、9はもう終盤の数字です。かなり実っていて結構収穫があるよというカードになります。

天気●ペイジってどういう意味でしたっけ。

祐子●小姓、まだ子供です。

若之●さっき、天気さんが贈与論の話をしたのでそれに引っ張られてしまっているのかもしれないのですが、貨幣というものは交換するものだから@が貨幣に似ているというのは、何かと置き換えできるということなのかなぁと。

祐子●手書きの@が何かに置き換えできるってことですか。

若之●メールアドレス。メールアドレスって結構変更したりしますよね。

祐子●そうだ。ずっと同じアドレスとは限らないですね。変わったりしますね。

若之●あ、あとは、アドレスを交換するということができるか。多分、片方だけがメールアドレスを教えて終わりっていうことはあまりなさそう。お互いに教えあう。

由穂●今調べてみていたのですが、@は会計において一般的に用いられる記号らしいです。

若之●え、会計で使うんですか。何を表すんだろう。

由穂●主に単価あたりの金額を表すそうです。例えば、@1000円と書いたら一単位あたり1000円ということです。

祐子●へー、知らなかった。じゃあ本当にお金というか価値って感じですかね。住所とかも価値といえば価値かも。

若之●はははは。もしかしたら、これ、面白い読みになるかもしれませんね。

由穂●もともとは請求書などに用いられていたのだけれど、レイ・トムリンソンという人が電子メールアドレスに用いて、1990年代以降に広く普及したみたいです。ちなみに、私と若之さんは同い年で1991年生まれです。

祐子●じゃあ、生まれた頃にはもう@が電子メールで広く使われるようになっていたのですね。それ、細胞分裂して変わっていったんですかね。

若之●記号の意味が育ったんだ。

祐子●手書きで@を書き続けるとだんだん疲れてきてぐにゃってした@になったりしそうじゃないですか。そういう間に@の意味がまた別のものに変わってゆくのかもしれないですね。それって細胞分裂みたいな感じがします。

若之●育ってゆく感じがします。@の意味の変遷が普通に面白い話だな。これ、知らなかった。

由穂●国ごとに意味が違うみたいです。さっき出てきたスネイルメールの蝸牛もそうですし、アヒルとか。見立てる形によって違うみたいです。一つの記号にいろいろな意味が入っていますね。

祐子●@は意味が固定されていた訳ではなかったのですね。それはご存知でしたか?

若之●いやいや、知らない。知らずに作っていました。

由穂●ワンドのペイジはソードのナイトの見習いなのですか?

祐子●タロットではそういう上下関係ではないと思います。ペイジ、ナイト、クイーン、キングはそれぞれのスートにいる人物カードです。タロットカードの小アルカナは4つのスートに分かれています。トランプと似ているのです。ハート、スペード、クラブ、ダイヤの4つにトランプが分かれているようにカップ、ソード、ワンド、ペンタクルの4つがあるので、ワンドとソードではスートが違いますね。

天気●ダイヤは槍なのかな?

祐子●ダイヤはお金のことです。スペードがソードで、クラブがワンド、ハートがカップです。今回の占いでは出てきませんでしたがカップは気持ちや感情を表します。この句には春や雨といった情緒的な言葉がありますが、情緒はない。

若之●ほんと!? それは、まことですか(笑)

祐子●カード的には情緒の要素は出ていないです(笑)

由穂●でも、ワンドのペイジの背景に春めきを感じるという話も出ましたよね。

祐子●春めきは感じますけど、気持ちのカードは出てきていない。だからわりとドライなのかもしれないですね。景色は綺麗なのですけれど情感たっぷりというわけじゃないというか。

若之●あー、そうかも。

祐子●でも、ドライって言っても冷たい訳じゃないと思います。情熱はあるから。

若之●難しい(笑)

天気●湿っぽくない。

由穂●タロットに季節感を見出せる場合もあるのですか?

祐子●あると思います。ペンタクルの9のように実りとか収穫とかなら秋のイメージがあるし、花が咲いていれば春っぽさを感じます。私は、ワンドのペイジが被っている帽子についている羽に春らしさを感じます。ピンクとオレンジでふわふわしている。この後のピンクの雲が桜にも見えます。今日ちょうど、桜が咲いていたこともあってそれに引っ張られているのかなとも思いますけど。

天気●これは単なる興味で聞くのですが、図像という意味ではどのタロットカードも共通なんですか?

祐子●共通していません。一般的なというか多くの人が使っている図柄というものはあるのですが、新しい作家が新しい解釈で新しいカードを作っています。タロットカードによって絵柄は全然違います。私が使っているものは一番ポピュラーなライダー版というカードに準じたものです。

天気●じゃあ、今、使っているカードで占う時には背景が春っぽいとか感じてもいいけれど、そうでない場合は背景に何が描かれているかにはあまり意味がない?

祐子●そんなことないです。出てきたカードを見て読み取ります。

天気●そのカードの色合いから何かを読み取って構わないということですね。

祐子●そうです。

天気●もし、変わったデザインのカードを使っていたとしても、それはそれで読むと。

祐子●例えば、これが結構使っている人が多いと言われているライダー版の「ワンドのペイジ」の絵柄です。ペイジを比べてみるとこんな感じです。私が使っているカードは人間が猫になっています。


天気●ライダー版は、もっとおどろおどろしいんですね。

由穂●ライダー版のペイジは棒というより杖みたいなものを持っていますね。

祐子●そうですね。私が使っているタロットカードはライダー版に準じているけれどちょっと可愛くなっています。だけど、もっと全然違う絵柄のカードもあって、それは使う人が好きなものを選びます。あと、使う人にとって読みやすいか読みにくいかということもあります。もっとずっと抽象的な絵柄のものもあるので。

由穂●よく見るとカードの人物に表情がありますね。

若之●うん。それぞれの顔をしているな。ペンタクルの9のカードには鳥がいますね。何の鳥だろう。

天気●何の鳥かはわからないけれど、意味ありげだね。

若之●そうなんですよ。

祐子●鳥というと伝書鳩とかメールに繋げて考えられますね。

由穂●何か咥えてますね。

祐子●この鳥、どういう顔なのだろう。

天気●頭に何かついているようにも見える。

若之●ちょっとよく見ていいですか。えーっ、これどうなってるんだろうな。わかんない。

天気●解説書(をめくりながら)には何の鳥かは書いていないね。「鳥はいつでも飛び立てるけれど居心地が良いため好んで留まっている。女性もそうした自由な客を歓迎しているようだ」と書いてある。

祐子●自由に行き来できるというところにメールを思い浮かべました。

天気●確かにそうですね。ただ、まだ腕に止まっているということは送信済みではないのかもしれない。

若之●とりあえずメールアドレス伝えた段階ですから。

天気●そうしたら鳥がメールってことですね。

若之●ハゲタカみたいな鳥なのかな。

天気●猛禽類にしては小さいんだよな。

若之●ですね。ただ腕に止まらせる鳥といえば鷹狩などを思い出しますね。あっ!!! わかった、急にわかった。これ、鳥がこっち向いているんですよ。で、目が蠅みたいになっている。

由穂●オレンジが目なの? 仮面ライダーみたい。

天気●あー、わかる、わかる。だんだん見えてきた。

由穂●コンドルって頭に鶏冠みたいなのがついているからコンドルなのかも。

若之●肉食ですね。伝書鳩ではなかった。

祐子●ですね。でも、もし何かを運ぶとしたら速そうですね。

若之●かもめーるでもない。

天気●ペリカン便でもない。

若之●ペンタクルの9だけ女性なんですか?

祐子●はい。女性です。

若之●作った時の話をすると。2月に川柳作家の樋口由紀子さんが亡くなられました。その時にwebで追悼句会があって。参加してくださいと案内をもらっていたんですよ。3句出そうと思っていて、その時は仕上げられなくて出せなかったんですけど。この句はその時に出そうとしていたうちの一句をあとになって手直ししたものなんです。いわゆる追悼句ではないんですが、樋口さんのことを思いながら書いた句ではある。

天気●投句しなかったわけだ。

若之●出せなかったんですよ。出そうとはしたけど句が揃わなかった。それで、ペンタクルの9のカードに女性が描かれているので、樋口さん? ──ってちょっと思った。

天気●不達の投句だね。

若之●すっと立っている感じも樋口さんっぽいし。

祐子●届いてない投句、そうするとまだ鳥が飛んでいないのも説明がつきますね。3枚のうち女性が描かれたカードは1枚だけですね。

若之●ワンドのペイジの後に描かれているピラミッドはお墓だなぁとか。

祐子●確かに。

若之●自分では樋口さんへ向けた句という成り立ちがあったから、結構その辺りが気になりました。

由穂●体の向きにも意味はありますか? ソードのナイトとワンドのペイジはペンタクルの9の女性と向かい合っていますよね。

若之●ほんとだ。ペンタクルの9の女性に向かって運んでいるのかも。

由穂●ペンタクルの9以外はアイテムを持っているというところも気になります。

天気●ワンドのペイジからのメッセージをソードのナイトがペンタクルの9へ運んでいると考えられそうですね。

祐子●そうするとワンドのペイジが若之さんなのかな? だとしたら年齢差も。樋口さんの方が若之さんより年上ですよね。

若之●そうやって見ると符合してくるなあ。

祐子●そのエピソードは全く知らなかったけど……。当たりますね(笑)。

天気●手書きの@と樋口さんと何か結びつくものはあるの?

若之●感覚的なことで、樋口さんとの間で具体的に何かあったという記憶はないのですが、鶯谷駅前の定食屋で樋口さんと連句をまいたことがあったんです。樋口さんが捌きで。その時のことがすごく印象に残っているんですよね。何回かお会いしているんですけどその回が一番印象に残っている。たしか、初対面だったのかな。それまでも「ウラハイ」などで樋口さんが書かれているものは読んでいたので、ネットで先に知っていた。そういう人と実際にあって連句まいてということがとても印象的だった。あ、もしかしたら初対面はもうちょっと前にあったかも。でも、今となってはもうわからなくなってしまった。

天気●僕も樋口さんとだいぶ長いのに一番最初がどう出会ったか何も思い出せないんだよね。時間が経つと最初どうだったか思い出せないよね。

若之●そうですね。

天気●若之くんとの最初のことも全然思い出せない。覚えてる?

若之●ちょっと覚えてます。最初に会った時は、天気さんのご自宅でした。誰と来たかは覚えていないけど。

天気●ふーん。由穂さんのこともそのうち最初がどうだったか忘れちゃうよ。

由穂●その時、私が今日のこと話しますよ。でも、記憶って過去になるほど平たくなって、出来事の記憶の順番も前後してしまったりしますよね。

祐子●由穂さんと天気さんは今日が初対面ですもんね。ところで、樋口さんとは長いお付き合いだったんですよね? 最初のきっかけは覚えていますか?

若之●最初のきっかけは忘れてしまったけれど、知り合ってからはそれなりに長かった。ただ、「いつからですか?」って聞かれると明確な時間感覚がない。たぶん、やっぱり鶯谷がきっかけだと思う。

祐子●こういう話を聞くと、ペンタクル9の女性が樋口さんに見えてきてしまいますね。

若之●タイミングを見計らっていました。この話をしちゃうと他の話ができなくなると思ったので。

(後篇に続く)

2026-08-09

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】バナナラマ「I Heard A Rumour」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
バナナラマ「I Heard A Rumour」


憲武●女性三人のグループは、今まで数多くありました。スプリームス、スリー・ディグリーズ、ロネッツ、アンドリューズ・シスターズ、スリー・グレイセス、シンガーズ・スリー、オナッターズ、Perfume、BabyMetalと色々あるわけですが、今回はこちら。バナナラマで「I Heard A Rumour」。


憲武●この曲はアルバム『WOW!』(1987)に収録されています。

天気●打ち込み、シンセサイザー音のドラムやベース、それになにより、化粧の具合が、まさに80年代! という感じですね。

憲武●ええ、ちょうどわが邦ではバブルの頃ですね。バナナラマといえば、ショッキング・ブルーのカヴァー「ヴィーナス」(1986)を思い起こされる方も多いかと思います。「ヴィーナス」の大ヒットで、バナナラマを初めて知った訳ですが、失礼ですが「一発屋」だと思ってました。ところが次々と発表する楽曲が、極めていい。この「I Heard A Rumour」は、やはり大ヒットしていたマイケル・フォーチュナティの「Give Me Up」(1986)を想起させます。

天気●日本のこの頃のポップにも似たようなイントロとメロディがいっぱいあるような感じです。こういうのは具体的にどこが似ているというより、全体的な既知感。

憲武●今ではユーロビートといえばこの曲みたいな感じです。似てるなとずっと思ってたんですが、特に盗作とかパクリとか言われてなかったような気がします。曖昧な記憶なのでわかりませんが。最近になってググってみると、バナナラマの楽曲が、マイケル・フォーチュナティの楽曲に対する「アンサーソング」であるとか、触発されて作られた等、記してありました。アンサーソングと言われれば、不得要領ながら頷けるものもあるような。そういった感じです。

天気●まあ、何度も言うように、音楽は引用、ですから。言い換えれば、どの枠組みに何を入れるかですから。露骨かそうでないかの程度の違いはあっても。

憲武●それはありますね。80年代半ばに六本木のディスコ「エリア」「マハラジャ」などで、ガンガンかかってた記憶あります。「Venus」「Give Me Up」といったところですね。

天気●そうなんですね。そういうとこで遊んでたというのは、ちょっと意外です。私は行ったことがない。

憲武●学生の気分のまま社会人になってしまったような、そんな時期でしたからね。こうした一連の楽曲は、現場性と共に思い出されたりしますね。照明の感じとか、喋ってた内容とかと一緒に。六本木の「マハラジャ」を覗いてみたくなりました。

(最終回まで、あと553夜)

「音数歳時記」活用句会 in 名古屋のお知らせ 西原天気

「音数歳時記」活用句会 in 名古屋のお知らせ


西原天気


『音数で引く俳句歳時記・秋』を片手に席題を作句。刊行以来、大阪、神戸、京都、大津、仙台と巡業してきたイヴェント。こんどは名古屋です。

2026年9月5日(土)13:00~16:30

場所:イーブルなごや https://e-able-nagoya.jp/tours/access/

参加費 500円

紅紫あやめさん+瀧村小奈生さんのプロデュース。感謝感謝であります。

詳細と参加お申込みはこちら▽



2026-08-02

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】マイケル・フランクス「Eggplant」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
マイケル・フランクス「Eggplant」


天気●このところ頭の中の何割かを占めているのが茄子でして。というのは、区画借りの家庭菜園に6本植えた茄子の様子が毎日気がかりだし愉しみだし、来年はもっとこうするぞ、とか、とにかく茄子が重大事項。というわけで、マイケル・フランクスの「Eggplant(茄子)」(1976)を。


天気●茄子という曲名だけでも魅了されてしまうます。野菜を歌うなんて、そうそうない。

憲武●そうですね。わが邦では米津玄師の「パプリカ」くらいでしょうか。

天気●ただ、茄子の形状から暗示的にセクシャルな内容を聞き取る向きもあるようです。そうすると「名前はあかせないが茄子料理の得意な女性」ががぜん意味深長になりますが、ここではあくまで食べる茄子、焼いても蒸しても炊いても美味しい茄子を思い浮かべて聴きたいと思います。

憲武●19通りあるみたいですね。茄子料理。

天気●そう歌ってますね。

憲武●生でマヨネーズでって、一度試してみたいです。

天気●どうなんでしょう? 試す気はしないので、結果を教えてください。ところで、アルバム「The Art Of Tea」は当時の名うてのミュージシャンがバックを務め、音がほんと良い。当時何度も聴きました。

憲武●はい。聴いちゃいますよね。これ、デビューアルバムって、ほとんど疑っちゃいますが。

天気●この曲はジョー・サンプル(あのクルセイダーズの)のエレピーのリリカルな響きが印象的です。

憲武●最初から最後まで印象的です。ラリー・カールトンとか他にもスゴイミュージシャン数多ですね。当時はソフト&メロウって呼ばれてましたかね。

天気●この曲、小粋というのが当てはまる出来栄えです。頼りないヴォーカルとバシッと決まったバッキング。どっちもふにゃふにゃでは粋ではないし、どっちもバシッとしていても、それはそれで小粋から遠ざかる。このあんばいは大切です。さて、そろそろ水やりに行きますね。

(最終回まで、あと554夜)

2026-07-26

近藤十四郎の二〇句・初期作品集

近藤十四郎の二〇句・初期作品集
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西原天気謹撰

水風呂の臍までの水投票日
めだか死ぬ白いタイルは冷たいか
靴底より地球空洞説の泡
「ちょいまがり」胡瓜が盆に五六本
訃報あり素麺がゆでられている
墓地を過ぎ八月の底ゆく都電
砂町に死す海底に刺さる月
しおしおのぱあスイカ食う絶望
インク壺のぞけば遠く稲妻す
百舌の贄あるらし乾物屋金歯
星またたけばわたしはあなたの犬
かぼちゃかぼちゃ吾が癇癪の内と外
蛸の首腰にあり天高くあり
トランペット壊れたり十月の芝生
青蜜柑ノートは糸で縫ってある
フェリーニの大田区秋鯖買う夫人
ウォーレンオーツくしゃみする京成の踏切
マネキンの股間はつるりクリスマス
寅彦忌燃えないゴミは八日より
金属が溶けたかたちのままとなる


掲句はすべて『月天』創刊号(1997)~第10号(2007-08)より

創刊号(1997)10句目・19句目/第2号(1998)2句目・6句目・7句目・16句目/第3号(1999)1句目・8句目・9句目・13句目・14句目・15句目/第4号(2000)3句目・11句目/第5号(2001)12句目/第6号(2002)20句目/第7号(2003)5句目/第8号(2004-05)18句目/第9号(2006)17句目/第10号(2007-08)4句目

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】マイケル・ジャクソン「Smooth Criminal」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
マイケル・ジャクソン「Smooth Criminal」


憲武●時節柄いまはなんとなくマイケル・ジャクソンとゆう感じですので、Michael Jackson「Smooth Criminal」です。


憲武●この曲はアルバム『Bad』(1987)に収録されてまして、シングルリリースは1988年です。作詞作曲はマイケル・ジャクソンです。

天気●「人類史上最も売れたアルバム」といわれる『スリラー』(1982)の次作ですね。レコードを買ったことはないし、きちんとは聴いていませんが(わざわざ聴かなくてもどこかしこで鳴っていますからね)、音的にさらに洗練されて、クインシー・ジョーンズ・プロデュースの完成形みたいな印象。

憲武●「Off The Wall」からのクインシー・ジョーンズ3部作といってもいいかもしれません。タイトルの「なめらかな犯罪者」がよくわかりません。意訳して「手際のよい」という訳を見たことありますが、無理くりのような感じもします。歌詞もよくわからないロックな歌詞です。

天気●物騒な曲名、物騒な歌詞。

憲武●歌詞を聞いていると、空耳の症状を引き起こします。冒頭の「茶、宿直」はすでにタモリ倶楽部の空耳アワーで有名です。

天気●それ、歌詞を聴くというより、声を聴いていると、ですね。たしかに、あの空耳アワーの名作なしには語れない。

憲武●はい。空耳アワーではそのあと「朝からちょっと運動、表参道赤信号」もありましたが、僕には「朝から弁当、和田さんと赤信号」と聞こえます。ところで、マイケル・ジャクソンって、中毒性があると思います。先日、妻と映画『Michael/マイケル』を観てきたのですが、妻は当初あまり関心なさそうで「見てもいいよ」的反応だったんですが、観終わってからは毎日YouTubeでマイケル・ジャクソン観てました。

天気●魅力的な要素は多いんでしょうね。その映画は見る予定はないですが、『THIS IS IT』(2009)は良い音響で観たせいもあって、すごく良かった。

憲武●そうでしたね。またやらないかなあ。ダンスとかシャウトもですね。中毒性。家でついダンスの真似事などしてシャウトしてしまいます。外では恥ずかしいので、やりませんが。マイケル・ジャクソンはチャップリン、フレッド・アステア、ブルース・リーなどの影響を確かに受けてると思える動きが見られます。それらがマイケル流にアレンジされてて格好いいんです。

天気●ぎっくり腰に気をつけてくださいね。

憲武●い、それはもう。マイケル・ジャクソン亡くなって17年。飼っている三毛猫も生まれてから今夏で17年。三毛猫はマイケルの生まれ変わりではないかと思っています。 

(最終回まで、あと555夜)

2026-07-19

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】maromaro「Moonlighting」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
maromaro「Moonlighting」


天気●またまたヘンな人を見つけちゃいました。maromaroといってポーランドの人です。


天気●仮装系のミュージシャンはテクニカルな人が多いんでしょうか。アイバニーズ(日本のメーカーです)のギターを達者に弾いてはります。

憲武●かっちょいーギターですね。途中に登場するメガネの男性がmaromaroですね。ちょっとオカルト映画っぽい味付けしてます。銀色の仮面がグッドです。

天気●何の仮面なのか、よくわかりませんが、三日月? 不健康で夜なかんじの音楽です。ポーランドって、よく知らないのですが、土着・民俗っぽさも感じる。まあ、おもにこの動画の見た目から来る印象なんですが。

憲武●ポーランドといえばバレーボール強いですね。先日のバレーボールネーションズリーグ(女子)での激闘が鮮烈です。ユリタ・ピアセツカ美人過ぎます。行ってみたい国の一つです。

天気●きっとYouTubeからの音楽発信がさかんになって、そこで目立つには、これくらい振り切ってやらないといけなんでしょう。ヘンテコな人が大好きなので、大歓迎です。

(最終回まで、あと556夜)

2026-07-12

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】加山雄三「白い砂の少女」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
加山雄三「白い砂の少女」


憲武●夏のイメージの人って、結構いると思いますが、この人もその一人ではないでしょうか。加山雄三「白い砂の少女」。


憲武●作詞は岩谷時子、作曲が弾厚作です。弾厚作は加山雄三のペンネームですね。4曲入りのシングルだったかと思います。バックの演奏はランチャーズでしょう。

天気●独特ですよねえ。好きでもないし、興味もないけど。歌謡曲とも言い切れない。バタ臭いとも言い切れない。アレンジ的には、裏メロのエレキギターがただただひつこくて(弾かないところをつくるという発想がないのか?)、音やフレーズがちゃっちい。

憲武●ランチャーズって、本業は東宝の俳優の人たちですからね。そのひつこいところ、今ふと思ったんですが、ウエスタン風味にしてるのではないかと。加山雄三って、小さい頃から「君といつまでも」と「お嫁においで」くらいしか聞いたことなかったんですが、高校1年のバレー部の夏合宿にOBの先輩が一人来てて、朝も夜もずっと加山雄三をラジカセで聴いてたんです。昼は練習でヘトヘトで、短い休み時間も加山雄三。

天気●地獄じゃないですか。ふつうはトラウマ的に嫌悪するのでは?

憲武●そのOBって、元部長でわりとみんなから親しまれてる人だったんです。だからみんな仕方ないかな、みたいな感じでした。最後の夜の余興では、みんなで「蒼い星くず」を歌ったくらいで。その頃って加山雄三がドラマの主題歌だったか「僕の妹に」って曲で再ブレイクしてたんです。だからだったんでしょうか、そのOBの先輩は6月の県大会予選で負けて、バレー部引退したあと応援団作っちゃうくらい男気のある人でしたので、まあファンだったんでしょうね。

天気●悪気はなかったのですね?

憲武●そうですね。単に加山雄三が良いから聴いてるっていうのは、わかりましたから。ずっと聴いてたので自然に覚えちゃって、わりと気に入って、エアチェックも随分してランチャーズの頃のインストなども聴きまくりました。でも不思議とアルバムなどには手を出さなかったんですね。カセットテープで済ますという。

天気●カセットテープは流行が再燃らしいですよ。映画『PERFECT DAYS』や『カセットテープ・ダイアリーズ』を観ると、カセットデッキが欲しくなります。

憲武●それ、今考えてるんです。大学入ってから黒澤明とか若大将シリーズのオールナイト上映観て、俳優としての加山雄三も好きでしたね。加山雄三の歌はなんか飽きないんです。

天気●相性がいいんでしょうね。

憲武●アルバムを買おうと思ってます。ランチャーズの頃の「恋は紅いバラ」っていうアルバム。最近よりもやはり若い頃の加山雄三に惹かれます。

(最終回まで、あと557夜)

〔今週号の表紙〕第1003号 窓硝子 西原天気

〔今週号の表紙〕

第1003号 窓硝子

西原天気


窓硝子のむこうは夏野。

で、窓硝子の内側はきっと蠅。

そういうたぐいの、なにもない午後でした。

後記+プロフィール1003

後記 ◆ 西原天気


前号の「当番5人への「10の質問」」。「週刊俳句』を運営していくうえで、苦労すること/困ること」として福田若之氏が「後記に書きたいことがなかなか思いつかないこと」と答えています。まさしく、今が、そう。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.1003/2026-7-12 profile

依光陽子 よりみつ・ようこ 
1964年生まれ。「クンツァイト」。第44回角川俳句賞。句集『ふ、は鳥に』(2026年・左右社)。共著『俳コレ』(2012年・邑書林)他。

■岡田一実 おかだ・かずみ
1976年富山生まれ、松山在住。「鏡」同人。note(https://note.com/suisei13)で俳論やPDF句集などを発表中。

■吉川千早 よしかわ・ちはや
1982年生。澤俳句会同人。俳人協会会員。第10回新鋭俳句評論賞。

柳元佑太 やなぎもと・ゆうた

山奈々 なかやま・なな
1986年5月生まれ。歯の詰めものが取れたまま放置している。そろそろ行かねば。「百鳥」「淡竹」「川柳スパイラル」

■鈴木茂雄 すずき・しげお   
堺市在住。「Picnic」「KoteKote-句-Love」所属。Twitter「ハイク・カプセル」http://twitter.com/haiku_capsule

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年 第0句集「祝日たちのために(港の人)」山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

2026-07-05

「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって〔後編〕

 週刊俳句1000号 対談

1000号をふりかえって〔後篇〕

西原天気 × 上田信治

≫〔前篇〕 はこちら
≫〔中篇〕 はこちら

■ 「落選展」あれこれ

信治●「角川俳句賞落選展」も、ありました。

天気●話題になりましたね。人によって捉え方は違うだろうし、いろいろな意義も見いだせるでしょうけど、私が思ったのは、一次予選というブラックスボックスにちょっと穴をあけたという点。落選展には、一次予選を落ちた作品が多数並ぶ。『俳句』誌には通過した作品が並ぶ。比較できるわけです。

信治●たしかに。以前は、受賞作以外は掲載されなかったですからね。

天気●考えてみれば、落選作は、闇から闇へ、ですね、きほん。

信治●いまのような、候補作がいっぱい載るかたちになったのは、飯田さんの編集長の時代で「上田さんには悪いけど、今年から候補作を載せるよ」的なことを言われた記憶があります。

天気●「悪いけど」って(笑。いい人ですね。飯田さん。

信治●ただ、賞に対するアンチという意図はまったくなくて、それよりは、せっかくの50句作品なんで、人目に触れさせようよ、と。れおなさんが、『俳句』の時評的な欄で、田島風亜さんという方の50句をとりあげてくださったこととかはよかった。あと、クズウジュンイチさんがどういう書き手かとかって、落選展がなかったらみんな知らなかったと思うので、作品発表の場として、機能していたとおもいます。

天気●落選展って、たしか週刊俳句が最初ではなくて、ハイクマシーン、佐藤文香さんと谷雄介さんと信治さんの3人ユニットがまず落選展をやったんですよね?

信治●はい。はじめは、ハイクマシーンの二人にあおられて、ハイクマ全員、「角川俳句賞」と「俳句研究賞」合わせて100句で応募しよう、というアクションでした。賞に、よってたかって応募しようぜ、という。俳壇に入れてほしくて応募するというよりは、そこに我々が参加することで、勝手に自分たちのお祭りにしてしまおうと。はい、落ちましたー、こんな作品でしたー、来年はもっとみんなで応募して「落選展」で騒ごうぜという。なんていうんだろう、バカだったのかな(笑)全体として、この試み、編集部からしたら、ご迷惑でしかない。角川はよく見逃してくれていたと思います。

天気●想像するに、あくまで想像ですが、苦々しく思ってたんじゃないですか。落選展だけが理由じゃないでしょうけど、「あの週刊俳句ってやつ。なんなんだ? あれは」みたいな感じ。と、そのほうがおもしろいんですが、実際は、それどころじゃないと思います。月刊誌の大変さは、いちおう経験して知っています。『俳句』誌にとっての「外部」は、原稿依頼する(有力)俳人諸氏までで、その外側、週刊俳句も含まれますが、「大気圏外」だと想像します。

信治●「角川俳句賞」という名称は、使ってましたし、応募要項にも、その賞の応募作を、こっちに送ってくれと書いてる。正面から「やめてくれ」と言われたら、やめざるをえない。

天気●角川の対応如何、ということですね。この場合、一般的に、本家としては鷹揚が一番。狭量という印象を避けるべきですから。その意味では正しい対応。それでも落選展主催者の信治さんとしては、不安を抱えながらだったのですね。いま知りました。

信治●や、まあ、いざとなったら「ごーめーん、あやまったら、しまいや」くらいのスタンスで。

天気●それ、だいじ。

信治●依光陽子さんや仲寒蝉さん、岡田一実さん、対中いづみさん、佐藤文香さん、藤田哲史さん、谷雄介さん、生駒大祐さん、三島ゆかりさん、堀下翔さん、山田露結さんと、そうそうたる方たちに「落選展を読む」を書いていただいた。週刊俳句は俳句を読むことを大事にしてきたという自負はあります。

天気●はい、読む運動、でした、週刊俳句のそもそもが。ただ、この「落選展を読む」というのは、ほんとうに大変な作業です。50句を10作品、20作品と読んでいくわけですから。

■ 俳句の風景/やりきったみたいな言い方

信治●でね、二つの池の水位を測るの話に戻るんですが、落選展はじめたころは、「俳句」が、風土詠にすごく力を入れていたじゃないですか。天気さんが、一回だけ応募して次点になったとき受賞した方も、そうでしたよね。

天気●ああ、そうでした。調べると2006年。バリバリの風土詠でした。漁村だったかに舞台設定したような連作。次点というのは角川賞にはないので、私のが最後まで俎上に載ったということですね。ただ、あの一連の出来事は私にとって、俗に言う黒歴史。あと、それから、あのときかぎり「1回だけ」と、私も記憶していましたが、週刊俳句に落選展を見ると、その後、2回かな、応募していますね。予選を通過しなかった。

信治●天気さんは、一回目の応募で、しかもいつもの天気さんの俳句で、最終候補に残ったんで、実力見せたなという印象でした。

天気●んんん、どうでしょうか。実力はない。信治さんたちが盛り上がっていたので、それじゃあ、ちょっと付き合うか、という感じで、覚悟もなかった。自分ではあまり気に入っていない50句でしたしね。それを言うのなら、村田篠さんは、俳句研究賞の最初の応募で、いいところまで行った。黒田杏子さんに激賞されてましたし、信治さんも、角川俳句賞の選考座談会、この流れだと信治さんの50句だろう、なんで、最終的に違う作品? という回がありました。まあ、それはともかく、風土詠の話。

信治●あのころの「風土詠」推しは、自分からするとピンと来ない。内容とか素材の、俳句かくあるべしから入る方法は、ぜったい俳句の本筋じゃないのだが、ぶつぶつ……という本音はあった。

天気●本筋がどこかにあるかはともかく、メインストリームが評価してたんですよね、風土詠的なものを。いわば民謡みたいな世界、むかしのNHK「新日本紀行」みたいな世界には、私はまったく興味はないですが、俳句の主流・俳句の主成分はそうなんだろうなといった諦めはありました。

信治●で、週刊俳句をやりつつ、自分の見てる俳句の風景はこんなかんじなんですけど、ということを、10年やってるうちにですね、角川俳句賞は、予選通過作の傾向がガラッと変わったじゃないですか。そして、受賞するのが、自分たちと俳句をやってた人ばっかりになってきた。

天気●それはまさしくそうかもしれません。2007年の津川絵理子さん、2009年の相子智恵さんと、ふだんから目にする名前が受賞、2010年にはなんと山口優夢さん(望月周と同時)。少し紹介を飛ばして、2017年は月野ぽぽなさん、2018年は鈴木牛後さん、2019年は西村麒麟さん(抜井諒一さんと同時)。週刊俳句に書いていただいていた人たちが続々入賞するようになった。そして2021年には岡田由季さん。あきらかに風景が違ってきた。

信治●賞というのは応募作から選ばれるものなんで、いま、あの賞に集まって来ている作品は、かつての落選展的な、もっといえば、すごく「豆の木」っぽいものになってきてるはず。繁華街が、だんだん西に移動するっていう話がありますが、いまね、俳句のもっとも盛(さか)ってるゾーンが、ずるずる移動して「豆の木」のところまで来てる(笑)。二つの水源がやっぱりつながってたんだあということが証明されたような気がして。

天気●「豆の木」に近づいていったという把握がどうかはさておき、豆の木の人たちは、現代俳句協会系の賞は、わんさか受賞してるんですよ、こしのゆみこさん(現代俳句新人賞、作品賞)以来。

信治●「週刊俳句」を始めたころ、自分のまわりに見えていた俳句の風景って、非マジメな、言ってしまえばサブカル的なものとして、俳句をやってみようとしている一群の人たちで。でも、ポップであることが、ハイカルチャーを志向する経由地となるような俳句の事情について、書いたか話したかした記憶もあるんですが、「週刊俳句」での見聞、知見をベースに『俳コレ』を編集したのも、それで。

自分にとって、俳句は、面白とハイカルチャーを直結して、自分のバックボーンであるサブカル的なものにけりをつけるという運動でもあった。で、ネットというか、たまたま自分のまわりにあった面白い俳句と、総合誌+結社の正統な俳句、それを一つの物として扱うことは、虚子、素十、爽波、白泉、耕衣、池田澄子をすでに知っていた自分にとっては、ごく自然なことだった。それが、あっちの俳句とこっちの俳句をぜんぶつなげて扱うというのはそういうことで、だから、池をつなげて水位を測るということはやったし、週刊俳句でできたらいいな、と思っていたことは、じゅうぶんに目的を果たしたとも言えます。

天気●あれれ? もうやりきった、終わったみたいな言い方じゃないですか。フェイズ2のほうがおもしろいかもしれませんよ。例えば、若い人のこぢんまりとした同人誌や個人誌がかつてないほどたくさん出てきているように思います。いわゆる俳句ミニコミが盛大に。

信治●それって、新しいエコールが生まれているってことでもあって。たとえば「ねじまわし」の人たちが志向するところって、自分が考えていた遊びの俳句の延長線上にはない。「群青」の若い人たち、ていうか、俳句甲子園のあの世代が、いろんな場所でやっていることも面白い。「オルガン」も面白いし、結社としては小規模の「秋草」も充実してる。寺澤一雄さんの「鏡」に、佐藤文香さんと岡田一実さんがいることも、面白い。

天気●そこで、ミディコミ(中規模のメディア)としての週刊俳句は、かつてマス(=俳壇/総合誌)に向けていた注意や関心を、ミニコミに向ける。それがフェイズ2、第1001号以降の「身のふりかた」だと考えることもできる。まあ、それこそ、いまの当番のカラダとアタマとココロがどこまでもつかという話にはなるんですが。

(次回「対談余滴」につづく)

西原天気【句集を読む】Around Edo River 依光陽子『ふ、は鳥に』を片手に

【句集を読む】
Around Edo River
依光陽子ふ、は鳥に』を片手に

西原天気

江戸川は、東京都の東端。埼玉県や千葉県との境界を流れる。篠崎あたりで本流は千葉県を、旧江戸川が江戸川区、江東区と千葉県浦安市の境を流れる。地下鉄東西線葛西駅で降りて、西へ。浦安橋を渡って妙見島、23区内で唯一の自然島へ。さらに西へ、もう一度橋を渡れば、浦安。つまり千葉県。

江戸川や金魚もかかる仕掛網  依光陽子(以下同)

江戸川区は金魚の三大生産地のひとつ。金魚田から江戸川に迷い込む金魚もいるだろう。

この句集が出るずいぶん前から、この句が大好きですが、なぜこんなに好きなのか、説明はしにくい。《金魚》がキュートで、江戸川という地名には独特の情趣がある。《仕掛網》で意図せず偶然に《金魚》と出会う。それはたしかに劇的なのですが、誰か(例えば網を仕掛けた人)にとっては、ごくごく日常的な出来事で……と、こんなことを考えていると、ますます好きの度合いが増していく。不思議なものです。説明できない句ほど、自分の中で古びない、衰えない。ぴちぴちと輝きながら跳ねる金魚のように、いつまでも魅了しつづけてくれる。

ああ、そうそう。葛西駅からの散歩に話を戻しましょう。橋からは川の流れが見え、私が散歩したときには浚渫船が見えました。

浚渫船見てゐる昼のビールかな

だから、この句、飲食店ではなくて、缶ビール片手に橋の欄干から。そう想像してしまう。

あのあたり。というのは、妙見島と限定せず、江戸川の存在が色濃く漂うあのあたり。私は詳しいわけでも親しくしている土地でもないのですが、はじめに挙げた金魚の句のせいなのか、そればかりではないのか、『ふ、は鳥を』を読んでいるあいだ、頭から「あのあたり」が離れないのです。

もちろんそこを離れて愉しめる句、愉しむべき句はたくさんあります。《雛あれば雛の間と呼ぶ枕かな》の下五《枕かな》のほれぼれするような手際。《音と見やれば夕立の中に町》の展開のあざやかさ、構成のたしかさ。《あをき空映して黝き冬の水》の《あを》と《黝》。表記への細心の気配り。

集中に美徳は数多い。そのことは、たくさんの読者が感じ、ことばにしていくでしょう。優秀な書き手が的確な評言を重ねてくれることでしょう。だから、私は、好き勝手に、あのあたりを、この句集とともに、気持ちよく散歩することにします。

かの夏に未だとどまる喫茶かな

もっと繁華街、浅草や上野にたくさんありそうな喫茶店ですが、江戸川区、江東区なら、正味とどまっていそうな店が見つかりそうです。

ちょっと野暮に技法的・文芸的なことをいえば、喫茶店でも純喫茶でもなく、《喫茶かな》。ぞんざいになり過ぎず、抑制の効いた語り口です、この《喫茶かな》。作家の品質が出てしまう部分です。

仏壇と電話の黒き簾かな

仕舞(しもた)屋の奥が透けてみえるのか。家屋でこのような景を味わう機会はめっきり少なくなりました。

わりあい歩きました。ひと休みしたい。

氷菓食ふ店の硝子に背をつけて

硝子戸はひんやりするのか、外気の暑さを伝えるのか。いずれにしても、この句の瞬間ほど気持ちのいい瞬間はないと言っていいほどです。すくなくとも私にとっては。


依光陽子『ふ、は鳥に』2026年3月/左右社

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】ゾー・アンバ「デッドエンド・ストリート」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ゾー・アンバ「デッドエンド・ストリート」


天気●これまでいろいろ音楽を聴いてきて、世の中には、ほんと、いろんなのがあるなあ、と、あたりまえすぎる感想を言ってしいますが、ポップ・ミュージックはそれぞれ「売れたがっている」「ウケたがっている」。いわゆる売れ線を狙う結果、ジャンルはいろいろ、セールスポイントもいろいろではあっても、なんだか似たように、そこそこの完成度、そこそこ気持ちよくさせる音楽がいっぱいある。これは悪い意味ばかりではなくて、聴き手への媚び、サービス精神がポップ・ミュージックの魅力のひとつでもあるわけです。という気分のときに、この歌が、「なんかいいなあ」と。長い前口上のわりに、「なんかいいなあ」もないもんだとは思うのですが、ゾー・アンバ「Dead End Street」という曲です。


天気●カーラジオでこれが鳴ったとき、パンク味のある歌だなあ、と。でも、当時のパンクじゃない。節まわしのところどころで、奄美とか沖縄を感じたりで不思議でした。

憲武●夏っぽいですよね。歌だけ聴いてると、パンクだと思います。節まわしのちょっとした間が、南国っぽいんじゃないかと思ったりもします。

天気●調べてみると、テネシー州出身で、フリージャズのサックス奏者として実績がある人。サックスも聴いていたい方は、「Zoh Amba sax」とかYouTube検索すれば、いろいろ出てきます。バリバリのフリージャズです。それが、ギターを持って、歌い始めた、ということらしい。

憲武●フリージャズから出発してる人なんですね。歌い方が、もっともちゃんと歌えば歌える人だと思いますが、否定とか解体の精神が根底にあるんじゃないかと思える歌い方ですよね。

天気●他にない感じ、というのは、やはりいいです。まったくないといえなくても、他にいっぱいある、というより断然いい。俳句も同じでしょ? ま、それは置いといて、ユニークはだいじです。

憲武●唯一無二とか独自性ですね。一回壊してみてから始まるような。

天気●歌いっぷりも面構えも、ふっきれたところがあって、すとんと聴き手に届く感じ。音は凝ってないけど、ぶっきらぼうな音も、いいものです。

憲武●総体の印象に繋がるバランスは大事です。

天気●曲は、袋小路の閉塞感みたいなことを歌っているのか、歌詞自体はシンプルです。

憲武●シンプルさって、心に残りやすい感じします。

天気●メインストリームをめざすのではなくて、そんなもん、どうでもいい、というスタンスは気持ちがいいものです。

(最終回まで、あと558夜)

2026-06-28

「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって〔中篇〕

週刊俳句1000号 対談

1000号をふりかえって〔中篇〕

西原天気 × 上田信治

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■ 水位/俳壇/独立系の野良俳句

天気●「二つの水位を測る」という話で、前回は終わりました。結果はどうでしたか? 19年経ってみて。この質問はひどく性急で、野蛮ですが。

信治●やったか、やらないかという意味では、やりました。たとえば、10句作品。この人は、という人に、依頼状を出して俳句を書いてもらう、それは集中的にやりました。それこそ俳句史に名を残すような作家にも頼むし、逆に、自分と同様の(言葉は悪いですが、あえて誇りを持って言えば)「野良」の、俳壇的には位置づけ不可能な書き手にも頼む。

天気●「野良俳人」は、私がこのところ俳句の集まりに出たときに使っている肩書きです。所属がなくなっちゃったこともあって。

信治●「○壇」というものの本質は番付で序列なんで、という話もブログか『週刊俳句』で、したおぼえがあります。

天気●はい。たびたび話しました。「壇」という以上、高低差がある。

信治●そうそう。その序列から逆算された価値体系と、関係のない発注があっていい。発注すること自体が面白いし、俳句だって、私たちの誰かがいいなと思ってお願いしてるんで面白いわけです。

天気●アーカイブの「俳句作品一覧」を眺めると、一目瞭然。たとえば八田木枯、池田澄子、主要結社の主宰から、かまちよしろうまで並んでいる。秩序無視…というんじゃないな、秩序を横目でしか見ないというか、秩序軽視というか、このあたりは、個人的になんだか爽快感がありました。つまり、伝統ある紙媒体には「それにふさわしいピラミッド型」の人選で作品が並んでいる。一方、当時のインターネットには、いわば独立系、無名、さきほどの言い方なら「野良」の人々が蝟集しているような様相。『週刊俳句』は、そうした対照・二項対立に従わなかった。そこがやっていて気持ちよかったです。

信治●はい。それらすべてに、同等の価値があると言いたいわけではなくて。ここからここまで、同時にあるのが俳句の現在だと思いますよ、というプレゼンテーション。そして、そのどこからでも、優れた作品をとりあげ、楽しんでみせる、という実践ですね。

天気●ただね、旧来の秩序や権威に属する成分を取り込む、具体的にいえば、有力作家に参加してもらうのは、やはり難しかったわけです。そこは、信治さんもそうだと思うけど、ていねいにやった。「えい、やっ」ではなく、手順を踏んで、配慮もした……つもりです。

■ 筏の漂流/オルタナ/オンラインの内部と外部

信治●天気さんの言われる「秩序」との関係という意味では、初期の『週俳』で二人でやっていた「総合誌を読む」とか「年鑑を読む」。あれも、面白かった。

天気●はい。じつは、あの《『俳句年鑑2008年版』を読む》。

https://weekly-haiku.blogspot.com/2007/12/20081.html

あれが、エスタブリッシュメントとの関係という意味で分水嶺、というか、なにかぐっと変わるきっかけになったと思っているんです。対峙はしないけど、崇めたりもしませんよ、といった。ざっくりした言い方ですが。

信治●「年鑑を読む」の〈2〉の「年代別作品を読む」のパートに

天気●(…)「40代」が、なぜか、すごく困ったんですよ。なんなんだろう、これは。

信治●ぼくたちの俳句観が、何かから、大きくずれつつあるとか。

天気●あはは。筏で、沖に流されて、陸がどんどん遠くなっていくような?

信治●あるいは、筏はとまってるのに、陸のほうがどんどん流されていくw

とあって、笑いました。天気さんとぼくの共通点として、あの悪戯好きなところがあるでしょう? 二人して、俳壇的なありかたについて、茶々を入れる、あるいは再検討を試みるということをしていました。でも、それは、俳句に対する親切心でやってたような気がする。

天気●んんん、これ、自分では悪戯という気はなくて、自分と「俳壇」のズレは、ずっと、なんらかにあります。へえ、こんなのがいいの? ぜんぜんいいと思わないけど? といったズレ。ただ、言い方が悪戯というか皮肉っぽくなってしまうことがあって(これはよく言われる)、でも、これもサービス精神なんですよ、自分なりの。

信治●サービス、まさに。あるいは、親切。

天気●でね、ズレがあるから、自分の好きなものについて書いたり話したりするんだと、いま思いました。ズレがエネルギー源。ズレてなかったら、もっと黙ってると思う。みんなが「いい」と言ってるのに付け足すことはない。

信治●おもしろーいと思うと、言っておいたほうがいいと思ってしまう。そうか、でも、ぼくは意図はあったかもしれないです。『週刊俳句』が総合誌のパロディ、オルタナであることによって、シーン全体(とりあえず俳壇ですが)に対する批評が、可能になっていた、そのことを面白がってましたね。天気さんのいわれるズレを足掛かりに、もう一つの俳句の可能性の代弁をしていた、とも言えます。

天気●オルタナティヴではありますね。ただ、当初、「総合誌」の存在はあまりアタマになかったように思います。これはどこかでも話したと思うのですが、発想のきっかけは、何かのイベントの帰り、電車が一緒になった田島健一さんが「俳句のポータルサイト」が出来ないかな、と。軽い調子だったし、本人は忘れているだろうけど、それを聞いて、ポータルには興味がわかなかったけど、当時わりあい盛り上がっていたブログ(信治さんとも、ブログ記事のやりとりがきっかけだったと思います)を一箇所に集めてはどうだろうということで始めたのが『週刊俳句』。オンラインの内部の統合だったんです、もともとの発想は。だから、その時点では、オンラインの外部にある、リアルの句会とか人的交流、権威をもった俳句総合誌といったものは、あくまで「外部」であって、『週刊俳句』として強く意識してはいなかった。

信治●ぼくは『週刊俳句』誕生のすぐ前くらいに、俳句の世界は原稿料がほぼないのだから、ネットで総合誌が、つまり作品と評論を載せた雑誌形式のものが作れそうだなとは、思っていて。天気さんが『週刊俳句』を始めると聞いて、すぐ、あ、それができたんだと思いました。

天気●もう忘れたことも多いので、現時点で事情を捏造している危険性はありますが、俳壇のオルタナティブという要素を私が意識したのは、少なくとも数カ月続けたあとだったような。

信治●『週刊俳句』という、名付けが予言的だったんだと思います。

天気●ただ、ここが自分にとって重要なのですが、「インターネットの可能性」という文脈で捉えられたくなかった。当時は、そればかりでした(いまでもかな?)、『週刊俳句』が話題になるのは。あと、「インターネット俳句」とか。かんべんしてほしかった。『週刊俳句』がいちばん避けるべきは、リアルでかなわぬ俳壇とか結社とかをネット上で築くという印象をもたれてしまうこと。ネット上の俳壇ごっこ、結社ごっこ。それを避けるためでもあったと思います。リアル/既存の権威というとアレだけど、インターネット外部の俳句。それを『週刊俳句』という場に溶け込ませたかったというのがあります。

(つづく)

細村星一郎×西原天気【俳句なんやかんや】横たはる葡萄の房はくやしかろ〔阿部青鞋〕

【俳句なんやかんや】
横たはる葡萄の房はくやしかろ阿部青鞋

細村星一郎×西原天気


星一郎●天気さん、ご無沙汰しております。

天気●俳句タロット以来ですか。

星一郎●そうですね!最近は俳句のことを話すというと、ついつい何か意味のある、実りのあるものにしなければという気負いが生まれてしまって、思えばこうやって俳句を自由気ままに語るというのは久しぶりかもしれません。

 横たはる葡萄の房はくやしかろ  阿部青鞋

ふと思い浮かんだのが青鞋のこの句だったので、少し季節違いですが挙げてみました。葡萄がそこにあるだけなんですけど、西洋の静物画というよりは絵本のようなおかしさ、かわいらしさがあります。

天気●擬人化と口調のせいでしょうか、なるほど、絵本、童話、説話のようなおもむきですね、この葡萄は。

星一郎●「くやしかろ」って、ずいぶん勝手ですよね。でも何度か口に出して読んでいると、ちょっとずつ葡萄に同情の気持ちが湧いてくるから不思議です。

天気●ちょっと連想も広がるわけですね。のびのびと樹で実っていたのに、誰か(消費者)の眼の前で、食べられるのを待っている、と。それは、くやしいかもしれない。

星一郎●青鞋の句に出てくるモノや動物はどれも意思があるというか、デフォルメされて顔や手足がついているように見えます。というか、彼にはあらゆるものが本当にそう見えていたのかもしれないです。

 大花火天を感じてのちこぼれ

 悲しみは我にもありとむかでくる

 いくつ鳴るつもりの柱時計かな

 腐れたる鉄はいろいろのことを言ふ

天気●さきほどの「絵本」というのは良い把握ですね。稚気や童心に備わる艶めかしさもちょっと感じますね。アニミズム(金子兜太系のアニミズムとはずいぶんと違ったおもむきではあります)と関連して、語ることもできそうです。ことさらそっちに持っていくことはないけれど。

星一郎●アニミズムといっても、民俗学的な土着の概念というより、あくまでも私と目の前にあるモノとで目が合っていることへの感動というか。

天気●幼児と玩具のような。

星一郎●そうですね。ところで自分の話で恐縮ですが、じつは青鞋はたぶん一番影響を受けた俳人なんですよね。大学で上京した頃にちょうど暁光堂さんから『阿部青鞋俳句全集』が出て。

天気●暁光堂、意義のある仕事してくれましたね。

星一郎●それまで高校で俳句を教えてくれていた小池康生さんというコーチは基本的には有季定型の人で、歳時記を読み込んでたくさん作ってとにかく有季定型を身体に染み込ませるような練習をしていました。「銀化」の人だからちょっと諧謔的な要素もあったかな。

天気●おお、小池康生さん!『旧の渚』も『奎星』も感じのいい句集です。音数歳時記にも何句か康生さんの句をいただきました。《無花果は簞笥の色をしてゐたり》などは諧謔味もありながら、郷愁を誘います。

星一郎●そう、型もきれいでちゃんとしてるんですよ。ところが青鞋の句を読むと、小池さんに「こうしなさい」と言われてきたことをことごとく無視している(笑)。

天気●それまではある程度「枠組み」のようなものは教わっていたわけですよね。それが、青鞋でタガが外れた。

星一郎●はい。もちろんその「枠組み」が俳句の基礎を作ってくれたのは間違いありません。ところが青鞋の句は季語もないし無駄なことばっかり言うし、主観まみれだし……という感じで、それは相当なショックでした。

天気●無季の句、多いですよね。《うろうろと鏡のなかを又あるく》とか。

星一郎●そのおかげで「俳句ってなんでもやっていいんだ」ということに気づけたんですよね。

天気●俳句は、何でもアリ。それがいいです。

星一郎●ぶっ飛んだ俳句、ヘンな俳句というのは自分と縁のないものだと思っていたんですが、よく考えたら誰も僕にダメなんて言ってないじゃん、という。

天気●あはは。ヘンな句、大好物なので、うれしいです。

星一郎●別に青鞋っぽい句をつくるようになったわけではないですが、とにかく世界が変わりました。というか、俳句がもっと楽しくなりましたね。


柳俳合同誌上句会2026 外野席から選句する 湊圭伍×山田耕司

柳俳合同誌上句会2026
外野席から選句する

湊圭伍×山田耕司  進行:西原天気



--こんにちは。週刊俳句100号を記念して開催された「柳俳合同誌上句会2026」。そこに、投句していないおふたりが選と選評で参加するという企画です。来ていただいたのは、川柳から湊圭伍さん、俳句から山田耕司さんです。

湊圭伍さんは句集『そら耳のつづきを』(2021年/書肆侃侃房)のほか、管見の範囲でもいくつかの川柳雑誌で作品を拝見していいます。また、私にとっては、『新撰21』(2010年1月/邑書林)掲載の関悦史小論「《現実界(レエル)》のほかに俳句なし」(湊圭史名義)という出色の作家論が長く強く印象に残っています。

山田耕司さんには、2冊の句集、『大風呂敷』(2010年/大風呂敷出版局)、『不純』(2018年/左右社)があります。また俳誌『円錐』で定期的に句を発表されています。個人的に、山田耕司句のファンです。無季の句も少なくなく、ときおり「川柳寄り」と、浅薄な私見ですが思うことがあります。

こんなおふたりです。私の理解では、ジャンル横断的な思考やセンスを持ち合わせた方にお越しいただけたと思います。

外野席からの選句には、もっと違う人選もあったでしょう。例えば、有季定型しか作らない結社出自の俳人。川柳プロパーについて、私には理解がないのですが、もっと川柳川柳した句を作る方。それも、おもしろかったかもしれませんが、今回の投句一覧だと、大いに困惑させてしまうかもしれません。それはやめておいたほうがいい。

なお、外野席から誰かが選句するこの企画は、句会の参加者10名にはお知らせしていません。

前口上が長くなってしまいました。それでは始めます。それぞれ、特選1句・並選4句を教えてください。

湊圭伍〔以下湊〕●
確認ですが、3題合わせた全体から、特選1句、並選4句でOKでしょうか。

--はい、30句全体からです。川柳の方は、たくさんの選に慣れているせいでしょうか、毎回、1題につき5句選で送ってくる方がいらっしゃいます。今回の30句から5句選は、俳句だと若干多めでしょうか。少なめよりも多めのほうが盛り上がると踏んで、こうしました。

湊●
了解です。山田さん、よろしくお願いいたします! 違った選になったらおもしろそう、と思いつつ。

特選は
友引が千日続く青山椒

並選が
金魚草群れ咲くころは千葉の旬
はよ食べなさい空気が抜けてしまう
暗に麩は往復はがきねばならない
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ

山田耕司〔以下山田〕●
わあ。湊さん。ご一緒できてうれしいです! 川柳の選をするの、実は初めてなんです。よろしくお願いします。

特選
どうしても千枚通しだとしても

並選
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ
千代田区の電柱にある夏日かな
白桃をてこてこ運び来て小声
青梅雨や和菓子を買うて橋の上

--ありがとうございます。1句、選が重なりました。《アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ》。ともに並選です。選評をお願いします。

湊●
街のなかの建物の一室でコーラスが歌われており、ただ開け放った窓の網戸を通して、外の人声や騒音も入っている、という景を思い浮かべました。「アヴェ」は「こんにちは」や「おめでとう」の意味があるらしい(「こんにちは」と「おめでとう」だと全然意味が違うだろ!)。「アヴェ・マリアの祈り」はイエスを身籠って目出度いとマリアを褒めたたえる歌ということで「おめでとう」が八割程度か。

一方、「網戸」の外の「おしゃべり」は 同じ事態をまったく別の解釈で話しているのでは? 頼りない境界である「網戸」の内と外に別の語り・別の時間が流れていて、しかも、この句がどちらにも与してなさそうなのがよいと思いました。

山田●
なるほど。そうですよね。この網戸は、ひとつの結界のようです。アヴェ・マリアの聖とおしゃべりの俗。聖と俗との対比という視点は、俳句っぽいものかもしれませんけれど。それを隔てる結界。

音と音。その間にある網戸。音が簡単に通過できる透過性の高いものとして、この網戸を捉えることもできるとは思うんですけれど、私は、視覚を鈍らせるフィルターのようなものとしてこれを受け止めてみました。

聴覚で受け取れる素材の間に、対象を視覚的に鈍らせたり濁したりするフィルターがある。これって、クールでメタリックな絵を見た時の受け止め方の描写なのではないかしら、とも思いました。世界を鈍らせたり濁したりして、俗の手触りに拉致するのが、句を作る際の自己の手応えになっているんじゃないか、そんな読みです。聴覚と視覚の混線、そのひねり具合も手ごたえの一部として。

「アヴェ・マリアにも」の「も」の向こう側に、作者自身のうちなるあやうげな浄らかさが漂っているようにも思いました。

--ちなみに「網戸」は夏の季語ですが、おふたりとも、そこにはこだわらなかった。《網戸》を境界・結界という語で表現されました。聖/俗がそれをはさんで共存しているイメージは、この写真にもよく合いますね。難しい題だと思っていたのですが、この句は、写真の説明からも逃れていて、いい感じです。おふたりの選評を聞いているうち、どんどんおもしろさが増していきました。

湊●
おふたりの読み・ご説明で、俳人は視覚を意識しているというか自然にその観点が入ってくるのだなと思いました。「網戸」が季語というのも、機能性よりは目にも入るモノ性を読みとらせるように効いてくるのではないか。

--ああ、なるほど。俳句の場合、機能はすでに季語の「意味するところ」に含まれているので(防暑)、そこをすっ飛ばして視覚に行きがちなのかもしれません。

山田●
たしかに、視覚的な要素を勘案するところが俳句にはあるかもしれませんね。共有情報である季語を取り込むに際して、いかにその句の一回性という肉を与えられるか、という視点が反映されているのかもしれません。これって、写生という方法意識ではなくて、概念を形而下にひきずりおろして可視化するプロセスとして捉えることもできるのではないかとも思っています。

--ちがうフィールドからお越しいただいたおふたりの話、とてもおもしろくて、「網戸」だけで記事がひとつ成り立ちますね。それでは次に、それぞれ、特選の句について、コメントをいただけますか?

湊●
私の特選句は、

友引が千日続く青山椒

です。

「友引」には幸せを引く吉、不幸や死を引く凶どちらの面もあるとして、ただ、それがずっと続くのだとしたらまことに不穏で、凶の側が色濃くなっていくように感じます。しかも、「千日」! 一方、「青山椒」はよい保存方法があるとしても、その香りはさすがに「千日」は持たず、見た目の鮮やかな緑もくすんでいってしまう。

この句、一度や二度読む限りでは、上五・中七の不吉さを、「青山椒」のピリッとした刺激が抑え込んでいる。だが、さらに眺めつづけて、「友引」の語をくりかえし唱えていると、山椒のもつ一種の魔除けの作用はすり減って、引かれた「友」たちの集合体ののっぺりとした薄気味悪さが印象づけられてきます。

『千夜一夜物語』よろしく、「千」につづく「一」に何かが隠されているのかもしれないけれども。

山田●
私の特選は、

どうしても千枚通しだとしても

手にしている道具があります。それが千枚通しであるとして、その道具の視覚的な要素を描写するという方向に進みがちなのが、俳句なのかもしれません。

時に、この句は、そうした道をすべて捨て去っています。これが千枚通しであるかどうかも、怪しい。人を殺傷することができるような凶器を手にしながら、それを日常の連続に属する千枚通しだと言い張る人がいる。血だらけだったりするかもしれません。どう見ても千枚通しではなさそうなのに。仮にこれが千枚通しだとしても、どうして血まみれなのか、どうしても千枚通しだと言い張る根拠はどこにあるのか、そのようなドラマを内包しうる作品なのだと思います。

--ありがとうございます。それぞれの選評を腑分けするようにお互いに語っていただくこともできるでしょうし、聞いてみたい気持ちはあるのですが、それをやっていたら、夜が明けてしまいそうです。簡単に。「採らざる」の弁をお訊きします。山田さんは《友引が千日続く青山椒》を、湊さんは《どうしても千枚通しだとしても》を、選外にされた理由を。ほんと、簡単でいいです。

山田●
友引ばかりが続くのは、大安や仏滅が来ないということでもあります。他者との相互作用のみに浸る日常を想像しました。その想像に、青山椒のピリリをうまく絡み合わせることができませんでした。

湊●
「友引」と「青山椒」については、確かに絡み合わないですね。その点、言葉の読み取り自体は山田さんと私で変わらないような気がします。そのうえで、私はそれぞれの言葉がワガママに動いて、ある意味裏切り合っているのを楽しんでいます。俳句っぽい姿の句ですが、川柳的に読んでおもしろがっているのだと思います。

山田さんの評にある「千枚通しだと言い張る」の「言い張る」は川柳のけっこう大きい部分だと思います。ふつうに考えたら無根拠なことを言い切ることで、そうでしかないと読者を引きずり込んでしまう。

「どうしても千枚通しだとしても」の句については、川柳のそんな力技が効きそうな感じはあったのですが、「どうしても」と「だとしても」の音の重なりが気持ちよくないなというのがあり、それがしばらく読んでも解消されなかったので外しました。音のくりかえしが悪いというのではないですが、この句の場合、音の重なりがダマになって気持ちよく通り抜けさせてくれないような。

言い切りに引き込む仕掛けとしては、「だとしても」の締めが思わせぶり過ぎるかな、と思ってしまったのも選ばなかった理由ですね。

--ありがとうございます。今日はこのへんしておきましょうか。

湊●
昨日、俳句甲子園の松山大会で初めて審査員をしまして、そのあと夜中まで飲んで今日は二日酔い気味で、そろそろ瞼が重くなってきました……。

山田●
湊さん、私も土曜日に高崎会場にて審査員をさせていただきました。ご一緒でしたら、盃を重ねていたことと思います。今日はありがとうございました!

interlude

--それでは再開です。それぞれ残りの並選について。まず、湊さんがお採りの《金魚草群れ咲くころは千葉の旬》。

湊●
「金魚草」はよくある園芸品種で何度も見たことはあるんですが、好きでも嫌いでもなく、どこで見たか記憶にもあいまいです。たぶん名前に入っている「金魚」のせいで、言葉の強さよりも現実の印象が薄いせいでしょう。

千葉在住・出身の方には悪いが、「千葉」もまた印象が薄い。この句のポイントはこの二つの印象の薄い存在をやや言い過ぎの「群れ咲く」で彩ることで掛け合わせ、名前がもつ言葉のポテンシャルを発揮させている点にあると考えています。

現実には地名である「千葉」に「旬」などはないでしょうが、無数の花、千の葉が群れて重なり合うことによって、この句の中で作られた言葉の交錯でのみ感じられる「旬」の感覚が伝えられます。

--金魚草を調べると仲夏の季語なんですね。2月に南房総の花卉農家でよく見る花なので、春の季語かと思っていました。

湊●
そう聞くと、実景から書かれた、土地の「旬」についての素直な句なのかな。「金魚草」が仲夏の季語というのも、「金魚」に引っ張られたのかなあというところでおもしろいですね。

--次は山田さん並選の《千代田区の電柱にある夏日かな》。いかにも俳句的な体裁です。

山田●
千葉から、千代田区へ。連想させる物語の数が多すぎて、千代田区についてはイメージが絞り込めないところがありますね。一方で、電柱の方は無名性の表象のようでもあります。多くの情報文脈を退けて、無名なる存在に心寄せをしているのが、この句の眼目なのだと思います。

存在を示す動詞としての「ある」だと凡庸ですが、連体詞「ある」(ある日森の中クマさんに…という「ある」。某という意味)として、この「夏日」が無名な誰かの個人的な物語に属していることを暗示しているのかもしれません。「かな」という強調が、そのような読みを促しています。

--湊さんの並選、《はよ食べなさい空気が抜けてしまう》。これは俳句からは出てこない。川柳らしいと言っていいんでしょうか。

湊●
さすがにこれが俳句ならのけぞるかも(笑)。

まず、前半の会話体「はよ食べなさい」には、関西ふうのせっかちさがありますね。それだけではなく、五七五定型を諦めて会話体を採用することで生まれたリズム(あるいはその欠如)のせいで、後半の「空気が抜けてしまう」にもどこか音が足りないような、間の抜けた感が漂っています。

この句を読む体験そのものが、この「空気が抜けてしまう」感覚を味わわされることでもあります。言われるままに「はよ食べた」とて「空気」を食んでいるに過ぎず、とはいえ、空気が抜けきった皮のようなものが残るのだって気持ちいいとは思えない、というようなことを考えているうちに、この句の発話者はもう別のほうを向いている。

結局、「だから何(So What)?」なんですが、こうして「だから何?」まで 句を通過していく過程が川柳的体験だと思います。純粋川柳ですね(笑)。

--次は山田さん並選の《白桃をてこてこ運び来て小声》。

山田●
「てこてこ」をどう受け取るかですが、私は、幼い子供が大きめの白桃を抱えるようにこちらへ運んでくるさまを示す措辞として味わってみました。そのさまはかわいいものなのですが、それを消費することは、この句のポイントではないでしょう。

大切なものを一生懸命運んできました。ここにたどり着き、それを見せつつ、ひょっとしたら手渡してくれているのかもしれません。渡す相手だけに伝わる小声。そこに示されているのは、人と人との間に漂う親密さ。それこそがこの句の要と言えるでしょう。

「てこてこ」という表現で幼児のかわいらしさを引き出そうとしているのかもしれませんが、この言葉遣いにより、運ぶ主体としての幼児の姿を消すことにも成功しました。人の姿が書き表されていないことで、かえって「小声」の存在が際立っているようにも思います。

--最後ですね。湊さんの並選、《暗に麩は往復はがきねばならない》。

湊●
最初の「暗に麩」からよく分からないので、Google検索してみると、AI Overviewが〈「暗に麩」というフレーズは、おそらく松山市周辺のスーパー等で買える美味しい「お麩」についての話題か、もしくは打ち間違いのどちらかだと思われます。〉と教えてくれました。私の住んでいる場所が割れているのが気持ち悪いですね。

(松山はとくに麩の名産地やないやんけ、とつっこんでみたら、〈松山地域の伝統的な名産品として知られるのは「麩」ではなく、フワフワとした食感で知られる薄揚げの「松山あげ(程(ほど)の伊予名産 松山揚げ)」です。〉と出ました。程野商店の「松山あげ」は基本、刻みで売られていて、美味しくて使いやすく、軽いので、松山みやげにおススメです。閑話休題、)

「往復はがきねばならない」も相当ムリな言い回しです。「往復はがき(を送ら)ねばならない」と補ってやる義理は、読者には毛頭ない。句を真面目に読もうとすると、足場になるのは「麩」ぐらいしかないわけですが、足場としてはスカスカでいかにも頼りなく、読みの途中で裏切られる気しかしない。

これは、作者に直接「往復はがきねばならない」のでは。

--山田さんは、《青梅雨や和菓子を買うて橋の上》。お願いします。

山田●
絵の世界を叙景として捉えているとしたならば、その風景を説明するのではなく、気配を人のふるまいとして表現したところにこの句の良さがあります。「青」が効いています。絵との繋がりを示しているだけではなく、行為の清々しさを支えている世界観の基本色となっています。

ですが、私は、叙景の作品としてこの句を選んだのではありません。課題の絵には、道がありません。水路が見えていますが、そこからどこかへいける気配がありません。明るく美しい閉塞感。そんな印象を持ちました。

私がこの作品において着目したのは「や」です。俳句の切字「や」はテーマを提示します。そして、下へ読み進めたのちに、冒頭へ読者の視線を回帰させる働きを内蔵します。このような俳句ならではの修辞を用いることで、この明るく美しい閉塞感を示そうとしたのではないか、というのが私の視点です。一句の中で言葉が循環しつつどこにも行かない。それは、この絵の印象に限ることではなく、俳句作品がそれとなく目指す境地なのかもしれないと思うところがあります。

--ありがとうございます。選外で気になった句があれば、どうぞ。

湊●
最初、各題2句で選んでいて、【3 写真で一句】では次の句が並選でした。

夏川とさて明日はなき摩天楼

句の3分の2は題の絵を説明しただけで、雑と言えば雑な作りなんですが、「さて明日はなき」と大げさで無責任な見えを切ったところでその雑さが逆に活きていると判定します。

「摩天楼」は“Skyscraper”の訳で、この語は19世紀後半までは、背の高い人や馬、船のマストの天辺の三角の帆などを指していたらしい。1880年代後半にアメリカの大都市で高速建築が次々と建てられるようになってようやく現在の意味が定着して、それからまだ一世紀半しか経っていない。

暗渠から這い出てくる川、デジタル感のある絵に描かれた街にさえ「夏」を感じる感性からすれば、明日「摩天楼」が消えてしまってもどうでもよいではないか。瓦礫をどうするかについては考える必要がありますが。

結構暗渠好きなのでちょっとリサーチしましたが、この絵は渋谷川、八幡橋? 関東の人にはよく知られた場所なんですね、ネットに写真がいっぱいある。

--渋谷川です。「よく知られた」というほどでもないのですが。

湊●
山田さん並選の「千代田区の電柱にある夏日かな」「白桃をてこてこ運び来て小声」「青梅雨や和菓子を買うて橋の上」、それから「てのひらの蚊を捧げたり雨あがり」「ひるがほの花へ煙や鳥を焼く」、これらの句も、俳句としてまとまっていて世界の手ざわりがあり、 ぞれぞれに佳句だと思います。選んだ句と分かれたのはふり返ってみると、直感的に「読みで遊ばせてくれるかどうか」と感じたかどうかかな(評者のワガママですが、川柳の選や読みではこのワガママはけっこう大事だと思っています)。

とは言え、山田さん評を読んだ後だと、自分の俳句の読みの甘さを感じますね。「千代田区の電柱に・ある夏日かな」は思いつきませんでした。改めて考えると、俳句だと存在の「ある」は余分なので、という読みの展開は十分あり、というところなんですが。

白桃をてこてこ運び来て小声」の関係性まで踏み込んだ読みもなるほどです。私はからくりの茶運び人形を思い浮かべて、ちょっと気持ち悪い感じ、と読んでいました。子供のもつ異界性というようなテーマで。まあ、読み過ぎですね(笑)。

青梅雨や和菓子を買うて橋の上」は擬古典調?という辺りで私の読みは止まってしまいました。俳句のフォームにこだわることで読みを進められるのですね。

川柳らしい句では、山田さん特選の「どうしても千枚通しだとしても」、それから「さかなのうわさにふさわしかった」も気になっていました。「さかなのうわさ」の句は広がりがあってよいですが、ちょっとぼんやりしているとも言えて、周りに別の句を置く(連作?)ほうがおもしろくなりそう。実を言うと、投句一覧では、

さかなのうわさにふさわしかった
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ

と並んでいて、キリスト教的な背景(イエス・キリストの象徴が魚[Ichthys イクトゥス])、「うわさ-おしゃべり」のつながりが(偶然?)生まれています。川柳の選者選の句会であれば、各題10句から5~6句ほど選ぶことになりそうですが、この2句はぜひ最後に並べたいところです。川柳・選者選ふうの選です(勝手に川柳句会、ですみません)。

【3 写真で一句】
タピオカ吸ふ暗渠の果てのあをぞらに
てのひらの蚊を捧げたり雨あがり
まやかしがまやかしを呼び照り返す
夏川とさて明日はなき摩天楼
さかなのうわさにふさわしかった
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ

--なるほど。こう並べると、短句のない長句ばかりの連句のようです。《タピオカからおしゃべりまで、流れを感じます。句会もまた共同作業だったとは! 山田さんは、なにかありますか?

山田●
俳句と川柳が混在する中から選句をするのは、初めての体験でした。俳句らしさとか川柳らしさとか、それはよくわかりません。

そもそも俳諧は、〈和歌ではない〉ものとして育ってきたわけですし、近代俳句は、〈江戸俳諧ではない〉ことを足がかりに膨らんできたわけです。現代川柳も、幾層もの〈……ではない〉を潜り抜けてきたのではないでしょうか。

〈……ではない〉ものを選んでいる。その覚悟で、作品に向かい合いました。

すると、その結果、なぜこんなことを書くのだろうか、という作家の動機のようなものへの想像が鑑賞の中心軸となりました。選び終わっても、作家の動機などがわかったわけでもありません。しかし、〈らしさ〉によりかからずに鑑賞できた快感が、事後に残りました。皆さんの作品と湊さんの鑑賞文のおかげだと思っております。ありがとうございます。

--それでは最後に、余興として、どの5句が柳人作かを推理していただけませんか? ぜんぶは大変なので、【千】の10句で。もちろん、作者が柳人か俳人かなんて、あまり意味はないとは思うのですが。それに、俳句と川柳どちらもつくるという人も混じっていますから。あくまで余興で。

1 金魚草群れ咲くころは千葉の旬
2 友引が千日続く青山椒
3 千鳥格子の隙間に生まれ
4 一千年後のあたらしい息を吐く
5 千里眼で地球一周した風景
6 千代田区の電柱にある夏日かな
7 たのしい王手の千年でした
8 鳥除けの針千本と蜘蛛の子と
9 くしゃくしゃの千円札のアレやって
10 どうしても千枚通しだとしても

(番号で柳人作と思う句をお答えください)

山田●
3、5、7、9、10。

湊●
とりあえず、川柳っぽい句と俳句っぽい句に分けると、 川柳っぽい句が6句になってしまいました。うーむ、俳人が川柳っぽい句を出していたり、また逆もあるのか。そうなると相当難しいですね。

柳人が書いた川柳かな、と若干自信があるのが、5、7、9ですね。あと、3、4、10 が川柳っぽい句ですが、これらは俳人が書きそうな匂いもします。逆に、柳人が書いた俳句っぽいのは、1、2でしょうか。柳人がまず書きそうにないのは、6、8。

1、4、5、7、9で行きます。

ちなみに、かたちから川柳と判断するのは、3、4、5、7、9、10です。

--では、答え合わせ、行きますね。山田さんは4つ正解。10番は俳人作、それも山田さんがよくご存じの俳人です。

湊さんも4つ正解。1番は俳人作です。「川柳っぽい句ですが、これらは俳人が書きそうな匂いも」とおっしゃった3、4、10。10は鋭どかったですね。あと、「かたちから川柳と判断するのは、3、4、5、7、9、10」というところ、鋭いです。10を除けば、全正解。つまり、柳人作は、3、4、5、7、9です。

おふたりとも正答率80パーセント。クイズ的には充分に優秀ではないでしょうか。

あ、そうそう、おふたりの選句5句の内訳をお伝えしておきます。湊さんは柳人作を2句、俳人作を3句、山田さんは柳人作を1句、俳人作を4句、お採りです。どなたの作かは第1001号のリリースをおたのしみに。

今回はほんとうにありがとうございました。おふたりのおかげで、予想した以上におもしろいセッションになりました。

湊●
何だかテンションが高くて(俳句甲子園の影響?)、急ピッチで話してしまいましたが、楽しかったです。別の読みが出る緊張感と、山田さんならという安心感がありました。

山田●
ありがとうございました! 何かの機会に川柳の会に参加させてください。

(了)

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】原田真二「サゥザンド・ナイツ」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
原田真二「サゥザンド・ナイツ」


憲武●週刊俳句1000号ということで、おめでとうございます。

天気●ありがとうございます。

憲武●第1001号の千夜一夜は原田真二「サゥザンド・ナイツ」です。


憲武●シングルリリースは1978年。作詞松本隆、作曲原田真二です。松本隆とのコンビの最後の曲ですね。原田真二というと、1977年秋の華々しいデビュー、「てぃーんずぶるーす」「キャンディ」「シャドー・ボクサー」とデビュー3ヶ月連続シングル発表、その3曲すべてオリコンのチャート入りするという、驚天動地の才能の出現でした。

天気●テレビとかでふわっと見たことがあるにはありますが、パーマ頭くらいしかほとんど記憶や印象に残っていないです。

憲武●そうでしたか。この曲、シングルとしては「タイム・トラベル」と「アワ・ソング」の間に発表された曲で、チャート的にもあまり振るわなかったと記憶してます。

天気●適度にメロディアス、適度にリズムがある、ということで、引っかかり(いわゆるフック)がないせいかも。

憲武●なるほど、フックか。この方広島出身で、同じ広島出身の吉田拓郎を憧れて影響も強く受けてました。でもその影響とはまったく方向の違う楽曲を制作して、フォーライフの3,000人のオーディションで吉田拓郎に見出されて、あっという間にデビュー。そして大ヒット。天才です。

天気●広島、吉田拓郎、フォーライフ? そのへん関連も初耳、というか知らずに過ごしてきました。

憲武●そうでしたか。最初に原田真二を見たのは「ぎんざNOW」っていうせんだみつおとか出てたテレビ番組です。初見、かなり好きだと思いましたね。ピアノ弾きながら歌ってて。原田真二が出て来て、そのあといろんなロック系のバンドとか出て来て、なんか音楽業界変わったなっていう印象ありましたね。それまで歌謡曲主流でしたから。テレビもラジオも。

天気●70年代後半、歌謡曲にロック成分が入ってきたのは、沢田研二の功績が大きいと思うんですが、いわゆるニューミュージックのヒットも同じ流れだったのかも。

憲武●そうですね。そういえば。「勝手にしやがれ」が1976年でしたか。原田真二は曲間にシャウトとかするんですけど、それがポール・マッカートニーっぽくて好きでしたね。なんかこうウイングスを意識してたような感じありますね。

天気●うん、ブリティッシュ・ポップな感じが、するといえば、する。

憲武●エルトン・ジョンも好きだったみたいです。最近はあまり情報が流れて来なくなりましたが、どういうつながりなのか八王子の小学校の二つ、校歌作ったり気になる存在です。

(最終回まで、あと559夜)

〔今週号の表紙〕第1001号 水族館 西原天気

〔今週号の表紙〕
第1001号 水族館

西原天気


ベアント・ブルンナー『水族館の歴史』(山川純子訳・2013年・白水社)にこうあります。
懐かしさと海の世界を喪失したことへの悲しみが、水族館という経験の大半を占めていた。(略)科学者や蒐集家、それにアクアリストたちは、自然から海の生物を連れ出し、研究室にせよ、自宅の居間にせよ、そうした新しい秩序の世界に投入した。
引いた箇所は19世紀の欧州が舞台。そこから水槽は発展、巨大化して、私たちはそう遠くない場所で、大水槽を眺めることができます(沖縄美ら海水族館の大水槽は深さ10m、幅35m、奥行き27m、総水量7,500トン)。いま、こうした大規模水族館は、アクアリウムではなく、オセアナリウムと呼ぶらしい。

科学者たちの居間の水槽から、オセアナリウムの巨大水槽へ。規模も、眺める人も変わったけど、「懐かしさと海の喪失」という意味では、不連続じゃなくて、どこかつながっている気がします。


週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

2026-06-21

「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって〔前篇〕

週刊俳句1000号 対談

1000号をふりかえって〔前篇〕

西原天気 × 上田信治

■ じつに見通しが甘い

信治●「週刊俳句」1000号ということで、上田がお願いして、天気さんと対談することにしました。天気さん、よろしくお願いいたします。

天気●はい。1000号が来ちゃいましたね。創刊当時、冗談のように「1000」を口にしていました。そのときの自分の年齢を計算して、「はたして生きているのか?」とも。まだ生きていました。

信治●そんなに続かないような気がしていました。天気さんは、身軽さが身上というタイプに見えていましたから、あっさり「やめどき」を見つけてくれるんじゃないかと。

天気●「やめどき」ねえ……(しばし沈黙)、それはまさしく、1000号でしょう? ここまで現実として続いてしまったものを「終刊」するのに、第1000号以上にふさわしいタイミングはない。でも、終刊にはならなかった。とりあえず。第1001号は出ます。

信治●自分がこんな年齢になるって、ぜんぜん想像がおよんでなかった。はじめたの40代ですから。「続ける」ということを、リアルに考えてなかったのはそのせいですね。

天気●さっき偶然、この話題にぴったりの記事を見つけちゃいました。

https://weekly-haiku.blogspot.com/2008/09/blog-post_7553.html

週俳創刊から1年ほど経った時期に『銀花』からメールインタビューを受けた。これ見つけるまで忘れてました。で、その回答の拡大版みたいなものになってます。そこで(ほかでもたびたび言ってることではありますが)週俳の方向性とか運営の具体も説明しているんですが、興味深いのは次の文言です。

《(…)20年続けば1000号を超えます。その頃は、私はいないでしょうが、「もし続いていたら」と想像すると楽しい。》

《私はいない》と明言している。でも、「いる」。きっと、引退して、誰かが受け継いでくれた週刊俳句を外から見ているという、気楽な展望。ほんと、現実は甘くないです。

信治●そういえば、1000号記念の会にまぎれこんで「あの人だれ」と言われるのが理想だと、言われてました。

天気●言ってましたね、そんな夢みたいなことを。しかし現実には1000号記念のオフ会もなかった。その点でも、じつに見通しが甘い。

信治●「やめるなら、今しかなかった」。そういう意味でも、私たちは、見通しが甘いですよね。もうね、この甘さは「可愛げ」だと思って、自分を許すしかない。

天気●許しましょうよ、おおいに。終わって、(社交辞令的に)惜しまれて、なんて、ラーメン屋の閉店じゃないんだから。

信治●惜しまれてなるものか、と。

天気●でもね、第1001号を決断してよかったと思っていますよ。やめるにも、きっとエネルギーが要る。それって、ヘンな消耗だったりすると思うんです。

信治●だったら、むしろ、予想をうらぎって、だらだらやってみたほうが……。

天気●当初のもくろみどおり、「続いていくことで起こる何か」をたのしみにできるんじゃないか、と。これまでどおり、燃費のいい走り。あまりエンジンを噴かさずに、のんびりと続ければいいのではないかと。それと、なんらかの外的な要因でやめるという事態が、いつやってくるかわからない。いつかやってくる。だから、内的な要因、つまり自分たちの意思でやめることはないんじゃないかと、思い始めてます。

■ コレでは、まるで総会屋ではないですか(笑)

信治●「週刊俳句」を始めたことが、天気さんにもたらしたものって、なにかありますか。

天気●それは、もちろんたくさんあります。あたりまえだけど、人とのつながりが、まずある。で、それに尽きるかもしれない。なんだか、自分のキャラクターじゃないみたいにウェットなことを言っていますが、率直なところ、まずは、それだと思います。

信治●そっかー、そうですよねえ。

天気●例えば、信治さんとも、あの創刊前のインターネット上のやりとりで終わっていただろうし。それより大きいのは、若い人たちと知り合えたことかなあ。当番もやってくれた山口優夢くんあたりから始まって、いまも当番をやってる福田若之くんもそう。ほかにたくさん。俳句を続けていたとしても、週刊俳句なしだと、彼らと知り合う機会はなかったと思います。信治さんは、どうですか?

信治●すごく、いま、感慨深くてですね。というのは、自分は「人とのつながり」という言葉が、まったく思い浮かんでなかった(笑)。自分が週刊俳句から得たものとして、まず思い浮かんだのは「週刊俳句の人という肩書き」だったんです。ひどいでしょう?

天気●それは同じことだと思いますよ。私にしても、肩書きが広げてくれた「人とのつながり」ですから。

信治●それは、そうなんですけど、いま言った肩書きというのは、よく言われる、名刺作ったら、もう「記者」(「イラストレーター」「スタイリスト」とかも)というやつで。自分が、俳句の世界で(自称とはいえ)メディアの人としていられたことは、すごく大きかった。メディアの人間て、作家ヒエラルキーと無関係じゃないですか。結社に入ってたら、よその主宰とは口きけないですからね。カウンターパートじゃないんで。

天気●なるほど。肩書きという点は同じでも、その成果みたいなものの捉え方がちがう。「週刊俳句の人」として、俳句エスタブリッシュメント、既存の俳壇秩序にもズカズカと入っていけたわけですね。

信治●自分がなんとヤクザな人間であったことかと気がついて、おどろいています。コレでは、まるで総会屋ではないですか(笑)。でね、なにが感慨深いかというと、天気さんは、はじめから「自分で」何かをやろうとしては、いなかったのでは? それって、メディア観のちがいなんでしょうか。

天気●んんと、それは、記者と編集デスクの違いみたいなこと? あるいは、メディアとしての週刊俳句を、どう扱っていたかの違いってことですか?

信治●両方です。天気さん、ご自宅での句会をずっとやってらしたでしょ。豆の木の人も、佐山さんの句会の人も、学生たちも来てた。ちょっとよそでは読めないような句を読みあって、終わるとユキさんにごちそうを食べさせてもらう。そういう、俳句つながりで人が行き来することに、はじめから天気さんの関心の中心があったのかなあと。だから「週刊俳句」も、はじめから、人が来て何かして帰っていく、そういう場として設定されていたのでは、と。

天気●そのアナロジー、週刊俳句と自宅、自分では思いつかなかったけれど、当たっているかもです。人が来て、去っていく。だから、さかんに、メディアじゃなくて「場」という言い方をしてきたのですね。いまでもそう思ってます。「まるごとプロデュース」なんて、メディアの発想じゃないと思います。信治さんは、週刊俳句=メディアという捉え方が色濃い?

信治●不特定多数にむけての媒介のための道具、という意味では。ただ、媒介すべき中味が、こちらに、あらかじめあるわけではなくて。「恒信風」とか『俳句という遊び』(小林恭二)とか、ああいうものがもっとあるといいのになと。俳句にはメディアが足りないという直感だけはありました。「ハイクマシーン」は、谷雄介と佐藤文香にさそわれてはじめたもので、自分始動ではないんですが、あれを始めて、これこれという手応えがあって。

天気●信治さんは雑誌色が強く、私は店子を集める就職/アルバイト雑誌っぽい捉え方ということですかね。はっきりとした対照ではなく、傾向として。

信治●それはそうかもしれない。

天気●思い当たったのですが、さっき終刊の話をしましたよね。実際、具体的にどうなったら終わるんだろう? と考えてみたんです。いまの運営メンバーの全員が理由はどうあれ、「もうできない」「もうやめる」となれば、終わる。ところがね、そのとき、私なら、全員がいなくなるまえに募集すればいい。そう思いついたんです。「誰か、やるひと、いますか?」って。ラーメン屋が閉店する。味は受け継がなくていい。居抜きで、誰かやりませんか? と。その発想は「場」>メディアだなあ、とつくづく。

信治●めちゃくちゃ、いい考えですね(笑)。よさそうな人だったら、明日にでも代わるかも。

天気●いやいや、明日はダメでしょ?

■ 20年前のいろんな俳句の風景

天気●すこし話を戻したいんですが、さきほど、ご自分のことを「メディアの人」と呼んだ部分です。そこで思い出したのが、むかしよく言われていた「二つの池の水路をつなぐ」。そこに返っていくわけですね。

信治●あ、そういうことかもしれません。当時、つまりだいたい20年前、いろんな俳句の風景が見えていて、一つは、自分が俳句の入り口にした、ネットの句会、掲示板やブログ、天気さんが遊んでらした俳句の「界隈」、もう一つは、より俳壇寄りの、結社と総合誌を中心に置いた俳句。あと、一人で読んでいた、朝日文庫の「現代俳句の世界」のような、虚子以来の近現代俳句というもの、そこには、ホトトギスから耕衣や白泉まである。これ、全部ばらばらのようだけど、自分において、一つになるはずなんだ、一つの全体、一つの現在として扱えるはずだ、なぜなら自分がそう読んでいるから、という、初心者なりの思い込みがあって。

天気●虚子から「現代俳句」までの歴史的な部分を除くと、水平軸として、俳壇:結社/総合誌がひとつ。もうひとつがネット俳句界隈。信治さんにとって、このふたつの「池」は離れているように見えて、水路でつながるはず、という解釈でいいんでしょうか?

信治●そうですね、俳句の現在というやつ。ネットというか、先行する同人誌として「恒信風」と「豆の木」、あと天気さんたち、あと東大と早稲田の学生俳句会。長嶋有、寺澤一雄、遠藤治、村井康司、斎藤朝比古、田島健一、宮本佳世乃、谷雄介、佐藤文香、山口優夢、神野紗希といった人たちが見えていて。あと、一方には「俳壇」かなあというものがあって(龍太も澄雄も湘子も存命でしたから)。で、この二つは、おたがいに測り合うべきだと。それができたら、楽しいことになるぞお、という。それが根本的なところにあったみたいです。

天気●その「測る」ツールのひとつが週刊俳句だったと?

信治●「週刊俳句」が始まって、天気さんに誘っていただいたことによって、そういうことができるかもという可能性が開かれたといいますか。なんか、そういうことができそうという高揚がありました。

(つづく)