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2026-06-28

柳俳合同誌上句会2026・選句結果

柳俳合同誌上句会2026・選句結果


参加者
伊野こう 生駒大祐 小野寺里穂
上田信治 暮田真名 大塚凱
榊陽子■中山奈々 森砂季 南幸佑

【千】

金魚草群れ咲くころは千葉の旬  生駒大祐

友引が千日続く青山椒  中山奈々
◯伊野こう
■大安の次に縁起がいいとされる「友引」ですが、葬式を行うことはできませんし、勝負事もよしとされません。なにも起きないことを平和と呼ぶのなら、「友引」の続く「千日」はそれにあたるのかもしれませんが、どこか抑制されたディストピアのようにも感じます。そこへ置かれた「青山椒」の鮮烈な香りや痺れが、その静寂にちいさな亀裂を入れているようでした。(伊野こう)
◯暮田真名
■季語「青山椒」から夏の句だとわかるが、一年をゆうに超える「友引が千日続く」によって時間感覚が無化され、結果的に無季のような味わいが生まれているのではないか。(暮田真名)
〔以下選外〕
■「友引が千日続く」という時間の宙づりは面白い。ただ「千日」が題の「千」を消化する説明に寄って、措辞が観念のまま着地しきらない印象はあった。(大塚凱)
■俳句って噓ついていいんでしたっけ?(川柳はOK。)噓じゃないとしたら比喩なのでしょうか。ともかく青山椒の概念が新たに誕生したことは喜ばしい。と書きつつ、「季語があるから俳句」は早計だったかもと反省。(榊陽子)

千鳥格子の隙間に生まれ  暮田真名
◯大塚凱
■千鳥格子という、無数の小さな単位が反復してできた模様。その「隙間」に何かが「生まれ」る、と中止形で言いさしたまま句を閉じる手つきがいい。完成された幾何学の、埋め尽くされたはずの織り目に余白を見つけ、そこを生成の場へ変えてしまった。何が生まれたかを言わないことで、模様そのものがまだ動き続けている。(大塚凱)
◯伊野こう
■「千鳥格子」という規則的な模様において、本来「隙間」は存在しないはずですが、「隙間に生まれ」と言われた瞬間に、その場所が隙間として立ち上がってしまいます。そうなると、むしろ模様のほうが「隙間だらけ」の不安定なものに見えてきてしまいました。秩序が言葉によって、いとも簡単に揺らいでしまう瞬間を見せているように感じ、またこの崩壊のなかで何が生まれるのかを問いかけているようにも思いました。(伊野こう)
◯中山奈々
■「千」で千鳥格子を持ってきたところにまず惹かれた。格子の隙間に生まれたものは、そこに居続けたらいつか格子同士ががしゃんしたときに潰されてしまうのだ。だから生まれて、逃げるまでがセット。はやく逃げなさい。(中山奈々)
◯小野寺里穂
■「千鳥格子の隙間」という着眼点が絶妙。読み手に対して、隙間に生まれ落ちた主体が何かを想像させる。(小野寺里穂)
◯南幸佑
■なにが生まれるのだろう。千鳥格子柄のあの密で規則的な見た目からは、たしかになにかが生まれそうな感じがしないでもない。連用形の結びからは、「千鳥格子の隙間に生まれ、そしてそのことをいまだにからかわれ続けている」といったような、生まれの事実が現在にまで影響を与えているようなニュアンスを感じた。(南幸佑)
〔以下選外〕
■千鳥のモチーフには幸せを手に入れるという意味が込められているらしい。隙間は暗くて狭くで産声は誰かに届くことはないかもしれないけれど、千鳥が羽ばたいて格子から差し込む光のように、未来に幸あれ!と思った。(榊陽子)

一千年後のあたらしい息を吐く  小野寺里穂
◎森砂季
■「一千年後」「あたらしい」にすっかりしてやられた。単にこの主体は一千年生きて、息を吸って吐いただけなのだ。息を吸う時、それは「新しい息」なのだ。しかもこの句には神秘性があり、ループも感じる。川柳で叙述トリックを使われて、もう「しまった!罠か!」が止まらない。地団駄踏むほど騙されてしまった。うれしい。(森砂季)

千里眼で地球一周した風景  森砂季
〔以下選外〕
■どこまでも見透せる「千里眼」という世界征服すら可能にしそうな能力を使って、ごく私的な世界旅行でもするかのようでおもしろかったです。地球を一周しているのに身体はどこにも動いていかないような不思議な無力さも感じました。(伊野こう)
■千里眼は離れた場所も見える能力なので、身体は一地点にいながら、目だけで世界一周の風景を見たということか。世界一周の楽しみは、視覚だけではないと教えてあげたくなる。滑稽な設定が上手い。(小野寺里穂)

千代田区の電柱にある夏日かな  南幸佑
◯生駒大祐
■今回”何も言っていない/言わないようにした”句が多く出た印象なのですが、その中でこの句は形式だけで成り立っているように思えます。この句に「いかにも千代田区の風景ですね」のようにコメントしたところで実は何の意味もなく、俳句の骨組みがそのまま歩いているような軽さがあります。今回の出句傾向の中でよい風に見えた部分もあるとは思うのですが、好きな句でした。(生駒大祐)
〔選外〕
■千代田区は無電柱化が進められているらしい。まだ手付かずで残っている電柱が一身に夏の太陽を背負う。見慣れた風景が懐かしい風景になっていくことへの一抹の寂しさを感じる。(榊陽子)
■電柱を含めて千代田区全体が夏日のはずなのに、電柱一本だが夏日を抱えているように見えるのは、落書きもステッカーも貼られていないずんべらぼんのせいか。あるいは電柱でさえ夏日(というような情熱)を有しているのに、日々出向いてくるずんべらぼんのひとたちときたらという皮肉なのかもしれない。いやいや電柱にもひとたちにもちゃんとね、ちゃんと暑い/熱い思いはあるんですよと前向きな句として読めないわたしがずんべらぼんなのかもしれない。(中山奈々)

たのしい王手の千年でした  伊野こう
◯榊陽子
■王手はたのしい。共感。たぶん勝利するよりも。だけど千年は長すぎませんか? ていうか誰? 京都?(榊陽子)
◯生駒大祐
■千日だと”千日手”が浮かんでそのまま過ぎるので千年にしたのではないかと邪推しますが、軽々しく千年間王手を繰り返して遊んでしまう姿を想像するとなかなか痛快です。(生駒大祐)
〔選外〕
■「たのしい王手」という勝負の一瞬を、「千年でした」と長尺の過去へ畳む時間操作が独特。ただ、「千日手」という言葉が既にあるので、面白がりきれなかった。(大塚凱)
■千年逃げ続けて、終わった王様、好感がもてる(上田信治)

鳥除けの針千本と蜘蛛の子と  大塚凱
◎伊野こう
■鳥の落とし物から街を守るための「鳥除け」と、鳥のいなくなった場所に現れる「蜘蛛の子」。このふたつが並ぶことで、ひとの都合で整えられた場所の静けさが立ち上がってきます。また、「針千本」という言葉からは指切りの約束が連想され、その静けさは最初から運命付けられていたもののようにも感じ、ひとが介入することで生まれるつめたいさみしさが印象に残りました。(伊野こう)
〔以下選外〕
■先端恐怖症のわたしは逃げ出す。無数の蜘蛛の子が一本一本の針の先端をカバーしてくれたとしても。(中山奈々)
■鳥除けはあのツンツンしたやつ。蜘蛛の子を散らすというくらいだから蜘蛛の子も千匹くらいうようよしてる。先端恐怖症と集合体恐怖症の方はお気をつけください。(榊陽子)

くしゃくしゃの千円札のアレやって  榊陽子
◯上田信治
■アレってたぶん、手品か物真似か。前、見せてくれたアレをやって、と甘えている、その関係は、くしゃくしゃの千円札のような手ずれた、捨てられない、どこにでもあるそれなのだ(上田信治)
〔選外〕
■子供がたまにしか会わない親戚に話しかけているような、適度な親密さが感じられる。(小野寺里穂)
■くしゃくしゃの千円札の(阪神優勝)やってってことですね。わかります。みんな千円札握りしめて角打ちの端のまだブラウン管のテレビを見つめている。買っても負けてもその千円分は飲むんや。(中山奈々)

どうしても千枚通しだとしても  上田信治
◯大塚凱
■意味を立てるより先に、「どうしても」「だとしても」という譲歩の構文がぐるりと一周して戻ってくる音が気持ちいい。千枚通しという、ひたすら一点を貫く細い道具の即物性が、その堂々巡りの中心へぽつんと刺さっている。論理の空転をそのまま韻律へ変えた、言葉の遊びとして強い。(大塚凱)
〔以下選外〕
■句意というよりも音による論理の捻れに惹かれました。「千枚通し」であることを受け入れざるを得ないような妙な緊張感がおかしく、どこか切実でもありました。(伊野こう)
■許すわけにはいかない。認めない。(中山奈々)
■どうし→通し、しても→してものリフレインで一句がループしながら、5-7-5の真ん中に「千枚通し」が刺さっている。こうなったらもう抜け出せない。(榊陽子)

【たべもの関連】

おとうさんもやしのひげ根取りましょう  暮田真名

暗に麩は往復はがきねばならない  榊陽子
◎大塚凱
■文がどこかで関節を外している。わかりやすく読むのであれば「麩は往復はがき(で)ねばならない」という、述語の宛先を失った義務の構文が、読むそばから意味の足場を崩していく。あるいは、中七で切れて「ねばならない」という言葉だけがぶん投げられるという読みでもいいと思う(私はその方が好き)。強い断定の身ぶりだけは残り、何かを命じられている気配が立ち上がる——軽い麩と、往って復ってくる葉書と、宙づりの義務。思えば、麩というもの自体が、乾燥されて届けられ、現場で水に晒し戻されるものだ。そう思うとそれは、往復はがきのニュアンスを帯びてくる。意味の体系を一度壊し、読みのプロトコルそのものを問い直してくる。今回はこれを特選に採る。(大塚凱)
◯暮田真名
■本来は動詞に接続する「ねばならない」を、「往復はがき」という名詞に接続した、と読んだ。麩が「往復」の動きをするイメージは、まるで一反木綿のようだ。「暗に」というのも、暗闇に浮かんでいるようだし。(暮田真名)
◯伊野こう
■「麩」と「往復はがき」の意外な取り合わせに見えたのですが、よくよく「麩」という漢字を眺めると、「来」や「又」といった往復を思わせる字が隠れているようにも見えてきます。すると「麩」には暗に「往復」が刻まれているようにも感じられ、その白さに浮かぶ模様にもどことなく必然性が生まれてくるようです。また「ねばならない」には義務を表す言い回しと、「粘らない」という響きが重なって聞こえます。気づけばそう見えてくる騙し絵みたいな説得力があり、「麩」という文字や食べものから広がる両面性がおもしろかったです。(伊野こう)

ずんだずんだずんだ すごい気持ちです  伊野こう
◎小野寺里穂
■「ずんだ」の濁点によって刻まれるリズムは意外にも心地よい。一拍置いて、「ずんだ」が「すごい」に転調する。「すごい気持ちです」という言い切りは、ずんだのリズムに身を委ねたことによって起こった心情の変化として受け取った。(小野寺里穂)
◯森砂季
■スキップだろうか。オノマトペであり、食べ物でもある。「ず」と「す」が2文字おきに並び、その次は7文字離れた大ジャンプをしている。どこに飛んでいったのか? やはり口の中だろう。甘くてウキウキした楽しい気分になる素晴らしい句。リズム感も素敵だ。(森砂季)
〔以下選外〕
■「ずんだ」三連打の音と「すごい気持ちです」の脱力した口語で、理屈を越えた高揚を押し通す勢いは買う。(大塚凱)
■広瀬ちえみさんの「松林だっただっただっただった」など、言葉にできない気持ちをリフレインに仮託した作品は多く、「すごい気持ち」は説明的とも感じるが、「ずんだずんだずんだ」は足踏みをする音のよう。(暮田真名)
■ほらずんだってめちゃくちゃハイカラな色しているじゃないですか。おいしそうじゃないですか。でもなんか口にしたときに思っていた味、いや食感じゃないってぐるんぐるんと思考が固まったことのあるひと、多いはず。決してまずいんじゃなくて、これをどう取り込もう、どう表現しようと試行錯誤しているわたくしの、すごい気持ち、わかってくれますよね?(中山奈々)
■リンダリンダとダンス・ダンス・ダンスを思い起こさせるずんだずんだずんだ。ショックが大きすぎたとき、誰しも語彙力を失うが、そもそも575は言語化への抵抗だから気にしなくていい。(榊陽子)
■ずんだ餅に、思い入れがあるのでは、たぶんなくて、ブルーハーツのようにそうつぶやくと、自分にすごい気持ちがあるような気がするということだろう。気持ちが分かる気がする(上田信治)

缶詰の中に戦争入ってる  森砂季
〔以下選外〕
■なんの缶詰だろうか。シロップがひたひたの黄桃やパイナップル、乾パン、コンビーフ、ドロップも広くは缶詰に入る。おいしいもののなかに戦争が入っている。缶詰の中だけではなく、日々知らぬ間に戦争はわたしたちのなかに入り込んでいるのだ。食べ終わった缶詰のなかにもヤドカリのようにもう戦争が入って街を転がっている。(中山奈々)
■「戦争が廊下の奥に立ってゐた」より一見軽い句に見える。しかし缶詰の長期保存、開けたらすぐに食べられるなどの便利な特性が戦争に内包されたとき、この言い回しの軽さが戦争に対する意識の危うさに変わる。(榊陽子)

はよ食べなさい空気が抜けてしまう  中山奈々
◎暮田真名
■「冷めてしまう」や「溶けてしまう」ならわかるが、「空気が抜けてしまう」のだという。いったいどんな食べ物だろうか。たとえばおなかとゴム風船が口を経由してつながっていて、片方がふくらめば片方がしぼみ、片方がしぼめば片方が膨らむような、奇妙な相互関係を想像させられもする。(暮田真名)
◯榊陽子
■空気でふくらんでいて、時間経過で萎んでしまう食べ物はある。たとえば綿あめやかき氷。でもそれらの食べ物から空気がぬけるという意識はなかった。でも原理は合ってる。「早く」じゃなくて「はよ」という関西弁がすでに時短になっているのもおもしろい。(榊陽子)
〔以下選外〕
■「空気が抜けてしまう」前に食べろという、飲食の刹那性を捉えた口語が生きている。(大塚凱)

白桃をてこてこ運び来て小声  生駒大祐
◎南幸佑
■「てこてこ」がツボだった。「とことこ」「てくてく」であれば歩き方だし、「へこへこ」であれば態度の問題だが、「てこてこ」とは両者を兼ねた、人物の全体的な雰囲気のことを言うのだろうか。白桃のようなそれなりに値の張る果物を買える人物というのはやはり裕福なのか。「小声」の結びも含め、ユーモラスな句。(南幸佑)
◯小野寺里穂
■白桃を持ち上げることも大変なくらい小さい何者かが、白桃を運んでいる様子が伝わる「てこてこ」というオノマトペ。もちろん声も小さい。小声で話している内容が気になる形で締めくくられているのもまたよい。(小野寺里穂)
◯上田信治
■イレギュラーな動作で運び、小声で話している。白桃には、跡などがつきやすいことを心配しているのか、そのへんなムーブに説得力がある(上田信治)
〔以下選外〕
■てこてこがかわいい。とことこよりもてくてくよりもおぼつかない感じ。大きさも重さもこの子の頭部と同じくらいの白桃だと思う。(榊陽子)
■眠るわたしの横に置いて反応を待っているんだ、彼らは。(中山奈々)
■「白桃」への過保護が、そのまま「てこてこ」という歩みに現れているように感じます。また「小声」も、とっておきをこっそり教えてくれるようで、白桃の甘さまで運ばれてくるようでした。(伊野こう)

口蓋を燃やす鋭い形容詞  小野寺里穂
◯南幸佑
■「鋭い形容詞」をたとえばだれかを非難するためのキツい言葉などと取って、そういう言葉を発することへの自責の念が描かれていると読んでも読めなくもないのだろうが、自分としてはむしろ、口の中を燃やすほどの熱を持ち、しかも鋭いものを視覚的に想像したほうがたのしく読めると思う。「口蓋」「形容詞」はじつに厳密な言葉遣いで、どこか外科医のカルテのような正確さがある(南幸佑)
〔以下選外〕
■辛い食べ物の刺激を「鋭い形容詞」と言語の側へ翻す転換が知的だが、ちょっとそれが見え透く印象があった。(大塚凱)

梅雨晴間すごく透きとほるゼリーたち  上田信治
〔以下選外〕
■凡庸な事柄に「すごく」をつけることで主観が嫌味なく伝わる。(榊陽子)

ひるがほの花へ煙や鳥を焼く  南幸佑
◎生駒大祐
■”たべもの関連”の題の中での一句なので「鳥を焼く」が焼鳥のことだとわかるのですが、題から切り離して読んでみると飼っていた鳥が死んだので火葬するような状況も想起されます。焼鳥と火葬では趣きも句における昼顔の花の印象も大きく異なるのですが、即物的に現象だけをみると焼鳥も火葬も同じことをやっていて、そこに個人的に発見がありました。昼顔を「ひるがほ」と開いているところにもフェティシズムを感じて嫌いではない筆致でした。(生駒大祐)
◎中山奈々
■この煙は鳥を焼く煙だろうか。無臭ではないのだけど焼鳥のようなおいしそうな匂いがしてこない。なんなら色も見えてこない。輪郭だけ。輪郭だけの、静かな世界。食べるために焼いている鳥なのに。昼顔の花へ煙を吸われたせいだろうか。食欲も小さく萎むような、いや元々食欲なんてあったのだろうか。(中山奈々)
◯榊陽子
■切れ字界のなかで、中七のあとの「や」が一番かっこいいと思っているので、この句の煙の正体を明かす前の絶妙なタメにキュンとした。あと花鳥風月の月以外入っていることに気づいたとき鳥肌が立った。(榊陽子)
◯上田信治
■よく見るタイプの句ではあるけれど、空間の狭さと、湿っぽさがよい。たぶん店から出る煙がとどくほどに、店の前が狭いのだ。そういう、その季語らしさの句(上田信治)
◯小野寺里穂
■夏のよく晴れた日に、焼き鳥屋の煙が道端のひるがおに向かって流れていく景色が浮かんだ。夏のワクワク感と酒により少し気だるい身体の感覚、自分も体験したことのある夏のひと時が立ち現れている。(小野寺里穂)
〔以下選外〕
■昼顔の儚い花へ、焼く鳥の煙が流れていく——清楚な季語と生臭い現実の取り合わせに毒がある。「煙や」の切れも効いている。ただ「鳥を焼く」が直截的な印象で、「焼く」が冗長に感じられてしまった。(大塚凱)

ゼリー、きみは憲法の何条が好き?  大塚凱
◎榊陽子
■川柳として読んだとき、まず色あざやかなぷるぷるのゼリーの可愛らしさがあり、まるで恋人同士の甘い雰囲気と思わせて、質問の内容が尖りすぎててヤバいと思った。時勢柄9条を思わせるが、そうじゃなかったら憲法に興味ないか、時代や場所が変われば答えも変わってくるだろう。俳句として読んだとき、夏にこれを聞いてくるということは、当然9条って答えるよねという圧を感じた。季語きっかけの読みに、少しだけど受け取り方に違いがあるのがなんかうれしかった。(無意識に「俳句ってこう読み方だよね」が強いだけかも。)どちらにしてもゼリーと憲法の取り合わせが最高なのは言うまでもない。(榊陽子)
◎上田信治
■そう呼びかける、主体も、相手も、どういう立場の誰だよと思わせる、ぶよぶよさと透明さ。つかみどころがないなあ、でもそういうことを、オシャレなふりをしながらでも言いたいという切実さはわかるのよ(上田信治)
◯森砂季
■「前文です」と答えそうになってしまったのだが、ゼリーに聞いているので本人の声に耳を傾けないといけない。武力を持つことを永久に許さない9条。9条推しゼリーはそのしなやかさでミサイルを避けていきそうだ。しかし基本的人権である11条だとしよう。現在まさに消えかけている基本的人権。火にかけるだけで簡単になくなってしまうゼリーに似ている。なるほどこの句は、推し憲法によって解釈が変わりそうで面白い。(森砂季)
〔以下選外〕
■問われたゼリーも問うたわたくしも困ってふるふるするしかない。こんなにも純粋に透き通っているから濁らないように、ね、ゼリー。(中山奈々)

【写真で一句】


都市とはに水めぐらする青葉かな  南幸佑
◯中山奈々
■青葉城城下でなくとも、都市とは永遠に水を巡らせるものなんだと納得した。水(川)へふちどるような青葉、それにパワーをもらうように繁栄している都市の関係が見えてきた。(中山奈々)
〔以下選外〕
■「水めぐらする」の古典的な措辞で、都市に水を巡らせる青葉の景を大きく構える格調はあるが、「青葉」はややイメージから脱しきれていない印象だった。(大塚凱)

さかなのうわさにふさわしかった  伊野こう
◯暮田真名
■うわさ話をする魚を想像すると、かわいい。「うわさにふさわ」の頭韻と「わさ」「さわ」の裏返した音も、くすぐられているようなうれしさがある。(暮田真名)
◯生駒大祐
■さ”かな”、う"わさ"、ふ”さわ”と2連続のa音で韻を踏んでいて、その軽やかな韻が気に入りました。(生駒大祐)
◯森砂季
■さかながうわさ話をしている。あまりにもかわいい。かわいすぎる。口がぱくぱく動いて、泡が出ている。韻の踏み方が巧妙だ。「うわさ」が「うきわ」に似ていることもなんだか愛おしい。すてき。(森砂季)
◯南幸佑
■海中で魚同士の噂話を立ち聞きしていたら、いかにも魚らしい話題が飛び交っていた。「どこそこの藻場は日当たりがよくて気持ちがよい」とかだろうか。「ふさわしかった」と過去形で書くと、この人が実際に聞いたのだろうというリアリティ(現実味がある内容ではないので、リアリティというのもヘンな話だが)が生じるのがおもしろい。(南幸佑)
◯小野寺里穂
■写真で切り取られている渋谷ストリームを起点とした渋谷川は、基本的に再生水を流しているため、少なくともこの地点には魚は住んでいそうにない。魚にとって評判が悪いと予想されるこのエリアを、魚の目線で語っているところに面白みがある。(小野寺里穂)
〔以下選外〕
■すべてひらがながおとぎ話のようでようでかわいい。さかなたちがにんげんの世界ってね、きらきらしているんだよという、あのきらきらの世界にこの写真はふさわしかった。さかなでなくとも憧れてしまう。(中山奈々)
■「さかな」が「うわさ」をし、うそかほんとかわからない「うわさ」に対して「ふさわしかった」と断言するという不確実性の連続が、画像にも感じられた。(榊陽子)
■「さかなのうわさ」という不穏で涼しいフレーズの手ざわりを買いたい。(大塚凱)

アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ  榊陽子
〔以下選外〕
■「「アヴェ・マリア(Ave Maria)」は、ラテン語で「こんにちは、マリア」または「おめでとう、マリア」を意味する言葉です。転じて、聖母マリアへの祈りの言葉、およびその祈祷文に美しい旋律をつけて歌われる宗教的・クラシック楽曲の総称を指します」。音が楽しい。でも「にも」なのか、とそれだけは気になった(上田信治)

あばら屋にきれいなビルを積んでいく  森砂季
◯伊野こう
■「積んでいく」という動詞に惹かれました。本来であれば、あばら屋の跡地にきれいなビルは「建つ」はずで、同じ場所にはどちらかしか存在しません。しかし写真のなかでは、それらがひと続きの光景となっています。都市がゆっくりと更新されていく時間のいくつかを一枚の写真に重ねているようで、その足元では開発のさなかに見過ごされたなにかが下敷きとなっているように感じました。(伊野こう)
〔以下選外〕
■お題の写真に映っているのは東急の開発物件だが、むしろこの句に読まれているジェントリフィケーションの風情は森ビルによるそれっぽい。朽ちたあばら屋の上へ、きれいなビルを「積んでいく」。再開発事業のもつ暴力性を一息で見せた構図だろうが、「積む」はややレトリックが先行している印象だった。(大塚凱)
■主体が二人いる。積んでいる人と積んでいるのを見ている人。主体をあえて曖昧にすることで、建築構造の揺らぎと主体が行ったり来たりする揺らぎが同時に起こり、読み手に波及する。(榊陽子)

まやかしがまやかしを呼び照り返す  小野寺里穂
◯中山奈々
■あの青をどう言おうかと思っていたが、なるほど、まやかしか。ひとつのまやかしの持つ光なんて小さいのだけど、まやかし同士が光を放ち合い、照り返しあったら、そのぴかぴかは眩しいだけでなく、ちょっと冷静な気持ちにさせてくれる。不思議。(中山奈々)
◯森砂季
■呪術的に感じる。まやかしの繰り返しが心地よく面白い。「照り返す」は太陽のはたらき。蜃気楼とまぶしい光の明滅。句の全体像が見えないことが楽しく感じられ、不思議な世界に連れて行ってくれる。(森砂季)
◯大塚凱
■「まやかし」が「まやかし」を呼ぶ反復で、像が合わせ鏡のように奥へ増殖していく。そこへ「照り返す」が来ると、増殖した虚像が今度はこちらへ眩しく跳ね返ってくる——見ている側まで巻き込む明るさが効いている。同語反復を、ただの強調ではなく光学的な往復運動にまで仕立てた構成がよかった。(大塚凱)
◯南幸佑
■「照り返す」と書くことで、このまやかしの質感(光を照り返すような、つるつるした表皮なのか)が想像されるのがおもしろい。百鬼夜行のはじまりの趣がある。(南幸佑)

メタリック休憩をいますぐとれよ  暮田真名
〔以下選外〕
■「メタリック休憩」という造語として読んだ。喫煙者にたばこ休憩があるように、メタリックが切れると業務に集中できない人に必要な「メタリック休憩」。「いますぐとれよ」と心配してくれるとか、なんてホワイトな職場だ。(榊陽子)
■メタリックに対して休憩を促しているのか。はたまた「メタリック休憩」をとるように言っているのか。どちらの読みをしても楽しい。「メタリック休憩」はテンション高そう休憩すぎて反対に疲れてしまわないか。いや硬質でしっかりとした休憩と捉えることも出来る。(中山奈々)

青梅雨や和菓子を買うて橋の上  上田信治
◯生駒大祐
■題の写真から「和菓子」を出してきたのがいいなあと思いました。「橋の上」の収め方もいいと思います。(生駒大祐)
〔以下選外〕
■この和菓子は自分のために買ったのだろう。迎える客のためにいそいそと帰ることはなく、好きなペースでゆっくり帰る。たとえ近所だったとしても橋を渡るって信号を渡ることより遠くに行く気持ちになる。自分のために足を使うのは楽しい。(中山奈々)

てのひらの蚊を捧げたり雨あがり  中山奈々
◯暮田真名
■「てのひらの蚊」は、打って潰してしまった蚊のことだろう。やっていることはなかなか呪術的だが、読み味は明るく爽やかだ。「捧げたり雨あがり」の軽快さも一役買っているだろうか。(暮田真名)
◯大塚凱
■掌に潰した蚊を「捧げ」と言い切ったところで、殺生がそのまま小さな祭祀へ反転する。「雨あがり」の洗われた空気が、その手のひらの一点を聖別するように働く。蚊という卑近な季語を、悼みの所作まで持ち上げた手際がいい。(大塚凱)
◯榊陽子
■蚊を殺したときに流れる血は人間の血だ。人間の犯した罪を人間の血で償うのは生贄の最適解だが、それは神への冒涜だし、「雨あがり」を過剰な演出のために使っているのも自然(季語?)への冒瀆だ。(榊陽子)
〔以下選外〕
■起きている出来事としては「蚊をつぶした」だけですが、意識としては「つぶしてしまった」という感覚があり、それゆえに「捧げたり」という演出めいた表現が導き出されているように思いました。また、「てのひら」「捧げたり」「雨あがり」と繰り返されるR音がこの演出に音楽性を与えています。ちいさな殺生がまるで古典悲劇の一幕のように響いてくる句だと思いました。(伊野こう)

タピオカ吸ふ暗渠の果てのあをぞらに  大塚凱
◯中山奈々
■吟行でよく言われる「わたしも◯◯を見て作りたかったけれど、作れなかった。この句はきちんとそれを句にしているから惹かれた」。この句はまさに暗渠を出したことでそうやって言われてしまうん(わたししか言ってなかったらごめんね)だけど、それだけで終わらせなかった。タピオカを吸うわたしく。それは入口。果てに青空がある暗渠。それは出口。対をなすふたつなのに重なってみえるのは、秘めている暗さが同じだからだろうか。(中山奈々)
〔以下選外〕
■この句を読んで、初めてタピオカと暗渠が似ていることに気づいた。タピオカはキャッサバの根から取ったでんぷんである。キャッサバの根は地下に埋まっているし、でんぷんは澱粉だ。タピオカと呼ばれるものになってもコップの底に沈み、蓋をされ、さらに暗渠みが増す。光を奪われたものが最後に出会う空が限りなく明るい。(榊陽子)

夏川とさて明日はなき摩天楼  生駒大祐

柳俳合同誌上句会2026 外野席から選句する 湊圭伍×山田耕司

柳俳合同誌上句会2026
外野席から選句する

湊圭伍×山田耕司  進行:西原天気



--こんにちは。週刊俳句100号を記念して開催された「柳俳合同誌上句会2026」。そこに、投句していないおふたりが選と選評で参加するという企画です。来ていただいたのは、川柳から湊圭伍さん、俳句から山田耕司さんです。

湊圭伍さんは句集『そら耳のつづきを』(2021年/書肆侃侃房)のほか、管見の範囲でもいくつかの川柳雑誌で作品を拝見していいます。また、私にとっては、『新撰21』(2010年1月/邑書林)掲載の関悦史小論「《現実界(レエル)》のほかに俳句なし」(湊圭史名義)という出色の作家論が長く強く印象に残っています。

山田耕司さんには、2冊の句集、『大風呂敷』(2010年/大風呂敷出版局)、『不純』(2018年/左右社)があります。また俳誌『円錐』で定期的に句を発表されています。個人的に、山田耕司句のファンです。無季の句も少なくなく、ときおり「川柳寄り」と、浅薄な私見ですが思うことがあります。

こんなおふたりです。私の理解では、ジャンル横断的な思考やセンスを持ち合わせた方にお越しいただけたと思います。

外野席からの選句には、もっと違う人選もあったでしょう。例えば、有季定型しか作らない結社出自の俳人。川柳プロパーについて、私には理解がないのですが、もっと川柳川柳した句を作る方。それも、おもしろかったかもしれませんが、今回の投句一覧だと、大いに困惑させてしまうかもしれません。それはやめておいたほうがいい。

なお、外野席から誰かが選句するこの企画は、句会の参加者10名にはお知らせしていません。

前口上が長くなってしまいました。それでは始めます。それぞれ、特選1句・並選4句を教えてください。

湊圭伍〔以下湊〕●
確認ですが、3題合わせた全体から、特選1句、並選4句でOKでしょうか。

--はい、30句全体からです。川柳の方は、たくさんの選に慣れているせいでしょうか、毎回、1題につき5句選で送ってくる方がいらっしゃいます。今回の30句から5句選は、俳句だと若干多めでしょうか。少なめよりも多めのほうが盛り上がると踏んで、こうしました。

湊●
了解です。山田さん、よろしくお願いいたします! 違った選になったらおもしろそう、と思いつつ。

特選は
友引が千日続く青山椒

並選が
金魚草群れ咲くころは千葉の旬
はよ食べなさい空気が抜けてしまう
暗に麩は往復はがきねばならない
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ

山田耕司〔以下山田〕●
わあ。湊さん。ご一緒できてうれしいです! 川柳の選をするの、実は初めてなんです。よろしくお願いします。

特選
どうしても千枚通しだとしても

並選
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ
千代田区の電柱にある夏日かな
白桃をてこてこ運び来て小声
青梅雨や和菓子を買うて橋の上

--ありがとうございます。1句、選が重なりました。《アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ》。ともに並選です。選評をお願いします。

湊●
街のなかの建物の一室でコーラスが歌われており、ただ開け放った窓の網戸を通して、外の人声や騒音も入っている、という景を思い浮かべました。「アヴェ」は「こんにちは」や「おめでとう」の意味があるらしい(「こんにちは」と「おめでとう」だと全然意味が違うだろ!)。「アヴェ・マリアの祈り」はイエスを身籠って目出度いとマリアを褒めたたえる歌ということで「おめでとう」が八割程度か。

一方、「網戸」の外の「おしゃべり」は 同じ事態をまったく別の解釈で話しているのでは? 頼りない境界である「網戸」の内と外に別の語り・別の時間が流れていて、しかも、この句がどちらにも与してなさそうなのがよいと思いました。

山田●
なるほど。そうですよね。この網戸は、ひとつの結界のようです。アヴェ・マリアの聖とおしゃべりの俗。聖と俗との対比という視点は、俳句っぽいものかもしれませんけれど。それを隔てる結界。

音と音。その間にある網戸。音が簡単に通過できる透過性の高いものとして、この網戸を捉えることもできるとは思うんですけれど、私は、視覚を鈍らせるフィルターのようなものとしてこれを受け止めてみました。

聴覚で受け取れる素材の間に、対象を視覚的に鈍らせたり濁したりするフィルターがある。これって、クールでメタリックな絵を見た時の受け止め方の描写なのではないかしら、とも思いました。世界を鈍らせたり濁したりして、俗の手触りに拉致するのが、句を作る際の自己の手応えになっているんじゃないか、そんな読みです。聴覚と視覚の混線、そのひねり具合も手ごたえの一部として。

「アヴェ・マリアにも」の「も」の向こう側に、作者自身のうちなるあやうげな浄らかさが漂っているようにも思いました。

--ちなみに「網戸」は夏の季語ですが、おふたりとも、そこにはこだわらなかった。《網戸》を境界・結界という語で表現されました。聖/俗がそれをはさんで共存しているイメージは、この写真にもよく合いますね。難しい題だと思っていたのですが、この句は、写真の説明からも逃れていて、いい感じです。おふたりの選評を聞いているうち、どんどんおもしろさが増していきました。

湊●
おふたりの読み・ご説明で、俳人は視覚を意識しているというか自然にその観点が入ってくるのだなと思いました。「網戸」が季語というのも、機能性よりは目にも入るモノ性を読みとらせるように効いてくるのではないか。

--ああ、なるほど。俳句の場合、機能はすでに季語の「意味するところ」に含まれているので(防暑)、そこをすっ飛ばして視覚に行きがちなのかもしれません。

山田●
たしかに、視覚的な要素を勘案するところが俳句にはあるかもしれませんね。共有情報である季語を取り込むに際して、いかにその句の一回性という肉を与えられるか、という視点が反映されているのかもしれません。これって、写生という方法意識ではなくて、概念を形而下にひきずりおろして可視化するプロセスとして捉えることもできるのではないかとも思っています。

--ちがうフィールドからお越しいただいたおふたりの話、とてもおもしろくて、「網戸」だけで記事がひとつ成り立ちますね。それでは次に、それぞれ、特選の句について、コメントをいただけますか?

湊●
私の特選句は、

友引が千日続く青山椒

です。

「友引」には幸せを引く吉、不幸や死を引く凶どちらの面もあるとして、ただ、それがずっと続くのだとしたらまことに不穏で、凶の側が色濃くなっていくように感じます。しかも、「千日」! 一方、「青山椒」はよい保存方法があるとしても、その香りはさすがに「千日」は持たず、見た目の鮮やかな緑もくすんでいってしまう。

この句、一度や二度読む限りでは、上五・中七の不吉さを、「青山椒」のピリッとした刺激が抑え込んでいる。だが、さらに眺めつづけて、「友引」の語をくりかえし唱えていると、山椒のもつ一種の魔除けの作用はすり減って、引かれた「友」たちの集合体ののっぺりとした薄気味悪さが印象づけられてきます。

『千夜一夜物語』よろしく、「千」につづく「一」に何かが隠されているのかもしれないけれども。

山田●
私の特選は、

どうしても千枚通しだとしても

手にしている道具があります。それが千枚通しであるとして、その道具の視覚的な要素を描写するという方向に進みがちなのが、俳句なのかもしれません。

時に、この句は、そうした道をすべて捨て去っています。これが千枚通しであるかどうかも、怪しい。人を殺傷することができるような凶器を手にしながら、それを日常の連続に属する千枚通しだと言い張る人がいる。血だらけだったりするかもしれません。どう見ても千枚通しではなさそうなのに。仮にこれが千枚通しだとしても、どうして血まみれなのか、どうしても千枚通しだと言い張る根拠はどこにあるのか、そのようなドラマを内包しうる作品なのだと思います。

--ありがとうございます。それぞれの選評を腑分けするようにお互いに語っていただくこともできるでしょうし、聞いてみたい気持ちはあるのですが、それをやっていたら、夜が明けてしまいそうです。簡単に。「採らざる」の弁をお訊きします。山田さんは《友引が千日続く青山椒》を、湊さんは《どうしても千枚通しだとしても》を、選外にされた理由を。ほんと、簡単でいいです。

山田●
友引ばかりが続くのは、大安や仏滅が来ないということでもあります。他者との相互作用のみに浸る日常を想像しました。その想像に、青山椒のピリリをうまく絡み合わせることができませんでした。

湊●
「友引」と「青山椒」については、確かに絡み合わないですね。その点、言葉の読み取り自体は山田さんと私で変わらないような気がします。そのうえで、私はそれぞれの言葉がワガママに動いて、ある意味裏切り合っているのを楽しんでいます。俳句っぽい姿の句ですが、川柳的に読んでおもしろがっているのだと思います。

山田さんの評にある「千枚通しだと言い張る」の「言い張る」は川柳のけっこう大きい部分だと思います。ふつうに考えたら無根拠なことを言い切ることで、そうでしかないと読者を引きずり込んでしまう。

「どうしても千枚通しだとしても」の句については、川柳のそんな力技が効きそうな感じはあったのですが、「どうしても」と「だとしても」の音の重なりが気持ちよくないなというのがあり、それがしばらく読んでも解消されなかったので外しました。音のくりかえしが悪いというのではないですが、この句の場合、音の重なりがダマになって気持ちよく通り抜けさせてくれないような。

言い切りに引き込む仕掛けとしては、「だとしても」の締めが思わせぶり過ぎるかな、と思ってしまったのも選ばなかった理由ですね。

--ありがとうございます。今日はこのへんしておきましょうか。

湊●
昨日、俳句甲子園の松山大会で初めて審査員をしまして、そのあと夜中まで飲んで今日は二日酔い気味で、そろそろ瞼が重くなってきました……。

山田●
湊さん、私も土曜日に高崎会場にて審査員をさせていただきました。ご一緒でしたら、盃を重ねていたことと思います。今日はありがとうございました!

interlude

--それでは再開です。それぞれ残りの並選について。まず、湊さんがお採りの《金魚草群れ咲くころは千葉の旬》。

湊●
「金魚草」はよくある園芸品種で何度も見たことはあるんですが、好きでも嫌いでもなく、どこで見たか記憶にもあいまいです。たぶん名前に入っている「金魚」のせいで、言葉の強さよりも現実の印象が薄いせいでしょう。

千葉在住・出身の方には悪いが、「千葉」もまた印象が薄い。この句のポイントはこの二つの印象の薄い存在をやや言い過ぎの「群れ咲く」で彩ることで掛け合わせ、名前がもつ言葉のポテンシャルを発揮させている点にあると考えています。

現実には地名である「千葉」に「旬」などはないでしょうが、無数の花、千の葉が群れて重なり合うことによって、この句の中で作られた言葉の交錯でのみ感じられる「旬」の感覚が伝えられます。

--金魚草を調べると仲夏の季語なんですね。2月に南房総の花卉農家でよく見る花なので、春の季語かと思っていました。

湊●
そう聞くと、実景から書かれた、土地の「旬」についての素直な句なのかな。「金魚草」が仲夏の季語というのも、「金魚」に引っ張られたのかなあというところでおもしろいですね。

--次は山田さん並選の《千代田区の電柱にある夏日かな》。いかにも俳句的な体裁です。

山田●
千葉から、千代田区へ。連想させる物語の数が多すぎて、千代田区についてはイメージが絞り込めないところがありますね。一方で、電柱の方は無名性の表象のようでもあります。多くの情報文脈を退けて、無名なる存在に心寄せをしているのが、この句の眼目なのだと思います。

存在を示す動詞としての「ある」だと凡庸ですが、連体詞「ある」(ある日森の中クマさんに…という「ある」。某という意味)として、この「夏日」が無名な誰かの個人的な物語に属していることを暗示しているのかもしれません。「かな」という強調が、そのような読みを促しています。

--湊さんの並選、《はよ食べなさい空気が抜けてしまう》。これは俳句からは出てこない。川柳らしいと言っていいんでしょうか。

湊●
さすがにこれが俳句ならのけぞるかも(笑)。

まず、前半の会話体「はよ食べなさい」には、関西ふうのせっかちさがありますね。それだけではなく、五七五定型を諦めて会話体を採用することで生まれたリズム(あるいはその欠如)のせいで、後半の「空気が抜けてしまう」にもどこか音が足りないような、間の抜けた感が漂っています。

この句を読む体験そのものが、この「空気が抜けてしまう」感覚を味わわされることでもあります。言われるままに「はよ食べた」とて「空気」を食んでいるに過ぎず、とはいえ、空気が抜けきった皮のようなものが残るのだって気持ちいいとは思えない、というようなことを考えているうちに、この句の発話者はもう別のほうを向いている。

結局、「だから何(So What)?」なんですが、こうして「だから何?」まで 句を通過していく過程が川柳的体験だと思います。純粋川柳ですね(笑)。

--次は山田さん並選の《白桃をてこてこ運び来て小声》。

山田●
「てこてこ」をどう受け取るかですが、私は、幼い子供が大きめの白桃を抱えるようにこちらへ運んでくるさまを示す措辞として味わってみました。そのさまはかわいいものなのですが、それを消費することは、この句のポイントではないでしょう。

大切なものを一生懸命運んできました。ここにたどり着き、それを見せつつ、ひょっとしたら手渡してくれているのかもしれません。渡す相手だけに伝わる小声。そこに示されているのは、人と人との間に漂う親密さ。それこそがこの句の要と言えるでしょう。

「てこてこ」という表現で幼児のかわいらしさを引き出そうとしているのかもしれませんが、この言葉遣いにより、運ぶ主体としての幼児の姿を消すことにも成功しました。人の姿が書き表されていないことで、かえって「小声」の存在が際立っているようにも思います。

--最後ですね。湊さんの並選、《暗に麩は往復はがきねばならない》。

湊●
最初の「暗に麩」からよく分からないので、Google検索してみると、AI Overviewが〈「暗に麩」というフレーズは、おそらく松山市周辺のスーパー等で買える美味しい「お麩」についての話題か、もしくは打ち間違いのどちらかだと思われます。〉と教えてくれました。私の住んでいる場所が割れているのが気持ち悪いですね。

(松山はとくに麩の名産地やないやんけ、とつっこんでみたら、〈松山地域の伝統的な名産品として知られるのは「麩」ではなく、フワフワとした食感で知られる薄揚げの「松山あげ(程(ほど)の伊予名産 松山揚げ)」です。〉と出ました。程野商店の「松山あげ」は基本、刻みで売られていて、美味しくて使いやすく、軽いので、松山みやげにおススメです。閑話休題、)

「往復はがきねばならない」も相当ムリな言い回しです。「往復はがき(を送ら)ねばならない」と補ってやる義理は、読者には毛頭ない。句を真面目に読もうとすると、足場になるのは「麩」ぐらいしかないわけですが、足場としてはスカスカでいかにも頼りなく、読みの途中で裏切られる気しかしない。

これは、作者に直接「往復はがきねばならない」のでは。

--山田さんは、《青梅雨や和菓子を買うて橋の上》。お願いします。

山田●
絵の世界を叙景として捉えているとしたならば、その風景を説明するのではなく、気配を人のふるまいとして表現したところにこの句の良さがあります。「青」が効いています。絵との繋がりを示しているだけではなく、行為の清々しさを支えている世界観の基本色となっています。

ですが、私は、叙景の作品としてこの句を選んだのではありません。課題の絵には、道がありません。水路が見えていますが、そこからどこかへいける気配がありません。明るく美しい閉塞感。そんな印象を持ちました。

私がこの作品において着目したのは「や」です。俳句の切字「や」はテーマを提示します。そして、下へ読み進めたのちに、冒頭へ読者の視線を回帰させる働きを内蔵します。このような俳句ならではの修辞を用いることで、この明るく美しい閉塞感を示そうとしたのではないか、というのが私の視点です。一句の中で言葉が循環しつつどこにも行かない。それは、この絵の印象に限ることではなく、俳句作品がそれとなく目指す境地なのかもしれないと思うところがあります。

--ありがとうございます。選外で気になった句があれば、どうぞ。

湊●
最初、各題2句で選んでいて、【3 写真で一句】では次の句が並選でした。

夏川とさて明日はなき摩天楼

句の3分の2は題の絵を説明しただけで、雑と言えば雑な作りなんですが、「さて明日はなき」と大げさで無責任な見えを切ったところでその雑さが逆に活きていると判定します。

「摩天楼」は“Skyscraper”の訳で、この語は19世紀後半までは、背の高い人や馬、船のマストの天辺の三角の帆などを指していたらしい。1880年代後半にアメリカの大都市で高速建築が次々と建てられるようになってようやく現在の意味が定着して、それからまだ一世紀半しか経っていない。

暗渠から這い出てくる川、デジタル感のある絵に描かれた街にさえ「夏」を感じる感性からすれば、明日「摩天楼」が消えてしまってもどうでもよいではないか。瓦礫をどうするかについては考える必要がありますが。

結構暗渠好きなのでちょっとリサーチしましたが、この絵は渋谷川、八幡橋? 関東の人にはよく知られた場所なんですね、ネットに写真がいっぱいある。

--渋谷川です。「よく知られた」というほどでもないのですが。

湊●
山田さん並選の「千代田区の電柱にある夏日かな」「白桃をてこてこ運び来て小声」「青梅雨や和菓子を買うて橋の上」、それから「てのひらの蚊を捧げたり雨あがり」「ひるがほの花へ煙や鳥を焼く」、これらの句も、俳句としてまとまっていて世界の手ざわりがあり、 ぞれぞれに佳句だと思います。選んだ句と分かれたのはふり返ってみると、直感的に「読みで遊ばせてくれるかどうか」と感じたかどうかかな(評者のワガママですが、川柳の選や読みではこのワガママはけっこう大事だと思っています)。

とは言え、山田さん評を読んだ後だと、自分の俳句の読みの甘さを感じますね。「千代田区の電柱に・ある夏日かな」は思いつきませんでした。改めて考えると、俳句だと存在の「ある」は余分なので、という読みの展開は十分あり、というところなんですが。

「白桃をてこてこ運び来て小声」の関係性まで踏み込んだ読みもなるほどです。私はからくりの茶運び人形を思い浮かべて、ちょっと気持ち悪い感じ、と読んでいました。子供のもつ異界性というようなテーマで。まあ、読み過ぎですね(笑)。

「青梅雨や和菓子を買うて橋の上」は擬古典調?という辺りで私の読みは止まってしまいました。俳句のフォームにこだわることで読みを進められるのですね。

川柳らしい句では、山田さん特選の「どうしても千枚通しだとしても」、それから「さかなのうわさにふさわしかった」も気になっていました。「さかなのうわさ」の句は広がりがあってよいですが、ちょっとぼんやりしているとも言えて、周りに別の句を置く(連作?)ほうがおもしろくなりそう。実を言うと、投句一覧では、

さかなのうわさにふさわしかった
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ

と並んでいて、キリスト教的な背景(イエス・キリストの象徴が魚[Ichthys イクトゥス])、「うわさ-おしゃべり」のつながりが(偶然?)生まれています。川柳の選者選の句会であれば、各題10句から5~6句ほど選ぶことになりそうですが、この2句はぜひ最後に並べたいところです。川柳・選者選ふうの選です(勝手に川柳句会、ですみません)。

【3 写真で一句】
タピオカ吸ふ暗渠の果てのあをぞらに
てのひらの蚊を捧げたり雨あがり
まやかしがまやかしを呼び照り返す
夏川とさて明日はなき摩天楼
さかなのうわさにふさわしかった
アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ

--なるほど。こう並べると、短句のない長句ばかりの連句のようです。《タピオカ》から《おしゃべり》まで、流れを感じます。句会もまた共同作業だったとは! 山田さんは、なにかありますか?

山田●
俳句と川柳が混在する中から選句をするのは、初めての体験でした。俳句らしさとか川柳らしさとか、それはよくわかりません。

そもそも俳諧は、〈和歌ではない〉ものとして育ってきたわけですし、近代俳句は、〈江戸俳諧ではない〉ことを足がかりに膨らんできたわけです。現代川柳も、幾層もの〈……ではない〉を潜り抜けてきたのではないでしょうか。

〈……ではない〉ものを選んでいる。その覚悟で、作品に向かい合いました。

すると、その結果、なぜこんなことを書くのだろうか、という作家の動機のようなものへの想像が鑑賞の中心軸となりました。選び終わっても、作家の動機などがわかったわけでもありません。しかし、〈らしさ〉によりかからずに鑑賞できた快感が、事後に残りました。皆さんの作品と湊さんの鑑賞文のおかげだと思っております。ありがとうございます。

--それでは最後に、余興として、どの5句が柳人作かを推理していただけませんか? ぜんぶは大変なので、【千】の10句で。もちろん、作者が柳人か俳人かなんて、あまり意味はないとは思うのですが。それに、俳句と川柳どちらもつくるという人も混じっていますから。あくまで余興で。

1 金魚草群れ咲くころは千葉の旬
2 友引が千日続く青山椒
3 千鳥格子の隙間に生まれ
4 一千年後のあたらしい息を吐く
5 千里眼で地球一周した風景
6 千代田区の電柱にある夏日かな
7 たのしい王手の千年でした
8 鳥除けの針千本と蜘蛛の子と
9 くしゃくしゃの千円札のアレやって
10 どうしても千枚通しだとしても

(番号で柳人作と思う句をお答えください)

山田●
3、5、7、9、10。

湊●
とりあえず、川柳っぽい句と俳句っぽい句に分けると、 川柳っぽい句が6句になってしまいました。うーむ、俳人が川柳っぽい句を出していたり、また逆もあるのか。そうなると相当難しいですね。

柳人が書いた川柳かな、と若干自信があるのが、5、7、9ですね。あと、3、4、10 が川柳っぽい句ですが、これらは俳人が書きそうな匂いもします。逆に、柳人が書いた俳句っぽいのは、1、2でしょうか。柳人がまず書きそうにないのは、6、8。

1、4、5、7、9で行きます。

ちなみに、かたちから川柳と判断するのは、3、4、5、7、9、10です。

--では、答え合わせ、行きますね。山田さんは4つ正解。10番は俳人作、それも山田さんがよくご存じの俳人です。

湊さんも4つ正解。1番は俳人作です。「川柳っぽい句ですが、これらは俳人が書きそうな匂いも」とおっしゃった3、4、10。10は鋭どかったですね。あと、「かたちから川柳と判断するのは、3、4、5、7、9、10」というところ、鋭いです。10を除けば、全正解。つまり、柳人作は、3、4、5、7、9です。

おふたりとも正答率80パーセント。クイズ的には充分に優秀ではないでしょうか。

あ、そうそう、おふたりの選句5句の内訳をお伝えしておきます。湊さんは柳人作を2句、俳人作を3句、山田さんは柳人作を1句、俳人作を4句、お採りです。どなたの作かは第1001号のリリースをおたのしみに。

今回はほんとうにありがとうございました。おふたりのおかげで、予想した以上におもしろいセッションになりました。

湊●
何だかテンションが高くて(俳句甲子園の影響?)、急ピッチで話してしまいましたが、楽しかったです。別の読みが出る緊張感と、山田さんならという安心感がありました。

山田●
ありがとうございました! 何かの機会に川柳の会に参加させてください。

(了)

2026-06-14

柳俳合同誌上句会2026 投句一覧

柳俳合同誌上句会2026・投句一覧


画像をクリックすると大きくなります

【1 千】

金魚草群れ咲くころは千葉の旬

友引が千日続く青山椒

千鳥格子の隙間に生まれ

一千年後のあたらしい息を吐く

千里眼で地球一周した風景

千代田区の電柱にある夏日かな

たのしい王手の千年でした

鳥除けの針千本と蜘蛛の子と

くしゃくしゃの千円札のアレやって

どうしても千枚通しだとしても


【2 たべもの関連】

おとうさんもやしのひげ根取りましょう

暗に麩は往復はがきねばならない

ずんだずんだずんだ すごい気持ちです

缶詰の中に戦争入ってる

はよ食べなさい空気が抜けてしまう

白桃をてこてこ運び来て小声

口蓋を燃やす鋭い形容詞

梅雨晴間すごく透きとほるゼリーたち

ひるがほの花へ煙や鳥を焼く

ゼリー、きみは憲法の何条が好き?


【3 写真で一句】

都市とはに水めぐらする青葉かな

さかなのうわさにふさわしかった

アヴェ・マリアにも網戸はおしゃべりだ

あばら屋にきれいなビルを積んでいく

まやかしがまやかしを呼び照り返す

メタリック休憩をいますぐとれよ

青梅雨や和菓子を買うて橋の上

てのひらの蚊を捧げたり雨あがり

タピオカ吸ふ暗渠の果てのあをぞらに

夏川とさて明日はなき摩天楼

(以上・全30句)


●特選1句・並選4句

●選句結果発表:第1001号・2026年6月28日(予定)

2026-06-07

柳俳合同誌上句会2026・開催!

柳俳合同誌上句会2026・開催!


このたび小誌『週刊俳句』では、こちらから参加をお願いした柳人5名+俳人5名によるメール句会を開催することとなりました。

●兼題:3題 各1句・計3句 ※未発表句/当季/無季

1 【千】  文字の詠み込みです。

2 テーマ詠【食べものにまつわる句】

3 この写真で一句

画像をクリックするとおおきくなります
©YutakaKANO

●今後の日程

第999号 2026年6月14日 投句一覧を掲載

第1001号 2026年6月28日 選句一覧を掲載

どうぞお楽しみに。


▼過去の柳俳合同誌上句会
2022年11月

2022-11-27

柳俳合同誌上句会2022 選句結果

週刊俳句
柳俳合同誌上句会2022 選句結果
1週間延ばしましたが、結局、お一人様から選句が届きませんでした(音信不通)。届いたぶんで結果とさせていただきます。

10名様参加。5句選(特選1句・並選4句)。≫投句一覧

※選外の句へもコメントをいただいています。

〔柳人〕
嘔吐彗星
城崎ララ
真島久美子
翠川蚊
湊圭伍
〔俳人〕
青本柚紀
浅川芳直
小川楓子
津川絵理子
山田耕司

※参加者プロフィールは、このページの末尾に。

【草】

偶会の波引く草の枯を踏む  浅川芳直

思ひきり脚掻いて草の実だらけ  小川楓子
■えのこずちでしょうか。小さなお子さんのはしゃぐ姿が想像されて楽しいです。「思ひきり」がもっと見えてきてほしい気もします。(浅川芳直)

星を喰ふひと今の草は揺れてゆれて  湊圭伍

草食の月に寄るべを求めるな  城崎ララ
◯嘔吐彗星
■食性のカテゴリを与えられたことで、肉食や雑食などその他複数の月の存在が暗示されて面白いです。伝承のようでもあり、個人的な経験に基づく忠告とも読めそう。なぜ?と先を想像させる魅力があります。なんとなく、静かに誰にも気付かれずに自滅してしまうのでは、という予感がしました。(嘔吐彗星)
■「草食の月」がいいと思った。「寄るべ」があいまいに感じたので、そのあいまいさと「求めるな」の命令がちょっと座りが悪いかも。(湊圭伍)
■「あなたの発想はどこから?」と聞きたくなるような、「なんだそれ?!」感があって好きです。草食の月ってすごいなあ。月がもの食うのは前提で、そのうえで草食とそれ以外に分けている。と思ったけど、この草食は「草食系男子」の草食かも。「草食のオトコに寄るべを求めるな」なら、なんかそういうしょうもない警句っぽくなるし。まあいずれにせよ、月が草食なのは「変良い」ですね。(翠川蚊)

草笛の苦手分野を吹き渡る  嘔吐彗星
◯真島久美子◯城崎ララ◯山田耕司
■どんなところであれ、草笛を吹きながらあるきつづけられる人は、それなりに無敵。(山田耕司)
■苦手分野を吹き渡る、がいいなと思いました。草笛、中々思うように吹けないと思うのですが、吹き渡ることで堂々と挑んでいくような……潔さ、晴れやかさを感じます。(城崎ララ)
■子供の頃、父が吹いてくれた草笛。何度教えてもらっても吹けないまま、父の口元を黙って見ていた。苦手分野という領域を染めながら、どこまで広がってゆく音。それはまるで自分は自分のままでいいのだと教えてくれているようだ。(真島久美子)
■「草笛の苦手分野」!!(翠川蚊)

草彅の彅ほぐしつつむかいかぜ  翠川蚊
◯津川絵理子
■彅をほぐしているのは「むかいかぜ」なのか、頭の中で作者自身がほぐしているのか。もしかすると両方かもしれない。そう考えると、作者の受けるむかいかぜが頭の中をそのまま通って行くようなイメージが広がって面白い。「彅」という字は「弓」「前」「刀」にほぐれるし、これらもさらにほぐせるから、最終的にそれぞれが一本の線になって、まるで草みたいだ。そうか「草」と「彅」ってお互いに繋がっているんだな、と思ったりして、この句の世界に遊ばせてもらった。(津川絵理子)
■初読からしばらくの間「草粥の粥」と空目して俳句だと思い込んでいて、草粥の湯気が向かい風とまざりあうところまで味わってしまいました。読み直すと川柳なのですが、俳句の風情も感じられます。彅は「弓で強く剪る」の会意とのことで、これをほぐす作業からあふれてくる抜け感がいいです。はじめは一方向だった向かい風も、全体の3分の2以上のひらがなによってほぐされてあやふやになっていそうです。(嘔吐彗星)

冬青草包みごと割るチョコレート  津川絵理子
◎城崎ララ◎山田耕司◯真島久美子◯湊圭伍○浅川芳直
■割る。その時の手から伝わる感覚。「冬青草」とのリンクは万人が受け入れるものではなく。であるからこその潔さのようなものが感じられました。(山田耕司)
■チョコレートを割る句はあるのかなと思いつつ、清冽な冬青草の感じが好きでした。(浅川芳直)
■ふゆあおくさとそのまま読むのですね。季語は景色の見える美しい言葉だなと思いました。包みごと割るなら外で友達と分けたのか、それともこれは明日の分、と自分と分けることにしたのか。その情景の美しさで、割るという動作にマイナスでなく、喜びや期待など、ポジティブな感情を分け与える印象を受けました。あの銀色の包みまできらきらと見えるような、すてきな句です。(城崎ララ)
■「冬青草」を用いた句のストックが脳内にないので季語として効いているのかは分からずながら、中七下五のまっすぐな印象が思い切りがいい主体を伝えていてよいと思った。(湊圭伍)
■恋の真ん中でする儀式に「手作り」というものがある。誰かを想いながら大きなチョコレートを迷いなく割る気持ちよさ。冬青草が一生青春だと叫んでいるようだ。(真島久美子)

猫よ草吐け俺よ有季定型句を吐け  山田耕司
◯真島久美子◯津川絵理子
■有季定型句を吐けと自分に命令しながら、そうなっていないところに「俺」の葛藤が伝わる。猫が草を吐くのは辛そうだから、「俺」もそんな風に苦しいのだろう。(津川絵理子)
■生理現象としての有季定型句だなんて驚いた。そこからの定型無視に、自然と口角が上がる。句の勢いに一気に飲み込まれてしまった。(真島久美子)
■メタに実感を込めるのってむずかしいと思うんです。メタは上位者の視線を導入することだから、どうしても冷笑っぽくなる。それはつめたいメタ。でもこの句はなんというか、生々しい体温とか実感があって、熱いメタ。熱いメタ、好きなんですよ。(翠川蚊)

文脈は草茫々という手紙  真島久美子
◯翠川蚊◯嘔吐彗星
■互いの近況や打ち明け話でしょうか、文脈が知らないうちに伸び放題になる草に擬えられています。書ききれなかったことも余白に生い茂っているんでしょう。有機物である草の生長スピードがちょうどよく喩として機能していて、代替が思い付きません。題の特質が十全に生かされた句だと思いました。また「茫々」と表記されることで雑草の煩わしさが一転して、この事態を価値判断以前の認識へと解放してくれるようでもあり、万物斉同にも通ずる境地が垣間見えました。(嘔吐彗星)
■「文意」とかではなく「文脈」。だから手紙の本題が「草茫々」なのではなくて、あくまで意味上の連関とか脈絡のうえでのみ「草茫々」がある。「草茫々」がテクストの織り目の合間にそっと身を引くような、そんな美しさがあります。(翠川蚊)
■「文脈は草茫々」に引っかかって何度か読み返した句。文ではなく、文脈。支離滅裂なのか、脱線しているのか、四方山話が尽きないのか……なんにせよ思いのこもった手紙なのだろうと思います。(城崎ララ)

眩む手を草のあなたがおほふ傷  青本柚紀
◯翠川蚊
■読めば読むほどグラグラします。どこで切断するかによって、いろんな読みが浮かび上がってくるんですね。でもそのどの読みにも、読み切れるような読み切れないようなもどかしさがずっと付きまとって、痒いところに手が届かない。ウザい多面体(すっごい褒めてます)みたいな句だと思いました。(翠川蚊)
■かなりアクロバティックな句。「眩む」のは目だろうし、「手」が傷を覆うべきなのだが、そうした自然な措辞を外した裂け目を「あなた」への呼びかけが埋めている。「草のあなた」が謎めていて、同時に読者が句を読む行為と重なり合っている。(湊圭伍)

【書】

ぬるい霜月書けば日照雨に木が痩せて  青本柚紀

ひとりずつひとりとなって書をひらき  湊圭伍
○浅川芳直
■下五のものほしげな言いさしが、「ひとりずつひとりとなって」というちょっと鬱然たる気分に説得力を与えていると思いました。(浅川芳直)
■「ひ」の畳みかけがおしゃれです。「ひとりずつひとりとなって」、良いですね。音読したくなりますね。【書】という題に対していちばん正面から向き合ってる句だという気がします。「書」ってたしかにそういうもんだよね、っていう納得感がある。選からは漏れてしまったけど、とても心に残った句です。(翠川蚊)
■はじめの「ひとり」はカウントされる人数としての「一人」、続く「ひとり」は孤独の「独り」と読みました。自ら選べる孤独があるのは豊かなことだと、この句が言っているわけではないのですが、ひらがなで並列されたひとりひとりに書がひらかれている光景はどうしてもうつくしく、肯定を免れません。たまたま今年観た、レイ・ブラッドベリ原作でトリュフォーが映画化した『華氏451』のラストを彷彿とさせる句でもありました。(嘔吐彗星)

もろともに晴れ間から下書きのぞく  嘔吐彗星

玉砕もおりこみずみのお品書き  翠川蚊
◯城崎ララ◯山田耕司◯嘔吐彗星
■見開きタイプのお品書きを想定しました。雑俳の折込みに掛けているのだとすると、品目の中に「玉砕」の二字が詠み込まれているのかもしれません。内容が気になるところですが、最後の晩餐まで取って置いて、裏切り者に開けさせたいですね。(嘔吐彗星)
■いい度胸だな。(山田耕司)
■ひらがなの部分から「こおり」を空目してしまい、一気に玉砕のイメージが補完された句。「みず」もありますね……玉砕といいながら実力を試したいような、果敢な印象も受けます。(城崎ララ)
■「玉砕」とは穏やかではない。ただし、それは「おりこみずみ」であるし「お品書き」にていねいに記されているらしい。中七・下五の頭の「お」が落ちつき払っているものの、やはり「玉砕」である。ひどい目に会う人らも居るんだろう。 (湊圭伍)

山霧や駅に学童書道展  浅川芳直
◯真島久美子◯翠川蚊◯小川楓子
■子供たちの作品が並ぶのは、山深い駅だろうか。霞む山に対して伸び伸びとした筆で表される墨色がみずみずしい。(小川楓子)
■いわゆる「お習字」の句というと、「雪の教室壁一面に習字の雪/榮猿丸」を思い出します。習字が壁一面貼られてる光景ってちょっと怖いんですよね。この句は山だし霧も出てるし、余計ゾッとする感じがある。「liminal space」っぽいからかもしれない。いや、別にそんなこと書いてないんですけど。でもどうしてかこれは無人駅だという気がする。そこにひとり取り残されて、山の駅だから次の電車も全然来なくって、すごく静かで、そんななか学童書道展がひっそり開催されていて、明らかに子供たち自身のものではない言葉が飾られている。こわいなあ、という妄想。(翠川蚊)
■なんと静かで澄んだ句だろうか。子ども達が懸命に書いた作品を、微笑ましい気持ちで眺める小さな駅。心の余裕とは、たわいもない場所に存在している。(真島久美子)

書き足せばBマイナーになる眠る  真島久美子
◯山田耕司
■スイッチを切るためのスイッチ。(山田耕司)
■「とても眠くて楽譜一枚書き漏らす/海地大破」の変奏かなあ。眠くて書き漏らした人と、書き足してBマイナーにしてから眠った人。「Bマイナー」、調べたらバッハの「ミサ曲ロ短調」というのが出てきて、聴いてみるとすっごい荘厳。でも眠る前に書き足したのだとしたら、ちょっとかわいい。あ、でもBマイナーに「なる」なのか。おのずと?(翠川蚊)

折れ折れて書架のわが影冬に入る  津川絵理子
◎浅川芳直◯小川楓子◯嘔吐彗星
■夕陽の射す開架よりは深閑とした閉架書庫、その冷気に導かれる影でしょうか。
折れ折れていく影が幾何学模様をなすかと思えば、冬に至るまでの、書架を巡った時間が長時間露光されるようにも見えます。「わが影」を第三者視点で捉えているところもソリッドで格好いい句です。(嘔吐彗星)
■書架に私が入ったときの私の影の折れ方に冬の到来を感じた、と理解しました。折りたたまれた言葉が開かれるような展開の仕方が良いと思いました。(浅川芳直)
■自分の影を折るには、身体を曲げるのが一番簡単かもしれない。くねくねとした人なのだろうか。それとも、、、。冬の始まりの空気のなかで何か不思議なことが起きる気配がする。(小川楓子)

舌で書くバカの二文字よしょっぱいぜ  山田耕司
◯真島久美子
■バカは甘いものだと思っていたが、その矢印が自分へ向いた途端にしょっぱくなってしまうものだと気付かされる。舌先が感じるのは小さな後悔なのだろう。(真島久美子)
■尻文字はありますけど、「舌文字」とは。身体の中でもかなりよく動く器官なんで、書こうと思えば書けそうですね。「しょっぱいぜ」。そうですか……と思いながら笑っちゃいました。(翠川蚊)
■ヌーベルヴァーグに出てきそうな、愛嬌のある自棄ですね。「ぜ」はまだしも、この「よ」は気恥ずかしくてなかなかできない気がします。ポーズを全うしているところに好感を持ちました。(嘔吐彗星)

昼の書き順をなぞる爪のひかり  城崎ララ
■「書き順」は「昼」という文字のものか、それとも昼という時間に書き順があるということか。前者が実景だが、後者の感覚も重ねてある、と読みたい。(湊圭伍)
■「書き順」私もいろいろ考えたんです。でも、これより良い句はできなかったな。句意も明瞭で、誰が読んでも良い句なんじゃないかなあ、と。採るか最後の最後まで迷いました。(翠川蚊)

冬がはじまる友だちの白い書架  小川楓子
◯津川絵理子◯城崎ララ
■書架って冷たいんですよね……学校の地下書架を思い出しました。冬の書架は白くて、寒くて冷たい。なんとなくこの友だちはひとではなく、建物や場所であるように感じます。(城崎ララ)
■どんな友だちなんだろう、と想像する。親友というのでもなく、どことなく掴みどころのない人のような。「冬がはじまる」と「白い書架」の取り合わせと、全体的にふんわりした雰囲気に惹かれた。(津川絵理子)

【乗り物】

サーカストラック雨の向こうへ行ったきり  真島久美子
◯小川楓子
■サーカスというと大型テントに大型トラック、いずれも懐かしいアメリカ映画に出て来そうな色合いの印象がある。祝祭のあとの寂しさが「行ったきり」とさりげなく表されている。(小川楓子)
■何かが向こうの世界へ行ってしまって、帰ってこないという句、川柳には多い気がします(勝手に川柳と決めつけていますが…)。「弁当を砂漠へ取りに行ったまま/筒井祥文」とかね。で、これはたぶん子供の視点という気がする。子供からしたらサーカスはひとつの小宇宙ですから、それがもう行ってしまったって、たぶんすごい喪失感。非日常が日常に戻るときの、そのなんとも言えぬ悲しさですね。(翠川蚊)

トーストのうえをトロリーバスが行く  翠川蚊
◎真島久美子◎湊圭伍◯小川楓子
■「トロリー」ならぬ「トローリ」の「チーズ」が隠されているというまことにベタなお遊びながら、というかそのベタさゆえに軽やかな明るい朝の風景(とちょっとの眠気)が起ちあがっている。「~が行く」も句の外へうまく抜けていて心地いい。(湊圭伍)
■トーストの上で溶けてゆくバターのような、優雅な時間を感じる。実際に見たことも乗ったこともないのだが、耳の奥を静かにトロリーバスが過ぎていった。(真島久美子)
■日本では、トロリーバスを見かけることは少なくなったが、ドイツなどでは、今でも交通機関として活躍しているらしい。トロリーバスの「トロリー」という音がトーストの上で溶けるバターを彷彿とさせられ美味しそう。トースト一枚で小旅行の気分。(小川楓子)

ほどよい誤訳ね。ギアが滑るときの  湊圭伍
○翠川蚊
■ギアが滑るという感覚、ペーパードライバーの私にはよく分からないんですが(調べてもピンとこなかった)、ギアが滑るたびにこの世に「誤訳」が紛れ込むという「感じ」は不思議とわかる気がします。この句のなかに「誤訳」を探したくもなりますね。「ね」のあとの句点が重要なのかも。これによって「ほどよい誤訳ね」がテクスト上の発話だということが強調されている。話者はもしかしたら、自分がテクスト内存在だと気づいていて、誤訳されているのは話者自身なんじゃないか。「ほどよい誤訳ね。」が誤訳なら、なんかもうそういうパラドックスみたいになりますが。(翠川蚊)
■誤訳にも程度があること、その楽しみ方まで心得ている手練れの翻訳者が想像されます。句点の手前から、向こう側を傍観する……微笑を浮かべたまなざしと、事故の予感とを交錯させる倒置が効いています。「ほどよい」や「ね」の選択によって表面上マイルドに仕上げているところに、作者のねじれたセンスのよさがうかがえる句です。(嘔吐彗星)

機内誌のヨレも乗りこなすサーファー  嘔吐彗星
◯湊圭伍
■乗客が何人も乱暴に読んだ機内誌のページの折り目を越えてゆくかに見える写真の中のサーファー。飛行機旅の微妙な疲れで気怠くなった目線がとらえたディテール。チープで意味が無いのがよい。(湊圭伍)
■良い波なのだろうなと嬉しくなります。きっとたくさんの人が手に取った、ベテランの機内誌。(城崎ララ)

枯れ山を股に挟めば馬の声  山田耕司
◎津川絵理子○浅川芳直
■上五中七はどういう状態?と一瞬考えた。でも下五の「馬の声」で、馬に乗っているのかも、と。馬の背を枯れ山に喩えたことで、なんだかおとぎ話に出て来そうな大きな馬を思った。馬の声が前方遥か彼方から聞こえてくるのだ。自分が今股に挟んでいるのは、馬であり枯れ山なのだと感じると、世界は果てしなく広がり、自分もまた果てしなく広がっていく。(津川絵理子)
■解釈が必要な一句。股覗きのような仕方で枯山を見ていると取りました。鄙の雰囲気に惹かれて。(浅川芳直)

自転車に馬のぬくもり帰り花  津川絵理子

冬凪にアクセルふんはりと踏まれ  小川楓子
◎翠川蚊◯山田耕司
■「ふんはり」に心打たれたので特選。「ふんはり」の旧仮名の手触りがたまらない。「は」がポカンと空気みたいなんですね。「ふ」のたたみかけも気体っぽい。「冬凪」だから静かな大気が、足もとで「ふんはり」と少しだけ動く。その風の動きが、その感触が、そのさびしさが、そのかわいさが、そのかすかな温度が見える。アクセルが主語なのも良いですね。アクセルを踏むのではなくて、アクセルが踏まれるという、そういう世界への眼差し。私は運転教習所がこの世でいちばん嫌いですが、この句を見ると、クルマ、運転、なんか良いなってなります。もう超絶好きな句です。(翠川蚊)
■冬凪に対して、ではなく、冬凪を原因として、という意味で、この「に」という助詞を受け取りました。(山田耕司)
■言われてみれば、アクセルを急に踏むのは危ない。「ふんはりと」ですね。(浅川芳直)

冬麗の汽笛ほど汽車遠からぬ  浅川芳直
◎小川楓子◯津川絵理子◯湊圭伍◯城崎ララ
■電気機関車の甲高い汽笛ではなく、蒸気機関車の圧倒的な音量と複雑な音質の汽笛が、ふさわしく感じる。「汽車遠からぬ」という措辞には、そんな汽車への愛情がにじむ。澄んだ日のどこまでも響く汽笛が醸し出す奥行きにしばし佇んでいたい。(小川楓子)
■ふゆうらら。これも調べたのですが、季語って本当に美しい。冬の空は高く、汽笛が響き渡る晴天が見えるようです。どんなに遠くからだろうと振り向いたらそこの線路だった、なんて思わずはにかんでしまいそう。汽車の向こうまで見えそうな句です。(城崎ララ)
■通常「遠からず」とするのかと考えたが、「遠からぬ」と形容詞的に後ろに何かがあることを示唆しているところに味がある気がしてきた。頭の「冬麗」へと戻ってゆくような。(湊圭伍)
■汽笛は遥かから聞こえてくるのに、汽車はそれほど遠くないところに見えている。そんな風景をどこかで見たことがあるような気がする。なるほど確かにそうだと思う。冬麗の不思議な光景。(津川絵理子)

透けてゆく舟は階下へ実を運び  青本柚紀
◎嘔吐彗星◯湊圭伍
■舟を透過して階段に揺れる光の網。超自然的な美しさのあるシーンです。下へ動くのであればこの舟は沈んでいることになると思うのですが、「実」を運ぶ役目を果たしているらしい。むしろ「実」の重みによって沈んでいるのでは……という実際的な読みは差し置かれます。それよりもなんの「実」なのかが気になるからです。なんらかの実が階上から階下へ降りることは、種子への回帰を思わせもします。舟が透けてゆくのは消失を意味するのか、その引き換えとしての実なのか……意味深で、複数の読みを誘う句です。けれどどの問いも抽象的なまま麻痺させられるので、分析をやめて句のイメージに没入、陶酔しました。(嘔吐彗星)
■「透けてゆく」で切れるかどうか。とりあえず切って読んだ。そうすると要素が多くて複雑な句になるのだが、すべてが透けてゆき上下の区別も不分明となった世界を移動する「舟」の像が浮かんで解放感があった。(湊圭伍)

流星を手本にTime Machine【🔛】  城崎ララ
○浅川芳直
■初めて見た絵文字で面くらいました。「手本に」、よくわからないようで、われわれが見ている星の光は約0.003秒前の光。そんなところの繫がりがあるのかなと思いました。(浅川芳直)
■パッと見ていちばん気になる句ですよね。「流星を手本にTime Machine」は素直に読めますが、なんだ【🔛】って。Time Machineの起動って、こんな感じなんだろうか…と妄想できてたのしい。(翠川蚊)
■乗り物というテーマにたいしてTime Machineを持ってこれた時点でリーチですね。Time Machineがつよすぎて、たいする「流星」の斡旋がややおぼろげな気もしますが。??の左右両矢印で句の前後の時間に飛んでいけそうな感じが面白いです。Emojiの導入に挑みながら、「りゅうせいを/てほんにタイム/マシン・オン」とスムーズに17音で読ませる保障も忘れてはいません。(嘔吐彗星)


【参加者プロフィール】

■嘔吐彗星 おうと・すいせい
無所属フリー。句集未刊。note https://note.com/vomitcomet09

■城崎ララ きのさき・らら
西脇祥貴との川柳ユニット「川柳諸島がらぱごす」で季刊ネプリを発行。オンライン句会「海馬川柳句会」「川柳句会ビー面」に参加中。

■真島久美子 ましま・くみこ
1973年生まれ。卑弥呼の里川柳会代表。番傘川柳本社同人。川柳葦群同人。全日本川柳協会常任幹事。

■翠川蚊 みどりかわ・か
2000年生まれ。未所属。プロフィールに書くことなくて悲しいです。誰か一緒に川柳やりましょう。好きな映画は『ダンボ』と『ラルジャン』です。noteのリンク(連作等あり)https://note.com/midorikawa_ka

■湊圭伍 みなと・けいご
「川柳スパイラル」、「せんりゅうぐるーぷGOKEN」同人。昭和48年、大阪府生まれ。愛媛県松山市在住。句集に『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房、2021年)。海馬川柳句会運営。

■青本柚紀 あおもと・ゆずき

■浅川芳直 あさかわ・よしなお
1992年生まれ。「駒草」「むじな」。第8回俳句四季新人賞、令和3年度宮城県芸術選奨新人賞、第6回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞。「河北新報」秀句の泉 水曜、土曜担当。

■小川楓子 おがわ・ふうこ
1983年生まれ。「舞」会員。今年5月に第一句集『ことり』を上梓。共著に『超新撰21』『天の川銀河発電所』ほか。

■津川絵理子 つがわ・えりこ
1968年兵庫県生まれ。1991年南風入会。鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事。句集『和音』『はじまりの樹』『夜の水平線』など。第61回俳人協会賞。

■山田耕司 やまだ・こうじ
1967年生まれ。俳句同人誌「円錐」編集人。句集『不純』ほか。

2022-11-13

柳俳合同誌上句会・投句一覧

柳俳合同誌上句会・投句一覧



このたび小誌『週刊俳句』では、第810号・2022年10月30日でお知らせしましたように、柳人5名+俳人5名参加のメール句会を開催いたしました。以下に投句一覧を掲載いたします。

投句は、題詠【草】【書】、テーマ詠【乗り物関連】の3句。選句は互選形式。特選1句、並選4句。

選句結果と作者名の発表は来週・第812号(予定)。楽しみにお待ちください。



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【草】
偶会の波引く草の枯を踏む

思ひきり脚掻いて草の実だらけ

星を喰ふひと今の草は揺れてゆれて

草食の月に寄るべを求めるな

草笛の苦手分野を吹き渡る

草彅の彅ほぐしつつむかいかぜ

冬青草包みごと割るチョコレート

猫よ草吐け俺よ有季定型句を吐け

文脈は草茫々という手紙

眩む手を草のあなたがおほふ傷

【書】

ぬるい霜月書けば日照雨に木が痩せて

ひとりずつひとりとなって書をひらき

もろともに晴れ間から下書きのぞく

玉砕もおりこみずみのお品書き

山霧や駅に学童書道展

書き足せばBマイナーになる眠る

折れ折れて書架のわが影冬に入る

舌で書くバカの二文字よしょっぱいぜ

昼の書き順をなぞる爪のひかり

冬がはじまる友だちの白い書架

【乗り物】

サーカストラック雨の向こうへ行ったきり

トーストのうえをトロリーバスが行く

ほどよい誤訳ね。ギアが滑るときの

機内誌のヨレも乗りこなすサーファー

枯れ山を股に挟めば馬の声

自転車に馬のぬくもり帰り花

冬凪にアクセルふんはりと踏まれ

冬麗の汽笛ほど汽車遠からぬ

透けてゆく舟は階下へ実を運び

流星を手本にTime Machine【🔛】


2022-10-30

柳俳合同誌上句会2022のお知らせ

柳俳合同誌上句会2022のお知らせ

このたび小誌『週刊俳句』では、柳人5名+俳人5名参加のメール句会を開催いたします(今回は自由参加ではありません。そのうちやりましょうか、オープンなかたちで)。

●参加者

〔柳人〕
嘔吐彗星/城崎ララ/真島久美子/翠川蚊/湊圭伍
〔俳人〕
青本柚紀/浅川芳直/小川楓子/津川絵理子/山田耕司

※柳人の人選・コーディネートほか、湊圭伍が担当してくださいました。

●兼題

題詠【草】【書】、テーマ詠【乗り物にまつわる句】、各1句・計3句

※未発表句/当季/無季/

●選句一覧は11月13日号に掲載いたします(そののち互選)

どうぞお楽しみに。

▼過去の柳俳合同誌上句会
2014年8月
2020年9月

2020-09-06

柳俳合同誌上句会2020

柳俳合同誌上句会2020

このたび小誌『週刊俳句』では、柳人5名+俳人5名参加のメール句会を開催いたしました。以下に投句一覧を掲載いたします。

投句は、題詠【紙】【魚】、テーマ詠【聴覚関連】の3句。選句は互選形式。特選1句、並選4句。

選句結果と作者名は来週・第699号(2020年9月13日号)にて発表いたします。お楽しみにお待ちください。

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●投句一覧


【紙】

脱色してヤンキーになってる紙

猪に勝つて紙面の小見出しに

〈     〉を〈紙にプリントするように〉

鏡台のうしろに落ちた秋の紙

ユニコーンの匂いは紙に似ている

紙でつくる東京のうへ鰯雲

紙蓋のサイズの違う秋夕焼

筆洗や月へ及べる紙の冷

鞄には他人になる紙星月夜

紙コップ立つ秋の日のコカ・コーラ

【魚】

たなびきし楽市楽座魚座どち

てのひらの魚の熱をどうしよう

よく晴れて広場に魚の降る時間

雑木紅葉水の育ちを魚に問ふ

秋澄みてシーラカンスの魚拓かな

太刀魚のひかりをするするとしまう

痛風やじつとしてゐる熱帯魚

肺の辺に付ける魚卵製造機

父親は痩せていたのか魚竜釣り

問100で魚と星とまぜられている

【聴覚関連】

うどん屋で振り向いたのはオペラ歌手

コアラ以前のキャーッコアラ以後のキャーッ

ツクツクツクボーシと下り電車ゆく

稲妻やまださけびなきNASA動画

空耳をたよりに島の月もがな

山縦に伸びて鹿鳴くこと二日

住宅街歩く房事やと思う

新しい歯ブラシの音鰯雲

夜の秋ことば少ないあそびせり

肛門や祭太鼓に共鳴す

以上・全30句

2014-08-24

週刊俳句・柳俳合同誌上句会 2014年8月

週刊俳句・柳俳合同誌上句会 2014年8月

10名様参加。5句選(特選1句・並選4句)。≫投句一覧


参加者

〔柳人〕
飯島章友
きゅういち
清水かおり
なかはられいこ
八上桐子

〔俳人〕
相子智恵
笠井亞子
谷口慎也
鴇田智哉
中村安伸


【砂】

このへんがたぶん砂場の性感帯  飯島章友
○谷口慎也
○きゅういち
○笠井亞子
○清水かおり
■砂場のとらえどころのない重要なポイント、を言って妙味。(清水かおり)
■砂は変幻自在にして官能的。砂場にそれを発見した作者の嬉しそうな顔がまず浮かんだ。「このへんがたぶん」という間の持たせ方も狡猾。(笠井亞子)
■「砂場の性感帯」を見つけた時点で完成をみたであろう句、「このへんがたぶん」に冗長さとものたりないものを感じたのだが、かえって言い過ぎぬ姿勢が句を立たせたか。(きゅういち)
■手のひらに触れるくすぐったい砂の感触が〈性感帯〉という言葉を導き出した。〈たぶん〉にはその言葉に対する作者の含羞を見てもよいが、この措辞によって一句は、程良い調和を伴った愛らしいものとなっている。(谷口慎也)

ちょっとした砂丘になって待っている  なかはられいこ
◎谷口慎也
◎鴇田智哉
○中村安伸
○相子智恵

■待っている間に、自分が砂の溜りになってゆき、小さな砂丘になったということだろう。そのとらえ方が面白い。
演劇か何かの開演を待っているのかとも思ったが、そうではないだろう。〈ちょっとした〉という軽い言葉遣いからは、人を待っている感じがするからだ。〈ちょっとした〉という言葉に、親しみのある相手に対する軽い「抗議」の感じがあるのである。漫画における、「いらだち・怒り」の表現として、額に十字路マーク(?)が出るというのがあるが、主人公は額にあんなマークをつけたまま、にっこりと相手を迎えたのではないか。(鴇田智哉)
■〈ちょっとした砂丘〉の言い回しが軽妙かつ洒脱。同時に〈砂丘〉が「待つこと」にまつわる期待や不安感のようなものまでも表出している。多くを語らず多くを感じさせる理想的な一句である。(谷口慎也)
■なんだか暑そうな場所で、相手にずいぶんと待たされているのかもしれません。
待つうちに、相手に対する心が乾いていく。「ちょっとした砂丘」が絶妙な距離感のように思いました。(相子智恵)
■砂丘という隠喩で心中の渇きを示すのは、やや常套的といえなくもないが「ちょっとした」のキュートさに惹かれた。(中村安伸)

■約束の一分前もしくは一分後くらいかしら。(飯島章友)
■ちょっとした(小)砂丘(大)でも砂丘は足を踏み入れると・・私達は作品の中で何かになることが多いが砂丘になるのは新鮮な感覚。(清水かおり)


顎を手に乗せる身内の砂が降る  きゅういち
○鴇田智哉
○中村安伸

○飯島章友
■身内は「からだの内部」や「からだじゅう」の意と、「家族」「親族」の意があります。しかし、無理がないのは前者の「からだの内部」の意味だと思われ、そうだとすれば「顎に手を乗せ」て苦慮することが「砂が降る」を導き出す措辞になっているのではないでしょうか。(飯島章友)
■何気ない動作と心象を重ねた。「落ちる」や「こぼれる」でなく「降る」を選んだのは、物思いの継続することを示すのだろう。(中村安伸)
■〈身内〉は〝からだの中〟という意味でとった。自分の〈顎〉だろう。つまり頬杖のような状態だ。しばしの放心。全身がシルエットになったかのような感覚に近いのだが、そのシルエットが石の塊のように静止したものでなく、降る砂であるところが面白い。均質でありながら動いている。(鴇田智哉)

■頬杖のことを「顎を手にのせる」と言っているのか、もっと想像力を働かせると、身内の誰かの葬送の一場面までも浮かんでくる(清水かおり)

砂こぼす月に目じりのようなもの  谷口慎也
○なかはられいこ
○八上桐子

○相子智恵
■三日月でしょうか。砂は月が流した涙のようで、幻想的な句だと思いました。(相子智恵)

■古くから「月の顔」と言われてきたように、月は顔だ。けれど、その目鼻は定かではなく、見るものが描き入れる。目じりさえあやふやなままに、確かにこぼれ落ちる砂。しずかな息づかいの迫る月から、目が離せなくなってしまった。(八上桐子)
■本来は「砂こぼす」で切れていると読むべきなんでしょうか。私は「砂こぼす月 に」とつなげて読みました。黄砂とか飛んでる真昼の白っぽい月か らま るで涙 のようにこぼれる砂。月に目じりをみつけたところが好きです。(なかはられいこ)


砂のなかのきみは砂鉄やぼくは砂金
  中村安伸

砂めくれあがり揚羽の浮びたる  鴇田智哉
○谷口慎也○笠井亞子
■実景ともとれるムリのないシュールさがある。砂の劇場を見ているようだ。(鳥取砂丘を背景に作品を撮り続けた写真家のことを思う)「浮びたる」が揚羽の登場を格調高くしていて印象的。(笠井亞子)
■砂場でも海辺でもかまわないが、〈揚羽〉はまるで潜水艦のように浮上してくる。普段の何でもない生活の中でこういう「突然」にはよく出くわすものだ。しかしそれらがこの句のような言葉で表出されるとき、一句は虚実皮膜の不可思議さを醸し出す。(谷口慎也)

■砂→揚羽という発想は好きです。(飯島章友)
■時空を越えて現れた揚羽はその頃のせつない想いを留めている。砂はめくりあがるものなのかと妙に納得を誘う作品。(清水かおり)


上空の砂なら多民族でした  清水かおり
○飯島章友
■上空の砂「なら」多民族と言うんですから、一民族の地に住む人間が上空に舞ってきた砂を仰ぎ見て、多民族共生社会に思いを馳せた句かも知れません。しかし、たとえば中国大陸内陸部で発生する黄砂は他民族に健康被害を引き起こす困った物質ですし、また社会的なことを言えば、移民との軋轢の問題は多くの国が抱えています。上掲句からは多民族性が内包する憧憬と辛さとを感じます。(飯島章友)

■面白い句だと思ったが、しばらくすると「上空の砂=多民族」の意味的な構図が目立ってきて、一句はそこから動かない。この簡潔な断定を惜しいと思ったので、敢えて抽出してみた。(谷口慎也)

朝のシーツにランゲルハンス島の砂  八上桐子
◎清水かおり
◎笠井亞子
◎中村安伸

◎飯島章友
○きゅういち
○なかはられいこ

■朝のシーツとランゲルハンス島は現実物、そこに砂が合わされると幻想と現実のあわいが出現する。思わず手をぎゅっと握ってしまう。村上春樹の小説世界にごく自然に繋がっている作品。(清水かおり)■夢の中で訪れたビーチの砂が寝床に残されているという幻視と、その砂浜が「ランゲルハンス島」のものだったという言葉の遊戯。
臓器に「島」と名づけた語の喚起力によって、二重の跳躍が可能となった。(中村安伸)

■「砂」という言葉をつなげただけで「ランゲルハンス島」の意味が全く変わってしまう詩的面白さ。また、膵臓は実際に胆砂ができてしまうこともあるそうで、リアリティーをも感じます。(飯島章友)
■ランゲルハンス島というと複雑なイメージになりがちな所、「砂」という限定のお陰で、なんだかポップかつシュールな一句となった(ランゲルハンス島というのが実在の島で、ヴァカンスに出かけていたかのような)。
季語は無いけれど夏の朝の感じが横溢。バックには『マルタ島の砂』が流れている…。(笠井亞子)

■村上春樹と安西水丸の「ランゲルハンス島の午後」というエッセイ集を思い出し ました。夢のなかの出来事が、砂によって実体化されたようにみえ ておもしろ いと思いました。でもよく考えたら、マズイいんじゃないでしょうか、そこの砂 は。病院で検査してもらうことをお勧めします。(なかはられいこ)
■掲出句は特選にも押せるのではないかと感じ入ったが、「ランゲルハンス島」は膵島との意、意味を調べた小生に非があるのだが、急激に句の神秘性が薄らいでしまった。(きゅういち)


熱帯魚吐きたる砂や砂に落つ  相子智恵
○笠井亞子
■魚の口から吐かれた砂が水槽の底へ落ちていく、それだけのこと。
そのスローモーションじみた景はしかし「夏の時間」をひどく意識させる。(笠井亞子)


蒟蒻は砂の模様ぞ南風吹く  笠井亞子
○鴇田智哉
■まず、蒟蒻のあの色合いを〈砂の模様〉と言ったことで、一瞬、乾いた状況が浮かんでしまう。これは、食べ物である蒟蒻の印象としてはマイナスだ。食べ物としての蒟蒻の命は水分だと思うが、その逆のイメージだからである。〈砂の模様〉は、はっきり言って、おいしそうではない。だが、〈南風吹く〉と景色を広げたことで、その〈南風〉が雨雲をはらんだ湿気のあるものであるような気がしてくる。〈蒟蒻〉という奇妙なもの。そのありようを、どんよりとした質感でとらえているところが面白い。農産物である蒟蒻の、素朴な質感があると思う。(鴇田智哉)


【本】

エロ本をしぼればにおう鎮守様  きゅういち
○なかはられいこ
■「エロ本」と「鎮守様」の取り合わせが新鮮でした。性的なものと祭祀って無理 なくつながるようにも思えます。「エロ本」という俗っぽい言葉も 「しぼれ ば におう」という中七(しかもひらがな表記)でによって、柔らかくて水っぽくて 生々しくも神聖なものに変体してて、そこもおもしろかったです。(なかはられいこ)

■鎮守様の御座す神社、昔の村落共同体であればあんな事やこんな事の場になっていたかも知れません。(飯島章友)

永き日のひとつでありぬ古本屋  谷口慎也
○相子智恵
■春の日永。日差しのやわらかい景色の中に、古本屋ものどかに佇んでいる。古本屋というのがいいなあと。(相子智恵)

■良質な邦画のような句。(飯島章友)

逝く夏の線一本の星座かな  相子智恵
■流れ星・・だろうか。「逝く」の措辞がさびしい。(清水かおり)

転写本だからワサビも添えておく  飯島章友
○清水かおり
■転写本に何かを加味すると転写本といえなくなるかもしれないが、あえてワサビを効かす発想の面白さ。転写作業に辛みや風味を効かせたいと思う主体の情熱がいい。
「だから」と気の抜き方が絶妙。(清水かおり)


豆本をつまむ守宮をつまむように  笠井亞子
○鴇田智哉
○中村安伸
■守宮を対比させたことにより、豆本のもつ奇妙さ、ものめずらしさ、デリケートさがクローズアップされ、腑に落ちた。(中村安伸)
■動詞にはいろいろニュアンスがあって、「つかむ」というとかっこいいけれど、「つまむ」というとちょっとオドケた感じがする。「ひょいとつまむ」の「ひょいと」みたいなニュアンスが、「つまむ」自体に備わっているのだ。で、この句は、その〈つまむ〉の感覚がよく出ていると思う。
ところで、(俳人の性として申し訳ないが、)〈守宮〉が比喩として使われているため、厳密にいうと無季の句となっている。〈豆本〉と〈守宮〉を入れ替えて有季の句としても、内容けっこう面白い。でも、原句も面白い。
結局、〝〈守宮〉を持ったときに〈豆本〉を思い出す感覚〟と、〝〈豆本〉を持ったときに〈守宮〉を思い出す感覚〟のどちらが面白いか、ということが問題である。面白さでいえば、どちらも同じぐらい。でも、二者のどちらであるかによって、作者のキャラクターは結構違う。
この作者は、〝〈豆本〉を持ったときに〈守宮〉を思い出す感覚〟の方の人なのだ。仮に無季であろうが、作者がそうなのだから、こちらでよい。(鴇田智哉)

■守宮をつまんだことはないが、「つまむ」で豆本と守宮を同列した作者のユーモアを感じる。(清水かおり)

本よりも眩しく蟻の地がひらく  鴇田智哉
○清水かおり
■蟻地獄は時にパラダイスかもしれないと思う。「眩しい」に人間深層心理が言いつくされている。(清水かおり)

■本の活字と蟻との類比か。寺山修司を想いました。(飯島章友)

本降りになって桃缶買いに行く  清水かおり
◎相子智恵
○谷口慎也

○八上桐子
■「本降り」と「桃缶」の偶然の組み合わせが好きでした。
桃缶、よほど食べたかったのですね。缶の中の、シロップでずぶぬれの桃缶の桃と、本降りの中の自分がシンクロします。
雨は決して冷たくなく、シロップのようにまとわりつくようです。(相子智恵)

■「そんなヤツおらんやろ」と、まずは突っ込んだ。ところが、いる気がしてくる。にしても、桃缶。どうしても食べたくなるか?重いし。が、そんな日が来そうな気がしてくる。いえ、来て欲しい気すらしてくる。なつかしい衝動が、呼び覚まされたのだ。そんな日はあったのだ。(八上桐子)
■〈本降りになって出て行く雨宿り〉という古川柳がある。これは他者に対する揶揄。だが〈桃缶〉となれば話は別。一方で、三鬼の〈中年や遠くみのれる夜の桃〉があり、併せ読めば、それが「缶詰」であるというところに一種の滑稽とそれに伴う哀感さえ覚えるのだが、やや読み過ぎか?(谷口慎也)
■たとえば刺身を食べようとしたとき醤油がないことに気づいたら、これは即刻買いに出掛けざるをえません。でも「桃缶」という嗜好品は醤油ほどの必要性を感じない。要するに、私的な拘りで思い迷っている内にとうとう「本降り」になってしまったという顛末。パイン缶や蜜柑缶に比べ、桃缶には蠱惑的な何かがありそうです。(飯島章友)

本体を待っている間のくすりゆび  なかはられいこ
○きゅういち
○中村安伸
■朦朧とした書き方なのでさまざまな解釈が可能だが、本体に先んじて届けられた付属品をくすりゆびでもて遊んでいるのだと読んだ。
待つ心情が指に投影されてエロティックな風情もある。くすりゆびも本体というよりは付属品に近いものだろう。(中村安伸)

■どこかに漂うエロス、おそらく「くすりゆび」の持つ一般的なイメージによるものではないかと感じるが・・・一部分が全体を待つという大きな世界観が凝縮されている。(きゅういち)
■この「くすりゆび」が仮に左手薬指なら愛の証である指輪を待っている状況かも知れませんが、そのばあい「本体」という言葉はどうもしっくり来ない。「本体を待っている」という措辞からは、まるで義肢としての薬指が本体を待っている雰囲気があります。(飯島章友)
■これはもう小川洋子の「くすりゆびの標本」以外のシーンは浮かばない (清水かおり)


葉桜の独逸の本屋めく晩夏  八上桐子

冷房やひねもす本を抜きつ挿しつ  中村安伸

【音楽関連】

アサガオノカスカナカオススガシカオ  八上桐子
◎なかはられいこ
○きゅういち

○笠井亞子
■一瞬でがっちり掴まってしまいました。この句に裾を掴まれてしばらく身動きで きませんでした。ふつうに漢字とひらがなで書かれた句と比べて、 すべてカタ カナで書かれものは、目から脳に至る時間にどれほどの差が生じるのでしょう。 最初、カスカスとか、カオナシとか、スカスカとか読み 間違えながら「かすか なカオス」にたどり着いたときには、作者に嫉妬すら感じました。一句まるごと カタカナというのも新鮮ではありますが、た だそれだけではない、そのうえ間 違ってもキワモノなんぞとは言えない、詩的完成度の高い一句だと思います。(なかはられいこ)
■カタカナ表記、音韻の繰り返し等句自体に音楽が流れるようで遊び心満載、作句自体を楽しむような句姿に思わず「まいった」とつぶやいてしまうが「カオス」がいかにもの感。(きゅういち)

■イミよりまず読みをうながすカタカナの力を十全に生かした句。17文字が、数えてみれば「アオカサシスナシ」の8文字で構成されている。
朝顔にある微かな混沌も、その(カスカスとした)リズムに乗ると、からっとしていて楽しげに見える。元々カタカナ表記である名前の力も大きい。(笠井亞子)

■カの力技! (清水かおり)

アリランを乙女と乙女口移し  清水かおり
◎八上桐子
■ぷるんとふくらんだくちびるが、くちびるを真似て歌うアリラン。ゆっくり吐き出される一音、一音が、甘く切なく溶け合ってゆく。「口移し」は性的イメージにも働くが、官能を超越した“気”の交感を感じさせる。一句に凝縮された、プラトニックなエロティシズムに陶然となった。(八上桐子)

■「アリラン」「乙女」「口移し」という言葉の美的関係性と、a音・o音・u音の韻がよい。(飯島章友)

ドラムロール西瓜落下の映像に  中村安伸
○なかはられいこ
○相子智恵
■変な映像にドラムロールが付いて、なんだかおかしくて、もの悲しい。どんな番組か気になります。(相子智恵)
■結果が惨事となることがわかっていながら、期待してしまうのが人間の哀しいサ ガですね。とか、西瓜だから気軽に言えるわけですが、地に激突し て、ぐ ちゃっ てなった赤から、いやでも想像できてしまうものがあって。ひとの意識 下にある残酷な部分を引きずりだすような、ちょっと怖い句な気がします。(なかはられいこ)
■ドリフのごとし。(飯島章友)
■永遠に続きそうなドラムロールは時間の流れを遮断するような感覚がある。西瓜の落下でもドラマティックな人生の一ページに為り得る。(清水かおり)


はんざきの歌声ありて水の音  笠井亞子
○八上桐子
○飯島章友
■「歌声」という言葉が「はんざき」と「水」を仲介し融合させる働きをしていると思います。歌は通常、楽しいから歌うものだと思いますが、はんざきが歌っている川はさぞかし澄んでいるのでしょう。(飯島章友)
■「はんざきの歌声」に意表を突かれるが、そこはまだ半信半疑。下5の「水の音」でせせらぎに変換され、一気にリアリティーを帯びる。せせらぎは歌いつづけ、透明な歌声が私を通過してゆく。はんざきに歌を授けた、作者の詩心に感謝したい。(八上桐子)


竿竹にCD盤と風鈴と  相子智恵
○鴇田智哉
■CDがぶら下がっている光景は、見覚えのある風景として定着しているだろう。あれは何を除けているんだったか、鳥? 猫? それはそうと、〈風鈴〉もぶら下がっているんだが、別に風流でも何でもないし、〈竿竹〉も竹じゃないし、きわめて味気ない風景が、「音楽」という題に対してちょっと面白かった。(鴇田智哉)

■「CD盤」がテクストにおけるちょっとしたクビレになっていますね。(飯島章友)

縦笛のかつてキリンであった跡  飯島章友
○谷口慎也
○きゅういち
■「縦笛」と「キリン」の共通項を読者へ無意識にイメージさせる仕掛け、一句の中に輪廻に通じる時間軸をも織り込みふわっとした読後感をいただいた。(きゅういち)
■〈跡〉にやや難点。それでは一句が閉じてしまうという思い。だが、〈縦笛〉が〈キリンであった〉とはよもや誰も思いつくまい。その直観・直覚に賛同。(谷口慎也)
■縦笛のあのボコボコとしたシルエットはキリンだったのかと納得する。(清水かおり)


上向きにすいつちょの声反りあがる  鴇田智哉

大蓮のまわり音楽止みにけり  谷口慎也
◎きゅういち
■流れていたであろう「音楽」が「大蓮」の回りのみから消える。大きな時間軸を感じさせ、なにも語らずその空間の持つ質感を端的に言い表している。(きゅういち)


帝国の鋪道の音の無いダンス  きゅういち
○飯島章友
■帝国と言っても伝統や慣習を大切にし、民の生活の自由を守って国を治める帝もいますが、上掲句の帝国はそうでない雰囲気を感じます。「音の無いダンス」という具体でこの帝国の様子を想像させる手柄。(飯島章友)
■音のないダンスが国家の持つ危うさをうまく表現している。(清水かおり)


立秋の金銀パールプレゼント  なかはられいこ
○八上桐子
○清水かおり
■思わず口ずさむ。洗剤のCMソングでこの半世紀中一番の印象深さだったフレーズからは、まず「主婦」を連想させる。残暑厳しい「立秋」に何がしかを思いめぐらす姿を詠んでいる。
庶民の小さな幸せと憂鬱が簡潔に同居する作品。(清水かおり)
■「立秋の金銀パ」まで読んだところで、あのメロディになった。立秋と読むだけで空気の澄むような、気温が2度ほど下がるようなイメージに、ソプラノの軽やかな響きがピタッと重なる。金、銀、パールのそれぞれの光も、秋を感じさせる。それにしても、金銀パールがよく出てきたと思う。(八上桐子)


以上・全30 句