2022-11-27

柳俳合同誌上句会2022 選句結果

週刊俳句
柳俳合同誌上句会2022 選句結果
1週間延ばしましたが、結局、お一人様から選句が届きませんでした(音信不通)。届いたぶんで結果とさせていただきます。

10名様参加。5句選(特選1句・並選4句)。≫投句一覧

※選外の句へもコメントをいただいています。

〔柳人〕
嘔吐彗星
城崎ララ
真島久美子
翠川蚊
湊圭伍
〔俳人〕
青本柚紀
浅川芳直
小川楓子
津川絵理子
山田耕司

※参加者プロフィールは、このページの末尾に。

【草】

偶会の波引く草の枯を踏む  浅川芳直

思ひきり脚掻いて草の実だらけ  小川楓子
■えのこずちでしょうか。小さなお子さんのはしゃぐ姿が想像されて楽しいです。「思ひきり」がもっと見えてきてほしい気もします。(浅川芳直)

星を喰ふひと今の草は揺れてゆれて  湊圭伍

草食の月に寄るべを求めるな  城崎ララ
◯嘔吐彗星
■食性のカテゴリを与えられたことで、肉食や雑食などその他複数の月の存在が暗示されて面白いです。伝承のようでもあり、個人的な経験に基づく忠告とも読めそう。なぜ?と先を想像させる魅力があります。なんとなく、静かに誰にも気付かれずに自滅してしまうのでは、という予感がしました。(嘔吐彗星)
■「草食の月」がいいと思った。「寄るべ」があいまいに感じたので、そのあいまいさと「求めるな」の命令がちょっと座りが悪いかも。(湊圭伍)
■「あなたの発想はどこから?」と聞きたくなるような、「なんだそれ?!」感があって好きです。草食の月ってすごいなあ。月がもの食うのは前提で、そのうえで草食とそれ以外に分けている。と思ったけど、この草食は「草食系男子」の草食かも。「草食のオトコに寄るべを求めるな」なら、なんかそういうしょうもない警句っぽくなるし。まあいずれにせよ、月が草食なのは「変良い」ですね。(翠川蚊)

草笛の苦手分野を吹き渡る  嘔吐彗星
◯真島久美子◯城崎ララ◯山田耕司
■どんなところであれ、草笛を吹きながらあるきつづけられる人は、それなりに無敵。(山田耕司)
■苦手分野を吹き渡る、がいいなと思いました。草笛、中々思うように吹けないと思うのですが、吹き渡ることで堂々と挑んでいくような……潔さ、晴れやかさを感じます。(城崎ララ)
■子供の頃、父が吹いてくれた草笛。何度教えてもらっても吹けないまま、父の口元を黙って見ていた。苦手分野という領域を染めながら、どこまで広がってゆく音。それはまるで自分は自分のままでいいのだと教えてくれているようだ。(真島久美子)
■「草笛の苦手分野」!!(翠川蚊)

草彅の彅ほぐしつつむかいかぜ  翠川蚊
◯津川絵理子
■彅をほぐしているのは「むかいかぜ」なのか、頭の中で作者自身がほぐしているのか。もしかすると両方かもしれない。そう考えると、作者の受けるむかいかぜが頭の中をそのまま通って行くようなイメージが広がって面白い。「彅」という字は「弓」「前」「刀」にほぐれるし、これらもさらにほぐせるから、最終的にそれぞれが一本の線になって、まるで草みたいだ。そうか「草」と「彅」ってお互いに繋がっているんだな、と思ったりして、この句の世界に遊ばせてもらった。(津川絵理子)
■初読からしばらくの間「草粥の粥」と空目して俳句だと思い込んでいて、草粥の湯気が向かい風とまざりあうところまで味わってしまいました。読み直すと川柳なのですが、俳句の風情も感じられます。彅は「弓で強く剪る」の会意とのことで、これをほぐす作業からあふれてくる抜け感がいいです。はじめは一方向だった向かい風も、全体の3分の2以上のひらがなによってほぐされてあやふやになっていそうです。(嘔吐彗星)

冬青草包みごと割るチョコレート  津川絵理子
◎城崎ララ◎山田耕司◯真島久美子◯湊圭伍○浅川芳直
■割る。その時の手から伝わる感覚。「冬青草」とのリンクは万人が受け入れるものではなく。であるからこその潔さのようなものが感じられました。(山田耕司)
■チョコレートを割る句はあるのかなと思いつつ、清冽な冬青草の感じが好きでした。(浅川芳直)
■ふゆあおくさとそのまま読むのですね。季語は景色の見える美しい言葉だなと思いました。包みごと割るなら外で友達と分けたのか、それともこれは明日の分、と自分と分けることにしたのか。その情景の美しさで、割るという動作にマイナスでなく、喜びや期待など、ポジティブな感情を分け与える印象を受けました。あの銀色の包みまできらきらと見えるような、すてきな句です。(城崎ララ)
■「冬青草」を用いた句のストックが脳内にないので季語として効いているのかは分からずながら、中七下五のまっすぐな印象が思い切りがいい主体を伝えていてよいと思った。(湊圭伍)
■恋の真ん中でする儀式に「手作り」というものがある。誰かを想いながら大きなチョコレートを迷いなく割る気持ちよさ。冬青草が一生青春だと叫んでいるようだ。(真島久美子)

猫よ草吐け俺よ有季定型句を吐け  山田耕司
◯真島久美子◯津川絵理子
■有季定型句を吐けと自分に命令しながら、そうなっていないところに「俺」の葛藤が伝わる。猫が草を吐くのは辛そうだから、「俺」もそんな風に苦しいのだろう。(津川絵理子)
■生理現象としての有季定型句だなんて驚いた。そこからの定型無視に、自然と口角が上がる。句の勢いに一気に飲み込まれてしまった。(真島久美子)
■メタに実感を込めるのってむずかしいと思うんです。メタは上位者の視線を導入することだから、どうしても冷笑っぽくなる。それはつめたいメタ。でもこの句はなんというか、生々しい体温とか実感があって、熱いメタ。熱いメタ、好きなんですよ。(翠川蚊)

文脈は草茫々という手紙  真島久美子
◯翠川蚊◯嘔吐彗星
■互いの近況や打ち明け話でしょうか、文脈が知らないうちに伸び放題になる草に擬えられています。書ききれなかったことも余白に生い茂っているんでしょう。有機物である草の生長スピードがちょうどよく喩として機能していて、代替が思い付きません。題の特質が十全に生かされた句だと思いました。また「茫々」と表記されることで雑草の煩わしさが一転して、この事態を価値判断以前の認識へと解放してくれるようでもあり、万物斉同にも通ずる境地が垣間見えました。(嘔吐彗星)
■「文意」とかではなく「文脈」。だから手紙の本題が「草茫々」なのではなくて、あくまで意味上の連関とか脈絡のうえでのみ「草茫々」がある。「草茫々」がテクストの織り目の合間にそっと身を引くような、そんな美しさがあります。(翠川蚊)
■「文脈は草茫々」に引っかかって何度か読み返した句。文ではなく、文脈。支離滅裂なのか、脱線しているのか、四方山話が尽きないのか……なんにせよ思いのこもった手紙なのだろうと思います。(城崎ララ)

眩む手を草のあなたがおほふ傷  青本柚紀
◯翠川蚊
■読めば読むほどグラグラします。どこで切断するかによって、いろんな読みが浮かび上がってくるんですね。でもそのどの読みにも、読み切れるような読み切れないようなもどかしさがずっと付きまとって、痒いところに手が届かない。ウザい多面体(すっごい褒めてます)みたいな句だと思いました。(翠川蚊)
■かなりアクロバティックな句。「眩む」のは目だろうし、「手」が傷を覆うべきなのだが、そうした自然な措辞を外した裂け目を「あなた」への呼びかけが埋めている。「草のあなた」が謎めていて、同時に読者が句を読む行為と重なり合っている。(湊圭伍)

【書】

ぬるい霜月書けば日照雨に木が痩せて  青本柚紀

ひとりずつひとりとなって書をひらき  湊圭伍
○浅川芳直
■下五のものほしげな言いさしが、「ひとりずつひとりとなって」というちょっと鬱然たる気分に説得力を与えていると思いました。(浅川芳直)
■「ひ」の畳みかけがおしゃれです。「ひとりずつひとりとなって」、良いですね。音読したくなりますね。【書】という題に対していちばん正面から向き合ってる句だという気がします。「書」ってたしかにそういうもんだよね、っていう納得感がある。選からは漏れてしまったけど、とても心に残った句です。(翠川蚊)
■はじめの「ひとり」はカウントされる人数としての「一人」、続く「ひとり」は孤独の「独り」と読みました。自ら選べる孤独があるのは豊かなことだと、この句が言っているわけではないのですが、ひらがなで並列されたひとりひとりに書がひらかれている光景はどうしてもうつくしく、肯定を免れません。たまたま今年観た、レイ・ブラッドベリ原作でトリュフォーが映画化した『華氏451』のラストを彷彿とさせる句でもありました。(嘔吐彗星)

もろともに晴れ間から下書きのぞく  嘔吐彗星

玉砕もおりこみずみのお品書き  翠川蚊
◯城崎ララ◯山田耕司◯嘔吐彗星
■見開きタイプのお品書きを想定しました。雑俳の折込みに掛けているのだとすると、品目の中に「玉砕」の二字が詠み込まれているのかもしれません。内容が気になるところですが、最後の晩餐まで取って置いて、裏切り者に開けさせたいですね。(嘔吐彗星)
■いい度胸だな。(山田耕司)
■ひらがなの部分から「こおり」を空目してしまい、一気に玉砕のイメージが補完された句。「みず」もありますね……玉砕といいながら実力を試したいような、果敢な印象も受けます。(城崎ララ)
■「玉砕」とは穏やかではない。ただし、それは「おりこみずみ」であるし「お品書き」にていねいに記されているらしい。中七・下五の頭の「お」が落ちつき払っているものの、やはり「玉砕」である。ひどい目に会う人らも居るんだろう。 (湊圭伍)

山霧や駅に学童書道展  浅川芳直
◯真島久美子◯翠川蚊◯小川楓子
■子供たちの作品が並ぶのは、山深い駅だろうか。霞む山に対して伸び伸びとした筆で表される墨色がみずみずしい。(小川楓子)
■いわゆる「お習字」の句というと、「雪の教室壁一面に習字の雪/榮猿丸」を思い出します。習字が壁一面貼られてる光景ってちょっと怖いんですよね。この句は山だし霧も出てるし、余計ゾッとする感じがある。「liminal space」っぽいからかもしれない。いや、別にそんなこと書いてないんですけど。でもどうしてかこれは無人駅だという気がする。そこにひとり取り残されて、山の駅だから次の電車も全然来なくって、すごく静かで、そんななか学童書道展がひっそり開催されていて、明らかに子供たち自身のものではない言葉が飾られている。こわいなあ、という妄想。(翠川蚊)
■なんと静かで澄んだ句だろうか。子ども達が懸命に書いた作品を、微笑ましい気持ちで眺める小さな駅。心の余裕とは、たわいもない場所に存在している。(真島久美子)

書き足せばBマイナーになる眠る  真島久美子
◯山田耕司
■スイッチを切るためのスイッチ。(山田耕司)
■「とても眠くて楽譜一枚書き漏らす/海地大破」の変奏かなあ。眠くて書き漏らした人と、書き足してBマイナーにしてから眠った人。「Bマイナー」、調べたらバッハの「ミサ曲ロ短調」というのが出てきて、聴いてみるとすっごい荘厳。でも眠る前に書き足したのだとしたら、ちょっとかわいい。あ、でもBマイナーに「なる」なのか。おのずと?(翠川蚊)

折れ折れて書架のわが影冬に入る  津川絵理子
◎浅川芳直◯小川楓子◯嘔吐彗星
■夕陽の射す開架よりは深閑とした閉架書庫、その冷気に導かれる影でしょうか。
折れ折れていく影が幾何学模様をなすかと思えば、冬に至るまでの、書架を巡った時間が長時間露光されるようにも見えます。「わが影」を第三者視点で捉えているところもソリッドで格好いい句です。(嘔吐彗星)
■書架に私が入ったときの私の影の折れ方に冬の到来を感じた、と理解しました。折りたたまれた言葉が開かれるような展開の仕方が良いと思いました。(浅川芳直)
■自分の影を折るには、身体を曲げるのが一番簡単かもしれない。くねくねとした人なのだろうか。それとも、、、。冬の始まりの空気のなかで何か不思議なことが起きる気配がする。(小川楓子)

舌で書くバカの二文字よしょっぱいぜ  山田耕司
◯真島久美子
■バカは甘いものだと思っていたが、その矢印が自分へ向いた途端にしょっぱくなってしまうものだと気付かされる。舌先が感じるのは小さな後悔なのだろう。(真島久美子)
■尻文字はありますけど、「舌文字」とは。身体の中でもかなりよく動く器官なんで、書こうと思えば書けそうですね。「しょっぱいぜ」。そうですか……と思いながら笑っちゃいました。(翠川蚊)
■ヌーベルヴァーグに出てきそうな、愛嬌のある自棄ですね。「ぜ」はまだしも、この「よ」は気恥ずかしくてなかなかできない気がします。ポーズを全うしているところに好感を持ちました。(嘔吐彗星)

昼の書き順をなぞる爪のひかり  城崎ララ
■「書き順」は「昼」という文字のものか、それとも昼という時間に書き順があるということか。前者が実景だが、後者の感覚も重ねてある、と読みたい。(湊圭伍)
■「書き順」私もいろいろ考えたんです。でも、これより良い句はできなかったな。句意も明瞭で、誰が読んでも良い句なんじゃないかなあ、と。採るか最後の最後まで迷いました。(翠川蚊)

冬がはじまる友だちの白い書架  小川楓子
◯津川絵理子◯城崎ララ
■書架って冷たいんですよね……学校の地下書架を思い出しました。冬の書架は白くて、寒くて冷たい。なんとなくこの友だちはひとではなく、建物や場所であるように感じます。(城崎ララ)
■どんな友だちなんだろう、と想像する。親友というのでもなく、どことなく掴みどころのない人のような。「冬がはじまる」と「白い書架」の取り合わせと、全体的にふんわりした雰囲気に惹かれた。(津川絵理子)

【乗り物】

サーカストラック雨の向こうへ行ったきり  真島久美子
◯小川楓子
■サーカスというと大型テントに大型トラック、いずれも懐かしいアメリカ映画に出て来そうな色合いの印象がある。祝祭のあとの寂しさが「行ったきり」とさりげなく表されている。(小川楓子)
■何かが向こうの世界へ行ってしまって、帰ってこないという句、川柳には多い気がします(勝手に川柳と決めつけていますが…)。「弁当を砂漠へ取りに行ったまま/筒井祥文」とかね。で、これはたぶん子供の視点という気がする。子供からしたらサーカスはひとつの小宇宙ですから、それがもう行ってしまったって、たぶんすごい喪失感。非日常が日常に戻るときの、そのなんとも言えぬ悲しさですね。(翠川蚊)

トーストのうえをトロリーバスが行く  翠川蚊
◎真島久美子◎湊圭伍◯小川楓子
■「トロリー」ならぬ「トローリ」の「チーズ」が隠されているというまことにベタなお遊びながら、というかそのベタさゆえに軽やかな明るい朝の風景(とちょっとの眠気)が起ちあがっている。「~が行く」も句の外へうまく抜けていて心地いい。(湊圭伍)
■トーストの上で溶けてゆくバターのような、優雅な時間を感じる。実際に見たことも乗ったこともないのだが、耳の奥を静かにトロリーバスが過ぎていった。(真島久美子)
■日本では、トロリーバスを見かけることは少なくなったが、ドイツなどでは、今でも交通機関として活躍しているらしい。トロリーバスの「トロリー」という音がトーストの上で溶けるバターを彷彿とさせられ美味しそう。トースト一枚で小旅行の気分。(小川楓子)

ほどよい誤訳ね。ギアが滑るときの  湊圭伍
○翠川蚊
■ギアが滑るという感覚、ペーパードライバーの私にはよく分からないんですが(調べてもピンとこなかった)、ギアが滑るたびにこの世に「誤訳」が紛れ込むという「感じ」は不思議とわかる気がします。この句のなかに「誤訳」を探したくもなりますね。「ね」のあとの句点が重要なのかも。これによって「ほどよい誤訳ね」がテクスト上の発話だということが強調されている。話者はもしかしたら、自分がテクスト内存在だと気づいていて、誤訳されているのは話者自身なんじゃないか。「ほどよい誤訳ね。」が誤訳なら、なんかもうそういうパラドックスみたいになりますが。(翠川蚊)
■誤訳にも程度があること、その楽しみ方まで心得ている手練れの翻訳者が想像されます。句点の手前から、向こう側を傍観する……微笑を浮かべたまなざしと、事故の予感とを交錯させる倒置が効いています。「ほどよい」や「ね」の選択によって表面上マイルドに仕上げているところに、作者のねじれたセンスのよさがうかがえる句です。(嘔吐彗星)

機内誌のヨレも乗りこなすサーファー  嘔吐彗星
◯湊圭伍
■乗客が何人も乱暴に読んだ機内誌のページの折り目を越えてゆくかに見える写真の中のサーファー。飛行機旅の微妙な疲れで気怠くなった目線がとらえたディテール。チープで意味が無いのがよい。(湊圭伍)
■良い波なのだろうなと嬉しくなります。きっとたくさんの人が手に取った、ベテランの機内誌。(城崎ララ)

枯れ山を股に挟めば馬の声  山田耕司
◎津川絵理子○浅川芳直
■上五中七はどういう状態?と一瞬考えた。でも下五の「馬の声」で、馬に乗っているのかも、と。馬の背を枯れ山に喩えたことで、なんだかおとぎ話に出て来そうな大きな馬を思った。馬の声が前方遥か彼方から聞こえてくるのだ。自分が今股に挟んでいるのは、馬であり枯れ山なのだと感じると、世界は果てしなく広がり、自分もまた果てしなく広がっていく。(津川絵理子)
■解釈が必要な一句。股覗きのような仕方で枯山を見ていると取りました。鄙の雰囲気に惹かれて。(浅川芳直)

自転車に馬のぬくもり帰り花  津川絵理子

冬凪にアクセルふんはりと踏まれ  小川楓子
◎翠川蚊◯山田耕司
■「ふんはり」に心打たれたので特選。「ふんはり」の旧仮名の手触りがたまらない。「は」がポカンと空気みたいなんですね。「ふ」のたたみかけも気体っぽい。「冬凪」だから静かな大気が、足もとで「ふんはり」と少しだけ動く。その風の動きが、その感触が、そのさびしさが、そのかわいさが、そのかすかな温度が見える。アクセルが主語なのも良いですね。アクセルを踏むのではなくて、アクセルが踏まれるという、そういう世界への眼差し。私は運転教習所がこの世でいちばん嫌いですが、この句を見ると、クルマ、運転、なんか良いなってなります。もう超絶好きな句です。(翠川蚊)
■冬凪に対して、ではなく、冬凪を原因として、という意味で、この「に」という助詞を受け取りました。(山田耕司)
■言われてみれば、アクセルを急に踏むのは危ない。「ふんはりと」ですね。(浅川芳直)

冬麗の汽笛ほど汽車遠からぬ  浅川芳直
◎小川楓子◯津川絵理子◯湊圭伍◯城崎ララ
■電気機関車の甲高い汽笛ではなく、蒸気機関車の圧倒的な音量と複雑な音質の汽笛が、ふさわしく感じる。「汽車遠からぬ」という措辞には、そんな汽車への愛情がにじむ。澄んだ日のどこまでも響く汽笛が醸し出す奥行きにしばし佇んでいたい。(小川楓子)
■ふゆうらら。これも調べたのですが、季語って本当に美しい。冬の空は高く、汽笛が響き渡る晴天が見えるようです。どんなに遠くからだろうと振り向いたらそこの線路だった、なんて思わずはにかんでしまいそう。汽車の向こうまで見えそうな句です。(城崎ララ)
■通常「遠からず」とするのかと考えたが、「遠からぬ」と形容詞的に後ろに何かがあることを示唆しているところに味がある気がしてきた。頭の「冬麗」へと戻ってゆくような。(湊圭伍)
■汽笛は遥かから聞こえてくるのに、汽車はそれほど遠くないところに見えている。そんな風景をどこかで見たことがあるような気がする。なるほど確かにそうだと思う。冬麗の不思議な光景。(津川絵理子)

透けてゆく舟は階下へ実を運び  青本柚紀
◎嘔吐彗星◯湊圭伍
■舟を透過して階段に揺れる光の網。超自然的な美しさのあるシーンです。下へ動くのであればこの舟は沈んでいることになると思うのですが、「実」を運ぶ役目を果たしているらしい。むしろ「実」の重みによって沈んでいるのでは……という実際的な読みは差し置かれます。それよりもなんの「実」なのかが気になるからです。なんらかの実が階上から階下へ降りることは、種子への回帰を思わせもします。舟が透けてゆくのは消失を意味するのか、その引き換えとしての実なのか……意味深で、複数の読みを誘う句です。けれどどの問いも抽象的なまま麻痺させられるので、分析をやめて句のイメージに没入、陶酔しました。(嘔吐彗星)
■「透けてゆく」で切れるかどうか。とりあえず切って読んだ。そうすると要素が多くて複雑な句になるのだが、すべてが透けてゆき上下の区別も不分明となった世界を移動する「舟」の像が浮かんで解放感があった。(湊圭伍)

流星を手本にTime Machine【🔛】  城崎ララ
○浅川芳直
■初めて見た絵文字で面くらいました。「手本に」、よくわからないようで、われわれが見ている星の光は約0.003秒前の光。そんなところの繫がりがあるのかなと思いました。(浅川芳直)
■パッと見ていちばん気になる句ですよね。「流星を手本にTime Machine」は素直に読めますが、なんだ【🔛】って。Time Machineの起動って、こんな感じなんだろうか…と妄想できてたのしい。(翠川蚊)
■乗り物というテーマにたいしてTime Machineを持ってこれた時点でリーチですね。Time Machineがつよすぎて、たいする「流星」の斡旋がややおぼろげな気もしますが。??の左右両矢印で句の前後の時間に飛んでいけそうな感じが面白いです。Emojiの導入に挑みながら、「りゅうせいを/てほんにタイム/マシン・オン」とスムーズに17音で読ませる保障も忘れてはいません。(嘔吐彗星)


【参加者プロフィール】

嘔吐彗星 おうと・すいせい
無所属フリー。句集未刊。note https://note.com/vomitcomet09

城崎ララ きのさき・らら
西脇祥貴との川柳ユニット「川柳諸島がらぱごす」で季刊ネプリを発行。オンライン句会「海馬川柳句会」「川柳句会ビー面」に参加中。

真島久美子 ましま・くみこ
1973年生まれ。卑弥呼の里川柳会代表。番傘川柳本社同人。川柳葦群同人。全日本川柳協会常任幹事。

翠川蚊 みどりかわ・か
2000年生まれ。未所属。プロフィールに書くことなくて悲しいです。誰か一緒に川柳やりましょう。好きな映画は『ダンボ』と『ラルジャン』です。noteのリンク(連作等あり)https://note.com/midorikawa_ka

湊圭伍 みなと・けいご
「川柳スパイラル」、「せんりゅうぐるーぷGOKEN」同人。昭和48年、大阪府生まれ。愛媛県松山市在住。句集に『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房、2021年)。海馬川柳句会運営。

青本柚紀 あおもと・ゆずき

浅川芳直 あさかわ・よしなお
1992年生まれ。「駒草」「むじな」。第8回俳句四季新人賞、令和3年度宮城県芸術選奨新人賞、第6回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞。「河北新報」秀句の泉 水曜、土曜担当。

小川楓子 おがわ・ふうこ
1983年生まれ。「舞」会員。今年5月に第一句集『ことり』を上梓。共著に『超新撰21』『天の川銀河発電所』ほか。

津川絵理子 つがわ・えりこ
1968年兵庫県生まれ。1991年南風入会。鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事。句集『和音』『はじまりの樹』『夜の水平線』など。第61回俳人協会賞。

山田耕司 やまだ・こうじ
1967年生まれ。俳句同人誌「円錐」編集人。句集『不純』ほか。

0 comments: