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2026-06-28

細村星一郎×西原天気【俳句なんやかんや】横たはる葡萄の房はくやしかろ〔阿部青鞋〕

【俳句なんやかんや】
横たはる葡萄の房はくやしかろ阿部青鞋

細村星一郎×西原天気


星一郎●天気さん、ご無沙汰しております。

天気●俳句タロット以来ですか。

星一郎●そうですね!最近は俳句のことを話すというと、ついつい何か意味のある、実りのあるものにしなければという気負いが生まれてしまって、思えばこうやって俳句を自由気ままに語るというのは久しぶりかもしれません。

 横たはる葡萄の房はくやしかろ  阿部青鞋

ふと思い浮かんだのが青鞋のこの句だったので、少し季節違いですが挙げてみました。葡萄がそこにあるだけなんですけど、西洋の静物画というよりは絵本のようなおかしさ、かわいらしさがあります。

天気●擬人化と口調のせいでしょうか、なるほど、絵本、童話、説話のようなおもむきですね、この葡萄は。

星一郎●「くやしかろ」って、ずいぶん勝手ですよね。でも何度か口に出して読んでいると、ちょっとずつ葡萄に同情の気持ちが湧いてくるから不思議です。

天気●ちょっと連想も広がるわけですね。のびのびと樹で実っていたのに、誰か(消費者)の眼の前で、食べられるのを待っている、と。それは、くやしいかもしれない。

星一郎●青鞋の句に出てくるモノや動物はどれも意思があるというか、デフォルメされて顔や手足がついているように見えます。というか、彼にはあらゆるものが本当にそう見えていたのかもしれないです。

 大花火天を感じてのちこぼれ

 悲しみは我にもありとむかでくる

 いくつ鳴るつもりの柱時計かな

 腐れたる鉄はいろいろのことを言ふ

天気●さきほどの「絵本」というのは良い把握ですね。稚気や童心に備わる艶めかしさもちょっと感じますね。アニミズム(金子兜太系のアニミズムとはずいぶんと違ったおもむきではあります)と関連して、語ることもできそうです。ことさらそっちに持っていくことはないけれど。

星一郎●アニミズムといっても、民俗学的な土着の概念というより、あくまでも私と目の前にあるモノとで目が合っていることへの感動というか。

天気●幼児と玩具のような。

星一郎●そうですね。ところで自分の話で恐縮ですが、じつは青鞋はたぶん一番影響を受けた俳人なんですよね。大学で上京した頃にちょうど暁光堂さんから『阿部青鞋俳句全集』が出て。

天気●暁光堂、意義のある仕事してくれましたね。

星一郎●それまで高校で俳句を教えてくれていた小池康生さんというコーチは基本的には有季定型の人で、歳時記を読み込んでたくさん作ってとにかく有季定型を身体に染み込ませるような練習をしていました。「銀化」の人だからちょっと諧謔的な要素もあったかな。

天気●おお、小池康生さん!『旧の渚』も『奎星』も感じのいい句集です。音数歳時記にも何句か康生さんの句をいただきました。《無花果は簞笥の色をしてゐたり》などは諧謔味もありながら、郷愁を誘います。

星一郎●そう、型もきれいでちゃんとしてるんですよ。ところが青鞋の句を読むと、小池さんに「こうしなさい」と言われてきたことをことごとく無視している(笑)。

天気●それまではある程度「枠組み」のようなものは教わっていたわけですよね。それが、青鞋でタガが外れた。

星一郎●はい。もちろんその「枠組み」が俳句の基礎を作ってくれたのは間違いありません。ところが青鞋の句は季語もないし無駄なことばっかり言うし、主観まみれだし……という感じで、それは相当なショックでした。

天気●無季の句、多いですよね。《うろうろと鏡のなかを又あるく》とか。

星一郎●そのおかげで「俳句ってなんでもやっていいんだ」ということに気づけたんですよね。

天気●俳句は、何でもアリ。それがいいです。

星一郎●ぶっ飛んだ俳句、ヘンな俳句というのは自分と縁のないものだと思っていたんですが、よく考えたら誰も僕にダメなんて言ってないじゃん、という。

天気●あはは。ヘンな句、大好物なので、うれしいです。

星一郎●別に青鞋っぽい句をつくるようになったわけではないですが、とにかく世界が変わりました。というか、俳句がもっと楽しくなりましたね。


2026-03-01

八上桐子×西原天気【俳句なんやかんや】曳かれくる鯨笑つて樂器となる〔三橋敏雄〕

【俳句なんやかんや】
曳かれくる鯨笑つて樂器となる〔三橋敏雄〕

八上桐子×西原天気


天気●歳時記的には、いま取り上げるにふさわしくないのですが、ま、そのへんは無視して。

  曳かれくる鯨笑つて樂器となる 三橋敏雄

天気●第1句集『まぼろしの鱶』(1966年=昭和41年)の〈昭和三十年代〉の項に収められている句です。おおらかで明るくて、大好きな句です。

桐子●これはまた大きな句ですね。景も死生観も。

天気●鯨だけでもスケールが大きいのですが、《曳かれくる》で、遠近法。泳いでいるよりも大きな景に感じます。

桐子●一瞬、こわっ! と思ったのですが、よく読むと、樂器って、楽しい器で、ラクな器なんですね。だから鯨は笑っている(ように見える)、死とはそういうものだと。

天気●次の世として《樂器》。とすると、そこがこの句の死生観を裏打ちするものですね。

桐子●大きなものの死を詠っていながら、悲壮感がなく、むしろ祝祭的あかるさを感じます。

天気●あかるいですよね、この句。すごくあかるい。おっしゃるとおり祝祭的なまでに。鯨の眼って、笑ってるようにも見えるし。ただ、私は、一読、鯨がそのとき大きな《樂器》として、眼前にある、というふうに読みました。《曳かれくる》を死と直結しなかった。「私たち」のところにやってきた、というとヘンですが、「訪れた」感じ。

桐子●鯨って、毎年新しい歌を作曲して歌っていると聞いたことがあります。

天気●ああ、コミュニケーションのために声を出す? Wikipediaの文言では「反復的でパターンが予測可能な音」。まさしく音楽ですね。

桐子●自分では鳴らすことのできない、しずかな楽器になった鯨を、三橋さんが奏でているようです。この世界に生きた鯨と三橋さん、二つの生が響きあっています。

天気●名鑑賞ですね。ところで、この楽器となった鯨、どんな音なんだろう? と一瞬想像してみたんですが、そこは特定しないほうがいいと結論しました。それよりも形象。ほら、シロナガスクジラの腹部の模様は、ハープや巨大な弦楽器みたいだし、マッコウクジラからはピアノを連想しました。

桐子●それは気づきませんでした。ピアノ、弦楽器……見えそう! あ、そうか、曳かれくるのロングショットから、鯨を認識して、顔のクローズアップ。それからもう一度引きで全体を見て見立てる。読者に意識させない視点の移動でもって、具象を象徴へ飛躍させていますね。ふしぎなことに、三橋さんの視線が鯨を動かしているようにも感じられるし、読み返しているうちに、三橋さんの視線が自分の視線のように感じられてきました。

天気●映画的快感ですね、ある種。

桐子●書棚を探してみたら、文庫サイズの三橋敏雄句集『眞神(まがみ)・鷓鴣(しゃこ』(1996年/邑書林句集文庫)が出てきました。

天気●1973年の第2句集、眞神(まがみ)と1979年の第3句集、鷓鴣(しゃこ)を収めたものですね。

桐子●いつ買ったのか、まだ読んでいませんでした。《絶滅のかの狼を連れ歩く》、三橋敏雄と言えばこの句に代表される孤高のイメージですが、硬質ななかにふとのぞかせる繊細でやわらかな句にも惹かれました。この振幅も魅力ですね。

 顔古き夏ゆふぐれの人さらい

 手を筒にして寂しけれ海のほとり

 はつなつのひとさしゆびをもちゐんか

 かたちなき空美しや天瓜粉

天気●三橋敏雄は、アマゾンや「日本の古本屋」をざっと見ると、オリジナル句集も含めそれほど法外な値段じゃなく入手できるみたいです。

桐子● 最晩年に作品がどう変化したのか、しなかったのか、すごく気になります。

天気●手元にあって重宝している『定本三橋敏雄全句集』(20166年/林桂・鬣の会発行/風の花冠文庫)には『しだらでん』(1996年)以降の句作も収めてあります。(辞世)と記された掉尾の句を引いてみましょうか。

  山に金太郎野に金次郎予は昼寝 2001年・81歳

『まぼろしの鱶』(1966年)の冒頭の句、鮮烈このうえない《かもめ來よ天金の書をひらくたび》から、この昼寝の境地にまで到ったかと思うと、ちょっとうれしくなります。 

2026-02-15

【俳句なんやかんや】水馬わけもわからず快諾す〔永末恵子〕八上桐子×西原天気

【俳句なんやかんや】
水馬わけもわからず快諾す〔永末恵子

八上桐子×西原天気


天気●俳句を一句、取り上げて、なんだかんだとおしゃべりしましょう、という、音楽千夜一夜の俳句版みたいなことを始めました。誰と誰が、とは決めていません。今回は、川柳作家の八上桐子さんをお招きしました。

桐子●「俳句千夜一夜」じゃなくて「なんやかんや」なんですね、お誘いいただき、ありがとうございます。よくわからないけど、なんかおもしろそうです。俳句についてあれこれお話するのですよね。そういえば、今のこの感じにぴったりな俳句がありました。

 水馬わけもわからず快諾す 永末恵子

あめんぼう…、少々ノリが軽すぎたかもですが、どうぞよろしくお願いいたします。

天気●《わけもわからず快諾す》の部分が、このたびの桐子さんの気分というわけですね。恐縮です。そして、ありがとうございます。ところで、俳人は、「今のこの感じにぴったりな」と聞くと、反射的に「季節」のことを思うので、え? 水馬は夏の季語なんですけど? と一瞬、アタマがこんがらがりました。のっけから、柳人と俳人の違いが現れましたね。

桐子●なるほど、まず季語で季節なんですね。水馬から、あの水面をすいすい動く姿は浮かんでも、夏は出てこないです。俳句と川柳の具象の使い方が違うはずだ。

天気●アメンボは、小さいときによく眺めていました。愛らしい。その頃、この語彙はなかったけれど、そういう気分で眺めていたのだと思います。飽きもせず。

桐子●アメンボが水の上を歩けるなら、人間もどうにかしたら歩けるのではと思って見ていました。足の裏がどうなっているのか確かめたかったのですが、すばしっこくて捕まえられませんでした。

天気●あっ、捕まえるという発想はなかったです。これも川柳と俳句の違い? なわけないか。

桐子●永末恵子さんの句集『ゆらのとを』(2003年)は、石田柊馬さんの勉強会で紹介されました。

 猫のびるのびる那智から舟が出る

 鹿肉に塩ふる美貌かもしれぬ

 にわとりを引っぱる冬の神社かな

 寒いから漬物石を誉めている

 ヴァイオリンとつぜん向きを変える鯛

ものの見方や喩え方にそこはかとないユーモアあり、品のよい毒気もあり、好きな句が多すぎてすぐに買いました。たしか amazon で 8,000円くらいだったと思います。

天気●いい買い物でしたね。調べると、今はもっと高価。ウェブサイト「日本の古本屋」も見たのですが、どの句集もほとんど出回っていないようです。

桐子●俳人の方には失礼かもしれませんが、ちょっと川柳ぽさを感じるのですがいかがですか?

天気●それ、難しいところです。引用された5句を見ると、たしかに川柳っぽさ(あくまで私の浅はかなジャンル理解という前提はありますが)はあるかも。ちなみに、どの句もめちゃくちゃおもしろい。

桐子●もっと見直されていい作家だと思います。

天気●はい。2016年・62歳と、早くに亡くなられて、句集は5冊あるようですが、先ほども話したように、入手が難しい。週刊俳句・第322号(2013年6月23日)に10句寄稿いただいていて、今となっては貴重です。

桐子●これもいいですね!

天気●でしょう? さて、さきほどのご質問に立ち返りましょうか。《水馬わけもわからず快諾す》は川柳ぽいか? という問い。私は、きわめて俳句っぽく感じます。12音のフレーズに季語をプラスした作りのせいもあって。

桐子●12音のフレーズ+季語は、TVでおなじみの某先生の言われる俳句の基本型ですね。川柳も、12音+具象の型があって、私も時実新子から基本型の一つとして学びました。

天気●川柳にもあるんですね。それは新鮮です。俳句の場合は、しかし、その〈+具象〉の部分が季語になるのが基本、というか、圧倒的に頻繁。その場合の季語は、場面設定や気分/空気の醸成という役割を担うことも多く、がっつりぶつかり合わない。いわゆる〈二物衝撃〉としての取り合わせは、むしろ川柳のほうで活用されているのかもしれません。

桐子●で、水馬の句ですが、なんか勢いでOKしちゃったみたいな、言葉では説明のつかない感覚に近いものとして、水馬がよく出てきたなと。いかにもでもなく、アメンボを思えば思うほど、それそれ、それだわ! と納得していく。取り合わせの距離感も絶妙です。川柳なら「あめんぼう」とひらがなにひらくでしょうね。私なら、かな?

天気●取り合わせの距離感。なるほどです。そのへんは(俳句において)決まりはない(と思う)ので、あるいは、別の角度から言えば、言語化/マニュアル化されにくい「秘儀」のような部分なので、読者一人ひとりにどうフィットするのかということですね。桐子さんから「絶妙」と言われると、そう思えてきました。アメンボウ。いいですね。