2026-06-21

「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって(前編)

週刊俳句1000号 対談

1000号をふりかえって(前編)

西原天気 × 上田信治

■ じつに見通しが甘い

信治●「週刊俳句」1000号ということで、上田がお願いして、天気さんと対談することにしました。天気さん、よろしくお願いいたします。

天気●はい。1000号が来ちゃいましたね。創刊当時、冗談のように「1000」を口にしていました。そのときの自分の年齢を計算して、「はたして生きているのか?」とも。まだ生きていました。

信治●そんなに続かないような気がしていました。天気さんは、身軽さが身上というタイプに見えていましたから、あっさり「やめどき」を見つけてくれるんじゃないかと。

天気●「やめどき」ねえ……(しばし沈黙)、それはまさしく、1000号でしょう? ここまで現実として続いてしまったものを「終刊」するのに、第1000号以上にふさわしいタイミングはない。でも、終刊にはならなかった。とりあえず。第1001号は出ます。

信治●自分がこんな年齢になるって、ぜんぜん想像がおよんでなかった。はじめたの40代ですから。「続ける」ということを、リアルに考えてなかったのはそのせいですね。

天気●さっき偶然、この話題にぴったりの記事を見つけちゃいました。

https://weekly-haiku.blogspot.com/2008/09/blog-post_7553.html

週俳創刊から1年ほど経った時期に『銀花』からメールインタビューを受けた。これ見つけるまで忘れてました。で、その回答の拡大版みたいなものになってます。そこで(ほかでもたびたび言ってることではありますが)週俳の方向性とか運営の具体も説明しているんですが、興味深いのは次の文言です。

《(…)20年続けば1000号を超えます。その頃は、私はいないでしょうが、「もし続いていたら」と想像すると楽しい。》

《私はいない》と明言している。でも、「いる」。きっと、引退して、誰かが受け継いでくれた週刊俳句を外から見ているという、気楽な展望。ほんと、現実は甘くないです。

信治●そういえば、1000号記念の会にまぎれこんで「あの人だれ」と言われるのが理想だと、言われてました。

天気●言ってましたね、そんな夢みたいなことを。しかし現実には1000号記念のオフ会もなかった。その点でも、じつに見通しが甘い。

信治●「やめるなら、今しかなかった」。そういう意味でも、私たちは、見通しが甘いですよね。もうね、この甘さは「可愛げ」だと思って、自分を許すしかない。

天気●許しましょうよ、おおいに。終わって、(社交辞令的に)惜しまれて、なんて、ラーメン屋の閉店じゃないんだから。

信治●惜しまれてなるものか、と。

天気●でもね、第1001号を決断してよかったと思っていますよ。やめるにも、きっとエネルギーが要る。それって、ヘンな消耗だったりすると思うんです。

信治●だったら、むしろ、予想をうらぎって、だらだらやってみたほうが……。

天気●当初のもくろみどおり、「続いていくことで起こる何か」をたのしみにできるんじゃないか、と。これまでどおり、燃費のいい走り。あまりエンジンを噴かさずに、のんびりと続ければいいのではないかと。それと、なんらかの外的な要因でやめるという事態が、いつやってくるかわからない。いつかやってくる。だから、内的な要因、つまり自分たちの意思でやめることはないんじゃないかと、思い始めてます。

■ コレでは、まるで総会屋ではないですか(笑)

信治●「週刊俳句」を始めたことが、天気さんにもたらしたものって、なにかありますか。

天気●それは、もちろんたくさんあります。あたりまえだけど、人とのつながりが、まずある。で、それに尽きるかもしれない。なんだか、自分のキャラクターじゃないみたいにウェットなことを言っていますが、率直なところ、まずは、それだと思います。

信治●そっかー、そうですよねえ。

天気●例えば、信治さんとも、あの創刊前のインターネット上のやりとりで終わっていただろうし。それより大きいのは、若い人たちと知り合えたことかなあ。当番もやってくれた山口優夢くんあたりから始まって、いまも当番をやってる福田若之くんもそう。ほかにたくさん。俳句を続けていたとしても、週刊俳句なしだと、彼らと知り合う機会はなかったと思います。信治さんは、どうですか?

信治●すごく、いま、感慨深くてですね。というのは、自分は「人とのつながり」という言葉が、まったく思い浮かんでなかった(笑)。自分が週刊俳句から得たものとして、まず思い浮かんだのは「週刊俳句の人という肩書き」だったんです。ひどいでしょう?

天気●それは同じことだと思いますよ。私にしても、肩書きが広げてくれた「人とのつながり」ですから。

信治●それは、そうなんですけど、いま言った肩書きというのは、よく言われる、名刺作ったら、もう「記者」(「イラストレーター」「スタイリスト」とかも)というやつで。自分が、俳句の世界で(自称とはいえ)メディアの人としていられたことは、すごく大きかった。メディアの人間て、作家ヒエラルキーと無関係じゃないですか。結社に入ってたら、よその主宰とは口きけないですからね。カウンターパートじゃないんで。

天気●なるほど。肩書きという点は同じでも、その成果みたいなものの捉え方がちがう。「週刊俳句の人」として、俳句エスタブリッシュメント、既存の俳壇秩序にもズカズカと入っていけたわけですね。

信治●自分がなんとヤクザな人間であったことかと気がついて、おどろいています。コレでは、まるで総会屋ではないですか(笑)。でね、なにが感慨深いかというと、天気さんは、はじめから「自分で」何かをやろうとしては、いなかったのでは? それって、メディア観のちがいなんでしょうか。

天気●んんと、それは、記者と編集デスクの違いみたいなこと? あるいは、メディアとしての週刊俳句を、どう扱っていたかの違いってことですか?

信治●両方です。天気さん、ご自宅での句会をずっとやってらしたでしょ。豆の木の人も、佐山さんの句会の人も、学生たちも来てた。ちょっとよそでは読めないような句を読みあって、終わるとユキさんにごちそうを食べさせてもらう。そういう、俳句つながりで人が行き来することに、はじめから天気さんの関心の中心があったのかなあと。だから「週刊俳句」も、はじめから、人が来て何かして帰っていく、そういう場として設定されていたのでは、と。

天気●そのアナロジー、週刊俳句と自宅、自分では思いつかなかったけれど、当たっているかもです。人が来て、去っていく。だから、さかんに、メディアじゃなくて「場」という言い方をしてきたのですね。いまでもそう思ってます。「まるごとプロデュース」なんて、メディアの発想じゃないと思います。信治さんは、週刊俳句=メディアという捉え方が色濃い?

信治●不特定多数にむけての媒介のための道具、という意味では。ただ、媒介すべき中味が、こちらに、あらかじめあるわけではなくて。「恒信風」とか『俳句という遊び』(小林恭二)とか、ああいうものがもっとあるといいのになと。俳句にはメディアが足りないという直感だけはありました。「ハイクマシーン」は、谷雄介と佐藤文香にさそわれてはじめたもので、自分始動ではないんですが、あれを始めて、これこれという手応えがあって。

天気●信治さんは雑誌色が強く、私は店子を集める就職/アルバイト雑誌っぽい捉え方ということですかね。はっきりとした対照ではなく、傾向として。

信治●それはそうかもしれない。

天気●思い当たったのですが、さっき終刊の話をしましたよね。実際、具体的にどうなったら終わるんだろう? と考えてみたんです。いまの運営メンバーの全員が理由はどうあれ、「もうできない」「もうやめる」となれば、終わる。ところがね、そのとき、私なら、全員がいなくなるまえに募集すればいい。そう思いついたんです。「誰か、やるひと、いますか?」って。ラーメン屋が閉店する。味は受け継がなくていい。居抜きで、誰かやりませんか? と。その発想は「場」>メディアだなあ、とつくづく。

信治●めちゃくちゃ、いい考えですね(笑)。よさそうな人だったら、明日にでも代わるかも。

天気●いやいや、明日はダメでしょ?

■ 20年前のいろんな俳句の風景

天気●すこし話を戻したいんですが、さきほど、ご自分のことを「メディアの人」と呼んだ部分です。そこで思い出したのが、むかしよく言われていた「二つの池の水路をつなぐ」。そこに返っていくわけですね。

信治●あ、そういうことかもしれません。当時、つまりだいたい20年前、いろんな俳句の風景が見えていて、一つは、自分が俳句の入り口にした、ネットの句会、掲示板やブログ、天気さんが遊んでらした俳句の「界隈」、もう一つは、より俳壇寄りの、結社と総合誌を中心に置いた俳句。あと、一人で読んでいた、朝日文庫の「現代俳句の世界」のような、虚子以来の近現代俳句というもの、そこには、ホトトギスから耕衣や白泉まである。これ、全部ばらばらのようだけど、自分において、一つになるはずなんだ、一つの全体、一つの現在として扱えるはずだ、なぜなら自分がそう読んでいるから、という、初心者なりの思い込みがあって。

天気●虚子から「現代俳句」までの歴史的な部分を除くと、水平軸として、俳壇:結社/総合誌がひとつ。もうひとつがネット俳句界隈。信治さんにとって、このふたつの「池」は離れているように見えて、水路でつながるはず、という解釈でいいんでしょうか?

信治●そうですね、俳句の現在というやつ。ネットというか、先行する同人誌として「恒信風」と「豆の木」、あと天気さんたち、あと東大と早稲田の学生俳句会。長嶋有、寺澤一雄、遠藤治、村井康司、斎藤朝比古、田島健一、宮本佳世乃、谷雄介、佐藤文香、山口優夢、神野紗希といった人たちが見えていて。あと、一方には「俳壇」かなあというものがあって(龍太も澄雄も湘子も存命でしたから)。で、この二つは、おたがいに測り合うべきだと。それができたら、楽しいことになるぞお、という。それが根本的なところにあったみたいです。

天気●その「測る」ツールのひとつが週刊俳句だったと?

信治●「週刊俳句」が始まって、天気さんに誘っていただいたことによって、そういうことができるかもという可能性が開かれたといいますか。なんか、そういうことができそうという高揚がありました。

(つづく)

0 comments: