2012-01-08

牛の歳時記 第4回 元日 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第4回 元日 鈴木牛後 人を恋ふ牛の瞳と合ふお元日  保坂加津夫 掲句、わかるような気がする。特別、牛が元日に人を恋うているわけではないだろうが、人の側の心持ちが違うのだ。世間では、元日はみな休みなのに(最近は、元日営業の店が増えたので、そうは言えなくなってしまったが)、いつもと変わらず牛の世話をしている自分。牛と恋をしているとでも言わなければ落ち着かないではないか、などという気分なのであろう。 牛飼いというと、365日休みなく働いているというイメージがあると思う。実際、それに極めて近いという現実はあるのだが、それでも最近は酪農ヘルパーという制度ができて、たまには休めるようになった。酪農ヘルパーとは、酪農家が休みをとるときに、代わりに来て搾乳をしてくれるサービス業のことだ。私も、たまには酪農ヘルパーをお願いして、家族サービスをしたり、札幌へ句会に出かけたりしている。 私も、実は酪農家の生まれではなく、酪農家として独立するまでは、この酪農ヘルパーをしていた。そんな酪農ヘルパー時代に、当時60代(私の父と同世代だ)だった酪農家に聞いた言葉が忘れられない。 「牛飼いを始めたころは、盆も正月も稼げるなんて、こんないい商売はないと思ったものだよ」 この言葉は、ある意味衝撃だった。週休二日が当たり前の世の中、酪農家の私でも休みがないのを、さすがに「いい商売」だと思ったことはない。 生きていることが、即、稼ぐことだった時代。そこでは、「自分探し」とか「生き甲斐探し」などする必要はなかった。なにも迷うことはなく、ひたすら働いていればよかったのだ。もちろん、そんな世の中を全面的に肯定するわけではないが、少し羨ましく感じるのは私だけではないと思う。 私が俳句を作るのは生きる証し、などと格好いいことを言うつもりはない。まだまだ趣味の域を脱してはいないと思う。かえって、仕事で特別成果を挙げられないことへの、単なる代償行為としての側面が強いかもしれない。それでも、この自分の生活と俳句とが、例えば蔦に表面を覆い尽くされた古い建物のように、一体不可分のものとなることを秘かに望んでいる。 先日のウラハイ に、関悦史氏の句集「六十億本の回転する曲がつた棒」について相子智恵氏が書いていたことが、とても印象に残っている。

なぜならこの句集の「生(なま)感」に、私の中のぐちゃぐちゃの土が戻ってきた気がしたからである。それは作者自身の、いまなお続く被災生活を詠んだ句ばかりではなく、この句集全体から感じとれることだった。虚構性の高い句であっても、なぜか地続きで感じられる「生(なま)の共振」があるのだ。
いいなあ、「生の共振」。この言葉も、意味することも両方。 牛に口牛に尻ある大旦  牛後

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